アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2022年02月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28          
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
ヨリちゃんさんの画像
ヨリちゃん
プロフィール

広告

posted by fanblog

2021年09月21日

日本史・・・日本人の「完成」は古墳時代だった?




 日本史・・・日本人の「完成」は古墳時代だった? 

 DNAを分析しルーツに新説



 9-18-2.png  9/18(土) 3:00配信 9-18-2



    9-18-1.jpg

 古墳人の男性の復顔像 群馬県渋川市の金井東裏遺跡で出土した頭蓋骨(ずがいこつ)から復元された 群馬県立歴史博物館提供 9-18-1・・・確かに西洋人とは全く異なる骨格と容貌を持って居ると感動する。独特な東洋人の風貌なのだろうが、今とは余りにも懸け離れて居ると感ずるのは私だけだろうか・・・


 金沢市で見付かった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人には無く現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見付かった。日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だが、更に大陸からの渡来が進んだ〔古墳時代〕に為って古墳人が登場した事で、現代に繋がる祖先集団が初めて誕生した事を示唆して居る。


         9-21-30.jpg

                    埴原和郎氏


 金沢大や鳥取大等の国際研究チームが18日、米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表する。日本人の起源は、列島に住み着いて居た縄文人に、大陸からの渡来集団が混血して弥生人と為り、現代の日本人に繋がったとする〔二重構造モデル〕が定説とされて来た。1991年に東大名誉教授だった埴原和郎氏が唱えた。  
 研究チームは、約9千年前の縄文人や約1500年前の古墳人等計12体のDNAを解読。既に解読済みの弥生人2体のデータ等と比較した。親から子に遺伝情報が受け継がれる際に生じる僅かな違いの痕跡から、ドノ集団が遺伝的に近いのかを調べた。  

 その結果、弥生人は中国東北部の遼河流域(りょうがりゅういき)等北東アジアで多く見られる等の伝的な特徴を持ち、縄文人と混血して居る事も確認出来た。一方、古墳人は、弥生人が持って居ない東アジア人に多く見られる特徴を持って居た。更に、現代日本人と遺伝的な特徴がホボ一致する事も判明した。

 ■大陸からの移住 新技術持って次々に?  

 大陸からの渡来人の大規模な移住は、約3千年前の弥生時代に遡(さかのぼ)る。研究チームは、それ以降も漢民族等の集団が次々に渡来し、織物や土木等の新技術を伝えて古墳時代を築き、現代の日本人に繋がって行ったと観て居る。 古墳時代は〔3世紀後半〜7世紀〕に掛けて続き、弥生時代末頃には邪馬台国が栄えたとされる。
 今回分析出来た古墳人の骨は、金沢市で発掘された3体に留まる。新説を裏付けるには更に分析数を増やす必要が在ると云う。


        9-21-31.jpg


 研究チームの金沢大古代文明・文化資源学研究センターの覚張(がくはり)隆史助教(考古科学)は「日本人が縄文・弥生・古墳の三つの祖先集団から為る事を示す初めての証拠だ。今後、他の古墳人や弥生人のゲノムを広く調べる事で、日本人の起源の謎に迫って行きたい」と話して居る。  


            9-21-32.jpg

             日本民族の永遠の母親像なのか・・・


 論文は以下のサイト(https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419)から読む事が出来る。(石倉徹也)

 ■古墳時代とは・・・大和政権が支配し 各地に前方後円墳  

 縄文・弥生に続く〔3世紀後半〜7世紀迄〕の時代。 農耕技術の発展や武器の普及等に依り権力や富みが集中して階級社会が生まれ、大和地方を中心とする大和政権が成立。指導者達を葬った巨大な前方後円墳が各地に造られ武具や鏡等が副葬された。
 邪馬台国の女王〔卑弥呼〕の墓との説も在る箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)や、世界文化遺産の大山古墳(伝仁徳天皇陵・堺市)も有名だ。


 朝日新聞社


 〜管理人のひとこと〜

 歴史・・・歴史の研究を趣味とする人達は可成りの人数を数えるだろう。何処かで何かの遺跡が発掘されると、その発表会には全国から〔歴史マニア〕が相当数集まり大変に混雑する・・・その様なニュースが好くTVに流される。
 しかし、日本史の一番面倒で覚え辛いのが石器時代・縄文時代・弥生時代と来て大和時代の間に挟まる様にして存在する〔古墳時代〕で在る。この時代の詳細と時代の流れの中での存在理由の乏しさに霞んでしまうのだ。
これは、天皇の出現の今一つ不鮮明な説明とも似て居て、何だかボンヤリとした霞の中に浮遊して居る。

 我が国で歴史を学ばされる殆どの生徒は、日本史をこの辺りで興味を失う事に為る。それを我慢し、源平の戦う平安時代末期からの〔躍動する武士の時代〕へと解放される。鎌倉時代には今迄我慢して来た鬱憤をヤット晴らす様にだ。
 奈良時代から平安時代初期の、皇室を中心とする騒動や反乱・・・この小さな争いが集中する余りにも無意味で遣る瀬無い堕落した貴族の時代が続くと、自然に天皇の存在そのものへの不信感が植え着けられる。西洋で云う「無気力なキリスト教支配政治・暗黒時代」とも云うべき国王と教皇の支配を争そう灰色の時代だ。この様な永い無気力な貴族政治がどれ程続いた事だろう・・・日本の風土には合わ無かったのか、明治時代に天皇親政を口で唄った政府が出現したが、その実態は薩長の藩閥政治の傀儡に過ぎず、体の好い政治の道具として使われてしまった過去がある。
















この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10982578
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。