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2021年11月26日

「中華」に対する屈従と  日本に対する病的な「反日」の共通点



 「中華」に対する屈従と 

  日本に対する病的な「反日」の共通点



 11-26-1.png 11/25(木) 6:01配信



 韓国警察庁長官の竹島上陸の背景に在る「小中華思想」の呪縛


 自国に失望した韓国人が問う 何故韓国は反日を辞められ無いのか? ファンドビルダー 2021.11.25(木)



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 韓国の警察庁長官が上陸した竹島 韓国が実効支配している(写真 Topic Images アフロ)
 (ファンドビルダー 韓国コラムニスト)11-25-1



 韓国は、地球上で唯一と言える反日共和国で在る。反日が日常化して居る上、愛国行為としても認定されて居る。「慰安婦・徴用工・独島(竹島)問題等が存在する為に韓国が反日に為る」と云う考えは大きな錯覚だ。韓国は、「反日」そのものを目的とする国家で在る。慰安婦・徴用工・独島(竹島)問題等は、「反日」の為の手段にしか過ぎ無い。
 何時の日か慰安婦と徴用工問題が解決したとしても、韓国は次の手として、関東大震災朝鮮人虐殺事件・朝鮮人被爆者・サハリン残留韓国人・閔妃暗殺事件等新しい問題を浮上させ、如何にかしてでも反日を続けるだろう。

 韓国は20世紀に日本と戦争をした事が無い。日韓併合に関しても、当時の朝鮮の総人口の99.9%以上が順応して居た。今日の韓国は、朝鮮人が独立運動を積極的に展開した様に宣伝して居るが、これは誇張で在り歪曲で在る。独立運動家の比率は、当時の朝鮮の総人口の0.1%にも満た無かった。
 2021年8月15日現在、独立運動に貢献したと云う韓国の〔独立有功者数〕1万6932人だ。〔独立有功者数〕とは、1895年の日清戦争終了時点から1945年8月14日迄の期間中活動した人。

 この中から外国人72人を除外すれば1万6860人と為る。韓国は2005年に〔独立有功者発掘団〕と云う専門組織を創設し、独立有功者を毎年数百人ずつ血眼に為って「発掘」して居るが、その中には、反日独立運動で在る「三・一独立運動」・学生運動・文化運動・啓蒙活動の参加者等が全て含まれて居る。

 韓半島の人口は1910年代に1,300万人程度だったが、1945年にはホボ倍増し2,500万人程に為った。この事から、日韓併合時代(1910〜1945)の当時の平均人口を約2,000万人と見積もるのは無難で在ろう。
 と為ると、当時の国内及び海外で独立運動に勤しんだ朝鮮人1万6860人と云うのは、総人口の0.084%でしか無い。当時の朝鮮人全体の99.916%は、独立運動とは何の関係も無く生きて居たと云う事だ。

 両班(やんばん)等の支配層から虐げられて居た大多数の朝鮮人は、日韓併合のお陰で初めて人間らしく生きて行ける様に為った。独立運動を先導したのは、日韓併合に依って特権を受けられ無く為った両班階層と社会主義信奉者で在り、日韓併合で損害を受けたのは少数の両班階層と500年間権力を維持して来た李王家だ。だが李王家は、日韓併合以後も特別待遇を受け気楽に過ごした。


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 日韓併合時代の朝鮮の小学校 支配層に虐げられて居た大多数の朝鮮人は日韓併合後、人間らしく生きられる様に為ったと韓国人の著者は言う(写真 Alamy アフロ)11-25-2


 韓国人の潜在意識に深く根付く「小中華思想」

 日韓併合のお陰で韓半島は近代化し、朝鮮人の生活水準は高まった。日本・米国・欧州・オーストラリア・中国・ロシア等・・・地球上の主要国の国民が戦争に動員され、死んだり怪我をしたり空襲等で国土が廃虚に為った時も、韓半島と朝鮮人は相対的に見れば安全であった。
 日韓併合時代の35年(1910〜1945)は、それ以前の35年(1874〜1909)と以後の35年(1946〜1981)とを比較して観ても、遥かに安全で平穏な時代で在った。

 日韓併合以前の朝鮮は、政府の無能と腐敗に依って民衆の反乱と政変が絶え無かったし、解放以後は朝鮮戦争・・・後の大統領と為る朴正煕が主導した5・16軍事クーデター・光州事件等の激変が続いた。従って、今日の韓国人が反日を採ら無ければ為ら無い特別な理由は無い。
 それでも、韓国は事実上〔反日共和国〕と云う非常識国家として存在して居る。この様な韓国の非常識は、台湾と比較しても際立って居る。

 韓国の反日は、ドンな薬も効か無い病気・或いは精神疾患の一種と言っても過言では無いだろう。病気の症状には原因が在る。肥満の場合過度の飲食が原因に為る。肺疾患の場合は喫煙が原因に為るだろう。それなら、韓国の反日の原因は何だろうか。それは正に、韓国人の潜在意識に深く根付いて居る〔小中華思想〕だと言える。

 〔小中華思想〕とは「中国の臣下を自認し、中国を崇拝する思想」を意味する。中国が世界の中心で在り、中国から遠く離れた所は辺境の野蛮人だと信じる事だ。中国事大主義、或いは中国を慕う「慕華思想」で在る。

 韓半島では、1,000年前に小中華思想が生まれた。李氏朝鮮(1392〜1910)以前の王朝としては高麗(こうらい・918〜1392)が在る。
 高麗の11世紀後半の人物・朴寅亮(ぼくとらりょう・?〜1096)は、高麗の王・文宗(1019〜1083)に付いて「(文宗は)野蛮な風俗を中華の風俗に変え・・・(中略)・・・隆盛な文化資産が中国に比べられる程在り(高麗を)小中華と称した」と書き記して居る。小中華思想は李氏朝鮮に為ると、本格的に韓半島に根を降ろした。

 高麗を倒して政権を取った李成桂(りせいけい・1335〜1408)は、中国(明)から建国の許可を得る為に、首都を移し首都名を「中国に属する小さい村(城)」と云う意味の「漢城」と決めた。自ら中国の一部で在ると中国に取り入ったのだ。
 合わせて、東京・西京・南京・開京と云う地名を廃止し、夫々、慶州・平壌・漢城・開城に変えた。朝鮮には「京」と云うものが決して存在し無い事を中国にアピールする為で在った。

 「朝鮮」と云う国名すら 自分で決められ無かった歴史

 「朝鮮」と云う国名さえ自ら決めたものでは無かった。中国(明)から「新しい王朝名を何にするのか、案を報告しろ」と云う命令を受け「朝鮮」と「和寧・かずねい」と云う二つの名称候補を中国に提出した。この中から、中国が「朝鮮」と云う名称を選択したのだった。

 この様にして、中国から「臣下の地位」をどうにか得たのが正に朝鮮だった。以後朝鮮は、露骨に「小中華」を自認し、返って自主独立国で在る日本に向かって根拠の無い優越感を持つ様に為る。「朝鮮は、難しい中国から『臣下席』を得たが、日本は未だ得て居ないので、お前等は野蛮だ」と云う錯覚と妄想は、その時から始まったと思われる。
 日本に向けた朝鮮に依る根拠の無い優越感と虚勢の代表的な例は、1876年の朝鮮修信使一行の行動だろう。1876年(高宗13年)2月、日本と朝鮮は日朝修好条規条約(江華島条約)を締結したが、朝鮮国内では相変らず衛正斥邪(えいせいせきじゃ・小中華及び宋明理学崇拝勢力)に足を捕られて、ソコから少しも抜け出せ無いで居た。

 条約締結で、朝鮮が少しでも変わる事と期待した日本は失望した。困った日本は、朝鮮の指導層が日本の近代化した姿を直接目で見れば、近代化に対する重要性を知る様に為るだろうと思い、アイディアを出した。それが朝鮮通信使(1607〜1811の間12回実施)の復活で在る。
 名称は、日本と朝鮮間の信義を新しく修めると云う意味から「修信使・しゅうしんし」にした。以前の朝鮮通信使の場合と同じ様に、朝鮮修信使の招聘費用は日本が全額負担する事にした。第1次修信使は76人に決まった。

 処が、この76人中約30人が風楽隊(ふうがくたい)(伝統音楽の楽団)と旗手団で構成された。朝鮮修信使一行は、文明国から遣って来たと云う事を日本人に広く誇示し自慢する為に、風楽隊と旗手団に固執したのだ。
 当時の朝鮮の指導層は性理学と朱子学を信奉しつつ、朝鮮の小中華文明が日本よりも遥かに優秀な文明だと信じて居た。当時の朝鮮にはチャンとした船舶が無かったので、日本は朝鮮修信使一行の為に日本内務省専用蒸気船「黄龍丸」を送った。

 朝鮮修信使一行は、1876年5月29日に釜山を出発して下関を経て横浜に到着した。そして、横浜で蒸気機関車に乗る事に為ったのだが、朝鮮修信使一行はこの蒸気機関車に大きな衝撃を受ける事に為る。朝鮮修信使代表の金綺秀は『日東記遊』に、日本の蒸気機関車に付いてコノ様に記して居る。

 「雷や稲妻の様に走り、嵐の様に暴れ、一時間に300〜400里を走るのだが、車体は穏やかで振動は少ない。左右には、山川・草木・家屋・人物が見えるのだが、目の前を電光の如く過ぎ行くので、落ち着いて眺める事は出来無い。タバコ一本吸う間に、既に東京の新橋に到着して居た」

 朝鮮修信使を「化石の一行」と称した英国人

 朝鮮修信使一行は、朝鮮が文明国で在る事を広く知らしめる為に、日本の市街を風楽を鳴らして行進した。近代化した日本の大通りを、古風な服装の旗手を前面に立たせ、風楽を鳴らして過ぎ行く光景は、日本人に取っては、普段滅多に見る事の無い珍妙な姿だった。
 これは面白い見世物だと、人々は大挙して集まり警察が動員され、鎮静させる程で在った。朝鮮修信使の行列は、只の大きな見世物でしか無く、その人波は歓迎の為では無く、滅多に見る事の出来無い見世物を楽しもうと集まった人々だった。

 日本の歴史学者・佐々木克は、この様な朝鮮修信使の事を「朝鮮が派遣した修信使は、鎖国状態の朝鮮の無知が齎した、時代錯誤的なハプニング」と評した。又、当時の日本駐在の英国の新聞記者はこの様に書いた。「伝統的な服装に身を包み、最高の威厳を示しながら行進する朝鮮修信使の行列は、マルで化石の一行だ」

 朝鮮が中国の属国で在ったと云う事実は、朝鮮王の年号を見ても判る。朝鮮を建国した李成桂は、明の太祖の年号「洪武」を使用した。例えば朝鮮は、建国年度(1392年)を「洪武25年」と云う形で記録した。高宗(1852〜1919)の場合、清の同治帝の年号「同治」を使用した。


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  韓国与党の大統領候補に選出された李在明氏 「反日」で知られる(写真AP アフロ)11-25-3


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 韓国・ソウルの景福宮 2021年11月 韓国政府は景福宮に在る香遠池・香遠亭・酔香橋の復元作業が完了したと発表した(写真) 11-25-4


 ソウルの西大門付近に、慕華楼(1407〜1429)と云うものが在った。中国からの使節が来る時、朝鮮の皇太子を初めとする高位層が中国からの使節を恭しく出迎える場所で在った。中国を懐かしがると云う意味の「慕華」と云う言葉を名前にした場所で在る。以後、慕華楼は増築され慕華館(1429〜1896)と為った。  
 そして、慕華館の前には、迎恩門(1539〜1896)と云うものが建てられた。中国の使節を迎える門だった。中国からの恩恵を嬉しく受け入れると云う意味の「迎恩」と云う言葉が名前に使われて居る。  

 この様に、徹底して中国の属国だった朝鮮は、日本のお陰で、初めて中国の支配から抜け出す事に為った。日清戦争(1894〜1895)に伴う下関条約の第1条は、以下の様に書かれている。  

 第1条 清国は、朝鮮国が完全無欠為る独立自主の国で在る事を確認し、独立自主を損害する様な朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は、永遠に廃止する。  

 ウンザリする中国の支配から抜け出したのを記念して、徐載弼(1864〜1951)等の開化派は恥辱的な場所で在る迎恩門を撤去しその場に「独立門」を建てた。同時に、慕華館を廃止し独立館と云う名前に変更した。そして「漢城」と云う恥辱的な首都名称も、1910年から「京城」に変わる事に為った。
 英国は、インドを植民地支配しながらインド人数十万人を虐殺した。英国はインドを略奪の対象とし、インドの近代化に寄与した事は殆ど無い。それでも、今日のインド人の大部分は親英的態度を示す。
 
 米国は日本と戦争をした。互いに殺し合う敵同士だったが、今日の米国は日本と非常に親しくして居る。過去に日本と戦争をした中国でサエ、韓国の様な病的な反日はしない。韓国と同じ経験をした台湾が、親日的な態度を見せて居ると云う点も考えると、如何見ても今日の韓国の反日は非常識で在る。
 小中華思想は、中国に仕える者で在る事を自認し、中国が世界の中心で在り、中国から遠く離れた所は野蛮だと信じる事だ。従って、小中華思想に陥れば、中国に仕える者と云う自負心と共に、中国からその資格を得る事が出来無い他国に対して、蔑視的な態度を示す様に為る。今日の韓国が見せる日本に対する根拠の無い優越感は、この様な〔小中華思想〕為に発生するものだ。

 韓国が「反日共和国」の道を歩む切っ掛けに為った 李承晩の出自  

 日韓併合時代の終了後、韓国はインドが英国と良い関係を維持した様に、日本と良い関係を維持する事が出来た筈で在る。だが、韓国の李承晩元大統領(1875〜1965)には、その様な考えが全く無かった。それには理由が在る。
 李承晩元大統領は、朝鮮の譲寧大君(1394〜1462)から数えて16代目の子孫だ。譲寧大君(じょうねいたいくん)は朝鮮4代王として知られる世宗(1397〜1450)の兄だ。則ち、李承晩大統領は小中華思想に染まった朝鮮王家の末裔で在る。
 
 韓国が反日共和国と云う誤った道を歩き始めたのは、この様な李承晩大統領の出身に纏わる背景が作用したと考えられる。21世紀の今も、韓国の小中華思想は健在で在る。
 2017年12月、中国を訪問した文在寅大統領は、北京大学での演説で「(中国は)高い峰(韓国は)小さい国」と云う発言を何度も反復した。更に「中国の夢が中国だけの夢では無く、アジアを越え、全人類と共に見る夢に為る様に願う。韓国も中国の夢と共に歩むだろう」と云う発言もして居る。
 
 中国側の韓国に対する態度も、矢張り属国に対するものと変わら無い。2017年4月、米トランプ大統領は、ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで「(米中頂上会談で)習近平主席が『歴史的に韓国は中国の一部だった』と話した」と明らかにした。  
 又2021年9月、韓国の外交部長官は米国の外交安全保障シンクタンク・外交問題評議会(CFR)の懇談会に参席してこの様に言及した。  

 「私達は、中国が主張する事を聞く様に努力し無ければ為ら無い。中国は新しい技術関連の様々な分野で、益々近付く重要なパートナーである」  

 今日の韓国が小中華思想に囚われて居ると云う事が好く判る代表的な事例は「朝鮮を懐かしがる事」だ。 韓国政府(文化財庁)は、2021年11月5日、3年に渉って復元作業が続けられて居た、朝鮮時代の王と王妃が休息した場所で在る景福宮の香遠池・香遠亭・酔香橋の復元作業が完了したと発表した。  
 「香遠」と云う名称は中国の学者・周敦頤(しゅうとんい・1017〜1073)が詠んだ『愛蓮説・あいれんせつ』に出て来る「香気が遠く行く」と云う部分を引用したものだ。王宮に該当する景福宮(けいふくぐう)は1395年に建立されたが、火災や戦乱等で可成りの部分を焼失した。1991年に始まった景福宮再建事業は、2045年に完了予定だ。  

 2021年6月23日、ソウル市は光化門広場造成事業の一環として、月台を光化門広場に復元すると発表した。月台は、朝鮮時代当時の宮中の行事を執り行う基壇(きだん)で在る。近代的建物(中央庁・旧朝鮮総督府)は撤去され、他国(中国)の属国だった朝鮮時代の過去を懐かしがって、当時の王宮を復元する仕事に莫大なお金を注ぎ込む国家は、地球上で韓国位だろう。  

 小中華思想に対する愛着が強く為れば成程、反日はより一層強く為る。小中華思想を拠り所とし、中国に仕える者に為ったと云う自負心がギッシリ埋まった今日の韓国は、中国を背に、虎の威を借る狐の如く、未だに中国の臣下に為れ無い日本を野蛮と見做し、絶えず日本を蔑視し貶める事に血眼に為って居る。

 ■中国に対する屈従と反日の共通点  

 小中華思想は、理性的な判断力を鈍らせる。2021年11月16日、韓国の警察庁長官が独島(竹島)を訪問した。2012年には李明博大統領が訪問した。
 領有権紛争に於いて、領土を実効支配して居る側は相手方の攻勢に出来るだけ無反応で対処する事が常識だ。正面対抗すれば、問題が大きく為って損害を被る事に為るからだ。尖角列島に対する中国の攻勢に対し、日本が可能な限り無対応なのは、この様な理性的な判断の為である。  

 処が韓国は、独島(竹島)を実効支配して居るにも関わらず返って先に騒動を起こすのだ。中国に仕える者に為ったと云う優越感に浸り、中国の臣下に為れ無い野蛮人を、蔑視し嘲笑すると云う、低次元の騒動で在ると理解するのが正しい。  
 韓国は、慰安婦や徴用工等の反日問題が、少しの間でも小康状態に為る事に耐えられ無い。日本を絶えず蔑視し嘲笑してコソ気が済むのであり、小康状態に為れば、反日感情を噴出する機会が減り我慢が出来無いのだ。一種の禁断症状で在る。  

 この様な側面から、独島(竹島)問題は、日韓間の葛藤が小康状態に為る時に現れる、禁断症状を解消する非常用の噴出口として適切に活用されて居るのだ。日本と領有権で紛争を抱える中国・ロシア・韓国の中で、韓国だけが非理性的で感情的に対応して来るのは、この様な背景為だ。  
 小中華思想が、韓国に根を下ろした期間は1,000年に上る。日韓併合時代は35年だった。1,000年間に渉って受け継がれ韓国人のDNAにも刻み込まれた小中華思想が、35年と云う短い期間で解消される事を願うのは無理な話だ。  

 今日の韓国が、中国に向かって屈従的な姿を見せるのと日本に向かって病的な反日の姿を見せるのは、夫々別々に存在する現象では無い。ドチラも全て、韓国の小中華思想から始まった、コインの裏表の様なもので在る。  
 結局、韓国の対中国低姿勢と対日本強硬姿勢(病的な反日)と云う極端な両面性は、外部的な要因に依るのでは無く、韓国内部の前近代的で在り時代錯誤的な小中華思想に依るものだ。  

 今日の韓国の病的な反日の根本的原因が、小中華思想で在ると云う点を理解すれば、韓国の反日は日本の謝罪や補償の有無とは何の関係も無いと云う事が判るだろう。韓国の反日を解消するのに必要な事は、日本の謝罪や補償では無い。
 韓国の反日を解消するには、今日の日本が中国の臣下と為り、服従隷属する事以外には無い。韓国の内心は、日本が一日も早く中国の臣下に為り、中国(中華)と韓国(小中華)に仕える姿を見せる事を願って居るのだ。
だからコソ、韓国の小中華思想が解消され無い限り、韓国の反日が無く為る事は決して無いだろう。

 ■聖徳太子にも及ば無い今の韓国  

 今日の韓国人の全てが、小中華思想に陥った状態だとは思わ無い。だが、少なくとも、小中華思想に陥った韓国の指導層等の親中勢力が、教養と均衡感覚が不足して居る大多数の韓国国民を煽動し、反日共和国に導いて居ると云う事だけは確かで在る。  
 韓国の病的な反日が解消される為には、韓国の指導層が、前近代的で在り時代錯誤的で在る小中華思想から、抜け出さ無ければ為ら無い。同時に、簡単に煽動されてしまう一般の韓国人も又、基本的な教養と均衡感覚を備える事が必要だ。  

 だが、残念な事に現在、韓国にはそう云う自浄能力が全く見られ無い。韓国が小中華思想と云う迷夢から自ら脱皮する可能性は、現在殆ど無いと云う話だ。日本の聖徳太子(574〜622)は、中国の隋煬帝(569〜618)に送った国書にコノ様に記して居る。  

 「日が昇るところの天子が、日が沈むところの天子に、手紙を送ります(日出処天子 書日没処天子致)」  

 韓国は、日本と米国の支援お陰で経済的に成長したが、今日の韓国人の精神世界は、1400年前の古代日本人より遥かに劣った水準を彷徨(さまよ)って居る。21世紀に為ったと云うのに、相変らず前近代的で時代錯誤的な小中華思想に囚われ、返って正常な国家で在る日本を絶えず貶め様とする韓国の姿は実に残念だ。
 今日の韓国の病的な反日の姿は、古風な服装の朝鮮修信使一行が、恰(あたか)も優秀な文明国から来た様に錯覚し、意気揚々と風楽を鳴らして、近代化した日本の市街を行進するコメディの再演だ。
 
 幾ら経済的に成長しても、精神世界が何時迄も迷夢(めいむ)を彷徨うので在れば、その国家と国民が見せる姿は非正常で非常識に為らざるを得無い。その事実を、今日の韓国がハッキリと証明して居る。膨脹主義路線を疾走する中国と、小中華思想に囚われて迷夢を彷徨う韓国が隣国で在る日本は、地政学的に全く運が悪い国と云え様。 


 ファンドビルダー 韓国コラムニスト



 〜管理人のひとこと〜

 こう迄云われると逆に、朝鮮系の人達を余りにも一方的に攻め過ぎると感じてしまう。我等に愛国精神が在るのと同じく彼等朝鮮人にも同等かそれ以上のものを持って居る筈だ。我等にも、天皇の存在や建国の古さを他国と比べて区別・差別し優越感に浸る人達も存在する。
 これ等は何の証も無い単なる時の為政者が作った神話に過ぎ無いのに、恰も特別な国家で在り世界一優れた民族だと、他国や他民族を侮蔑的感情で差別する。ユダヤ教・ユダヤ人が世界から嫌われるのは、我々は神に選ばれた特別な民族だとする「選民思想」が在るからと云われる。

 殆どの国が、自分達の国が特別な国で在り優れた幸せな民族で在る・・・と考えたいのは当たり前の事だ。しかしその考えは自由だが、それを以て他国・他民族を差別し区別し蔑視しては為ら無いのは当たり前の事。
 陸続きに他国が無い特殊な我が国の、余りにも近い国が朝鮮で在り中国だったのだ。隣同士は仲が悪いのが普通、台所の模様や冷蔵庫の中まで目に入る。夫婦喧嘩も手に取る様に知ってしまう仲なのだ。互いに一歩下がって礼節を重んじる事から始めねば為るまい。










 
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