2018年06月11日
父の残した「インパール作戦従軍記」 その8
父の残した「インパール作戦従軍記」 その8
８．コヒマから撤退
弾を、弾を
コヒマ進撃以来、後方からの糧秣・弾薬の補給は皆無で、敵の我が軍に対するシラミ潰し作戦の応戦も既に限界が来て居る。又、これ等の輸送を担当して居る部隊も大変だ。我々が苦闘の末要約越えて来たあのアラカン山脈を日夜輸送に励んで居るのだが、後方から送られて来る糧秣も最後の輸送隊に届く頃には自分達の糧秣を確保すれば前線に送れるものは全然無く為ってしまう。
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兵器、弾薬とて同じ事、あの峻険なアラカンの山々を臂力(ひじちから)で搬送するのだから、敵の物量作戦に対抗出来る弾薬等とても補給出来るものでは無い。更に小銃中隊の兵力も、戦死者、負傷者を除けば完全に戦い得る兵隊は数名しか残って居ら無かった。
我が31師団長の佐藤幸徳中将は、最早これ以上戦いを続ける為らば大切な兵隊を無駄死にさせるばかりだと軍司令官牟田口中将の「コヒマを絶対に死守せよ」との命令を無視し独断で我々をコヒマの前線から撤退させた。
・・・後にこの事が、軍隊史上未聞の坑命事件として佐藤師団長は軍法会議に掛けられる事に為るのだが・・・
撤退行
一時は完全制圧かと思われたコヒマの地に、無数の戦死した友を残してこの地を去る無念さに胸が痛む。しかし、無駄死にだけはさせては為らんと撤退を決意した師団長の判断に、真っ黒く覆い被さって居た死への雲行きも幾分明るさを増して来た。
そんな複雑な気持ちを交錯させながら撤退して行く我々に、更に追い打ちを掛る様にアラカンの山々には既に雨季が待ち構えて居た。
トヘマからの間道は、進攻時の整備されて居た道も今は泥田と化して居り、道路脇のジャングルには多数の負傷者が収容されて居た。
自力で歩ける患者は腕を釣ったり杖を付いて集団で衛生兵に付き添われて歩いて居る。重傷患者は、独立輜重隊による急造の竹ゾリを馬に挽かせて出発した筈なのに、ウクルルを過ぎる頃には其の姿は全然見え無く為ってしまった。その事が不思議に思いて何時迄も心の底に重く残って居た。
・・・戦後、当時の独立輜重隊に居たと云う人に逢って其の後の経緯を質したが、言葉を濁し確答を得られ無かった・・・
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Ｔ．中隊のＷ軍曹
ウクルルを過ぎた直ぐの道端に、Ｔ．中隊のＷ軍曹が腰を下ろして居るのを見掛けた。Ｗ軍曹は元私と同じ中隊に居た事があり顔見知りなので目礼して通り過ぎた。数日後同じ部隊の兵隊に会ってＷ軍曹の事を話すと、彼は言い難そうに「Ｗ軍曹は可愛想なのさ」と語った。
彼は頭を遣られ神経麻痺と為り、言語、足腰が不自由で要約ここまで連れて来たものの、中隊でも負傷者が多く健兵も次々に斃れ彼を一緒に連れて退る事は不可能に為った。仕方無く、僅かな食料を預け「次の宿営地に着いたら必ず引き返し迎えに来るから、それ迄頑張って待って居て呉れ」と宥めて出発した。しかし敵の追撃が激しく、遂に迎えに行く事が出来無く為ってしまったと彼は顔を歪めて言った。
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幼友達との別れ
進撃の時は険しいと言っても未だ道は良かったが、既に雨季に入ったアラカンの道は一歩一歩足元を確かめて行かねば為らぬ。しかもジャングルの夜道は真っ暗で道は殆ど見え無い。その時、私達は後退するのに前線へ向かって行く一人の兵隊と視線が合った。瞬間、「あっ松栄じゃないか」彼は故郷の隣の家の三男坊で、私より一つ年下の行田松栄だ。
真っ黒で顔の上下が分から無い程の髭を生やして居た。幾ら偶然だとしても、人の顔の見分けも着か無い程の暗闇の中で好くも彼を見着けたものだ。「どうした」と云うと彼は、マラリヤに患り「インパール作戦」に参加出来ず、今中隊復帰する処だとの事だった。「一中隊は今撤退の後衛部隊で危ないから、途中から引き返した方が好いぞ」とホンの何十秒間か話した。
彼は「アア」と言って又前線へ向かって行った。それが幼友達「行田松栄」との最後の別れと為った。彼はその後中隊と行動を共にし、ビルマ領に入ってから又悪性のマラリヤの再発でサガインの野戦病院で死亡したと風の便りに聞いた。
アラカンの雨
アラカン山脈の雨は世界最大の雨量を記録すると言われて居る。降り始めると止めど無く、木の葉も破れんばかりに降り続く。密林の中は敵機の心配も無く昼間の行軍に為った。
夕方に為っても雨の止む気配は無くジャングルの中で露営する事に為ったが、飯盒炊さんするにも乾いた薪を集めるに苦労した。天幕を張って回りに溝を掘り木の枝葉を集めて滴を払い床に敷き詰めた。連日の疲れもあって直ぐ寝込んでしまった。夜中に背中が冷たく為って目が覚めた。「ウワー、コリャー如何した事だ」天幕の回りに溝を掘った筈なのに。洒落では無いが、私達３人は川の中に川の字に寝て居たのだった。
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９．食糧が無い
飛行場整備するな
食料も大分底を尽いて来た。もう少し我慢をすれば「フミネ」に野戦倉庫があり米は大量にあると云う。それ迄何とか食べ延ばさ無ければ為らん。この密林の中には民家は無く野生の動物すら余り姿を見せ無い。
偶に猿は見えるが、顔が人間に似て居るので銃で撃つ気にも為ら無い。夜炊いた飯は三食分で、翌日のお昼の分迄有るのだから、朝は少し加減し無ければ為ら無いのだが食べ始めるとお腹の方が言う事を聞いて呉れ無い。
飯盒の片方が少し高いから平にして、と思って食べて居ると今度は反対の方が高く為ってしまう。それでも未だ未練が残って、浮いて居る一粒一粒を竹箸で拾い上げて居た。
そこを古川義信君が覗き込んで「関口好い加減で止めろよ」と言う。「余りデコボコして居るから飛行場の整備をして居るんだ」と笑いながら答えた。すると古川も「そうか、俺のも大分デコボコして居るから整備をするか」「飛行機の発着に困るからなー」と又食べ始めた。
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結局二人の飯は飯盒の底に僅かしか残らず、お昼は早々と食べ終わって未だ皆が食べて居るのが恨めしく、満足し無いお腹を宥め乍ら飯盒の中を眺めて居た。何時の間にか其の事が相言葉と為って「オーイ、余り飛行場を整備するなよ」と云う言葉が私達の中に流行した。山は下り坂に為って来たが、雨は相変わらず降って居る。さて愈々「フミネ」も近付いて来た。
フミネの糧秣補給
待望の「フミネ」の野戦倉庫へ辿り着いたのが昭和19年６月末頃だった。何とか食べ伸ばして来た背嚢の米も殆ど無く為って居た。兵站での給与が楽しみだ。未だ密林からは抜け切ら無いが、この辺りから段々平坦地続きに為り「チンドイン河」へも大分近付いて来て、ジャングルの向こうが明るく為って来た様な気がする。
各班から出た糧秣受領の仕役兵が天幕を袋の様してに担いで来た。「持ち切れ無ければ迎えに行ったのに」と言うとこれで全部だとの事。「何、これだけを中隊全部で分けるのか」結課的にここで受けた給与は、各人米一合、塩少々にタバコは１本を３人で分ける事。但し米は１週間分だから、各人は其の様に節約せよとの通達だ。
タバコ１本３人で分けるのは兎に角として、一合の米を如何して１週間食べ伸ばしが出来るのかと激しい怒りを感ずると同時に、サテこれから如何しようかとの不安感が先に走った。だがその怒りの中にもう一つ腹に据えかねた事が伝わって来た。
コヒマで伊藤中隊長を失って以来後任に来たＯ中尉が「わしはオカユは大嫌いじゃから、わしの米を沢山取って置け」「皆の米の中から三本指で摘み出しても、わし一人位普通の飯は食べられる」と申し付けたと聞いた。
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苦い飯粒
フミネを出発したのが午後をかなり過ぎて居た。次の設営地には明るい内に着き、皆手分けして食べられそうな草を捜しに出た。内地にある「ミヨウガ」に似た赤い花が根本で咲いて居る、匂いも良く結構食べられる。
花が食べられるなら葉も食べられるだろうと決め込んで、フミネで貰った一合の米を入れて殆ど水の様な七名分の雑炊を作った。頃合いを見て味見をした古川君が「オーイ苦いぞ」と言う。為るほど苦い、これではとても食べられた物では無い。勿論汁も苦いし摘まみ上げた草に付いて居る飯粒も矢張り苦い。
仕方無く「勿体無い、勿体無い」と言い乍ら捨ててしまった。その日の夕食はもう当らず仕方無く水を飲んで寝る事にしたが、隣の天幕の飯盒の音が耳障りで何時までも寝付かれず、要約まどろんだ明け方、甘い「ボタモチ」が沢山あるのに食べさせて貰え無い夢を見た。
お腹と背中
次の日は２日間休養する事に為った。この近く10キロ程の所に部落があると云う。井上、村田、等と一緒に中隊から10名程で物資の徴発に行く事に為った。人が住んで居る所には必ず何かある筈だ、と勝手に決め込んで朝飯を食べずに出発した。
平坦地の内は未だ良かったが、山道に掛かると流石応えた。部落に着けば何とか為ると頑張った。昨夜から何も食べて居ないから「お腹と背中がひっつく」と言う言葉があるが本当だナア―とツクヅク感じた。部落は十数軒ばかりあった。皆手分けして徹底的に捜したが食べる物等何も無い。
「サアー困った事に為ったぞ」本当に何も無かったらどうしよう、このまま何も食べずに如何して中隊に辿り着く事が出来るだろうかと悲愴な気持ちになった。 「オーイ居たぞー居たぞー」と井上の声に駆け着けてみると大きな牛を追い回して居る「逃がすな」と怒鳴りながら私も協力して要約掴まえた。
他中隊の兵隊が集まって来て、初めて見つけたのは俺達だと文句を着けて喧嘩と為る。「見付けただけでは権利は無い」と突っぱねる。一時はどう為るものかと思って居たが、我々の強硬な姿勢に恐れを為してか渋々散って行った。日頃温和な井上源治君の何処にあの様に攻撃的な言葉が潜んで居るのかと改めて彼を見直した。
思わぬ収穫に心が湧いて、夫々で集めた三升程の米を全部炊いて久し振りの牛汁、焼肉で大いに満腹感を味わった。残りの肉は、我々の収穫を首を長くして待って居る者への土産として持ち帰る事にした。
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白骨街道
雨は相変わらず降り続き、アラカンの山を下り終わる頃から暑さは増して来て、平坦地に来ると更に蒸し暑さと泥と雨と脂汗が背筋を伝って行く。
その頃から疲労と病気で倒れる兵隊が続出した。道の両側には何処の兵隊か分から無いが至る所に寝て居る。嫌、こんな泥道に寝て居るのだから恐らく死んで居るのであろう。中には死に掛けている兵隊も居るであろう。
しかし、最早人間の死と言うものに無神経に為って居るのかも知れ無い。又その兵隊の死を確認した処でどうする事も出来ず唯見過ごして来るだけと為ってしまう。
我が一小隊でも、神保義雄君が栄養失調で目が見え無く為り小さな川の辺で泥塗れに為って死んで居るのが見付かった。彼は遅い招集兵で私より大分年上だったが明るい性格で中々指先の器用な兵隊だった。悪い事とは知り乍ら我々も良く彼を利用したものだ。・・・悪い先輩だった事を謝し神保君の冥福を祈る・・・
フミネから、チンドイン河畔のシッタン部落迄の死体は、無数としか言い様が無く誰言うとも無くこの道を「白骨街道」と呼ぶ様に為った。
勝又清一等兵の死
小休止の度に急いで薮に入る兵隊が居る、見ると勝又君だ。「勝又どうした、背嚢を持って遣るから元気を出せ」と私に声を掛けられた途端その場に座り込んで動け無く為ってしまった。「さあ困った」一人を担架で運んで居るし最早どうする事も出来無い。仕方無く勝又君には元気な兵隊を一人付けて残し、中隊が次の宿営地に着いてから引き返し迎えに来る事にした。
宿営地に着くなり休憩もせず、健兵４人で雨の降り仕切る中を引き返し迎えに行った。勝又君を乗せた担架の到着したのは既に夜の10時を過ぎて居た。シッタンから更に下流の、オークタンと言う部落に落ち着き次の命令を待つ事に為った。
この部落は十数軒の小さな木造造りの家が多かった。しかしここは部落の中心地らしく古いが立派なお寺があり、寺には木造の船が備え付けてあった。中隊は各班毎に設営する事に為って要約雨露だけは凌ぐ事が出来た。勝又君の容体は日増しに悪化して行くばかりで、飯を運んで遣っても食べる元気が無く為って来た。
彼は赤痢患者なので、特に便所へ行くに便利な隣の部屋を選んだ。私は彼の側を離れず、
「勝又、元気を出せよ」
「近い内に、ラングーンから病院船が患者を迎えに来る事に為ったから、それ迄の我慢だ、頑張れよ」
「飯を食べ無いと元気が出無いから少しづつでも食べた方が好いぞ」
と元気付けるが、彼は寝たまま天井の一点を見詰め無表情に唯頷くばかりだった。医者さえ居れば、薬さえ有れば彼を助ける事が出来るのに、只手を拱いて見て居るのが残念で為ら無い。彼は自分の死期が分かって居るのだろうか、それとも淋しいからだろうか私が部屋を出ると直ぐ呼び戻す。
しかし既に運命は決まって居た。彼は其の日の午前中に息を引き取ってしまった。彼の腕に掛けてあった時計も止まって居た、彼と運命を共にするが如く。遺体は一番目標に為る大きな木の下に埋葬した。
「勝又君、きっと迎えに来るから」と語り掛けながら。しかし、この戦況で果たして再びこの地を踏む事が出来るだろうか。俺達も何時かは同じ運命を辿ら無ければ生ら無い宿命なのだ。
・・・勝又君達の遺骨は昭和50年２月 秋山誠治さん達遺骨収集班の手で無事日本へ帰り着く事が出来た。30年間、さぞ待ったであろう。ご冥福を祈る・・・
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烈師団長の解任
戦況は非常事態を迎えて居た。牟田口廉也軍司令官の命令に背き、我々を此処まで退げて呉れた佐藤幸徳師団長が遂に解任された。後任の師団長が着任する迄の間宮崎少将が代行する事に為った。解任された師団長は、離任に際して我々将兵に対し離任の辞と云う言葉を残して去って行った。その言葉を聞いた我々は皆、師団長の兵隊を思う心の暖かさに手放しで泣いて離任を惜しんだ。
師団長が交替すると事態は一変した。今迄軍司令部の命令に逆らって来た師団長と云うツッカイ棒が無く為った今は、軍の命令を真面に受け無くては為ら無く為って来た。福永聨隊長は「何兵たりともチンドイン河を渡る事は相ならん」と命令を出した。仕方無くチンドイン河を目の前にして暫く此処に留まる事に為った。
糧秣輸送船来る
師団長が解任されてから暫くすると、ラングーンから糧秣を満載した舟が遡航して来た。各中隊から運搬仕役兵を出す事に為り皆で作戦を練った。仕役兵の他に横取班を編成して、降り止まぬ暗闇の雨の中へ出て行った。
糧秣は一旦聯隊本部の給与係へ運ぶのだが、途中薮の中に待機して居る横取班に渡し、仕役兵は何食わぬ顔で又船に戻る。其の作戦が成功して数百キロの米が手に入った。正規の分配米と合わせて当分米の心配は無く為った。
その9につづく
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