2021年11月22日
立民・共産の共闘は間違いだったか? 自社提携の歴史を遡れ
<2050年のメディア>第86回
立民・共産の共闘は間違いだったか?
自社提携の歴史を遡れ 下山進
〈サンデー毎日〉11/22(月) 10:05配信
村山富市氏 1994年に就任した自社連立政権の首相 社会党最後の委員長と為った
Susumu Shimoyama〔MEDIA in 2050〕しもやま・すすむ ノンフィクション作家 11-22-1
英国の週刊誌『エコノミスト』のエグゼクティブ・エディター、ダニエル・フランクリンがこんな事を言った事が在る。
「歴史を知ると云う事は、未来を予測する上で重要なツールキットです。歴史がそのママ繰り返される事は在りませんが、歴史を観る事に依って、新しいものが起きた時にどの様な反応が起きるか、或る程度予測出来ると云う事です」
「私達『エコノミスト』の使命は、非常に複雑で変化の多いこの世界に於いて、何が起きて居るのかを読者に説明する事です。その際に歴史的文脈で説明する事は極めて有効だと考えて居ます」
その言葉を思い出したのは、立憲民主党と日本共産党の先の衆議院選挙に於ける共闘を殆どのメディアが「失敗」と報道して居るのに、モッと他の角度の分析は無いかと思ったからだ。
例えば読売新聞・・・先ず投票日前日の10月30日 一面で特別編集委員の橋本五郎は、両党の「限定的な閣外協力」に付いて〈共産党は「日米安保条約廃棄」の方針は変わらず、内閣提出の法案に反対する事も在ると云うのです。それなら選挙の為だけの協力では無いかとの批判が出るのは避けられません〉と書いた、此処迄は好いだろう。
しかし、結果が出た後の11月2日のストレート記事で「連携が裏目に出た」3日の社説でその原因は、日米安保条約の廃棄を掲げて居る共産と〈日米同盟を軸とする立民との基本理念の違い〉が惨敗を招いたのだとし、4日の一面の政治部記者の署名原稿でも〈日米同盟を基軸とする立民と、日米安保条約の廃棄を主張する共産が、限定的とは云え閣外協力で合意した事に、多くの有権者が納得出来無かった〉と同じ歌を繰り返して居るのを読むと、もっと他に書く事が無いのかと思ってしまう。
ジャア、94年から98年迄の自社連立は如何なんだと云う疑問が湧く。社会党が自民党と連立を組んで政権に入った時、日本社会党の綱領的位置付けの文書は「新宣言」と云う文書だった。
基本政策目標の第一番目に掲げられたのが〈平和、協調を基にした国際体制と非同盟・中立・非武装の実現〉と云う外交政策だった。コレは、日米安保条約廃棄と同じ、しかも「閣外協力」処では無い文字通り政権に入ったのだ。
自民党は今回「立憲共産党」と云う言葉を使いながら、立民と共産の共闘を「安全保障は如何するのか」と攻撃したが、四半世紀前には自分も同じ事を遣って居た。だから好く無いと云う事を言いたいのでは無い。
立民と共産の共闘を、日米安保条約を巡る不整合から自民党が攻撃して居るので在れば、では四半世紀前は如何だったのかと云う事をメディアは取材分析し無ければ為ら無い。総選挙の直前の月刊『Hanada』に慶應の教授で元民主党議員の松井孝治がすこぶる面白い原稿を書いて居た。
松井は、通産官僚時代、この自社連立政権の官邸に入った時の体験を書いて居たのだ。この原稿で、1995年8月に時の首相の村山富市が出した「戦後五十年談話」所謂「村山談話」の原案を松井が書いた事を明かして居る。
そして穏当な表現だった筈の原案が、村山の執念で「植民地支配」「侵略」「戦争責任」全てに於いて踏み込んだものに変わって行った事、それを当時の自民党は、黙って通した事が綴られて在る。
「コレだけは村山の思いを通して遣って呉れ」と云う官房長官の野坂浩賢の説得に依って、亀井静香・橋本龍太郎と云った自民党の政治家達は引き下がった。これを松井は「恩義を返す為に自分を捨てる」日本人の気質を当時の自民党は持って居たと書いて居る。
何せ、自衛隊にしても消費税にしても、社会党は自民党との連立政権で党是を全部ヒックリ返したのだ。ここだけは村山の気持ちを判って呉れと云う浪花節を了とした。
では、現在の自民党にそうした気質は在るか? そして共産党が、仮に政権に入ったとしたらば、過っての社会党の様に為って行くのか?
こうした疑問を、同じ95年に左翼民主党(旧イタリア共産党)が母体と為って生まれた「オリーブの木」の左派中道政権の辿った道や、自社政権時の中国と今の中国の国力と体質の違い等を調査しながら、今回の立民と共産の関係を見て行くと、全く違う発見の在る記事に為ると思う。
英エコノミスト誌は2016年に「基軸通貨が交替する時」と云う記事を出して居る。これは、中国の元がドルに代わる基軸通貨に為り得るかと云う事を、過つてポンドからドルに基軸通貨が移行した1920年〜45年と比較して考察したものだ。
過つてとの決定的な違いは、ポンドからドルに基軸通貨が移行した時は、英国と米国は同盟国だったが今の米中は敵対する国家同士だと云う事だ。そうした体制に在って、現在の世界経済は、危機に陥った時、国家や金融機関を破綻から救う「最後の貸し手」が居ない、その事を基軸通貨の問題を考えながら指摘する優れた記事だった。
そのひそみに倣えば、国民民主が立民・共産に共闘からの離脱を通告した今、例えば1970年代の社共共闘から、80年代の社公民路線への転換と比較しながらの考察等・・・新聞は、モッともッと脳味噌を洗う様にして知恵を絞れ。現場の記者はそうした歴史を常に勉強しながら、今の政治を絵解きして呉れ。
◇しもやま・すすむ 11-22-2 ノンフィクション作家 著書に『アルツハイマー征服』等 上智大新聞学科で調査型の講座「2050年のメディア」を開く 5冊目の著作『2050年のジャーナリスト』が発売中
〜管理人のひとこと〜
4野党共闘・・・この中には、4党で過半数を獲得したら共同で総理を担ぎ上げ、共に内閣で大臣を出し合い政治に邁進しよう・・・との同意が在っての事だと想像するのが当たり前。だから管理人は、れいわの山本太郎氏が総理に指名されるか、又や経済政策の要の特任大臣にでも為り彼独自の経済政策を束ねるのも在りと想像して居た。しかし枝野氏の言葉には「共産は閣外協力」と云う意味不明なものだった。立民の中の非共産系の意思を汲んだのだろうと思うが、 ソンな生半可な意思で政権が手に入る筈も無い。
無論、非共産・反共産も夫々の心情も在り結構なのだが、ソンな壊れ物でも扱う様なビクビクとした中途半端な提携話に、多くの支援者は〔匙を〕投げたのだ。多くの人達は、反共産派の彼等と今後の関係を充分に熟慮し説得した上で〔4党合意〕が為されたと誤解して居た。だから「選挙目当ての提携」と枝野氏の真意を見破られただけだ。
票だけを貰い後は閣外で・・・との不公平で不正義で可笑しな話が世間に通る筈も無い・・・それを枝野氏は「説明不足」と表現したが「単に甘い考えで墓穴を掘った」だけなのだ。自民が説明した通り顔を洗って「立民共産党」として出直した方がよっぽど増しだろう。
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