2018年06月11日
父の残した「インパール作戦従軍記」 その10
父の残した「インパール作戦従軍記」 その10
12．両脚負傷
深夜の砲受領
12月に入ると又敵の攻勢が始まった。聯隊本部より兵器受領に来いとの連絡があり、佐藤康二、渡辺正八、他、私を含め６名は速射砲を受領の為日没と同時に牛車３台に分乗して壕を出発した。その夜の内に砲の受領を終わり帰隊する予定だったが、夜の事とてナカナカ兵器廠が見当らず、要約到着したのが午前３時頃だった。砲を受領し牛車に積み込みが終わった時には既に東が白んで来た。
敵前での白昼行動は危険だ。仕方無く陽の沈むのを待ち兼ねて帰路に着いた。昨夜来た道と同じ道を帰るのだが、月影に浮き出る砂糖椰子の群生、見上げる様なサボテンの木等何処を見ても同じ地形に見えて、出発した壕を捜すに時間が経ってしまった。要約目的の陣地を見つけた時には矢張り夜が明け掛かって来た。壕の回りは静かだ。
「変だな、壕を間違えたかな?」と思って居ると誰か一人飛び出して来た。
「あー井上だ、井上源治だ」「中隊はどうしたんだ?」と聞くと彼は、
「本隊は今夜後退して、俺に残って皆が来たら本隊へ誘導して来いと言われ皆の来るのを待って居たんだ」
と言う。しかし、好くも足った一人で残って居たものだと感心した。だが既に夜は明けて来た。皆と相談して日中は危ないから日没まで待つ事にした。牛車には枯れ草で偽装して壕の中へ入った途端、敵陣の方から戦車の音と機関銃の乱射が始まった。
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「もう来たか!」と敵方を見ると、火焔放射器が真っ黒い煙を吐いて点在するボサを片端から焼き尽くして居る。「駄目だ逃げろー!」 「見つかると危ないからビルマの格好して逃げるんだ!」
と怒鳴り乍ら私も牛車に飛び乗った。裸に為り頭に白いターバンを巻き、腰にも白い布を巻き付けて牛の尻を叩いて逃げた。暫く行った所に水溜りがあった。それを見付た牛は、私の引く手綱を無視して水の方へ突進して行き泥水を夢中で飲んだ。
兵器廠を出てから兵隊も牛も一滴の水も餌も食べて居ない。私は焦る気持ちを押さえながら腹一杯飲ませて遣った。
少し行った薮の中から兵隊が一人飛び出して来て、行き成り「ビルマビルマ」と牛車を呼び止めた。「どうしたんだ」と云うと、兵隊は驚いて「あー兵隊さんですか」と言った。本隊から逸れた兵隊らしく、聯隊本部の居る方向を教えて遣った。
黒い顔にターバンを巻き、ビルマ人に見られても仕方が無い。これで敵に見付かる心配は無いと安心した。
お昼近くに本隊へ追及する事が出来たが、危うく敵と友軍に挾み撃ちにされる処だった。友軍の逃げ足の早いのには驚いた。その夜は前後不覚に眠ってしまった。
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忙中の閑
翌朝はもう敵の砲弾が迫って来て居る。中隊では陣地構築、タコ壷堀りに忙しい。私と井上は、昨日からの疲れもあって陣地から少し離れたボサの中に待機して居た。
もう何ヶ月も風呂に入らず水浴もして居ない。二人で裸に為りシラミ取りを始めた。その後メンタームの蓋で背中を擦って貰った。誠に気持ちが好い。 「関口、貴様の背中はどうしたんだ馬の背中より酷いよ」
「何を云うか、貴様のはどうだ?」
と触ってみた。嫌、酷いなんて物では無い、背中一面簿紙を張った様で触れば剥がれ落ちる。スッカリ気持ち好く為った二人は草の上に寝転がり、当時初年兵が内地より持って来た流行歌を、
♪ 影か柳か勘太郎さんか 伊奈は七谷糸引く煙 捨てて別れた故郷の土に 偲ぶ今夜のホトトギス
忙中閑アリ、で思い切り大声で故郷を偲びながら唄って居た。すると、何物かが凄い音を立てて草を薙ぎ倒して行った。「不発弾だ!」敵の砲撃が活発に為って来た。
「オーイ危ないから壕に入ろう!」と二人は慌てて陣地の壕に飛び込んだ。
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イラワジ会戦
サガインヒルから撤退した聨隊はイラワジ河左岸で敵の進撃を阻止する、イラワジ会戦と云う作戦に転換する事に為った。
民家から川端迄4、5百メートル程ある。土地が肥えて居るのか作物の育ちが好く、長葱や薩摩芋、特に玉葱等が多く植えてあった。川砂の所為か各所に井戸が掘ってあり水を汲み上げて畑の中に流していた。井戸水は、塩分が多く飲用には適さ無いので敵を警戒しながらイラワジ河まで水を汲みに行くのだが、静かな夜は敵も対岸で何か遣って居るらしく話声が聞こえ、不気味さと緊張感が身体の中を走る。
夜明けと共に又敵の砲撃が始まる。そんな日が2、3日も続くと、対岸の敵の様子に変化が起きて来て下流の方へと砲撃目標が移動して行った。
対岸に居るとばかり思って居た敵が、突然下流の陣地に戦車が出没する様に為って来て激しい戦闘が始まった。前方の敵を警戒して居る内に完全に後方を包囲されてしまったらしい。現陣地を放棄して後方へ下がる様にと聨隊命令が出た時には既に完全に包囲され抜け出す隙も無い有様だった。暗夜を利用して撤退するのだが、行く処所に敵の匂いがして歩く音さえ神経を使う。
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戦車に追われて
タマビン付近まで退がって来た部隊は、夜明け前に設営する事に為ったが辺りは全然林の無い平坦地で、皆夫々ヤット身の隠れるボサを選んで宿にし、私達、古川、井上、佐藤（康）、関口等牛車の運転者は中隊より少し離れたボサの中に設営した。
イラワジ河畔を撤退してから2、3日殆ど米の飯を食べた事が無い。幸い今日は近くに民家があり久し振りに飯に有り付いた。私達が民家に居ると一人のビルマの青年が遊びに来た。何をしに来たのか分から無い内に出て行った。
すると井上源治が「今来たビルマが俺の薬盒から小銃弾を抜き取って行った」と云う。一体何の為に小銃弾を持って行くのか不思議で為ら無かった。民家に居ると敵の目標に為るので近くのボサで寝る事にした。すると又、別の青年が二人でボサの中を見ながら薄気味の悪い笑いをする。
「トアメ、トアメ（行け、行け）」
と追い返す。東の空が白み掛けて来た。付近に点々とある民家からビルマ人が逃げて行くのが見える。
「変だな、彼等の行く方に敵が居るのではないか」
と胸騒ぎがした。腹拵えは出来たし連夜の疲れもあり早く寝る事にした。
「フル」（古川義信君の事を私達はこう呼んで居た）
「お前は一番早く下士官に為ったのだから、今日はお前が不寝番一番立ちだ」
と言うと古川は笑い乍ら、
「好し俺が一番立ちとするか」
と身支度を始めた。井上は更に、
「もし戦車の音が聞こえたら直ぐ起こすんだぞ」
と言って、彼一人を不寝番に立てて何時でも応戦出来る態勢で背嚢枕に寝た。横に為ったものの寝付かれぬ耳に又もや戦車の音がする。
「フル、戦車じゃないか」
「うん戦車だ」
と彼は悠然と音のする方を眺めて居る。井上は、
「戦車が来たのに何故起こさ無いんだ」
と怒鳴った。古川は、
「何処へ行くか確かめて居るんだ」
と悠々として居る。俺達３人は飛び起きボサの隙間から音のする方を見ると、戦車は１台や２台では無い。しかも古川の見て居る戦車とは別の戦車が我々の方に向かって射撃の準備をして居る。
「駄目だ逃げろ」
誰とも無く叫ぶと井上が飛び出して行った、私が後を続いて出様とすると頭上に飛行機が飛んで居る。
「下駄だ、もう少し待て」（戦車を誘導する軽飛行機で形が下駄に似て居るので俺達はこう呼んでいた）
その間数秒であったか、戦車からは猛烈に火を噴き出して来た。弾着は明らかに俺達を狙って居る事が分かる。今朝来たビルマがこの戦車を誘導して来た事には間違い無い。
「行くぞ!」
今度は佐藤が先に「ボサ」から「ボサ」へ伝わって飛び出し、私も後を続き最後に古川が飛び出した。
2、3十メートル程走った凹地に佐藤がヘバリ付いて居る所へ私も飛び込んだ。少し遅れて古川が来た。左手に小銃を持ち、右手からは赤黒い血が軍衣を伝わっている。
「右手を遣られた!」
と言う彼の苦痛を堪える髭だらけの顔は真っ青である。責任感の強い彼は、負傷しながらも兵器である小銃を左手に持ち替えて走って来たのだった。
敵の戦車からは狂った様に撃ち捲って来て、一寸の身動きも出来ず古川の傷の手当をして遣る事も出来無い。今来た方を見ると、敵は火焔放射機で私達の居た「ボサ」を焼き払って居る。
「そんな小銃なんか捨てて行け、逃げるに邪魔に為るから」
と言うと「判った」と言って古川は其の場に小銃を投げ着けた。弾の間断を利用して佐藤が先に、私が次に飛び出そうと腰を浮かした瞬間、両腿をムチで打たれた様な熱さを感じた。 「やられた」と思ったが夢中で走った。
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又もや機関銃の掃射である。「危ない」と伏せた地面に先に飛び出した佐藤が、やっと身を隠せる凹地に伏せて居た。敵の狙い打ちだから全く前後左右弾は耳を掠め、周りは土煙を立てて居る。
「俺は両脚を遣られた」
と言うと、彼は無言で私の顔を見詰めた。
「オイ、一緒に死のう」
と、突然言い出した。
「こんなに包囲されて居てはとても逃げ切れん」
「増して脚を遣られたお前一人を残して行く訳には行かん」
と腰の手榴弾を取り外し発火しようとして居る。私は咄嗟に彼の手榴弾を持つ手を押さえた。
「俺は両脚を遣られてもお前の行く所へは付いて行ける」
「途中で遣られる為らば仕方無いが、兎に角逃げられる処まで逃げよう」
私は彼の戦友愛に感謝しながらも「こんな処で死んで堪るか」との思いが頭に一杯だった。
「よーしお前がそう言うなら行ける処まで行ってみよう」
と、彼は安全栓を抜いた手榴弾を其の場に捨てながら「フルはどうした?」と言った。
「俺の後から直ぐ来た訳だがなー」
と振り返って見たが、古川義信の姿は見え無かった。
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出血多量
古川の事が気に掛かりながら又其処を飛び出した。脚が痛い。出血が多いのか身体がふら付く。足がガクガクして走れ無い。心臓が苦しい、目の前が見え無く為って思わず倒れる。こうしてはオレン、と又起き上がって走る。機関銃の弾が頭上を掠めて「ピュウ、ピュウ」と音を立て乍ら飛んで行く。走る度に腰に下げた図嚢が負傷した脚を叩くので尚痛い。
（図嚢は中支より持って来たもので、ビルマで手に入れた象牙のバイプ、象牙の印鑑、財布、貯金通帳等が入って居て、何時でも身体と一緒に行動出来る様にしてあった）
「こんな物を持って居ては逃げ切れ無い」
と思い切り遠く迄投げ着けた。喉が渇く舌が唇の上下にヒッツイテ仕方が無い。
「もう走る体力も限界に来た」
「こんな苦しい思いをして迄助から無ければ為ら無いのか」
「もう弾も戦車も何も恐く無い」
「よーし、弾が当るものなら当ってみろ」
と覚悟を決め、唯運を天に任せて、気持ちだけは焦るのだが歩く様にして走り続けた。
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戦友愛
要約椰子の茂る林に辿り着いた。もう戦車の音も大分遠くに聞こえる様に為って来た。少し行くと、佐藤康治と真っ先に飛び出した井上源治も一緒に私達の来るのを待って居て呉れた。
「助かった」と思った途端、脚の痛みが一層激しく為って椰子の木の根本に倒れる様に腰を降ろした。そこで始めて脚の傷を見た。両脚とも腿の付け根辺りで、左足はザクロの様に口を開け青や白い筋が飛び出して居る。
腰から包帯包を取り出しズボンの上から縛り片方は手拭いで縛り付けた。後ろを向いて椰子の木に寄り掛かって居た井上が「フルはどうしたんだろう」と心配して呟いた。
「俺と一緒に飛び出したのだが、又遣られ無ければ良いが」と暫く待ってみたが到頭古川の姿は見え無かった。
付近に井戸があった。夢中で走って来たのと出血の為喉が渇いて仕方が無い。生温い水だったが、何物にも替え難い味がした。古川の事が気に掛かり乍ら長居も出来ず後ろを振り向き乍ら３人は出発した。少し行くと小銃隊数名と出合った。戦闘にはベテランの小銃隊と一緒に為った事で心強さを感じ行動を共にした。
間違った友軍
椰子林も過ぎ又平原地に出た。四囲を警戒しながら進むと前方から小銃を担いだ兵隊が近付いて来る、小銃隊の曹長が「友軍だ日の丸を出せ」と指示をする。その言葉の終わら無い内に誰かが「ゴルカだ逃げろ」と叫んだ。皆一斉に左の僅かな丘を駆け登った。それに気付いた敵の一斉射撃が始まったが、幸に弾も散発的で機関銃は無かった。
暫く行くと、椰子の木や周りに茂みのある少し大きな凹地を見付けた。時間は未だ午前10時頃だが敵の包囲網の真っ只中に居る模様だ。最早日中行動は危険だ。私と、もう一人の負傷者を中心にして円形を作り、四囲の警戒に当った。
小銃隊の曹長は「ここで夜に為るのを待つ事にしよう」「もし我々を発見した者は誰でも構わぬ殺してしまえ」と言った。
茂みの西側は道に為って居るらしく、ジープや戦車が頻繁に通り、時には何やら英語らしい話し声も聞こえる。全身を耳にして身動きも出来ず胸の鼓動だけが伝わって来る。暫くして二人のビルマ人が、椰子の水を取りに来た。我々を見付け一瞬ビックリした様だが空かさず呼び止め、ビルマ語の得意な曹長は二人に何やら盛んに話して居た。
「オーイ、このビルマを放して遣ろうか」と言う。
「何て事を言うか、もし敵に密告されたら大変な亊になる」
「殺せ殺せ」
と皆に反対された。しかし曹長は、
「このビルマ人は近くの村のデジー（村長）なんだ。話して見ると我々に好意を持って居る様だ、飯と水を持って来ると言って居るから、どうか俺に任せて呉れないか」
と我々を説得する。水筒の水はカラカラ、逃げるにしても腹が減ってはどうにも為らん。半信半疑で二人を放して遣る事にした。果たして我々の思い通りに為るかどうか、確率は50パーセントあれば最高だ。もし敵を連れて来たら全滅に為る。
アレコレ考えて居るうちに１時間は過ぎた。すると人の近付く気配がする、皆一斉にその方へ銃を構えた。顔を出したのはさっきのデジーだった。デジーの後から続々とビルマ人が頭に篭を乗せて集まって来る。篭の中には飯、水、バナナ、ババイヤ、椰子の水、思いも掛け無い贈り物に、さっき迄の疑いを申し訳無い様な気がして為ら無かった。
私はビルマ人の素朴な気性が好きで今まで可愛がって来た積りだ。私はタドタドしいビルマ語でお礼を言うと、彼等は「ケサムシブ、ケサムシブ」（心配ない、心配ない）と云って私を元気付けて呉れた。
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脱出行
要約陽が沈み掛けて来た。敵中の凹地は本当に長く感じた。全神経を使い果たし緊張した一日は数十日も過ぎた様な気がした。村長の好意で若者を一人道案内に付けて、敵の居ない処を縫って夜道を脱出する事に為った。
電話など無いこの地では伝令が唯一の連絡機関である。若者は村長の命令で隣村まで案内して呉れた。そこの村長に事情を話し、村長も心良く承知して呉れ別の若者に案内させて呉れた。それから次々と引き継がれ、難無く敵中を脱出する事が出来た。東の空が白み掛けて来た、私達は若者にお礼を言って帰って貰い、聞かされた東南の方向へ向かって歩き続けた。
その11につづく
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