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2018年06月11日

父の残した「インパール作戦従軍記」 その11


 父の残した「インパール作戦従軍記」 その11

 13.生死を賭けた行軍

  

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 傷と発熱と太陽と

 両腿の傷が触れると痛い、足をガニマタにして皆に後れ無い様に必死に歩き続ける。熱が出て身体中が熱い、鉄帽の覆を取って背中に付けると「ヒヤリ」として気持ちが好い。だがそれも長続きはし無かった。
 喉が渇いて舌が上下にヒッツイテしゃべる事が出来無い、唯黙々と歩き続ける。陽は昇り始めたが目指す部落は見付から無い。これ以上日中の行軍は敵に見つかる恐れがあるから出来無い。そこで小銃隊より3人の斥候兵を出して部落を捜す事に為り、皆はボサの中に身を隠し斥候の帰るのを待った。

 乾季の平原地は草も木の葉も枯れ果てて砂漠地帯の様だ。所々に人の背丈の何倍もあるサボテンの木が群れを為し、その下に小さな刺だらけの頭にピンクの花を付けたサボテンが転がる様に生えて居る。私は、要約身を隠すだけの茂みを見つけ横に為った。南方特有の強烈な太陽が弱り切って居る私の身体を照り付ける。
 喉はカラカラだが水筒の水は1滴も無い、高熱が続き頭は「ガンガン」殴られる様に痛み目の前が真っ暗に為って来る。灼熱の太陽は私の身体から容赦無く油汗を絞り出す。「死んで堪るか」「死んで堪るか」と、気持ちだけの抵抗では無駄の様だ。
「何も要ら無い、狭くても好い父母の待って居る平和な我が家でユックリ休みたい」と思って居る内に気が遠く為って行くのをどうする事も出来無かった。

 斥候兵帰る

 先に偵察に出た斥候兵が帰って来た。この先の部落には敵の姿は見え無い、直ちに出発する事に為った。やっと体を起こし、夢遊病者の様に「ヨロヨロ」と要約部落へ辿り着く事が出来た。佐藤康二、井上源治、二人の世話に為り米の飯に有り付いた。水も飲む事が出来た。しかし負傷して居る私には腹一杯の水は飲ませて貰え無かった。
「関口、余り水は飲むなよ」 「分かって居る、口をユスグだけだ」と言って居るが、我慢出来るものでは無い。

  

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 コレラ発生

 小銃隊からコレラが発生した。初めは下痢と嘔吐、それが段々激しく為って発病後8時間程で死んでしまった。私は見られ無かったが、井上君達の話しでは身体中の水分が無く為り肉の形すら無く為って居たと言って居た。しかしコレラ等経験の無い者ばかりで、何の病気か判らないので兎に角下痢をして居るのだから水は飲むなと殆ど与えられ無かったらしい。

 第二夜の行動

 暫く安静にしていた所為か多少元気が出て来た。第二夜の行動が始まり、佐藤と井上が前後について私を護って呉れた。背嚢や装具は全部捨てて来たので身軽な筈なのに、歩き出して見ると気持ちだけは落ち着いて居るのだが足が云う事を聞か無い。  
 イラワジ河畔を撤退する時部隊長の訓示に、途中で部隊から離れた時は東南の方向に進めば必ず部隊に追及出来るとの訓示があった。しかしこんな事態に為るとは予測もし無かった。

 ビルマの乾季の夜空は星で眩(まぶ)しい程だ。南十字星、北極星、オリオン座など手が届きそうだ。夜間方向を知るには北極星を見付、両手を横に上げ顔を北極星に向けると東西南北が直ぐ分かる。右手が東、左手が西、後ろが南と云う事に為る。
 又オリオン座の回転によって時間を知る事も出来る。こんなに星の有難さを知ったのは生まれて初めてだ。
皆黙々と歩いて居る。話しをするにも声を秘そめ無ければ為ら無い。私は痛い足を引きずり乍ら、皆に遅れ無い様に必死で歩く。井上と佐藤は私を看護して呉れる様に時々元気を付けて呉れた。

 早く友軍に辿り着きたい気持ちから、自然と行軍の速度が早まるのは仕方無いのだが、私に取ってはとても苦しい行軍である。最早私の体力にも限界が来たようだ。このままでは皆に迷惑が掛かるから私一人で行く事を考えた。
 「源ちゃん、俺は皆と一緒に歩け無いから先に行って呉れ、俺は後から一人で行くから」と言って腰を降ろした。「バカ、何を言うか、貴様俺達を先に遣って後で死ぬ積りだろう」と、酷く叱り付けた。私としては一人で行ける所迄は行く積りだが、愈々最後に為れば自分の身の振り方は覚悟をして居た。私がどんなに言い訳をしても駄目だった。

 「俺達はどんな事があってもお前を連れて行く」と言って聞か無い。「それじゃあ牛車を見つけて呉れ、俺の最後の願いだ」と頼んだ。小部隊は休憩を執り私の為に暗闇の中を民家を捜し牛車を一台見付て呉れた。皆の好意に心から感謝して牛車を走らせた。

  

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 コレラの恐怖

 暫く行くと小銃隊の一人が叉腹痛を訴えて私の牛車に乗る事に為った。矢張り前の患者同様に水を欲しがった。余り可愛想なので自分の水筒の水を飲ませて遣った。
 その後行軍は順調に進み、夜明け前に「キャウセ」の本隊に辿り着く事が出来た。そこで腹痛の患者は軍医の診断ではコレラだと聞かされた。牛車の上では自分の水筒の水を飲ませ、自分でもその水を飲んで居るのだ。コレラの潜伏期間は1週間だと聞き、その1週間は又生きた心地がし無かった。私は第31野戦病院に収容される事に為って、本当にお世話に為った井上、佐藤達にお礼を言ってジャングルの中の病院に向かった。

 新しい出血

 野戦病院に収容されたのが3月18日昼前頃だった。野戦病院と云うので気持ちを落ち付かせてユックリ治療出来ると思って来てみると、病院とは名ばかりで100名近い患者に軍医3名に衛生兵10数名の集団だった。
 元気な患者はお昼の支度で忙しそうに動いて居た。私は背嚢も米も戦車に追われた時全部捨てて来てしまった。サテどうしたものかと考えて居ると「及川助七」と、入院者を呼ぶ衛生兵の声に振り向くと「あ!」私が前に所属して居た通信隊の軍曹ではないか。
 思わず「及川軍曹」と呼ぶと「何だ関口じゃないか、何処を遣られた?」と言いながら軍医の方へ歩いて行った。私も呼ばれ軍医の前に行く。軍医は無表情に「何処だ」と云って包帯を取らせた。ズボンと一緒に縛り付けた包帯は傷口に張りついてナカナカ取れ無い。
 黙って見ていた軍医は「イライラ」しながら衛生兵に早く取って遣れと言った。衛生兵は無言で、行き成り傷口に張り着いた包帯を剥ぎ取った。「ウウうー!」私は悲鳴にも為ら無いウメキ声を上げてしまった。傷口からは又新しい血が流れ出した。それでも軍医に見て貰ったと言う安心感が、今迄張り詰めて居た気持ちを和らげて呉れた。

  

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 病院の移動

 及川軍曹には刈羽郡出身の尾見一等兵が伝令として付いて来て居た。私は彼に世話に為り、お昼と夕食も食べさせて貰った。今夜はユックリ眠れると思って居る耳に、遠くで又敵の機関銃の音が聞こえて来る。
 「もう敵が追って来て居るのか」と思って居ると衛生兵が
 「野戦病院は直ちに後方へ向かって出発する、皆その様に準備して置け、もし歩け無い患者が居る時は担送するから申し出ること」との事だった。私は両足の負傷だから、出来る事なら担送にして貰いたいと思った。更に衛生兵は、「もし担送患者の多い時は2回に運ぶ事に為るからその積りで」との事だった。
 
 サア、これは大変な事に為ったぞ。以前「コヒマ」撤退の時に同じ事があったのだ。敵の追撃が早く迎えに行く事が出来ず敵中置き去りにされた兵隊も居たのだ。 「ようーし歩く事にしよう」と決心した。及川軍曹が「関口どうする?」と云うので。「歩いて行きますから一緒にお願いします」と頼んだ。「それじゃあ関口は足を遣られているから、それに合わせて歩く事にしよう」と私を中心にして行軍を始めた。

 14.負傷兵の苦難

 シャン高原の山登り

 平原地のメークテーラの町は既に敵に退路を遮断され、仕方無く各隊ともシャン高原ヘ退路を求めて行った。私達は数名ずつの集団と為って山登りを開始した。
 最初の1日は私本位に歩調を合わせて呉れるのだったが、杖に縋って「ピョコン、ピョコン」と歩く私に、元気な者はどうして付き合う事が出来よう。次の日は一緒に出発したものの、何時の間にか別れ別れに為り皆夫々自分のペースで行軍する様に為った。
 
 2日間の山登りで要約シャン高原へ上り詰めると、頂上には軍用トラックが待って居て患者を乗せてカローへ向かって後送して呉れた。途中トラックの都合で3日程歩く事に為り、その時には既に足の悪い者同志の集団に為って居た。
 シャン高原は高冷地で、昼夜の温度差が激しく、空気が澄んで居り気ままな夜行軍の旅は気分も爽快で、暫し足の痛さを吹き飛ばすかの様に当時流行の「シャン高原ブルース」と云う歌を

 ♪ 野行き山行き南の果てに 来たぞ高原シャンの町 お花畑に松風聞けば 遠い故郷がしのばるる

 と、瞬時敵に追われて居る身を忘れて大声で唄い乍ら歩いた。

  

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 カローの町

 高原を登り始めてから何日位経ったであろうか、要約「カロー」の町に着いた。この町は戦前ビルマ在住の外国人の別荘や英国軍高官等の避暑地でもあった。小ぢんまりした盆地の町にはトンガリ屋根の洒落た建物が沢山あり、庭には「ケイトウ」や「コスモス」の花も咲き乱れ、赤土の丘の上からは赤松の香りが漂い真緑が目に飛び込んで来て、宛(さなが)ら内地へ帰った錯覚を起こす。

 脚の蛆

 カローの病院は飯を食べさせて呉れるので有難い。病院も爆撃を避ける為ジャングルへ退避して居た。到着したばかりで治療所を見付ける事が出来ず付近の大木の下で夜に為るのを待つ事にした。
 昨日辺りから、傷口が痛い中にも「チクリ、チクリ」と針で突かれる様な痛さを感じた。何日振りかに包帯を取って見ると傷口の回りに蛆が這って居る。死体に集る蛆は何処でも見られる光景だが、生身の身体に集る等思っても見無かった。仕方無く竹のピンセットで肉の中に食い込んだ蛆を1つ1つ取り除いた。

 カローの宿舎

 夕方に為り病院の宿舎へ帰って見ると建物は爆撃で跡形も無かった。朝ジャングルへ退避の時、装具の一部を残して行こうかと思ったのだが万一の事を考えて持って行って助かった。
 両腿が痛く、立ったり腰を降ろすのが辛く、腰を降ろす時は前方に位置を決め直立のままパッタリ倒れ、両腕で支えてから尻を着く、何とも奇妙な格好をしなければ為ら無い。大便をするのに一番困った。膝を曲げられ無いから、殆ど立ったたままするのだからナカナカ技術が必要だ。

  

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 乞食の悲哀

 食事は病院から貰えるから困ら無いが、飯盒も背嚢も捨てて来てしまったから何処かで見付け無ければ為らない。覚束無(おぼつかな)い足取りで空き家を捜し歩いた。衛生兵宿舎の倉庫の前に白砂糖が零れて居る。もう何ヶ月も甘い物等有り付いた事が無い、拾って来ようかと思って居ると衛生兵が兵舎から出て来た。
「そこに零れて居る砂糖を少し下さい」と言うと、衛生兵は私の顔をチラリと見て「ア、又遣られた」と言って零れた砂糖を靴で蹴散らかして兵舎へ飛び込んで行った。「アヽ勿体無い」
 敵弾でボロボロに為った軍袴(ぐんこ)に汗と垢で黒光する軍衣を着て、杖を突き乍ら人に物乞いする自分の姿が哀れで為ら無かった。近くに空き家を見付けた。色々な物が散乱して居る。鉛筆や通信紙も拾い、飯盒の代用品もあって何とか間に合わせる事が出来た。

 シャン高原の首都へ

 兵站病院の移動に先立ち、患者もカローを出発する事に為り、日没後患者を病棟前に全員整列させ引率隊長の訓示があった。
 「シャン州の首都タウンジ迄約30キロの道程がある、只今から出発するが身体に自信の無い兵隊は申し出る事。その者は後で自動車で輸送される事に為る」
 と言った。私は健脚者と一緒の行軍はとても無理だと思って残留を申し出た。中には自動車輸送と云う事で、狡い気持ちで残った患者も居て衛生兵に徹底的にビンタを取られた。色々あったがその夜の内にトラックで「タウンジ」迄輸送して貰った。
 シャン高原最大の都市も敵の爆撃で廃墟と化して居て、三角山の麓の英国軍の兵舎に落ち着いた。しかし敵に制空権を握られて居る間は何処へ行っても安住の地は無い。この宿舎も假のネグラで、朝に為れば退避せねば為ら無い。

 この辺は水田もあり、畑にはキャベツ、ニンニク、トマト等も植えてあり、殆どの兵隊がニンニクを食べるのには閉口して、仕方無く自分も食べて同等に為る事にした。「タウンジ」に暫く居る間に、3月16日負傷以来丁度1ヶ月振りの4月16日には傷口が完全に塞がった。

  

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 インレー湖

 タウンジを出発し高原を少し下がった処に「インレー湖」と云う湖水があった。向こう岸が霞んで見える程大きな淡水湖で、付近から流れ込んで居る水は淀んで水郷の様に為って居る。湖と言っても岸辺の水は川の様に流れ、底には緑の昆布の様な水藻が流れの方に靡いて不気味な感じがする。
 岸辺の近くには湖の上に家を建て、湖の魚を取って生計を建てて居る水上生活者も居た。私達の宿にしたお寺の前には大きな「マンゴー」の木が数本あり、未だ青梅の様な実を沢山着けて居た。

 蟹との戦い

 日中は少し離れた民家に退避し、夕方にはお寺に帰る日が続いた。その行き帰りの道筋に、内地の沢蟹に似た小さな蟹が遊んで居るのを見付ける、捕まえ様と手を出すと素早く穴に逃げ込んでしまう。
 其の逃げ足の早い事、何度挑戦しても其の都度失敗に終わる。色々考えた挙句、蟹の逃げ込む前に帯剣を穴の途中に差し込む事で成功し、半日で飯盒に半分程の成果を上げ一日の蛋白源として意気揚々と引き上げた。
 この付近の農家は砂糖黍(さとうきび)の栽培が多く、今取り入れの真っ最中で牛の動力で大きな車を回転させて汁を絞り取って居る。お寺の宿も4、5日で今度は民舟で舟下りをする事に為ってお寺を出た。

 首長族の町

 移動した宿舎はかなり賑やかな町で、市場には付近の部落からの買い出しで活気を呈して居た。ここにはビルマの平地民族、カチン族、シャン族と人種は色々様々で其の中に一際目立つ若い女が居た。首に真鋳の環を何本も嵌めてその上に首がニョキンと乗って居る何とも奇妙な格好をして居る。首長族のお金持ちの貴婦人との事だった。

 丸木舟の川下り

 このインレー湖は「ナムビル河」の源流で、あの大きな「サルウイン河」に注いで居る。最早ビルマの空は雨季に入り始めて居た。
 丸木舟には船頭を入れて15人が乗り組み、身動きも出来無い状態で暗夜を利用して丸木舟は出発した。この地方の船頭は独特な櫓(ろ)の使い方をする、舟縁に片足で立ち、もう片方の足で櫓を漕ぐのだが、宛ら一本足のカカシみたいだ。
 舟が出発して直ぐ雷雨に見舞われ湖上の家に雨宿りをした。暗闇で何も見え無かったが出発の際「カボチャ」を1つ失敬して来た。

  

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 螢の交響楽団

 舟が湖上の中程に来た頃、対岸の螢が先程の雨に鮮やかに光って居る。その数は数千匹、嫌数万匹位も居るか、しかも真中から二つに分かれ、恰も指揮者でも居るかの様に左右交互に点滅して誠に見事だ。
 こんな事って本当にあるものだろうか、まさか夢では無かろうかと目を擦って見たが夢では無いまさしく螢である。こんな光景は二度と見る事が出来無いであろう、もし生きて内地へ帰る事が出来たなら貴重な土産話に為るが、果たして皆がこの話を信用するだろうかと考えながら、何時迄も見惚れて居ると湖は何時の間にか川に為って居た。

 川舟の敵中突破

 今日は第3日目の川下りの夜である。月は10日位だろうか、風も無く静かな夜である。川の魚も浮かれて居るのか時々舟の中に飛び込んで来る。川の両側には大きな水車が水を汲み上げて農地を潤して居る。ナカナカ考えた生活の知恵である。こんな風景は処所に見られた。
 第4日目愈々難関の日が来た。我々の前日川を下って行った第124兵站病院の本田見習士官の指揮する川舟が、川の両側に陣地を敷いて待機して居るチン族の部隊に襲撃され、多くの犠牲者を出した難所を通過せねば為ら無い。
 
 陸地なら迂回する事も出来るが川下りと為るとどうしても同じ場所を通過せねば為ら無い。船頭もその事を承知して居るので夢中で舟を漕ぐ、暫く行くと右手の林の中から行き成り「カランカラン」と木鈴が鳴り出した。皆一斉に舟底に身を伏せた。例え撃たれても絶対に川に飛び込んでは為ら無い、と云う輸送隊長の言葉が頭を掠める。その間数分であったが逃げ場の無い舟の中の心細さが身に染みた。
 昨日の戦闘の後の気の緩みか、敵の隙を突いた形に為り無事通過する事が出来た。インレイ湖を出発以来1週間で目的地「ロイコー」の町へ到着する事が出来た。「ロイコー」には兵站部隊が居り、糧秣1ヶ月分の支給を受け58聯隊の消息を尋ねると、既に2、3日前に此処を通過して「サルウイン河」下流に沿ってモチ鉱山の方に向かって行った事を知らされた。
 
 何の事は無い、我々患者部隊より本隊の方の逃げ足の早いのには驚いた。一日も早く中隊へ帰り元気な姿で皆と行動を共にしたいと思って今日迄頑張って来たのだが、これで本当に中隊復帰の望みは完全に断たれ、戦友とも別れ別れに為ってしまって何とも淋しい気持が込み上げて来る。仕方無く他の患者と同道して「サルウイン河」を渡り「タイ国」へ行く事に心を決めた。

  

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 渡船場

 翌朝渡船場へ行って見ると既に黒山の兵隊が乗船を待って居る。対岸から舟が到着すると我先に乗り込もうと押し寄せる患者の整理に当る船舶工兵隊の苦労は並大抵では無い。
 それはもう兵隊と名の付けられる人間は一人も居ない。敵に追い詰められて浮き足立った患者の群れと言った方が適切かも知れ無い。誰が引率するでも無く、その時その時気の合った者同志が集まって歩いて来たと云うだけの事で、軍隊の統率等何処にも見られ無い。  
 それでも此処まで辿り着かれた患者は未だ良い方だ。部隊としての機能が無いから途中で倒れても誰も面倒を見て呉れる者は居ない。自分自身は自らが護ら無ければ為ら無い。
      
 その12につづく


  

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