2018年06月11日
父の残した「インパール作戦従軍記」 その2 (忘れては為ら無い・・・親や祖父達の戦争体験から)
父の残した「インパール作戦従軍記」 その2
２．マレーの日々
南の島へ上陸
昭和18年2月10日 昭南島（現シンガポール）へ上陸した部隊はアレキサンドリヤ兵舎に落ち着いた。兵舎の前にある椰子の木には、緑の実を鈴なりに着けており「無断で取るな」と書いた札が立ててあった。
兵舎では慌ただしく糧秣の支給を受け、その日の暮れ掛かった頃シンガポールの駅をマレー半島の目的地に向かって汽車は出発した。昭南島とマレー半島との接点のジョホールバル水道を渡る頃は既に車外は真っ暗だったが、ジョホールの街は電灯が煌々と灯って都会らしい感じがした。
マレー半島の西海岸鉄道の夜汽車は小さな駅には殆ど停まらず、途中マレーの首都クアラルンプールを発車してからは目的地クアラカンサールの駅迄直行した。下車して見ると夜明け迄に少し時間があるのか、街はヒッソリ静まり返って居り客待の夜店の灯りだけがほの暗く灯(とも)って居る。
クアラカンサール駅の東方、ペラク川を渡った小高い丘に、点々と立つ白亜の建物の一角が我が通信班の宿舎と為り、鳩班もその一棟を割り当てられた。芝生を綺麗に刈込んだ庭にはカンナの花が咲き乱れて居り、裏庭へ廻って見ると油椰子の葉陰からクアラカンサールの街並みが眼下に広がって居て、街の映画館からはボリュウム一杯の音楽が聞こえて来る。この豪奢な建物は元英国総督府高官の避暑地の建物だとの亊だった。
部屋へ一歩入ると電灯が点いている。誰かが 「オーイ電気が来て居るぞー」と怒鳴る声がする。天井には大きな扇風機がユックリ回って居て「トイレ」は勿論洋式の水洗トイレだが、面白い事にシャワーとトイレが同室だったのには驚いた。
中支宜昌(せんしょう)の山の中で、敵と対侍しながら壕の中で３年間のランプ生活を過ごして来た我々に取って、乞食が一夜にして王様に為った様な気分で、数ヶ月後に来る苦闘など知る由も無く楽しい日々が続く。
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サルタン宮殿
落ち付いて暫くした或る日、和田・関口・吉田の３人でゴム林へ猿を撃ちに行くかと話が纏まり、夫々小銃を肩に出掛けた。
ここは赤道に近いのか太陽は肌に焼け付く。しかし一歩林の中に入るととても爽(さわ)やかさを感ずる。ゴム林を抜けると左手に凄く豪華な建物が見える。門の前には小銃を持ったマレーの警察官が立って居り、手真似を交えて尋ねるとペラク州の王様の宮殿との事だった。
物珍しさも手伝って傍(かたわ)らの警察官に案内を乞うと、暫くして召し使いが出て来て私達の小銃を警備の警察官に預けて宮廷内へ案内して呉れた。玄関前の両脇には直径１メートルもある大きな大理石の柱が立って居り、その床も大理石が敷かれて居る。
宮廷内の廊下には赤いペルシャ絨毯(じゅうたん)が敷かれ、天井から豪華なシャンデリヤが吊り下がって居て一遍に度胆を抜かれてまった。階段を上がる頃には完全に足が竦み、これは偉い処へ来てしまったと後悔したが間に合わ無い。愈々度胸を決め「俺は日本の軍人だ」と自分の心に言い聞かせ陸軍のドタ靴で赤絨毯を踏み絞めた。
案内人に各所を見せて貰い、金・銀・ダイヤモンドや、素晴らしい象牙(ぞうげ)細工など装飾品のある謁見間に通された頃は大分落ち付きを取り戻して来たのだが、そこで「アルバム」の様な記帳を出され署名して下さいと言われ、捲ってみると日本軍の高官、山下奉文・寺内大将等の他、世界各国の名士らしい英語が書き連ねてある。瞬間身体中の血が一気に頭へ昇り詰めて、どう遣って署名して来たのか今でも分から無い。
逃げる様に門を出た左手の塀に「日本軍人軍属の立入禁止」と書いた大きな看板が立ててあった。中隊へ帰り「指揮班の及川軍曹」に其の事を話すと「貴様等、憲兵に見つかったらどうするんだ」と酷く叱られた。
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ドリアンの実
或る日、通信班の演習の帰り、小休止をした大木の下で何気無く見ると、太い幹の中程に俵みたいなイボイボのある実が行き成り菜って居る。木の枝先に為るのなら分かるが、幹に直に為る木の実など見た事が無い。
その場は大勢居るので取るのを止め、夜に為って和田と２人で現地人に見つから無い様に盗って来た。持って来てみたものの食べ方が分から無い。明くる日、遊びに来た現地人に教わった１週間が待てず、4・5日で割って見た。中身はクリーム色で芳香が強く甘味もあり、大きなドングリの様な種を包んで居る実は舌も蕩けそうだ。それは「ドリアン」と言う名の果物の王様だとの事だった。
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外出の訓示
日頃愉快な五十嵐中尉の外出に対する訓示があると言う。皆何の話があるのかと半分緊張して整列して居ると、当番兵が小さな紙包みを１人２個づつ配る。包みを見て中身を知るとアチコチから小さな笑いが出て来た。
軍刀が地に着く程の短身の中尉は、目で笑って大きな声を張り上げ「黙って話を聞け!」と、柄先の丸い円ぴ（軍隊の折り畳みスコップ）の柄に何やら被せ乍ら「先端には絶対に空気を入れては為らん」と真面目顔で説明する。「今笑って居る者は後でどんな事に為っても絶対に俺は責任は持たん」と破顔一笑で訓示は終る。
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クアラカンサールの朝
クアラカンサールの街は、駅からの幹道は勿論、ゴム林の中の細道迄全部舗装されて居る。両側から巨大なネムの並木で覆われ道路脇の芝生も綺麗に刈り込まれて居る。街の中心地の大通りの朝は、通勤や買物に出る人達の自転車で賑わって居り、特に若い娘さん達のカラフルな服装と曲線を浮き彫りにした裾割れチャイナ服の姿態が眩しく目に飛び込んで来る。
中支宜昌時代は軍衣の汚れも気に為らず、敵前の壕の出入りが激しいので小まめな手入れは必要とし無かった。しかし綺麗な街に来ると自然に身嗜みも良く為って来る。
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マライの一日
鳩の居ない鳩班は、訓練と言っても専ら小銃訓練が多く、俺達最古参兵は訓練をサボってネムの並木の下で初年兵の訓練の終るのを待って居る日が多かった。
訓練終了後の駆け足には俺達も一緒に走って帰り「訓練終了」「解散」の声に初年兵は一勢に俺達古参兵に走り寄り、巻き脚拌(きゃはん)を取って背中の汗を拭いて呉れる。汗でビッショリに為った軍衣袴(ぐんいこ)は夕方迄に洗って綺麗に畳んで持って来て呉れる。自分達も初年兵時代には同じ事を遣って来たのだが、こんなに迄して貰って罰が当る様な気がする。
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ワニの木登り
兵舎の下にはペラク川が流れて居た。川辺の木の下では犬を連れた現地人が竹竿で何かを追って居て、逃げ場を失った獲物は木から落ちる。何と１メートルもあるワニだった。こんな所にもワニが居るのか、と恐ろしく為り兵舎に帰りこの事を話すと大「トカゲ」だと言う亊で皆に笑われた。
書留郵便
或る日、私の手元に１通の書留郵便が届いた。こんな南方の果て迄お金を送って呉れる訳が無い。不思議に思って差出人を見ると従兄弟の岡村吉治の名前が書いてある。さては、内地の我が家に何か変わった事でもあったのでは無いかと悪い予感が走ったが、読んで居る内に「悪い事をした」と後めいた気持に為って来た。
手紙には故郷の近況から、父母・兄姉妹の安泰が書かれてあり、特に父は、最近戦地からの手紙が来ないが「栄は元気で居るだろうか」と、心配して居るから忙しいだろうが時々手紙を出しなさいと書いてあった。
文盲(もんもう)の父母は手紙を書く事は出来ず、叉届いた手紙を読む事も出来無かった。親であれば子供の安否は一刻も早く知りたい。しかし其の手段を持た無いもどかしさを従兄弟の岡村吉治に話し確実に本人の手元へ届くであろうこの書留と言う事に為ったのかも知れ無い。
中支に居た頃は随分便りを出したものだが、戦地生活が長く為るに連れて最近は殆どご無沙汰勝ちだった。兄からの手紙は偶に来るが其の返事も書く回数が少なく生って居た。両親の心配を他所に「どうせ俺達は女房子供が居る訳じゃ無し、死んでも泣いて呉れるのは火葬場のカラス位なもんだ」と呑気な事を言って居た申し訳無さに胸が詰まる・・・
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鳩班の解散
昭和18年３月末頃、新しく師団の編成が出来て58聯隊の編成替えも行われた。我が歩兵58聯隊通信班も新しく通信中隊として発足し今迄の通信班長の五十嵐末治中尉が中隊長として就任された。
夫々の中隊から派遣編成して居る我々鳩班は解散と為り、吉田・伊藤（何れもコヒマで戦死）その他、藤田の３名は残留と為り、私は中支当時の原隊である速射砲中隊へ帰って来た。
速射砲中隊の兵舍は、クアラカンサールのマレー大学の校舎が割り当てられてあった。速射砲から通信へ派遣されて３年は過ぎて居る。そこには初年兵当時からの無二の戦友、古川義信（戦死）・井上源治・赤掘市治・小野塚兵治（戦死）等が私を暖かく迎えて呉れて本当に嬉しかった。以後、彼等とはインパール作戦で生死を共にする事に為るのだ。
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マレーの速射砲中隊
嵐の前の静けさと言うものか、マレーでは本当に楽しい命の洗濯の日々が続いた。数ケ月後に来るインパールの激戦等知る由も無く毎日の演習も厳しい中にも楽しさがあった。
マレーでは少数の「共産ゲリラ」が居り、それを討伐する名目の演習が多かった。目的地迄の行軍も聨隊本部の経理班が先行し、木陰での「コーヒーのサービス」も行き届いて居り喉を潤す。時には観光的な演習も多くあった。
ジャングル内の夜間演習と為ると大変だ。昼なお暗いジャングルの夜は前の兵隊の姿が全然見え無い。地面に「ホタル」の様に光る木があり、それを前の兵隊に付けてヤッと行動する事が出来たが方向が全然分からず、明け方に為り要約ジャングルを抜け出すと、そこにはアスファルトの道がスコールに濡れて、大きな「サソリ」が草叢(くさむら)から這い出して居た。
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コーヒーの店
日曜日の朝は朝食を控え目に兵舎を出る。街の近くには竹の柱に椰子の葉で被ったマーケットがあり、見た事も聞いた事も無い珍しい南方の果物がズラリと並んで居る。言葉は分から無くとも手真似で結構話は通じるもので、広いマーケットを一巡りする頃は試食の果物で満腹と為る。
街外れに、華僑の経営する店で「栄達」と「双獅園」と言う名のレストランがあった。ヒョロ長い椰子の木が南方特有の青空へ吸い込まれる様に立って居る、そんな風景にマッチした綺麗な建物で店内も清潔で、そこには色白の可愛い華僑のウエートレスが居り、彼女の行く先々には店内の兵隊の視線が四方から伸びて、唯一杯のコーヒーを持って来て貰うだけで何と無く胸の時めきがコーヒーを持つ手に伝わって来る。
・・・色々な事はあったが、毎日毎日を楽しく過ごした。70余年の人生の中でこんなに楽しく過ごした事は他に無い。年も若かった事もあろう、しかし後に来るビルマでの戦闘が余りにも悲惨だっただけに、生涯忘れる事の出来無い楽しい思い出に為って居る。
昭和18年6月4日、楽しく過ごした４ケ月余の思い出を残して、クアラカンサールを後にタイ国に向かって出発した。
その3につづく
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