2021年10月07日
【テロとの戦争から20年】歴史の記憶
【テロとの戦争から20年】歴史の記憶
べトナム戦争・湾岸戦争・9.11からアフガン・イラクへ
ジャーナリスト 小林恭子 10/6(水) 21:59
9月23日 アフガニスタン・バグラム空軍基地の刑務所に立つタリバン兵士(写真:ロイター/アフロ)10-6-30
2001年9月11日に発生した米同時多発テロ(9・11テロ)約3,000人が犠牲者と為り、ブッシュ米政権はテロの首謀者オサマ・ビンラディンとその過激組織「アルカイダ」討伐の為〔テロとの戦争(War on Terror)」を開始した。
ビンラディンを匿って居たとされる、イスラム主義組織タリバン政権下のアフガニスタン侵攻(01年10月7日)がこの戦争の第一歩と為った。
それから約20年。選挙に依って選ばれたアフガン政権は崩壊し、タリバンが復権して居る。今年8月末迄に、駐留米軍と北大西洋条約機構(NATO)加盟軍はアフガニスタンから撤収したが、最終撤収日が目前に迫る中、多くのアフガン市民がカブール国際空港や隣国パキスタンとの国境に押し寄せた。
タリバンが復権すれば、女性の権利侵害や公開処刑等人権侵害に当たる恐怖政治が再来しかね無い。飛び立つ飛行機を追い掛ける人々の様子が世界中に報道された。一体、この20年は何だったのか。歴史をさかのぼって、テロとの戦争の意味を考える。
ジャーナリストの外岡秀俊氏にテレビ会議ソフトZoomで話を聞いた。外岡氏は元朝日新聞東京本社編集局長。新聞記者時代は米国・欧州で駐在経験が永く中東での取材も数多い。
外岡氏(本人提供)10-7-10
異なる3つの戦争
・・・米ニューヨークに駐在していらしたのは、何時頃でしょうか。9.11テロの前或いは後でしょうか?
外岡氏(以後省略) ズッと前です。1989年から93年に掛けてです。当時、湾岸戦争(1991年)が在って、その時に米軍の拠点が在るサウジアラビアの都市ダーランに1か月位居たんです。中東に関わる様に為ったのはその時以来です。
※湾岸戦争とは 1990年8月 イラク軍がクウェートに侵攻し,国際社会はイラク軍の撤退を求めた。しかし,イラク政府が応じ無かった為,国連安全保障理事会の武力行使容認決議を後ろ楯に 1991年1月17日 米軍を主力とする多国籍軍がイラクへの空爆を開始し湾岸戦争が始まった。
2月24日 地上戦が開始されたが,同月28日クウェートからイラク軍が敗走し戦闘が停止された。(コトバンク他)
1991年 クウェートの砂漠の戦場に配置された米軍戦車。燃える油田が背景に見える(写真:Shutterstock/アフロ)10-7-11
・・・この時は開戦時に国連の支持が在ったと云云う事でしょうか。
12に及ぶ国連決議で武力行使を容認しました。クウェートに居るイラク軍を撤退させる事がマンデートでした。地上戦が終わって、お父さんの方のブッシュ米大統領(在職1989〜93年)はイラクが降伏したと云云う事で撤収したんです。武力行使の目的がハッキリして居ました。国連が全面的に多国籍軍を承認する形でした。
1989年の冷戦崩壊と云う事も在って、国際社会が1つに為って、多国籍軍にお墨付きを与えると云う、或る意味では珍しい行動だったんです。
処が、2001年の9.11以降、アメリカはアフガンにNATO軍と一緒に介入し(01年10月)2003年のイラク戦争に於いては、国連安保理決議が採れ無かったものですから、米英軍が単独で侵攻に踏み切ると云う形を執った訳です。国連に依るお墨付きも無かったしNATOによる支持も無かった。そう云う点で、この3つの紛争(湾岸戦争・アフガン戦争・イラク戦争)は可成り違うんです。
・・・湾岸戦争は国連安保理決議で裏打ちされ、国際社会でも支持されて居たので、ご自身も開戦を支持して居たと居たという事でしょうか?それとも疑問を持たれて居たのでしょうか。中東からすると、違う視点が見える事が事が在りますね。
戦争は戦争ですから、幾ら国連のお墨付きが或るとは言っても、イザ始まってしまうと、兎に角殺戮をすると云う事ですから。
・・・必ずと云って好い程人が殺されます。
そうです。米軍はベトナム戦争(1955〜75年)の手痛い記憶が在りました。ベトナム戦争は初めて茶の間に戦争の映像が流れた戦争と言われて居ますけれども、当時、色々な記者が敵方に入って、敵の攻勢や米軍がどう云う事を遣って居るのかかと云う事を暴露する訳です。
これに依って国内でも反戦気運が高まると云う事情が在ったので、米軍はそれを教訓として、グレナダ侵攻(1983年)私も取材したパナマ侵攻(1989年)とか、ベトナム戦争以降の紛争に於いて、従軍(エンベッド)の取材方式を取るんです。
「エンベッド」とは、或る部隊に記者が張り付くのですけれども、事前に当局が記事をチェックして、グラウンドルールから外れるものは検閲して流させ無いと云う方式です。
湾岸戦争と世論誘導
湾岸戦争では初めて「スマート爆弾」(精密誘導兵器の1つで、レーザー光線やテレビカメラを利用し、目標に爆弾を誘導する)が使われて、CNNが繰り返し報道して、精密爆撃して居るとか、綺麗な戦争を遣って居ると云うイメージ作りをした訳です。或る意味では、そう云う世論誘導が初めて行われた戦争だろうと思うんです。
・・・何十年も前からその様な、世論誘導の構図が続いて来来た訳ですね。
19世紀以来、ズッとそうです。
・・・アメリカと云うと、正義の為に闘う国、正しい事をする国と云うイメージが少なくとも私には在りました。自分が大きな疑問を感じる様に為ったのはテロとの戦争からです。
ジョン・ダワーさんと云う歴史家が、第二次大戦中、日米両国が如何に相手を煽り互いを獣の様に描いたかを指摘して居ます。
・・・プロパガンダですね。
少しも変わっていないですよね。
・・・そうすると、冷静に、批判的精神を持ちながら、アメリカと付き合って行か無ければ為ら無かった訳ですね。
そうですね。私は第1次湾岸戦争の記憶・経験が或るので、アメリカはプロパガンダをする国で在り、非常にプロパガンダに精力を注ぐ国で在ると云う事を知って居たので、アフガン戦争(2001年)の時もイラク戦争(2003年)の時も、可成り懐疑的に見てました。
・・・朝日新聞の編集部の中では、当時、そう云う懐疑心は共有されて居たのでしょうか。
嫌、されて居ません。米軍がアフガン攻撃の為に東京湾から出る時に自衛隊の護衛艦が警備した訳ですよ。
・・・加担して居居る訳ですよね。
法的な根拠が無い訳です。私は社内では可成り少数派でしたけれども、法的な根拠無くして軍を動かすべきじゃ無いと云う意見を持ってました。日米安保条約を拡大解釈するべきだと云う人も居ました。だけど、日米安保条約と云うのは、5条と6条の2カ所に尽きる訳ですけれども、日本の国土の施政権の範囲の中で起きた武力行為に於いて共同対処する・・・と云う取り決めですね。
※日米安保条約の第5条・6条とは
第五条 各締約国は、日本国の施政の下に在る領域に於ける、何れか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするもので在る事を認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処する様に行動することを宣言する。
前記の武力攻撃及びその結果として執つた全ての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告し無ければ為ら無い。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つた時は、終止し無ければ為ら無い。
第六条 日本国の安全に寄与し、並びに極東に於ける国際の平和及び安全の維持に寄与する為、アメリカ合衆国は、その陸軍・空軍及び海軍が日本国に於いて施設及び区域を使用する事を許される。
だから、アフガンで起きた事、或いはアメリカで起きた事は、幾ら同盟関係に在っても、安保条約を根拠に支援する事は出来無い訳です、日本国以外で。そう云う意味では、自衛隊はインド洋で給油支援する訳ですけれども、当時は法的根拠が無いと紙面にも書きましたし、社内でもそう言って居ました。
※自衛隊の中東派遣とは 2001年に米同時テロが発生すると、当時の小泉純一郎首相が米国への支持を表明。テロ対策特措法の制定後、インド洋での多国籍軍への給油の為、海上自衛隊の護衛艦や補給艦を中東に派遣した。
03年のイラク戦争では、イラク特措法を根拠に陸上自衛隊をイラクに送り、人道復興及び安全確保支援活動を行った。陸自はイラク南部サワマの宿営地で活動し、2006年に撤収。航空自衛隊は2008年12月まで輸送活動を支援した。(日本経済新聞、防衛省・自衛隊他)
・・・日米安保条約の拡大解釈を何時も政治家はそう主張しますね。
湾岸戦争の後「アメリカの肖像」とか、色々な連載の中で、当時闘って居た米軍司令官に話を聞きに行ったことが在るんですけれど、一説には、第1次湾岸戦争で10万人位イラク兵士が死んで居るんですけれども、イラク側の死者がどれ位在ったと思いますかと聞いたら「敵の(犠牲者の)数字をカウントするのは、我々の仕事では無い」と。「我々の仕事」とは「自分達の死者をカウントする事で在る」と。見事に軍の本質が出て居ると思いましたね。
・・・9.11テロは自分に取っても大変な衝撃でしたが、国際テロ組織アルカイダやその指導者オサマ・ビンラディンらに依って、その前からテロが複数発生して居ました。アノ様なテロが起きる下地が在ると云う事を感じていらした?
そこ迄は考えて居なかったですが、少なくとも、タンザニアやケニアでアメリカの大使館が爆破されたりとか、可成りの実行力を持ったテロ集団が居ると云云う事は感じて居まして居ました。
偶々、その前に、私は何年かに渉ってアフガン情勢の事に付いて国連関係者からブリーフィングを受けて居たので、タリバン或いはそれが匿って居るアルカイダと云うものが如何云云う州団であるか、或る程度判って居た訳です。でも、それが9.11テロに為ると云う事は全く想像して居なかった。
・・・9.11テロの実写等を見ると、アレ程の準備力・組織力に驚かざるを得ませんでした。米ブラウン大学に依ると約90万人がテロの戦争で亡く為ったそうです。9.11テロの犠牲者は約3,000人ですが、これ依りも遥かに大きな数字の方が亡く為りました。どう見ていらっしゃいましたか。
アノ時、社説は「ノー、バット・イエス」だったんです。要するに、止むを得無いと云うニュアンスで、私はその時は論説委員じゃ無かったので、論説委員を渡り廊下に呼び出して「これは可笑しいだろう」と言いました。少なくとも、アメリカが遣るのは仕方無いにしても、日本の新聞が、憲法上の根拠とかを一切無しに支持する様な社説を掲げるのは可笑しいと。(社説記事が)出た後だったですけれど。
明確に反対するべきだ、と思って居ました。勿論、米軍が遣る事に付いては、それは止められ無いかも知れない。だけれど、時の政権を支持する訳ですから、その責任とは一体どう云う事かと云う事を分から無いママ、それに賛同する様な、水門を開ける様様な事をしてはいけ無いんじゃ無いですかと強く言いました。
・・・当時は、反対するメディアは少なかったのではないでしょうか。アメリカに対して、世界中から痛みへの共感があり、米国内でも戦争支持の声で一杯に為りました。反対する声は殆ど無かったか、出し難い雰囲気だったのではないでしょうか。
そうです。当時、9月は日本に居て、米軍が限定攻撃すると云う記事を書いて、その後、アメリカからイギリス・フランス・イスラエル・イランを回って、最終的にアフガンに行きました。アフガンで年末を迎えたんですけれども。ニューヨークで始めて、アフガンで終わると云う、その時に世界がどう云う反応を示したのかをルポして回ったんです。
私が好く知って居るアメリカ人がハワイに居て、最初に出発する前に彼の反応を聞いたら、それ迄アメリカの軍事行動に付いて可成り批判的な目を持って居たジャーナリストが、ブッシュ大統領の演説は素晴らしいと言って居ました。それを聞いて愕然としました。
彼が言うには、第二次世界大戦の真珠湾攻撃以来、アノ時はハワイでしたけれども、アメリカの本土が攻撃されるのは初めての経験だと。だから、皆が大統領の下に団結しなければ、危機は乗り越えられ無いと云う反応だったんです。
その時のアメリカ人の恐怖とか不安とかは、過つて敗戦の経験が或る日本とかドイツとかからすると考えられ無いです。
9.11テロ後「パラダイムが変わった」
・・・9.11テロ後、米国から多くの学者が英国に来て、イベントやテレビに出て居たのですが「パラダイムシフト」「パラダイムが変わった」と好く言って居た事を覚えて居ます。アフガニスタンの雰囲気はどうだったのでしょう。攻撃される側の国の状況ですが。
アノ時、2か月で米軍は攻勢してカブールを支配する訳です。その時の内幕をワシントンポストの記者ボブ・ウッドワードが『ブッシュの戦争』(日本経済新聞社)と云う本に後でまとめましたけれども。その本にそのママ書いてあるんですけど、CIA(中央情報局)が馬に乗って地方に侵入して、部族長に現金を配って居るんです。部族長は次々に寝返って行く訳です。要するに、勝ち馬に乗る訳でしょう。だから、簡単に、2か月でタリバン政権がヒックリ返った訳です。
アフガニスタンは、首都カブールが近代都市ですけれども、それ以外は近代化が進んでいない地域で、地方は軍閥が支配して居るんです。周辺国のタジキスタン・ウズベキスタン等と人の出入りが在って、パキスタンとの国境付近の両側にパシュトゥン族が住んで居ます。各地域に部族が在って分断して居て、通行料を取って麻薬の原材料に為るケシを栽培して、それを軍資金に使って居る訳です。その構図が20年経っても全然変わら無い。
アフガニスタン周辺 外務省のウェブサイトより 10-7-12
今回は、私はアッと云う間に陥落すると思いました。バイデン政権は過去の歴史を学んでいないのかと思いました。5月時点からタリバンの攻撃が始まって居て、州都が次々に陥落して居るのに、カブールに(タリバンが)入れ無い事は無い事は無い。それを計算しないで、しかもNATOにも相談せず、NATOの加盟国が(完全撤収を)「止めろ」「絶対に見合わせろ」と言って居るにも関わらず、見切り発車と為って為って居る訳でしょう。
・・・「おごり」と云う言葉がこちら良く使われて居ますが。過去を学ば無いのは理解を超えて居ますね。
理解を超えて居ます。元々、アフガンに米軍が侵攻して制圧した後に、国連がボン合意を結んで暫定政権が出来て選挙を遣る訳ですが、その決め手に為るのが、国連のお墨付きを得た多国籍軍がそれを支えると云う点でした。
※ボン合意とは 2001年11月、国連がドイツ・ボンで招集した国際会議で決まった、アフガン暫定政府の樹立と安定化に向かう手順についての合意(2001年12月5日締結)
処が、アメリカは、これを全土展開する事に反対して居るんです。首都には(多国籍軍が)居て好いけれども(国連決議を基に結成された)国際治安支援部隊ISAF(アイザフ)が国軍と警察を養成する様限定して居る訳です。実質的には、国民軍は育た無無かった訳です。
私は1986年・2001年・08年にアフガンに行きましたけど、08年に行った時に、インフラの整備も全く進んで無いし中心部も瓦礫の山で「どうして、こんなに進んでいないんですか」と聞いたら、皆が云うには「外国の復興支援のおカネは皆、政権が腐敗して居て、私(わたくし)化して居る」と。首都を一歩出たら「政府が養成した警察は夜には皆タリバンに為る」と。
ブッシュ政権は「過去の日本の占領統治を見ろ」と「アッと云う間に敗戦から米軍びいきに為ったじゃないか」と言ったんですね。
・・・でも、日本とアフガニスタンでは全然違う国ですよね。
アフガンは、大国が何度も攻め入ろうとしたけれども結局最後は撤退するんです。イギリスは3回戦争を遣って居ますしソ連も10年間支配しましたけど、結局、負けて撤退する訳です。2001年から、私が会った歴史家たちは「米軍は必ず撤収する」「敗退する」と断言して居ました。
・・・今年1月に英上院がアフガニスタンの状況に付いて分析した報告書を出しています。これに依ると、この時点で既に国家が崩壊寸前で在在る事を伝えて居ました。
アメリカは、破壊はするけれども国造りをすると云う気は全然無いんですね。只破壊して自分の威力を見せればそれで皆屈服するだろうと云う考え方をしますから。地道に国造りに携わると云うのは、多分、日本の占領以外無いんじゃないですか。
イラク開戦前、核査察問題で国際社会が割れた
・・・アフガニスタン侵攻の後は、イラクに向かう訳ですけれども。国際社会の中で、イラクへの侵攻は違法で在ると云う見方が強く在りましたね。
その時、私はイギリスに居ましたけれども、シラク仏大統領(当時・以下同)とシュレーダー独首相が明確に反対し「今開戦するべきじゃ無い」と。「もっと時間を尽くして、大量破壊兵器の査察を遣るべき」と言った訳ですよ。
(2003年2月)ドビルパン仏外相が国連安保理の外相会合でそう言う訳ですけれども。その時にパウウェル米国務長官が「決定的な証拠が或る」と言ってスライドを見せた。パウェルはイラクが大量破壊兵器を隠し持って開発して居ると説明する訳です。アルカイダとの繋がりが在るアルカイダを庇護して居るんだと。2つの理由を挙挙げる訳です。
私はその翌日位にイギリスの安全保障の専門家に取材をして、その人が驚いて居ました。「コンナ事を決定的証拠として出して来るなんて、コンな説得力の無い開戦理由は無い」と。可笑しいんだと云云う事を言って居ました。
※イラクの核査察とは 湾岸戦争(1991年)の停戦を決めた国連安保理の決議687に基づく。イラクは、核兵器を含む全ての大量破壊兵器と中・長距離ミサイルを廃棄し、検証の為査察を受け入れる義務を負った。
査察はIAEA(国際原子力機関)や新設のUNSCOM(国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会)が中心と為った。2003年3月のイラク戦争開戦前夜、継続した査察を通じてイラクの武装解除を進めるべきと云うフランス、ドイツ、ロシア、国連査察団に対し、米英等はこれに合意せず、国連の同意が得られ無いまま、3月17日、ブッシュ米大統領によるイラクへの最後通告演説を経て、20日、イラクへの空爆が開始された
・・・後の朝日新聞のヨーロッパ総局長の国末範人さんが、フセイン末期にイラクに行ったそうですが、現状を見て、大量破壊兵器を作って他国を攻撃出来る訳が無いと思ったそうです。アメリカ政府が無理をして居た処が在りましたね。
私はその時、ロンドンから発信して居たんですけど、ドイツやフランスは現地の情勢を知って居て、国末さんがイラクに居てパリ支局長に逐一報告して来たので、フランスは絶対屈し無い、最後迄反対するだろうと思ったんです。原稿にもそう書きました。
そう云う情報をドンドン挙げて居たので、社説もその時は独仏の方に着いたんですよ。これは大義の無い戦争だ、と云う事を最初から認定したんですね。処が、日本の外務省の分析では、フランスは「最後は賛成する」と言って居たんです。完全な見通しの勘違いをして居た。
私は割と早い時期から、大量破壊兵器は無いと云う処に注目して、そう云う原稿をズッと書きました。だから、デービッド・ケリーさんの問題が起きた時・・・。
※デービッド・ケリー博士とは 国防省顧問。2003年5月、BBCがイラクの脅威に付いての政府文書に誇張が在ると報道。政府文書は「イラクは45分以内に大量破壊兵器の実戦配備が可能で在る」として居たが、BBC記者は「脅威が誇張されて居た」とラジオ番組で述べた。この報道の情報源とされたケリー博士は同年7月自殺した。
イラク戦争を何度も検証した英国
・・・皆、薄々大量破壊兵器は無いのではと思って居た処にBBCの報道が在ってケリー博士が自殺しました。検証には時間が掛かりました。当時のブレア首相は開戦の決断について「正しかった」と言い続けています。
バトラー委員会やチルコット委員会で3度検証して居居る訳ですよね。そこがイギリスの凄い処だと思います。
※英国でのイラク戦争検証とは 2003年3月、下院外務委員会等がイラクの大量破壊兵器保有に関する情報の信ぴょう性や侵攻の合法性等を検証。その後、独立調査委員会が3つ設置された。
(1)ケリー博士の自殺の真相究明を調査したハットン委員会は、2004年1月「45分の脅威の誇張」はBBCの「誤報」と結論付けた。
(2)イラク開戦迄の諜報情報を調査したバトラー委員会は、2004年7月「45分の脅威」の情報には「深刻な欠如が在った」としたものの、イラク参戦過程に於けるブレア政権の政治責任に関しては言及しなかった。
(3) 政治責任を含めて総括的な調査を行ったのがチルコット委員会で、2016年、7年に渉る調査の後、イラク戦争開戦時の2003年3月の時点ではフセイン大統領からの「切迫した脅威」は無く、国連安全保障理事会の大多数が支持して居た封じ込め政策の継続は可能だったと指摘。政府が得て居た機密情報は武力行使の正当な根拠と為るには不十分で、外交手段を尽くしても居なかったと批判した。(BBCニュース、英国ニュースダイジェスト)
日本はサマワに自衛隊迄派遣して起きながら、結局は、アノ戦争に付いて大義が在ったのかどうかを検証して居ない訳です。それは凄く無責任なことだと思います。何年か後に、ガーディアン紙が大特集を組んで、開戦の時にこう云う発言をした人が、今どう風に為っ居るかを並べて居ました。政治家だけでは無くマスコミ関係者も全部聞き出して。アノ時、貴方はこう云う風に発言して居たけれど、今、どう思って居るんですかと云う事を遣っ居るんです。
イギリスは言論責任を凄く大事にする国だし、BBCの報道も含めてイギリスのメディアの凄い処だと思います。結局、日本は、ここでアメリカに貸しを作って於けば、何時か何処かで返して貰えるとか、親米関係を壊さないということ最優先にしているから、個々の軍事行動とか日本の参加の仕方と云う事に付いては突き詰めて考えて居ないんですよね。
・・・突き詰めて考えると、日米協定の存在に疑問が出て来て、廻り回って現在の与党・自民党体制が崩れる可能性も在るのでは無いでしょうか。第2次世界大戦後何十年も築いて来た、アメリカへの軍事的依存がもし崩れてしまえば、社会不安が発生するのではないでしょうか。
イギリスだって、それは同じで「イギリスとアメリカは特別な関係に在る」とズッと言って来ていますし、それはその通りな訳です。でもだからと言って、イギリスが軍を出す時は、その軍事行動に付いて独自にきちんと判断し無ければいけ無いという、そう云う見識は持って居居る訳です。アメリカに付いて行けば好いと云うのは、日本だけじゃないでしょうか。
・・・イギリスに住んで居て、好く考えるのですが、どちらの生き方が幸せなのか、と。幻滅感を持って政治不信を感じながら生きるのと、人の後に付いて生きて行く方を選ぶのか。只、人の後に付いて行く選択肢しか無いと社会に閉塞感が増大する様にも思うのですが。
冷戦崩壊前は、日本は確かに同盟国だし、経済で密接にアメリカと結び着いて居たから、それは或る意味で処世知と云うか、処世術として或る意味正しかったでしょう。だけれど、オバマ政権(在職2009〜17年)の時に、アメリカはもう世界の警察官では無いと言った訳ですし、トランプ政権(在職2017〜2021年)に至っては、今迄教師だったアメリカが、もう先生は辞めたと言って一緒にクラスに入って来た。それで番長みたいに為って居る事に為為って居る事に為った訳です。
詰まり、アメリカはもう警察官でも教師でも無いと、自らが言って居居る訳ですから。自分の立ち位置や置かれた環境を好く考えた上で行動しないと、アメリカに付いてさえすれば安全だという時代では無いです。
・・・そう云う意味では言論の重要性が在りますよね。実はこうで在ったと記録して行く事です。それに依って、曇りガラスが晴れて来る様に視界が開けて来ます。
そうですね「無意味な戦争だった」と云うのは簡単なんだけれども、無意味な戦争が引き起こした混乱と云うのは、一体どんなものだったのかと云云う事を、アメリカは、そしてアメリカを支持した日本人はモット深刻に受け止めなくちゃいけ無いと思うんですよ。
結局、イラクを攻め落として空白状態が生まれた為に、シーア派中心の政権作りに為って(イスラム主義の過激派組織)「イスラム国」が生まれた訳です。
・・・アメリカは、自分で原因を作って居る面があります。シリアの内戦はそれに関連しているわけですから。
※シリア内戦とは 2011年以降、中東諸国で広がった民衆化運動「アラブの春」が独裁政権が続いて居たシリアにも波及。政府側と抗議デモを行った市民側との対立が内戦に発展した。米国、トルコ、サウジアラビア等が反体制派を支持し、イラン、ロシア、中国がシリア政府を支援。2013年頃からは「イスラム国」などの過激派組織が台頭し、紛争は更に泥沼化して行った。(参考「国境なき医師団」)
中東を無茶苦茶にして、混乱に陥れたと云う点では・・・アフガンの戦争もそうですね。最初は1979年から89年迄旧ソ連が支配をして、それを脅かす為にCIAがパキスタンの難民キャンプからムジャヒディンに資金や武器を提供して居た訳です。1989年にソ連がアフガニスタンから撤兵すると、アメリカはCIAの支局長を帰させて放置した訳です。
※ムジャヒディンとは イスラム自由戦士.アフガニスタンで社会主義政権の政府軍や旧ソ連軍と戦った反政府ゲリラ
アフガニスタンでは92年から94年迄諸派が分裂して、ムジャヒディン同士が内戦を起こしました。その混乱を制定する為に出て来たのがタリバンです。最初は、戦争よりも平和に為って居るのだから好いと、皆がタリバンを歓迎したんですね。
処が、やがてソコにアルカイダが入って来て(アフガニスタンを)訓練基地にしたり出撃基地にして、9.11テロに繋がった訳でしょう。フセインだって、最初はアメリカが支援して居居る訳ですから。同じ事を遣って居るんです。
※イラク・フセイン大統領とアメリカ イラン・イラク戦争(1980〜88年)で、アメリカはフセイン大統領下のイラクを軍事支援。1990年、イラクがクウェートに侵攻すると、アメリカは国連安保理の決議に基づき多国籍軍を編制、1991年1月、イラク攻撃に踏み切って湾岸戦争が勃発。 2003年3月、アメリカはイギリス等と共にイラク攻撃を開始した。徹底的な空爆と地上軍の侵攻により4月9日、首都バグダッドを制圧、フセイン体制は崩壊。フセイン大統領は、03年12月拘束され、2006年12月に処刑。(NHKアーカイブス等)
アフガニスタンを見捨て無い
・・・アフガニスタンの今後なのですが、欧州の課題としてはアフガン難民の受け入れが1つあるかと思います。
此処でアフガンを見捨てると、同じ事の繰り返しに為りますから、色々な形で、国が以前の様に戻ら無い様に、プレッシャーを掛け続けないといけ無いですよね。その為には、タリバン政権を認めるか認め無いのかという最終的な問題に行き着きますけれども、承認を急ぐのでは無く、タリバンも国際的にどんな姿勢を取るのかを見極めながら、こう云う条件でこれがレッドラインだからここを守ら無ければ国際社会は認め無いと。そこで国際連携を確りして置かないといけ無いです。
アフガニスタンの周辺には影響が及ぶ国が一杯在りますから。中国、中央アジア3カ国、イラン、パキスタン。そうした国の国際協調と云うか、少なくとも連携が無いと枠組みを作らないと、タリバンは元々の原理主義が出てしまって国民を犠牲にしてでも、自分達の主義主張を貫こうとする専制体制に為ります。女性を今迄通り差別するとか。元に戻る危険性が物凄く高いです。
・・・アメリカが教師でも無く警察官でも無いと宣言した今、国際的な協調の枠組みが未だ見えて来ませんね。
只、中国が新彊(しんきょう)ウイグル自治区を抱えて居て、ロシアも、国は別に為りましたけれども、中央アジアから来るイスラム勢力が分離独立運動を起こしたり、テロを起こしたりと云う可成り深刻な問題を抱えて居居る訳です。
アメリカも、これだけ地理的に離れて居て遠いんだけれども、国際テロ組織の被害を受ける可能性が非常に高い。少なくとも、米ロ中が深刻な問題を抱えて居て関心が在在る訳です。それが大きな一つのテコに為為る訳です。
パキスタンが自分達の後背地を作りたい為にタリバンを養成したんです。最初は、殆どパキスタンの軍統合情報局(ISI)が作った様な勢力だったんです。カシミール紛争を抱えて居てインドと対立して居るから、イザと云う時にアフガニスタンに親パキスタン勢力を作って置きたいと思った訳です。
※カシミール紛争とは パキスタン北部とインド北西部に跨るカシミール地方の帰属を巡る、1947年以来のインドとパキスタンとの紛争。
ソコの支援を断ち切ら無い限り、タリバンが勢力を握って同じ様な事を遣る。インドに取っても脅威に為る訳ですから。或る意味では皆関わって居るんです。
・・・バイデン米政権はリードして行く、と云う感じでは無いですね。
そうですよね。今回のアフガニスタンからの駐留軍の撤収の例を見てもそうですし。アメリカからすれば、対ロ戦争から対中と云うライバルへのシフトと云う事に為り、資源等全てを注込ま無ければ為ら無いと。だから何時までもアフガニスタンに関わり在っては要られ無いと云云う事です。
只、中国が今後の経済力や影響力を伸ばす為の最大の戦略として居る「一帯一路構想」ですが、これはアフガンが一番の中枢ですから。シルクロードの昔から、中国とヨーロッパを結ぶ影響圏はアフガンを通らざるを得無い訳です。そう云う意味で、中国は何としてでもアフガンに影響力を及ぼしたいと思って居る。
だけど、アフガンでタリバンが原理主義に為った場合にそれが跳ね返って来て、新疆ウイグルの分離・自治・独立問題に火を点けるんじゃ無いかと云云う事を同時に警戒して居る。アメリカが対中国にシフトすると云うのだったら、もっとアフガンのこれからの政治・外交問題に真剣に取り組むべきなんです。
・・・アメリカは、他国を破壊した後の事は考え無いのでしょうか。
少なくとも、ブッシュ政権(在職2001〜2009年)迄はそうです。湾岸戦争からの30年間、何が違うかと云うと、今は無人攻撃機・ドローンが増えて来て、将来はロボットに為って行きますが、これで攻撃をする様に為って来ました。自分のフットプリント(足跡)を残さ無い戦術に変わって来て居る。
もう1つは、医療技術の進展で死な無くても済んだ米兵が沢山居る。でも、負傷した兵士の大半は障害を負って居ます。ブラウン米大学の、戦費がこれだけに上ったと云うのは、一生涯、傷病兵達を治療や療養に費やすお金を積み上げて居るんです。
死者は減って居るんだけれど、負傷者は物凄い数が居る。その負担がアメリカでも、国内的負担として目に見えて居る訳です。「攻撃して破壊して、後はサッと撤収する」と云うのではもう立ち行か無く為って来た。そこに今の戦争の現実が在る訳で、それはアメリカ人も気が付いて居居る訳です。
「正義を実現したから、良かった」と言え無く為って居る。余りにも負担が大き過ぎて。(武力攻撃の結果が)ブーメランのように跳ね返って来ている。そういう意味では、オバマ政権(2009〜2017年)以来そうだったと思うんですが、トランプ大統領も意外にも軍事行動に慎重な大統領でしたが、バイデン大統領もその延長線上にあります。
オバマ政権以来、米軍がこう云う風に為って来て居ると云う事が、今の戦争の現実がもたらした結果なんです。ブッシュ(子供)大統領の時の様にアメリカが又軍事力でモノを言わせ無い様にするのかどうかと云うと、それが出来難く為って居る。それが現実なんだと思います。
・・・戦争や紛争での心の面を含めた傷が政策レベル迄上が上がっていけたら、それが歯止めに為る可能性が出て来ますよね。
そうだと思います。テロとの戦争から20年と云う時には、そのテーマ抜きには語れ無いです。詰まり、アメリカが間違った戦争をしたとか、根拠が無い戦争理由に基づいて遣ったと云う、アメリカやイギリスを責めるだけじゃ無くて、その後如何に大きな混乱をもたらして、今の中東の混乱をアフガンの混乱をもたらして居るのかと云う事を踏まえた上で、ジャア、これからどうするんだと。
この20年の戦略の失敗を認めた上で、これからどうするのかと云う事を考える1つの材料にすると云う事です。
・・・過去から学ぶ為には、何が起きたかを知らないと。
それも、この20年を見るだけじゃ無くて、戦後、或いはもっと早く言うと19世紀位から・・・・
・・・19世紀以降、アフガニスタンは大国に何度も侵略されて来ました。アフガニスタンの国民の事を考えた人が殆ど居なかった。今後も追って行きたいと思っています。
小林さんは(イラク戦争を総括的に検証した)チルコット委員会の話も含めて物凄く詳しく書かれて来ました。(「英国で260万語のイラク戦争検証報告書、発表へ」朝日新聞「論座」2016年6月23日他)
それは、物凄く大事な仕事なんです。日本は、アノ戦争の事を殆ど覚えて居る人が居ない位の感じですよね。でも、ヤッパリ、きちんと検証して居る人達が居るんだと。結局、ブレアはイラク戦争の件で引退させられた訳ですよ。
・・・本当に「違法な戦争」と言われ国内で大規模な反戦運動が起きたイラク戦争をブッシュ米大統領と共に主導して行っ事は重かったですね。開戦理由と為った情報の信ぴょう性が低かった事も致命的で「嘘つき」と云う仇名が付きましたから。2005年の総選挙で労働党は勝利しブレアは3期目の政権を確保しましたが、イラク戦争への批判票も大きく為り、大幅に議席数を減らしました。2007年、ブラウン財務相に党首の座を譲りました。
言論が如何に大事か、民主主義がどんなに厳しいものかと云う事が教えて呉れる手本でしょうね。日本は明治維新来、ズッとイギリスを先生として頼んで来て居る訳ですから、途中ドイツに行ったり戦後はアメリカに行ったりしましたけれども、ヤッパリ、イギリスから学ぶ事が凄く大事な事だと思います。
・・・イギリスでは戦争が議論に好く上ります。第2次世界大戦の体験を確りと覚えて居る人が多いです。
イギリスは、ミュンヘン宥和政策に傾いてヒットラーの台頭を許した。アノ時、王室を含めて親ドイツ派が一杯居ました。
※宥和策とは 現状を打破しようとして強硬な態度を執る国に対して譲歩する事で摩擦を回避して行く外交政策。ナチス・ドイツの要求を認めたミュンヘン会談がその典型。
※ミュンヘン会談とは 1938年 ミュンヘンで開かれたドイツ・イギリス・フランス・イタリアの首脳会談。ヒトラーの要求を入れてチェコスロバキアのズデーテン地方のドイツへの割譲を決めた。イギリス側の対独宥和 (ゆうわ) 政策の頂点を示すとされる。
・・・そうナンです。新聞界・エリート層がナチス・ドイツと非常に親しい関係に在りました。
それを書いたのがカズオ・イシグロさんの小説(『日の名残り』)でした。イギリスのタブーです。
※『日の名残り』とは 1989年出版の小説。執事スティーブンスが小旅行をしながら昔の事を思い出す。彼の元主人は第二次大戦前の対独宥和主義者。1993年に映画化。
第2次大戦と云うのはイギリスに取っては、物凄い惨い戦争で、アノ時に宥和政策を取ったが為に、結局こう云う結果に為ってしまった。そこを耐え忍んで最後迄屈しなかった。それが歴史的な体験に為って為って居ますから。結局、イギリスは、アフガン戦争には負けましたけれど、戦争で負けた事が無い国でしょう。
・・・そうなんです。スエズ動乱の時に出兵して・・・
※スエズ動乱とは 1956年にエジプト・スエズ運河の管理等を巡って発生した武力紛争。英・米両国がアスワン・ハイダム建設援助計画を撤回した事を機に,エジプトのナセル大統領はスエズ運河国有化を宣言した。
これに反対して英・仏・イスラエルが出兵したが,国連の停戦決議やソ連の警告等国際世論に押され 1957年完全撤兵した。(コトバンク他)スエズ事件を通じて「国際情勢を意のママに操作出来る大国」と云う英国支配層が持つ自画像は崩れ去ったと言われて居る。英国の外交上の最大の失敗の1つ。
・・・大失敗しました。アノ時から、国際的信頼感を失ってしまいました。大英帝国の没落ですね。
英上院議員から直接聞いたんですけど、その時に、イギリスは教訓を引き出したと。アメリカ抜きでは一切軍事行動はしないと。フランスも教訓を引き出した。アメリカとは一切軍事行動を共にしない。(イラク戦争開戦前に)ブレア首相が、見境無く「アメリカと一緒に遣ら無ければイギリスは持た無い」と。しかも、仏独がEUの中で、これだけ開戦反対で強行になって居るのに、イギリスのプレゼンスを見せるにはもう開戦するしか無い、とブレアが思う訳です。
99年のコソボ紛争の時もそうだった2003年も。彼は政治家の本能としては、物凄く勘の鋭い人だけれど、正かアメリカが根拠も無無しにイラク侵攻をするとは思って居居なかった訳です。
※コソボ紛争とは コソボは旧ユーゴスラビア連邦時代のセルビア共和国の自治州だった。1989年に共和国側が自治権を縮小し、90年代に連邦治安部隊とゲリラ組織「コソボ解放軍」を中心とするアルバニア系住民との武装衝突に発展した。99年、北大西洋条約機構(NATO)軍の空爆で治安部隊は撤退した。
ブレア英首相はNATOの軍事介入を主導し、民族浄化や独裁国家の人権弾圧に対し国際社会が積極的に介入すべきだと云う「人道介入主義」を提唱した。その後、コソボ独立への協議は難航し、2008年2月、コソボ共和国として一方的に独立を宣言した(朝日新聞デジタル、コトバンク他)
・・・もしブレア首相がブッシュ大統領に賛同して居なかったら、果たしてイラク戦争は開戦と為ったのかどうかと想像するのですが。
アメリカが、自分達が攻撃された時に、如何に感情的に攻撃的に為るのかと云う事をブレア氏は読み切れて居なかった。正か此処迄無謀な事をする訳が無いと。そう云う信頼関係に頼ってしまった。それで間違ったんでしょう。
当時、アメリカから英国の戦略研究所に移った人が居て、彼と話をしたら「アメリカ人がコンナに嫌われて居る事を、コッチに来て初めて知った」と。自分達が世界だと思って居るので(判ら無い)ヨーロッパ人が、アメリカ人に対して「何だ、アノ行動は」と思って居居る事に敏感じゃ無いんですよ鈍感なんですよ。
・・・不思議ですね。大使館も世界中に或るのに。聞いても、耳を通り過ぎて居るのかも知れません。ブッシュ政権の場合は、自分に政治的に近い人を大使にして居ます。自分が親しい馬主をロンドンの大使にしたり、自分が経営して居た球団の共同経営者を大使にしたり。そう云う人事を遣って居ますから、真面な事が出来無い訳です。如何にジャーナリズムが大事かと云云う事です。
詰詰まり、ジャーナリズムと云うのはセンサーですから。アメリカと一緒に為って、現地の様子を伝え無いで居たら同じニュースが循環して、結局、外務省の本省が大使館から上がって来る情報を見て、新聞を見て同じことを言って居たらチェックのしようが無い。
嫌、現地の様子は違うんだと。大使館はこう云う風に見て居るけれども、現地の政府は或いは現地のメディアはこう考えて居る、と。それを取って来て、チェックするのが外国に居るジャーナリストの役割です。センサーですよ。
※外岡秀俊氏とは ジャーナリスト 北海道大学公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員 東京大学法学部在学中に 石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞 77年朝日新聞社に入社 ニューヨーク特派員 編集委員 ヨーロッパ総局長などを経て東京本社編集局長 同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開 『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)等のジャーナリストとしての著書の他に、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)等も発表して居る 最新刊『価値変容する世界』(朝日新聞出版) 翻訳書、ジョン・ダワー著『忘却のしかた、記憶のしかた 日本・アメリカ・戦争』(岩波書店)
ウェブサイト「JCastニュース」で「外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」を連載中 第44回目「タリバン政権のアフガンは再び震源地になるのか」では「アフガンの民主体制作りに携わった国連の元政務官・川端清隆福岡女学院大特命教授にインタビュー
※小林恭子 ジャーナリスト 英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆 最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 −一次資料の宝石箱」本のフェイスブック・ページは https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)「欧州事情」(「メディア展望」)「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)『英国メディア史』(中央公論新社)『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)
〜管理人のひとこと〜
昨今のNHKを初めとしたマスコミ・報道機関の信頼は、どの様に保たれて居るかは大いに疑問を持つものだろう。特に従来の様な信頼は大いに失せ、読者の多くは自分で信頼性の高い対象を選択する・・・それは単にニュースだけで無くお笑いや芸能を含めたアラユル情報を得ようと能動的に行動している。しかし、民間TVを含めた朝日・毎日等の従来からの大手報道機関にはそれ為りの使命が在る筈だ。
先ずはNHKの存在自体を問題に掲げる報道機関がもう少し出ても好いのでは無かろうか・・・税金の様に国民から視聴料を徴収する・・・これが果たして憲法で許されて居るのだろうか? 大い疑問なのだが、他のマスコミとの不平等さを放置して居る。膨大な予算で膨大な組織を維持し業界に君臨する姿は、果たして何時迄許されるのだろう。新たな政府には、この問題にもメスを入れて頂きたい。
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