2018年06月11日
父の残した「インパール作戦従軍記」 その9
父の残した「インパール作戦従軍記」 その9
10.マラリヤとの戦い
患者に渡河命令
どうも体調が変だ寒気がする、又マラリヤの再発らしい。部落では爆撃の目標に為るので少し離れた竹薮へ退避するのが日課と為った。完全にマラリヤに為り熱は40度を越えて居て、この僅かな道則を行くのに何十キロも歩く様な気がして爆撃されても好い寝て居た方が楽だと思った。数日後「負傷者と疾病者は直ちに渡河し、病院で適切な治療を受ける事」と師団命令が出た。
小隊長代理の上村久治軍曹は私にも退がる様勧めたが、私は「マラリヤだから2、3日すれば治るので部隊と一緒に行動させて呉れ」と何度も頼んだ。が、上村軍曹は「遅かれ早かれ全員渡河せねば為ら無いのだから、此処は成るべく少数の方が良いので是非退がれ」と言われ仕方無く中隊を離れる事にした。
渡河点は此処より少し上流のクンタンと言う所だった。暗闇の渡河点には傷病者で黒山だ。軍医が一人居て患者の診察をするのだが、診察と言っても患者が軍医の前を通りながら「腕です」「足です」「マラリヤです」と言えば軍医は唯頷くばかりで兵隊を後方へ退げる手段に過ぎ無かった。
真っ暗な濁流渦巻くチンドイン河を民舟で渡り対岸に取り付いた。足元が滑るので柳の木に掴まり、網の目の様な泥だらけの枝の下を潜りながら要約河岸を這い上がった時は「アア又命を一つ拾った」と思った。上陸した患者は誰が引率するでも無く、三三五五暗闇の中へ逃げる様に消えて行った。
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高熱の急降下
私達は中隊毎に一緒に行動する事に為った。進攻の時に通った道を戻るので夜でも道を間違える事は無い。カウンカシも過ぎ、ジビュー山系に入ってからは敵機の心配も無く昼間の行軍に戻った。ワヨンゴンを過ぎる頃は、一時晴れ間も見える様に為って来たが、ピンレブに近付くに従って又毎日の篠つく雨は、防雨外套を通して肌迄濡れる様に為って来た。
その頃から一時治まって居たマラリヤが再発した。何時もの様に悪寒から始まり40度近い発熱で歩行困難と為り、仕方無く山の中の一軒屋で休む事にした。同じ小隊の宮下金作一等兵は私の為に他の兵隊と別れ、飯の支度や頭を冷やす等面倒を見て呉れた。
高熱に魘(うな)されて寝て居たが急に便意を催し、肌着一枚で霧雨の降る中で用を足した。すると、不思議な事に急に熱が無く為り一変に元の元気が出てマラリヤが治ってしまった。
便の出たのが良かったのかも知れ無い、この分では明日は元気に此処を出発する事が出来ると喜んだ。しかし喜んだのも束の間で、5分も経た無い内に今までに増して高熱と為りその晩は一睡もせず夜を明かしてしまった。宮下君には申し訳無いのでその朝お礼を言って先行して貰った。
2日程寝て居ると、ふら付き乍らも歩ける様に為り、一日歩いて漸くピンレブの町に到着した。ここの町には兵站部隊の糧秣補給所があり、甘味品や色々と補給する事が出来た。そこで意外な事を知らされた。二日程前まで私の面倒を見て呉れた宮下一等兵が病死したとの事。私の世話をして呉れた時から具合が悪かったのでは無いかと思うと申し訳無いやら可愛想で為ら無かった。ご冥福を祈る。
中国とビルマ国境
象の木出し
ピンレブの町を過ぎると一面チーク林に為って来て、今盛んに伐採が行われて居た。切り出されたチーク材は直径1メートルもある大木で、運搬は専ら象に頼って居る。長さ10メートルもある大木に鎖を付けて引き出すのだが、人間の腕程ある木を根こそぎ倒し引き出す象の怪力に流石に驚いた。
山奥のこの地方には陸上の交通機関は無く、雨季の増水を利用して川に流して運ぶのが唯一の運搬機関と云うものらしい。川沿いの道を暫く行くと、途中の河原に流れ着いたあの巨大なチークの原木を象の鼻で流れの方へ押し遣って居る。しかも河原の砂の上を一回転ずつ転がして行く鼻の力に唯々呆れて暫く見て居た。
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屋根の寝台車
ピンレブの町を出てから何日経ったであろうか。漸く「ウントウ」の町に着いた。この町には鉄道の駅があり、サガインを経てラングーン方面迄通じて居る。
駅の周辺には、チンドイン河を渡って撤退して来た患者の集団が溢れんばかりに汽車待ちをして居た。汽車が到着すると集団は怒涛の如く押し寄せ、汽車はまるで蟻に巻かれたミミズの様に為って発車した。それでも半分程取り残されてしまった。今着いたばかりの私達は勿論乗る事は出来無かった。
汽車と言っても軍事物資輸送の専用車で、前線からの撤退兵など運ぶ汽車では無い。次の列車には、必死で乗る事は出来たものの既に余裕等ある筈が無い。どんな処でも乗りさえすれば何とか為る、と有蓋車の屋根の上にしがみ付いた。
ビルマは平坦地でトンネルが無いから頭を打つ心配は無いが列車の振動が激しい。それでも疲れて居るので何時の間にか眠ってしまった。ハッと目を覚ますと、屋根の半分程ずり下がって居た。「危ない」と掴む処を探すが何も無い。手の平を擦り付けながら揺れる列車の屋根を何とか這上がる事が出来た。
次の停車駅で、今度は前線から撤去して来たレールを満載した無蓋車に乗り替える事にした。それでも歩くよりは早くて楽だ。昼は汽車から離れ退避し、夜に為ると何処からとも無く集まって来る。そんな事を繰り返し乍らイラワジ河畔のサガインの町に着いた。
サガイン
生き地獄のサガイン
サガインは進攻時にも通過した所だが、今は其の当時とは様相が一変して居た。前にも書いた様に、ここはラングーンから船で遡航する物資の直送地であって鉄道の分岐点でもあり、又古都マンダレーがイラワジ河の向こうに広がって見える風光名媚な所であった。
イラワジ河に架かるアバの鉄橋は敵の撤退時に破壊され、結局此処が部隊や患者の中継点に為って居る。私もマラリヤは既に治って居るのだが、一応患者と云う事で入院する事にした。もし居心地が好ければ休養を取り体力を着けて中隊復帰したいと思って入院の手続きを取った。
病室の中へ入ってみると土間の両側の一段高い床には患者で一杯、床に上がる元気の無い患者は土間に寝て居る。病室に見切りを付けた兵隊は外の木の下で寝て居るのが随分居た。私は、割合元気そうな兵隊に病院の様子を聞いて見た。彼の話では、
「身体の自由が効く兵隊はこんな所に居るもんじゃ無い」
「俺達も明日出発するんだが、毎日30人位の死亡者が出て元気な兵隊は其の死体の始末に使われるぞ」と云って居た。毎朝大型のトラックでイラワジ河上流地点の凹地に捨てるとの事。
これは大変な処へ来てしまった、しかし今晩の飯を貰う為には逃げ出す訳には行かず、明日は早々に出発する事にしてここで世話に為る事にした。
夜に為ると患者の喚き声が一段と騒がしく為って来た、この病舎はマラリヤの患者だけが集まって居るらしく外傷患者は殆ど見当ら無い。私の横に居た患者が行き成り飛び起き「お母さん、お母さん」と大声を出して呼んで居る。向かい側では「佐渡おけさ」を唄う声も聞こえて来る。彼等は何を考えて居るのか、唯内地の事、家族の事、今自分が何をして居るかは分から無いのであろう。
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自分の奥さんの名前かそれとも子供か、同じ名前を一晩中呼び続けて居た兵隊も翌朝には死んで居た。衛生兵が見迴りに来た。
「皆好く聞け」
「今度内地へ手紙を出せる様に為った」
「今から紙を渡すから家族の処へ手紙を書く様に」
と紙を配り始めた。変だな、こんな戦況の悪い最中に内地へ手紙などと不審に思って居ると私達の方には回って来無い。そうか、この病室には今日の命しか持た無い兵隊が沢山居る。その人達に遺言状を書かせ様と云う衛生兵の暖かい思い遣りだったのだ。
何時の間にか静かに為ったので少し眠った様だ、回りの騒めきに目が覚めた。衛生兵が朝の点呼に来て次々名前を呼ぶのだが、返事の無い兵隊は皆死んで居た。外の木の下で寝て居た兵隊も、昨夜のまま寝て居るから殆ど死んで居るのであろう。
昨夜の光景が頭に残り、生き地獄と云うか地獄絵図と言うか、情景がハッキリと判り乍らそれを表現する事の出来無いもどかしさだけが心に残る。何時までもこんな所に居ると自分も本物の病気に為りそうで、朝飯を食べ早々にアバの鉄橋を歩いて渡りマンダレーの町へ向かった。
注・・・戦後遺骨収集班の資料によれば、サガインの病院での戦病死者は1,600名を越えたと書いてあった・・・
マンダレーの寺院
11.部隊へ復帰
ラングーン到着
コヒマを撤退しラングーン到着迄、何百人、嫌何千人の患者は途中で振り落とされ、ラングーン迄到着出来た兵隊は余程運の強い兵隊か身体の丈夫な兵隊で、それ以外の兵隊は殆ど死んでしまった。ラングーンの陸軍病院は回りが緑の樹木に囲まれた静かな場所で、ラングーン大学の校舎がそれである。
シラミの運動会
病院では毛布を一枚貰って病室に案内された。誰が着たのか分から無い毛布を屋上で陽に当てようと広げてみると「ウワー」出て来たわ、何十匹ものシラミが一斉に動き出しシラミの運動会が始まった。自分の身体にも中支以来のシラミも居るのだが、この毛布だけは気持ちが悪く為りそのまま返納した。
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体重32キロ
汽車の到着する毎に全員が病院に殺到する。皆自分の部隊を離れイラワジ河を渡った患者だから、一応ここの終点迄来る事に為るのだがとても病院側では捌き切れるものでは無い。私は40度の高熱の身を2日間収容され、トコロテン式に病院を追い出されてヨロメキ乍ら練成隊と云う所へ辿り着いた。
練成隊はラングーン郊外の「シュイダゴン・パゴダ」(金色パゴダ)のある近くで、人造湖で有名なビクトリヤ湖の付近にある。
練成隊の本来の使命は、退院した兵隊に体力を付けて再び前線へ送り出す訓練所なのだが、今は既に患者の収容所と化して居るが、練成隊の名前の通り身体の鍛練をし無ければ為ら無い。食事の当番が廻って来た。10キロ程の飯を二人で担ぐのだが腰が抜けて歩く事が出来ない。
翌日医務室で体重測定をすると何と32キロしか無く、徴兵検査の時は68キロあったのだから36キロも減って居る。骨に皮が巻き付いて居る様な哀れな姿に為って居て自分の体重を支えるのに精一杯いだ。
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餡ころ餅
練成隊には15日程居り、愈々中隊復帰する事に為ってラングーンを出発した。汽車は10トンの有蓋貨物車で15人乗りだが、横に為れるだけ有難かった。
ラングーンを出発した翌日辺りから腹の具合が悪く為って来た。便が緩くその回数も次第に多く為って来た。途中の駅の停車時間は短く、止まる寸前に飛び降りて用を達し軍袴を上げ無い内に発車する。悪戦苦闘の末要約退避駅に到着した。
腹の具合が悪いので出来るだけ物は食べ無い様に我慢したが、今日は恐らく40回以上用達しに行って居るだろう。何も食べ無いから出る物は何も無い、最後には片栗の様な物しか出無い。何も悪いものは食べた事も無いのにと便を見ると血便が出て居る。
「しまった、到頭赤痢に為ってしまった」途端にオークタンでの勝又一等兵の事が頭に浮かんだ。「サア弱った事に為ってしまった」兎に角下痢をして居るのだからそれを止るのが先決だ、と焚火の消し炭を齧った。
だが赤痢と判れば先は見えて居る「どうせ俺も勝又君の様に血便で身体中餡ころ餅の様に為って死んで行くんだ」最早未練を残す事は無い。思い切り食べたい物を腹一杯食べろと覚悟を決めた。財布を空にして、バナナ、パパイヤ、モー(ビルマのお菓子)、ウドン、何でも手当たり次第に腹に詰め込んで、後はどう為ろうと運を天に任せる事にして早々と寝た。
「不思議だ」その夜は1回も便所へ行かず朝に為っても便意が無い。出るものが全部出てしまったからか、それとも空腹に行き成り何でも詰め込んだからか、体力が付いたのも一つの原因かも知れ無い。それっ切り発病せず完治してしまった。逆療法が効果的だったのかも知れ無い。
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体力の回復
カンバルに居る部隊に追及出来たのが19年11月頃だった。敵も戦線の整備をする為か1ヶ月程攻撃に出無かった。その間毎日3食ともオジヤに胡麻油を入れて食べた。それ以外普通の飯はどうしても身体が受け付け無かった。自分ながら好くも1ヶ月も続けたものと思った。そうする内に徐々に普通の飯が食べられる様に為って来ると体力が付いて来た。
その10につづく
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