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2020年03月25日

安倍首相 歴代最長政権で何をして来た? 「嘘ばかり内閣」数々の愚策とお友達人事




  安倍首相 歴代最長政権で何をして来た?
 
 「嘘ばかり内閣」数々の愚策とお友達人事


              〜週刊女性PRIME 3/25(水) 11:00配信〜


       3-25-20.jpg

    2003年党幹事長時代に『週刊女性』の取材に応じた安倍首相 今と表情が全然違う

 「7年間と云う長期政権で安倍さんは権力を持ち過ぎてしまった。安倍さんを守る為に官僚も大臣も平気で嘘を着き、国民では無く安倍さんの為の政治に為って居る」

       3-25-21.jpg 山井和則衆院議員

 山井和則衆院議員は第2次安倍政権をそう批判する。通算すると歴代最長の長期政権と為り、権力を恐れる周囲は忖度をして行く。その様子をマルで戦前の日本だと評する人も居るが、この異常な状況は何時から始まったのか。アベノミクスならぬ安倍の愚策を振り返る。.

 次から次へと政策の看板を掛け替える

 「安倍さんは20年に渉るデフレからの脱却を至上命題として掲げ、コレを実現する為に金融緩和・財政出動・成長戦略と云う三本の矢を打ち出しました。株価が上昇して一見、成功して居る様に見えたアベノミクスですが、実際はそんな事はありません。株価対策として年金資金が80兆円以上も使われて居るのです」

 と、ジャーナリストの須田慎一郎さんがアベノミクス成功の目晦(めくら)ましを解説。続けてこう批判する。

           3-25-22.jpg 須田慎一郎さん

 「安倍さん同様に長期政権だった小泉(純一郎)さんは、5年半の任期中に郵政改革を、中曽根(康弘)さんは5年で国鉄民営化、佐藤栄作さんは7年半で沖縄返還を実現しました。政策の好い悪いは置いて於いて、実際に掲げた目標は夫々達成して居ます。ジャア、安倍さんは何をしたの? と云うと標語を発表するばかりで達成出来たのか検証も無いママ次から次へと政策の看板を掛け替えて居るだけ」

 これ迄安倍首相が掲げた標語は《デフレ脱却三本の矢女性活躍地方創生一億総活躍/働き方改革人生100年構想人づくり革命》等と云ったもの。

              3-25-24.jpg 有馬晴海さん

  「ドレも聞き触りの好い言葉ですが、例えば人生100年構想は定年を70歳迄延長して更に年金の普及を遅らせる狙いがあります。
 働き方改革は、電通の新入社員だった女性が長時間労働で自殺した事件や過労死が取り沙汰され急遽出て来たスローガンです。長時間労働の是正や非正規社員の待遇改善が為されるのかと思いきや、現場企業を混乱させただけで9割の企業が働き方改革に成功して居ない(クロスリバー調べ)と答えて居ます」 (政治評論家の有馬晴海さん)


 数の力で押し切り お友達は次々に出世

 「安倍さんがした事で、最も許せ無いのは憲法9条の法解釈を変えて集団的自衛権を合憲とし、自衛隊が専守防衛の枠を超えて武力行使出来る様にした事。戦争に巻き込まれる国に為ったんです。大事な事なのに審議を尽くさず数の力で押し切って行く。正に独裁政治です」

 と、前出の山井議員。そんな独裁は数々の犠牲者を生んで来た。安倍昭恵夫人の関与が囁かれ、国有地が大幅に値引きして売却された森友学園問題。

  籠池夫妻は昭恵さんと出会わ無かったら逮捕され無かった。他にも赤木俊夫さんと云う方が犠牲に。彼は財務省近畿財務局の上席国有財産管理者と云う立場で、文書改ざんを強いられ自殺されました。改ざん前の文書には昭恵夫人の名前が繰り返し出て居るのに、安倍さんが国会で私や妻が関係していると云う事に為れば、間違い無く総理大臣も国会議員も辞めると言い放った事が文書改ざんの引き金です」(山井議員)

 更に52年間どの大学も認められ無かった獣医学部を新設する『国家戦略特区』の指定に着いて官邸の働き賭けが有ったとされる加計学園問題。何れも周囲が安倍首相に忖度し起きた事。何故安倍首相の独裁が続くのか。前出の山井議員

 「安倍さんの意向に逆らう者は冷遇され、従う者は好待遇を受けると云うお友達人事があるからです。例えば、与党内でも安倍さんに批判的だった溝手顕正前参院議員は、同じ選挙区に河井案里議員をブツケられました。河井さんには1億5000万円もの選挙資金が投入され溝手さんは落選。溝手さんを落とした事で夫の河井克行さんは法務大臣に迄出世しました」

 と、お友達優遇人事を批判する。しかも案里議員は、その選挙で公職選挙法違反を疑われ夫は法相を辞任。先日遂に夫妻の秘書が逮捕された。山井議員は続けて、

 「森友問題だって、自殺された赤木さんの上司の佐川局長は出世して居ます。安倍内閣では安倍さんの方を向いて嘘を着けば出世出来るから、皆言い為りに為る。これ迄20年近く議員を務めて居ますが、コンなに嘘ばかりの内閣は初めて!
 お友達議員は、大臣に相応しく無くても次々に出世。口利き問題の甘利明さん、防衛省をアレだけ混乱させた稲田朋美議員も守りました」


 他にもお友達記者の山口敬之氏によるレイプ事件。

           3-25-23.jpg

 「山口氏に逮捕状が出たにも関わらず官邸の鶴の一声で取り下げられたと言われて居ます」(全国紙社会部記者)

 ツイッターで『#安倍辞めろ』がトレンド1位に

 昨年から今年に掛けても、公費の私物化が問題視された桜を見る会問題や、検察幹部の定年延長人事への介入問題等続々と疑惑が。何時まで国民はこの独裁に振り回されるのだろうか。

 「順調に行けば、東京五輪を花道にして来年9月の満期迄首相を務める予定だったと思います。しかしコロナでの対応が後手に廻り反感情は高まるばかり。或る婦人団体は自民党に一刻も早く総理をお辞めに為ってくださいと手紙を出したそうです」(前出の須田さん)

 ツイッターでも『安倍辞めろ』と云うハッシュタグがトレンド1位に為ったが、数時間後には圏外に為ると云う不思議な現象が起きた。「絶対的権力は絶対的に腐敗する」(イギリスの格言)忖度国家に警鐘を鳴らすのにピッタリの言葉だろう。
 
 第2次安倍政権と独裁疑惑の数々

 2012年12月 第2次安倍政権スタート

  2013年12月 特定秘密保護法を強行 国民の知る権利が脅かされる事に
  2015年3月 安倍政権を批判して居た元経産省の古賀茂明氏はレギュラー出演して居た『報道ステーション』を降板させられたとし、自身の最終出演回に「I am not ABE(私は安倍首相ではない)」と書いた手製のパネルを掲げた
      6月 安倍首相の元番記者の山口敬之・元TBSワシントン支局長に出されて居た準強姦逮捕状を握り潰す(伊藤詩織さんレイプ事件)
      9月 集団的自衛権の一部行使容認を含む安全保障関連法が成立
  2017年2月 国有地売却を巡る森友学園問題が発覚 首相の妻・安倍昭恵氏の関与が焦点に
      5月 獣医学部新設を巡る加計学園問題で「総理のご意向」文書が発覚
      6月 共謀罪法を強行
  2018年3月 森友問題で財務省の公文書改ざんが発覚
      12月 沖縄・辺野古への米軍新基地建設で埋め立てを強行
  2019年7月 衆院選で改憲勢力3分の2を割るも与党過半数を維持 安倍首相に批判的な事を言った一般人が複数の警察官に取り囲まれる事態に
      11月 桜を見る会問題が発覚 2016年当時に安倍首相の元秘書の子息とトラブルを起こした相手が暴行容疑で逮捕されて居た事が発覚(通常なら口頭注意で済む様なケンカだったと言われる)
  2020年2月 従来の法解釈を変更し、東京高検の黒川検事長の定年を半年延長 官邸に近い黒川氏を次の検事総長にする為!?
      3月 コロナで小中学校一斉休校要請 新型コロナ対策特別措置法施行


                     以上










  「8億円値引きは問題だった」森友事件 

 近畿財務局 「売買担当者」が赤木さん妻に告白


             〜文春オンライン 3/25(水) 16:00配信〜


          3-25-25.jpg

                安倍首相 コピーライトマーク共同通信社
 
 森友学園を巡る財務省の公文書改ざん事件に関連し、2018年3月7日に自ら命を絶った財務省近畿財務局管財部上席国有財産管理官・赤木俊夫さん(享年54)その直属の上司だった池田靖・同統括国有財産管理官(当時)が、森友学園への国有地の大幅値引き売却に付いて、これ迄の財務省の説明と異なる、新たな証言をして居た事が判明した。

 昨年3月、赤木俊夫さんの一周忌の直後に池田氏が赤木さん宅を訪れた際、俊夫さんの妻・昌子さん(仮名)に国有地売却の詳細を打ち明けて居た。今回、大阪日日新聞記者・相澤冬樹氏が昌子さんから詳細な記録の提供を受け、新たな重要証言を把握した。

 森友学園は2016年、評価額約9億5600万円の国有地を、約1億3400万円で購入。3メートル以深の地中から新たにゴミが見付かった為、その撤去費用等として約8億2000万円を値引きした・・・とこれ迄財務省は説明して来た。
 だが、池田氏は昌子さんに対し「ドレだけ費用が掛かって、ドレだけ売却価格から引か無ければ為ら無いかと云う事を、自分達は最後迄調べ様と努力したが、国交省の大阪航空局(問題の土地の管理者)は動か無かった」「この8億の算出に問題が有る訳なんです。確実に撤去する費用が8億に為ると云う確信と云うか、確証が取れて居ない」等と明かした。

 当時、背任容疑に付いて捜査した大阪地検特捜部は、値引きの根拠と為ったゴミ撤去費の算出が不適正だと認定するのは困難として不起訴にし捜査は終結した。
 財務省に尋ねると、広報室より「地下埋設物の撤去・処分費用に付いては、当時検証可能なアラユル材料を用いて見積りを実施したものであり、これ迄も国会で説明して居る通りです」と回答があった。
 だが、近畿財務局の売買を担当した職員も、8億円値引きに根拠が無く問題と発言して居た事が明らかに為った事で、今後、真相解明を求める声が高まりそうだ。

 3月26日(木)発売の「週刊文春」では、森友事件の核心である国有地格安払い下げに迫りつつ、赤木さんが遺して居た公文書改ざんの詳細なファイル・森友事件に関わった官僚達のその後、昌子さんの墓参の様子や俊夫さんの生前の新たな写真・各界有識者が赤木さんの手記をどう読んだか等、グラビア含め計11ページに渉って詳報する。


     「週刊文春」編集部 週刊文春 2020年4月2日号   以上










 「全て佐川局長の指示です」

 森友問題で自殺した財務省職員が遺した改ざんの経緯
 【森友スクープ全文公開】

          〜文春オンライン 3/25(水) 16:00配信〜


          3-25-26.jpg

      「私や妻が関わって居れば首相も議員も辞める」と言った安倍首相

 〜「週刊文春」2020年3月26日号 に掲載された大阪日日新聞記者・相澤冬樹氏による記事「森友自殺〈財務省〉職員遺書全文公開 『すべて佐川局長の指示です』」が大きな反響を呼んで居る。
 「週刊文春」編集部は完売により記事が読め無い状況を鑑み、文春オンラインで全文公開する。真面目な公務員だった赤木俊夫さんに何が起きて居たのか。森友問題の「真実」が此処に有る〜


                     ◆ ◆ ◆

 出典「週刊文春」2020年3月26日号

 2年前の3月7日、近畿財務局職員・赤木俊夫氏(54)が自ら命を絶った。安倍昭恵夫人が関与する小学校への国有地格安払い下げが国会で問題と為る中、起きた決裁文書の改ざん事件。
 真面目な公務員は、何故公文書を改ざんし、そして死を選ば無ければ為ら無かったのか。「財務省が真実に反する虚偽の答弁を貫いて居る」「最後は下部がしっぽを切られる」A4で7枚の痛切な「手記」やメモには、その経緯が克明に綴られて居た。「隠蔽の安倍政権」の真実が遂に明らかに・・・

 文 相澤冬樹 大阪日日新聞記者

 森友問題

 佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれ程社会問題を招き、それにNOを誰れも言わ無い
これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ、手がふるえる、恐い 命 大切な命 終止府(ママ)


 ノートに走り書きされたこの短い文章は、財務省近畿財務局管財部の上席国有財産管理官だった赤木俊夫さん(享年54)が死の直前に書き残したもの。「手がふるえる」と云う箇所に下線が引いて有る。実際、文字も震えて居る様に見える。

 闇に隠れ、世間から忘れられて行った「手記」
 
 赤木さんは、世を騒がせた森友事件の公文書改ざんを上司に強要され自ら命を絶った。2018年(平成30年)3月7日の事だ。彼が何かを書き遺した様だと云う話は当時から在った。しかし、厳しい情報統制が敷かれて詳しい内容は判らず、死を選ぶに至った事情は闇に隠れたママ、世間から忘れられて行った。

 処が実は、彼の自宅のパソコンには「手記」と題した詳細な文書が遺されて居たのだ。A4で、7枚。そこには、近畿財務局で密かに行われた驚くべき出来事が克明に綴られていた。
 私がこの「手記」を初めて目にしたのは、赤木さんが亡く為って半年余りが経った11月27日の事だった。大阪・梅田の喫茶店。そこで私は赤木俊夫さんの妻、昌子さん(仮名)と初めてお会いした。NHKで森友事件を取材して居た私が、記者を外されNHKを辞めた事を何処かの記事で知り、会いたいと云う話だった。

 「 コレ、見たいですよね?」 

 私は昌子さんを取材した事は無かったが、NHK時代に同僚記者から「取材を避けて居る」と聞いて居た。又事前に昌子さんから「質問には答えられ無いと思います。マスコミと職場(注・夫の職場、近畿財務局)がトテモ恐いです。そこを理解して下さい」と伝えられて居たので、直ぐに取材には為ら無いだろうと考えて居た。

 処が昌子さんは挨拶を交わして間も無く、カバンから数枚の紙を取り出した。 「コレ、見たいですよね?」それが俊夫さんの「手記」だった。
 存在は語られて居たが記者は誰も目にした事が無く、詳細が判って居なかった「手記」それが今、目の前に有る。コンな時、記者は興奮を抑えられ無い。少なくとも私はそうだった。

 私は声に出して文書を読みながら「この部分、凄いですねえ。こんな事が書いて有りますよ」と昌子さんに語り掛けた。昌子さんが周囲を気にして「声が大き過ぎます」と注意する程。
 ザッと読んだだけで内容の重大性は好く判った。 「これ、コピーを取らせて頂く事は出来ませんか?」「駄目です」「写真は?メモは?」「どれも駄目です。目で見て覚えてください」最後に昌子さんは「手記」を仕舞うと「コレは記事にし無いでくださいね。相澤さんに裏切られたら私は死にます」と言い残して去った。

 昌子さんは「手記」を託し、夫の後を追う積りだった
 
 大分後にご本人から聞いたのだが、実はこの時、昌子さんは夫が遺した「手記」を私に託して、そのママ夫の後を追う積りだったそうだ。処が興奮する私の様子を見て「手記」を託すのを辞め、同時に命を絶つのも辞めた。詰り私は重要文書入手と云う記者の仕事をシクジッタのだが、知らぬ間に昌子さんが自死を思い留まると云う怪我の功名をあげていた事に為る。人生何が幸いするか判らない。

 当時、私は『 安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由 』と云う本を文藝春秋から出す直前で、発売日に合わせて12月13日発売の週刊文春で関連記事を書く事に為って居た。赤木俊夫さんの「手記」の話を聞いて文春編集部は色めき立った。「それは凄い。何としても出したい。ビッグニュースに為ります」
 その通りだが、私は無理だろうと感じて居た。「出したら死ぬ」と情報提供者が話して居るものを無断で出す訳にはいか無い。そして昌子さんがそう直ぐに考えを変えて公表に同意するとも思え無かった。

 誠意の無い態度で 亡き夫の職場への気持ちが変化

 それから1年4カ月。今年3月7日に俊夫さんの3回忌を迎え法要が無事終わった。詳しくは後述するが、この間、財務省と近畿財務局は、昌子さんに誠意の無い態度を繰り返した。亡き夫の職場を大切に思って居た昌子さんの気持ちも大きく変化した。
 こうして昌子さんは俊夫さんの「手記」の公開を決意するに至った。今、初めて世に出るその内容を詳しく見て行こう。そして、俊夫さんが死に追い込まれた状況・死後に昌子さんが味わった苦しみと悲しみを多くの方に知って頂きたい。



 




 訴訟までの経緯と解説

 ・・・以下《》部分は赤木氏の手記からの抜粋 適宜省略し注釈を加えた ★リンク別記事★にて手記の全文を掲載する。

 《私は、昨年(平成29年)2月から7月までの半年間、これまで経験したことがないほど異例な事案を担当し(中略)強度なストレスが蓄積し、心身に支障が生じ、平成29年7月から病気休暇(休職)に至りました。これまで経験したことがない異例な事案とは、今も世間を賑わせている「森友学園への国有地売却問題」です。
 今も事案を長期化・複雑化させているのは、財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いていることが最大の原因でありますし、この対応に心身ともに痛み苦しんでいます》


 此処で書かれて居る「森友学園への国有地売却問題」が明るみに出たのは3年前の17年2月8日。コノ国有地だけ売却価格が明らかにされ無い事を不審に思った地元・大阪府豊中市の木村真市議が、情報公開を求め裁判を起こしたのが切っ掛けだった。コノ国有地には森友学園の新設小学校が建つ予定で、その名誉校長には、安倍晋三首相の妻、昭恵さんが就任して居た。
 翌日、朝日新聞がコノ問題を大きく報じた事で国会で火が点いた。野党の追及に財務省は、鑑定価格9億円余の土地を8億円以上も値引きして売却して居た事実を明かした。

 ターニングポイントは首相答弁

 ターニングポイントと為ったのは2月17日だ。この日、国会で昭恵夫人の国有地取引等への関与を追及された安倍首相は、こう言い切った。

 「私や妻が関係して居ると云う事に為れば、間違い無く総理大臣も国会議員も辞めると云う事は、ハッキリ申し上げて置きたい。全く関係無い」
 
 7日後の24日には、財務省の佐川宣寿理財局長(当時)が国会で「交渉記録は無い」「売買契約締結をもって事案は終了、速やかに廃棄した」等と答弁。実際には、国有地取引の経緯を記した改ざん前の公文書には「安倍昭恵首相夫人」の名前が繰り返し記されて居た。

 手記が記す改ざんの経緯「全て、佐川理財局長の指示です」

 その2日後、これ等公文書の改ざんが始まった。「手記」はその状況をリアルに記して居る。◇

 《元は、すべて、佐川理財局長の指示です。(中略)学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するよう指示があったと聞きました。佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました。
 第一回目は昨年2月26日(日)のことです。当日15時30分頃、出勤していた池田靖統括官(注・赤木俊夫さんの直属の上司で、問題の国有地取引の実質的責任者)から本省の指示の作業が多いので、手伝って欲しいとの連絡を受け、役所に出勤(16時30分頃登庁)するよう指示がありました》


 「池田統括が困って居るから、僕助けに行くわ」

 この日の事を妻の昌子さんは今もハッキリ覚えて居る。日曜日で、赤木さん夫婦は昌子さんの母親と共に自宅近くの梅林公園を訪れて居た。その時、俊夫さんの携帯が鳴った。通話の後、俊夫さんは「池田統括が困って居るから、僕助けに行くわ」と言い残し職場に向かった。
 昌子さんは語る。「トシくん(昌子さんは夫の俊夫さんをこう呼ぶ)は池田さんより年上だけど、池田さんの事を尊敬して居て本当に好きでした。だから『助けに行く』と聞いても疑問に思いませんでした。正かあんな事をさせられる為に呼ばれたとは・・・トシくんも職場に行く迄知ら無かったんでしょうね」
 
 この日、俊夫さんは割と早く帰って来たと云う。後に改ざんが発覚した時、俊夫さんは昌子さんに「あの日は(抵抗する)時間が無いから遣ってしまったんや」と話して居たそうだ。しかし俊夫さんが亡く為った後、弔問に訪れた池田靖統括国有財産管理官は「彼は一回目から(改ざんに)抵抗して居た」と明かし「自分が遣ろうと思ったけど手が回ら無かった。自分が遣れば好かった」と悔やんだと云う。処が、改ざんは一回では済ま無かった。


 《あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行った》
 《その後の3月7日頃にも、修正作業の指示が複数回あり現場として私はこれに相当抵抗しました。(注・近畿財務局の)楠管財部長に報告し、当初は応じるなとの指示でしたが、本省理財局中村総務課長をはじめ田村(注・嘉啓)国有財産審理室長などから楠部長に直接電話があり、応じることはやむを得ないとし、美並近畿財務局長に報告したと承知しています。
 美並局長は、本件に関して全責任を負うとの発言があったと楠部長から聞きました。(中略)本省からの出向組の(注・管財部の)小西次長は「元の調書が書き過ぎているんだよ」と調書の修正を悪いこととも思わず、本省杉田補佐の指示に従い、あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行ったのです。(大阪地検特捜部はこの事実関係をすべて知っています)》


 この記載から以下の事が判る。

 現場の赤木俊夫さんは不正な改ざんに反対した。
 それに上司の楠敏志管財部長も一旦は同調した。
 しかし財務省理財局の中村稔総務課長(現・イギリス公使)らが圧力を掛け覆した。
 最後は近畿財務局トップの美並義人局長(現・東京国税局長)が「全責任を負う」と述べゴーサインを出した。
 大阪地検特捜部は全てを知って居たが全員不起訴にした。


 「公務員として最低の人間や」
 
 又、此処で批判的に書かれて居る近畿財務局管財部の小西眞次長に付いて、昌子さんには忘れられ無いエピソードがある。17年5月14日、日曜日。俊夫さんはこの日も休日出勤。昌子さんも偶々近くで用事があり、近畿財務局の最寄りの大阪メトロ谷町四丁目駅で降りて、職場迄の坂道を連れだって歩いて居た。
 すると前方に、同じ様に休日出勤する小西次長の後ろ姿があった。俊夫さんは「アッ、次長や。アノ人、こんな時にもスポーツジムに通ってる。体力あるんや」と話した。そこで昌子さんが「声を掛けたら?」と言うと、俊夫さんは不機嫌な顔に成って「公務員として最低の人間や」と呟いたと云う。この日の俊夫さんのメモ帳には「小西次長も同時刻出勤されていた 話しはせず」と書かれて居る。

 《これが財務官僚機構の実態なのです。パワハラで有名な佐川局長の指示には誰も背けないのです。(中略)杉田補佐などが過剰反応して、修正範囲をどんどん拡大し、修正した回数は3回ないし4回程度と認識しています》

 俊夫さんは一人で不正な改ざんの可成りの部分を担わされた

 俊夫さんの直属の上司だった池田氏は改ざんに付いて「自分が遣れば好かった」と昌子さんに話して居る。一方、俊夫さんは生前、若い部下二人には「やらせていない。そこはよかった」と話して居たと云う。とすれば、俊夫さんは一人で不正な改ざんの可成りの部分を担った(担わされた)のだろう。
 その若い二人と俊夫さんは、改ざんに涙を流して抵抗したと、彼等の上司だった池田氏は後に昌子さんに話したそうだ。

 財務省の情報隠蔽はこれに留まら無い。森友学園への国有地売却問題を受けて近畿財務局が会計検査院の特別検査を二度に渉り受けた際、財務省は次の様に対応したと云う。

 《決議書等の関係書類は検査院には示さず、本省が持参した一部資料の範囲内のみで説明する。(中略)応接記録をはじめ、法律相談の記録等の内部検討資料は一切示さないこと、検査院への説明は「文書として保存していない」と説明するよう事前に本省から指示がありました》

 「絶対うまくいかない。絶対(検査に)合格しない」

 会計検査院の一回目の特別検査は17年4月11日から13日に掛けて実施された。俊夫さんの手帳にはこの3日間に「会計検査(森友事案)」と云う記載がある。マメな俊夫さんは退庁時間も手帳に書いて居た。
 11日と12日は22時50分・3日は午前3時10分、タクシーで帰宅して居る。メモ帳の別の欄には、13日に「検査院応答録 修正作業」と記されて居る。昌子さんは語る。 「アノ頃、朝晩最寄り駅迄車で送り迎えして居たんです。トシくんは車内で何時も零して居ました。『絶対上手く行か無い。絶対(検査に)合格し無い。絶対もう一度有る』って」
 実際、検査は6月にもう一度行われた。この頃から俊夫さんは目に見えて元気が無く為って行った。以前はドンなに仕事が忙しくても残業が続いても平気だったのに。明るくて好く笑い、昌子さんに優しく、喧嘩をした事も殆ど無かったのに。昌子さんはこの年の4月に淡路島に行った時の写真を見せて呉れた。

 「ホラ、トシくん、笑って無いでしょ。何時もはニコニコして居たんですよ。超明るい人で。それが笑う事も喋る事も減って。会計検査の頃は本当に辛そうで、仕事への意欲も薄れて居たんじゃないかと思います」

 俊夫さん以外全員異動・・・一人だけポツンと残された

 当時、俊夫さんの心の支えは、7月の人事異動で担当部署が変わる事だった。そうすれば森友関連の苦行から逃れられる。直属上司の池田氏からは内々に「動かして貰えるよ。大丈夫だよ」と言われたと、昌子さんに話して居た。処が蓋を開けて見ると、6月23日の内示の日、俊夫さんは異動し無かった。
 それ処か、同じ部署の他の職員は上司の池田氏も含め全員異動が決まり、彼だけがこの職場に残される形に為ったのである。しかも更に追い打ちを掛ける出来事があった。問題の国有地の売買に関する資料が全て処分されて職場から消えて居たのだ。

 「それが兎に角ショックやった」と俊夫さんは話したと云う。昌子さんは語る。「ムッチャ落ち込んでました。一人だけポツンと残されて、資料は全て処分されて・・・アンマリですよね」
 勿論、アンマリだ。俊夫さんは問題の国有地が売却された後に担当に為ったから、実際の売買交渉の経緯は何も知ら無い。知って居るのは上司の池田氏だが、池田氏は居なくなり資料は無い。と為ったら、後を引き継いだ人間はどうすれば好いのか?
 俊夫さんのメモには、内示の5日後、6月28日の処に「18:30特捜部来庁」とある。コレが資料の任意提出を受けに来たのだとしたら、その直前に関係資料が無く為って居た事は、どう捉えたら好いのだろう?

 俊夫さんを更に追い詰めた検察の捜査

 この後、俊夫さんの精神状態は悪化する。7月15日に精神科を受診、うつ病と診断される。7月19日、夫婦一緒に外出先で昼ご飯を食べた時は、震えが凄く顔は真っ青だった。その時、俊夫さんは「森友の事だけや無いんや」と気に為る言葉を残して居る。そして翌20日から病気休暇に入る。結局、そのママ職場に戻る事は無かった。
 病気休暇に入って90日が経つと、その後は休職扱いと為り給与が減る。俊夫さんは好くお金の事を心配して居たと云う。「(職場に)戻れるかナア。森友のとこじゃ無いとこに」と口にして居た。だが職場からは「問題事案の担当は外すが、部署は異動させ無い」と告げられたと云う。

 異動が無かった事に輪を掛けて俊夫さんの心を乱したターニングポイントがある。検察の捜査だ。問題の国有地の値引きに付いて、この年の3月22日と7月13日に市民団体や弁護士等の団体から「国に損害を与えた背任だ」と告発が出て居た。同時に「取引記録は廃棄した」と繰り返し答弁する佐川氏等に対する証拠隠滅での告発も出て、何れも大阪地検特捜部が捜査して居た。

 「内閣が吹っ飛ぶ様な事」

 俊夫さんは国有地の売買には関与して居ないから背任は関係無い。だが証拠隠滅は?この頃は未だ公文書の改ざんは明らかに為って居なかったが、心為らずも改ざんをさせられる事に為った俊夫さんは、自分も罪に問われる事を恐れて居た。事有る毎に「大変な事をさせられた」「内閣が吹っ飛ぶ様な事を命じられた」「最後は下っ端が責任を取らされる」「僕は検察に狙われて居る」と怯えて居た事を昌子さんは好く覚えて居る。

 その検察による最初の接触は11月17日に訪れた。職場を通しての事情聴取の要請だ。事情聴取は、容疑者扱いの取り調べとは違うのだが、不正な改ざんに関わった自覚の有る俊夫さんには同じ様に感じられただろう。昌子さんは当時の様子に付いて「震え上がって居ました。怖くて怖くてしょうが無い感じでした」と話して居る。そして12月25日、俊夫さんは震える小声で昌子さんに告げた。

 「ドクターストップが掛かってるのに、電話が来た」「今日、滔々電話有ったわ。医師は止めて居た筈なのに。こんな辛いのに、ドクターストップが掛かってるのに電話が来た」

 この日のメモ帳には「久保田検事より受電」とある。実はそれに先立って検事が俊夫さんの主治医に、事情聴取が可能か尋ねて居た事が主治医の話で判った。主治医は「病状が悪化する」と聴取を止めた上で「手紙かメールでご挨拶程度に様子を伺ったらどうですか?」と話した。
 だが検事は直ぐに俊夫さんの携帯に電話を掛けて20分間も話したのだと云う。20分は挨拶のレベルを超えて居る。事実上の聴取と言われても仕方無いだろう。これを切っ掛けに俊夫さんの病状は極端に悪化した。

 「ぼくは職場に復帰したら検察に呼ばれる。検察は恐ろしいとこや。何を言っても思い通りの供述を取る。検察はもう近畿財務局が主導して改ざんしたと云う絵を描いて居る。そのストーリーから逃げられ無い。ぼくが何を言っても無理や。本省の指示なのに最終的には自分の所為にされる。僕は犯罪者や」

 妄想も現れる様に為った。「玄関の外に検察が居る!」と繰り返し叫んでいたと云う。昌子さんも辛かった。「壊れたみたいにズッと同じ事を繰り返して居るんです。職場に復帰し無いとお金が無い。でも復帰したら検察に呼ばれる。その板挟みが本当に辛かったんだと思います」

 「正に生き地獄」

 この頃、俊夫さんは「苦しくて辛い症状の記録」と云う文書を書いた。ソコには次の様に記されている。

 「これまでのキャリア、大学すべて積み上げたものが消える怖さと、自身の愚かさ」「家内や、家内の家族・親戚の皆様にも迷惑をかけることが本当に苦しい」「まさに生き地獄」「家内にそのまま気持ちをぶつけて、彼女の心身を壊している自分は最低の生き物、人間失格」
 
 アレ程尊敬して居た上司の池田氏に付いても批判を口にする様に為る。

 「池田さんは仕事が雑や。池田さんがちゃんと(国有地を)売っていたらこんなことにならんかった。大学に売っとったらよかったんや」
 
 大学とは大阪音楽大学のこと。問題の国有地の隣接地にあり、森友学園より先にこの国有地の購入を希望して7億円以上の金額を提示したとされるが、近畿財務局は売ら無かった。それを森友学園には1億3400万円で売って居る。そして遂に改ざんが明るみに出る日が来た。

 朝日新聞の第一報 2018年3月2日、朝日新聞に記事が出たのだ。 「森友文書 書き換えの疑い」「財務省、問題発覚後か」「交渉経緯など複数箇所」の見出しが躍った。昌子さんはこの日のこともよく覚えている。

 「朝、スマホで記事を見て『この人の遣った事、これ遣ったんや』と直ぐ判りました。本人に見せたく無かったけど、結局、見てしまった。物凄く落ち込んで『死ぬ、死ぬ』と繰り返してました。夜中にロープを持って出て行こうとしたので止めたんです」

 翌3日、俊夫さんは外出中の昌子さんに「もうぼくは山におるからメールもしてこんで」とメールを送って来た。この時は昌子さんが探しに行って連れ帰る事が出来た。6日には「死ぬ所を決めて居る」と言って再び山に向かおうとした。
 そんな状況で彼はこの「手記」を書き上げた。何故自分が追い詰められ無ければ為ら無いのか? この不条理に対し最後の力を振り絞って、真実を書き残して置く為に。

 《役所の中の役所と言われる財務省でこんなことがぬけぬけと行われる。森友事案は、すべて本省の指示、本省が処理方針を決め(中略)嘘に嘘を塗り重ねるという、通常ではあり得ない対応を本省(佐川)は引き起こしたのです。
 この事案は、当初から筋の悪い事案として、本省が当初から鴻池議員などの陳情を受け止めることから端を発し、本省主導の事案で、課長クラスの幹部レベルで議員等からの要望に応じたことが問題の発端です。いずれにしても、本省がすべて責任を負うべき事案ですが、最後は逃げて、近畿財務局の責任とするのでしょう。怖いい無責任な組織です》


 「いってらっしゃい」では無く「ありがとう」

 手記の文面から、最後に書き上げたのは死の当日の3月7日と見られる。改ざん発覚の5日後だ。この日、昌子さんが出勤する際、何時もはグッタリして居る俊夫さんが玄関迄見送りに来て言った。「ありがと」・・・「いってらっしゃい」では無く「ありがとう」アレは死ぬ決意の表れだったのだろうと、今、昌子さんは思う。
 職場から昌子さんはショートメールを送った。最初は11時45分「大丈夫かな?」と云うメッセージに直ぐ「はい」と云う返事が返って来た。処が16時6分「疲れるほど悩んでる?悩んだらだめよ」と云うメッセージには何時までも返事が来無い。不安に為った昌子さんは職場を早退し急いで自宅に戻った。すると・・・昌子さんは自宅の部屋の窓を指しながら語った。

 「アソコの手擦りに紐を掛けて首を吊って居たんです。普通なら先ず119番しますよね。でも私は『財務局に殺された』って思いが有るから、遂110番に電話しちゃったんです」

 俊夫さんの「手記」は次の言葉で締め括られて居る。これは彼が命を絶つ直前に渾身の思いで書き残した“遺書”であり、不正の告発文書なのだ。

 《◯刑事罰、懲戒処分を受けるべき者 佐川理財局長、当時の理財局次長、中村総務課長、企画課長、田村国有財産審理室長ほか幹部 担当窓口の杉田補佐(悪い事をぬけぬけとやることができる役人失格の職員)
 この事実を知り、抵抗したとは云え関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55歳の春を迎えることができない儚さと怖さ)
 家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。私の大好きな義母さん、謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さこんな人生って何?兄、甥っ子、そして実父、みんなに迷惑をおかけしました。さようなら》


 これとは別に、妻に宛てた手書きの遺書もある。

 《「昌子へ これまで本当にありがとう ゴメンなさい 恐いよ、心身ともに滅いりました」》

 俊夫さんは死の前日、仲が良かった昌子さんの母に「明日は検察なんです」と話して居たと云う。しかし今と為っては、それが事実だったのかどうかは判らない。命日は3月7日。俊夫さんの誕生日は3週間後の3月28日。「手記」に有る通り、彼が55歳の春を迎える事は無かった。

 「ぼくの契約相手は国民です」

 私が初めてご自宅に伺った時、昌子さんは俊夫さんの書斎を見せて呉れた。今も生前のママ残されて居るその部屋には、本棚にハードカバーの書籍がビッシリ並んで居る。哲学や思想などの本が多い。趣味も多彩だった。中でも書道は一生続けたいと考え、筆や墨等の高価な道具を多数買い揃えて居た。棚にキチンと分類され整理されて並んで居る様は、几帳面な性格を表して居る様だ。
 音楽や建築、落語にも造詣が深かった。仕事から帰宅すると、この書斎で本を読んだり落語を聞いたりコンサートのチケットを取ったり。土日は部屋に籠って書道に集中した。

 建築家の安藤忠雄さんや、音楽家の坂本龍一さんの事が取り分け大好きだった。1993年、未だ若い頃、近畿財務時報と云う部内誌に寄稿して居る。題は「坂本龍一探究序説」その中に「逃避することのできない社会現象の不合理性や構造の矛盾」と云う言葉がある。今に為ってみると将来を暗示して居るかの様だ。彼の人と為りを昌子さんは懐かしそうに語る。

 「趣味が幅広くって、自分の為に投資を惜しま無い人です。私にも、私が何かを買おうとすると『最高の物を買って』と言って呉れました」
 「自分の考えが確り在って、自分の生きる道を筋道立てて前に進んで行く。好い加減には生きて居ない人でした。誠実で優しくて、喧嘩は殆どした事が有りません。相談したら何でも答えて呉れる、包容力もある、何でも一生懸命でした」


 赤木俊夫さんは1963年、岡山県の出身。高校卒業後、当時の国鉄に就職したが、1987年の分割民営化で中国財務局に採用され、鳥取財務事務所に勤めた。
 その時、私がNHKから転職した大阪日日新聞の経営母体である鳥取の地元紙「日本海新聞」を愛読して居たと云うから、意外なご縁がある。その後、立命館大学法学部(当時在った夜間コース)に進学する為近畿財務局京都財務事務所に移り、以後は関西各地で勤務した。口癖は「ぼくの契約相手は国民です」真面目で明るい公務員だった。

 近畿財務局の上司が「遺書が有るなら見せて欲しい」

 しかし俊夫さんの死後、近畿財務局の振る舞いは昌子さんを大きく傷着けた。俊夫さんが亡く為った翌日、近畿財務局の上司に当たる楠管財部長が自宅を訪れ「遺書が有るなら見せて欲しい」と昌子さんに求めたと云う。「私は物凄く怒りました。だって森友の事で死んだのは間違い無いじゃないですか。ハッキリ断りました」
 昌子さんの目の前で「赤木を殺したのは朝日新聞や!」と叫んだ職員も居た。でも昌子さんは「殺したのは財務省でしょ」と冷ややかに見て居た。「財務局で働きませんか?」とも持ち掛けられたと云う。昌子さんは「佐川さんの秘書にして呉れるなら好いですよ。お茶に毒盛りますから」と答えた。痛烈な皮肉に相手は沈黙した。

 麻生太郎財務大臣を巡る対応に唖然
 
 更に納得が行か無いのは、麻生太郎財務大臣を巡る対応だ。俊夫さんが亡く為って3カ月が経った6月、俊夫さんと親しかった財務省職員Fさんから電話が在った。
 「麻生大臣が墓参に来たいと言って居るが如何か?」と聞いて来たのだ。昌子さんは「来て欲しい」と答えた。処がFさんは、昌子さんに黙って昌子さんの兄に電話を掛け「妹さんは大臣に来て欲しいと言って居ますが、マスコミ対応が大変だから断りますよ」と一方的に告げたのだと云う。昌子さんは次の日、Fさんからその事を告げられて唖然とした。

 暫らくして麻生大臣が国会で「遺族が来て欲しく無いと云う事だったので伺って居ない」と答弁して居るのを見た。翌年にも同じ様に答弁して居る。それから間も無く、近畿財務局の美並局長(当時)がお供の人達と自宅を訪れた。その際、美並局長は「大臣の墓参を断って呉れて有難う」と述べたと云う。昌子さんは「私、そんな事言って無いのに」と憤った。
 翌年19年2月、財務省の岡本薫明事務次官が自宅に弔問に訪れた際は、同行して居た近畿財務局の職員から「一番偉い人ですよ。判ってます?」と言われた。こうした積み重ねが、昌子さんの心を財務省から引き離して行った。

 「元々夫の勤め先だから悪く云う積りは無かったんですけど、アンマリ酷いじゃ無いですか」「トシくんは亡く為って、財務局は救われた。可笑しく有りませんか?」
 
 俊夫さんの話題に為ると、昌子さんは毎回「トシくんが可哀想」と涙ぐむ。夫はなぜ亡く為ら無ければ為ら無かったのか? それを知りたくて昌子さんは、俊夫さんの同僚だった人達から話を聞こうとした。
 しかしナカナカ会って呉れ無い。俊夫さんが心から信頼して居た上司の池田氏は2回、自宅に来て呉れた。だが全てを正直に話して呉れたとは思え無い。

 去年の暮れの或る朝、昌子さんから電話が掛かって来た「酷いんです」と。池田氏「もう二度と会え無い」と伝えて来たのだ「酷くありませんか?話が聞きたいだけなのに。トシくんが可哀想で・・・」
 時折声を詰まらせ乍ら訴えるその口調は、抑え様が無い憤りの気持ちを表して居た。数十分間の通話で私は「昌子さんの言う通りです」と答えるしか無かった。親友だったFさんは「近財(近畿財務局)は赤木に救われた」と話した事が有ると云う。昌子さんは思う。

 「それって如何云う事ですか? トシくんは亡く為って財務局は救われた。それって可笑しく有りませんか?」

 無論、可笑しい。その癖池田氏を初め近畿財務局の人達は皆昌子さんの周辺から遠ざかって行く。「もうこれ以上関わりたく無い」と云う気持ちが如実に表れている。
 昌子さんは、俊夫さんが「手記」で改ざんの責任者と指摘して居る佐川氏に付いても弔問に来て欲しいと願って居る。トシくんの仏壇の前で謝罪し説明して欲しいと。だから弁護士を通じて去年2回、佐川氏の自宅に手紙を送り来訪を求めたが返事は来無い。財務省の関係者から人伝に、佐川氏が手紙を「確りと読ませて頂いた」と話して居ると聞いた。でも、読んでどう感じたかの話は無い。

 こうして次第に昌子さんの中で「真相を知るには裁判しか無い」と云う気持ちが芽生えて行った。夫の死には佐川氏も相当の責任が有るだろう。だから裁判を起こすとしたら佐川氏も訴えたい。そうすれば法廷で佐川氏に問い質す事が出来るかも知れない。

 弁護士と相談を重ね、佐川氏個人も被告に

 通常、この手の事件では「国家公務員の行為は国が責任を負う」と云う国家賠償法の規定に基づき国だけを相手に裁判を起こす。だがこのケースは、到底通常の公務とは言え無い違法な改ざん行為をさせた責任を問うのだ。
 公務と言え無いなら個人の責任だろう。しかも佐川氏は当然、謝罪と説明を行うべきだが、遺族の求めに全く応じて居ない。これは正に佐川氏個人の責任だ。昌子さんは弁護士と相談を重ね、佐川氏個人も被告に加える事にした。

 裁判の目的はお金では無く真相究明

 昌子さんとしては、お金の為では無く真相究明の為の裁判だから、賠償金額は幾らでも好いと考えて居た。しかし弁護士に依ると、安い金額では国が「認諾」と言ってコチラの主張を丸呑みして認めてしまう。請求額を支払う事で裁判を直ぐに終わらせ、それに依って遺族側に原因追及をさせ無い事が狙いだ。
 そうさせ無い為には、丸呑み出来ない金額で訴えるしか無い。佐川氏と国に対し、総額1億1000万円余の賠償を求める積りだ。

 裁判は飽く迄佐川氏を法廷に呼び出し、謝罪を求め真相を追究するのが目的だ。訴状の冒頭にも「本件訴訟の目的は、第一に、何故亡俊夫が本件自殺に追い込まれ無ければ為ら無かったのか、その原因と経過を明らかにする点にある」と明記されて居る。
 だから勝訴して得られた賠償金は、何等かの形で世の為人の為に役立てたいと考えて居る。特に、二度と公文書改ざん等と云う不正が起き無い様にする為に。

 佐川氏の自宅を訪れると・・・
 
 3月15日、私は東京都内の佐川氏の自宅を訪れた。室内に灯りが点いて居る。誰かが居る事は間違い無い。インターホンを押した。一度・二度。反応は無い。三度目、私はインターホンの前に俊夫さんの手記を掲げて言った。
 「佐川さん、コレは近畿財務局の亡く為った赤木さんが遺した手記です。コレを読んで頂けませんか?」 
 それでも反応は無い。家の中で聞いて居るのか見て居るのかも解ら無い。最後に私は「手紙を郵便受けに入れて置きますのでお読みください」と言い残しその場を立ち去った。

 これを昌子さんに伝えると「私も何度もピンポンされる恐怖を味わったので、少し気の毒です」と話した。夫を追い詰めた佐川氏にも同情を寄せる心優しい人なのだ。現在62歳の佐川氏。2年前に国税庁長官を辞任した後は再就職もせず、財務省OBの集まり等にも顔を出して居ないと云う。
 「全責任を負う」と言ったとされる美並氏にも取材を申し入れると「決裁文書の改ざんに付いては、平成30年6月4日に調査報告書を公表して居る通りです。お亡く為りに為られた職員に点いては、誠に残念な事であり、深く哀悼の意を表したいと思います」と財務省の広報室を通じて回答があった。

 3月18日、昌子さんは大阪地裁に提訴する。被告と為る国と佐川氏は、どの様に応じるだろうか? 更に、責任が有ると名指しされた財務官僚達は? 彼等を統率する責任が有る安倍首相と麻生財務大臣は? そしてソモソモの発端と為った森友学園の小学校の名誉校長だった首相夫人の安倍昭恵さんは? 皆、赤木俊夫さんと昌子さんの訴えをどの様に受け留めるだろうか?











 手記 平成30年2月(作成中)

 〇はじめに

 私は、昨年(平成29年)2月から7月までの半年間、これまで経験したことがないほど異例な事案を担当し、その対応に、連日の深夜残業や休日出勤を余儀なくされ、その結果、強度なストレスが蓄積し、心身に支障が生じ、平成29年7月から病気休暇(休職)に至りました。
 これまで経験したことがない異例な事案とは、今も世間を賑わせている「森友学園への国有地売却問題」(以下「本件事案」と云う)です。

 本件事案は、今も事案を長期化・複雑化させているのは、財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いていることが最大の原因でありますし、この対応に心身ともに痛み苦しんでいます。この手記は、本件事案に関する真実を書き記しておく必要があると考え、作成したものです。以下に、本件事案に関する真実等の詳細を書き記します。

 1.森友学園問題

 私は、今も連日のように国会やマスコミで政治問題として取り上げられ、世間を騒がせている「森友学園への国有地売却問題」(以下「本件事案」と云う)を、昨年(平成29年)2月から担当していました。本件事案が社会問題化することとなった端緒は、平成29年2月9日、朝日新聞がこの問題を取り上げたことです。
 (朝日新聞が取り上げた日の前日の平成29年2月8日、豊中市議が国を相手に、森友学園に売却した国有地の売買金額の公表を求める訴えを提起)

 近畿財務局が、豊中市に所在する国有地を学校法人森友学園(以下「学園」と云う)に売却(売買契約締結)したのは平成28年6月20日です。私は、この時点では、本件事案を担当していませんので、学園との売買契約に向けた金額の交渉等に関して、どのような経緯があったのかについてはその事実を承知していません。

 2.全ては本省主導
 
 本件事案の財務省(以下「本省」と云う)の担当窓口は、理財局国有財産審理室(主に担当の杉田補佐、担当係長等)です。杉田補佐や担当係長から、現場である財務局の担当者に、国会議員からの質問等の内容に応じて、昼夜を問わず資料の提出や回答案作成の指示(メール及び電話)があります。
 財務局は本省の指示に従い、資料等を提出するのですが、実は、既に提出済みのものも多くあります。通常、本件事案に関わらず、財務局が現場として対応中の個別の事案は、動きがあった都度、本省と情報共有するために報告するのが通常のルール(仕事のやり方)です。

 本件事案は、この通常のルールに加えて、国有地の管理処分等業務の長い歴史の中で、強烈な個性を持ち国会議員や有力者と思われる人物に接触するなどのあらゆる行動をとるような特異な相手方で、これほどまで長期間、国会で取り上げられ、今もなお収束する見込みがない前代未聞の事案です。
 その為、社会問題化する以前から、当時の担当者は、事案の動きがあった際、その都度本省の担当課に応接記録(面談等交渉記録)などの資料を提出して報告しています。したがって、近畿財務局が、本省の了解なしに勝手に学園と交渉を進めることはありえないのです。本省は近畿財務局から事案の動きの都度、報告を受けているので、詳細な事実関係を十分に承知しているのです。

 出来るだけ後送りとする様指示

 (1)国会対応

 平成29年2月以降ほとんど連日のように、衆・参議院予算委員会等で、本件事案について主に野党議員から追及(質問)されます。世間を騒がせ、今も頻繁に取り上げられる佐川(前)理財局長が一貫して「面談交渉記録(の文書)は廃棄した」などの答弁が国民に違和感を与え、野党の追及が収まらないことの原因の一つとなっています。
 一般的に、行政上の記録を応接記録として作成された文書の保存期間は、文書管理規則上1年未満とされていますので、その点において違法性はないと思いますが、実際には、執務参考資料として保管されているのが一般的です。
 この資料(応接記録)を文書管理規則に従って、終始「廃棄した」との説明(答弁)は、財務省が判断したことです。その理由は、応接記録は、細かい内容が記されていますので、財務省が学園に特別の厚遇を図ったと思われる、あるいはそのように誤解を与えることを避けるために、当時の佐川局長が判断したものと思われます。

 (2)国会議員への説明
 
 本件事案に関して、野党議員を中心に財務省に対して、様々な資料を要求されます。本省は、本件事案が取り上げられた当初の平成29年3月の時点では、全ての資料を議員に示して事実を説明するという姿勢であったのです。
 ところが、(当時)佐川理財局長の指示により、野党議員からの様々な追及を避けるために原則として資料はできるだけ開示しないこと、開示するタイミングもできるだけ後送りとするよう指示があったと聞いています。(現場の私たちが直接佐川局長の声を聞くことはできませんが、本省(国有財産審理室)杉田補佐からは局長に怒られたとよく言っていました)

 また、野党に資料を提出する前には、国会対応のために、必ず与党(自民党)に事前に説明(本省では「与党レク」と呼称)した上で、与党の了承を得た後に提出するというルールにより対応されていました(杉田補佐、近畿財務局楠管財部長などの話)

 (3)会計検査院への対応

 国会(参議院)の要請を受けて、近畿財務局が本件事案に関して会計検査院の特別検査を、昨年平成29年4月と、6月の2回受検しました。受検時には、佐川理財局長の指示を受け、本省理財局から幹部職員(田村国有財産審理室長、国有財産業務課福地補佐ほか、企画課係長)が派遣され、検査会場に同席し、近畿財務局からの説明を本省幹部職員が補足する対応がとられました。その際、本省の検査院への対応の基本姿勢は、次のとおりです。

 @ 決議書等の関係書類は検査院には示さず、本省が持参した一部資料(2〜3分冊のドッチファイルを持参)の範囲内のみで説明する
 A 現実問題として、上記@のみでは検査院からの質問等に説明(対応)出来ないとして、田村審理室長が、近畿財務局に保管されている決裁文書等を使用して説明することはやむを得ないと判断して@の対応が修正された
 B 応接記録をはじめ、法律相談の記録等の内部検討資料は一切示さないこと、検査院への説明は「文書として保存していない」と説明するよう事前に本省から指示がありました(誰から誰に指示がされたかは不明確ですが、近畿財務局が作成した回答案のチェックを本省内関係課で分担され、その際資料は提示しないとの基本姿勢が取られていました)

 (注)この時、法律相談の記録等の内部検討資料が保管されていることは、近畿財務局の文書所管課等(統括法務監査官、訟務課、統括国有財産管理官(1))の全ての責任者(統括法務監査官、訟務課長、統括国有財産管理官)は承知して居ました。
 したがって、平成30年2月の国会(衆・予算委員会等)で、財務省が新たに議員に開示した行政文書の存在について、麻生財務大臣や、太田理財局長の説明「行政文書の開示請求の中で、改めて近畿財務局で確認したところ、法律相談に関する文書の存在が確認された」(答弁)は、明らかに虚偽答弁なのです。

 さらに、新聞紙上に掲載された本年1月以降に新たに発覚したとして開示した「省内で法的に論点を検討した新文書」について、本年2月19日の衆院予算委員会で、太田理財局長が「当初段階で、法務担当者に伝え、資料に気付く状況に至らなかった。法務担当に聞いていれば(文書の存在)に気付いていたはずだ」との答弁も全くの虚偽である。
 それは、検査の際、この文書の存在は、法務担当に聞かなくても、法務担当以外の訟務課・統括国有財産管理官は作成されていることを当然認識しています。これも近畿財務局は本省主導で資料として提示しないとの基本的な対応の指示に従っただけなのです。
 また、本省にも報告され保管されていることは、上記2に記載している本省と財務局との情報共有の基本ルールから明らかです。

 詭弁を通り越した虚偽答弁が続けられた

 (4)財務省の虚偽答弁

 本省が虚偽の答弁を繰り返していることを再掲しますと、

 上記(1)国会対応(2)国会議員(3)会計検査院への対応の全ては、本省で基本的な対応のスタンスが決められました。特に(3)では、本省から財務局に以下の対応の指示がありました。

  資料は最小限とする
  できるだけ資料を示さない
  検査院には法律相談関係の検討資料は「ない」と説明する

 この事案の対応で、先の国会で連日のように取り上げられた佐川(当時)理財局長の国会答弁の内容と整合性を図るよう、佐川局長や局長の意向を受けた本省幹部(理財局次長、総務課長、国有財産企画課長など)による基本的な対応姿勢が全てを物語っています。

 (疑問)

 財務省は、このまま虚偽の説明を続けることで国民(議員)の信任を得られるのか。当初、佐川理財局長の答弁がどこまでダメージコントロールを意識して対応されていたかといえば、当面の国会対応を凌ぐことだけしか念頭になかったのは明らかです。

 3.財務省は前代未聞の「虚偽」を貫く

 平成30年1月28日から始まった通常国会では、太田(現)理財局長が、前任の佐川理財局長の答弁を踏襲することに終始し、国民の誰もが納得できないような詭弁を通り越した虚偽答弁が続けられているのです。現在、近畿財務局内で本件事案に携わる職員の誰もが虚偽答弁を承知し違和感を持ち続けて居ます。
 しかしながら、近畿財務局の幹部をはじめ、誰一人として本省に対して、事実に反するなどと反論(異論)を示すこともしないし、それができないのが本省と地方(現場)である財務局との関係であり、キャリア制度を中心とした組織体制のそのもの(実態)なのです。
 本件事例を通じて、財務省理財局(国有財産担当部門)には、組織としてのコンプライアンスが機能する責任ある体制にはないのです。

 4.決裁文書の修正(差し替え)
 
 本年3月2日の朝日新聞の報道、その後本日(3月7日現在)国会を空転させている決裁文書の調書の差し替えは事実です。元は、すべて、佐川理財局長の指示です。局長の指示の内容は、野党に資料を示した際、学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するよう指示があったと聞きました。
 佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました。

 第一回目は昨年2月26日(日)のことです。当日15時30分頃、出勤していた池田靖統括官から本省の指示の作業が多いので、手伝って欲しいとの連絡を受け、役所に出勤(16時30分頃登庁)するよう指示がありました。その後の3月7日頃にも、修正作業の指示が複数回あり現場として私はこれに相当抵抗しました。
 楠管財部長に報告し、当初は応じるなとの指示でしたが、本省理財局中村総務課長をはじめ田村国有財産審理室長などから楠部長に直接電話があり、応じることはやむを得ないとし、美並近畿財務局長に報告したと承知しています。美並局長は、本件に関して全責任を負うとの発言があったと楠部長から聞きました。楠部長以外にも、松本管財部次長、小西次長の管財部幹部はこの事実をすべて知っています。

 本省からの出向組の小西次長は「元の調書が書き過ぎているんだよ」と調書の修正を悪いこととも思わず、本省杉田補佐の指示に従い、あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行ったのです。(大阪地検特捜部はこの事実関係をすべて知っています)これが財務官僚機構の実態なのです。パワハラで有名な佐川局長の指示には誰も背けないのです。
 佐川局長は、修正する箇所を事細かく指示したのかどうかはわかりませんが、杉田補佐などが過剰反応して、修正範囲をどんどん拡大し、修正した回数は3回ないし4回程度と認識しています。

 役所の中の役所と言われる財務省でこんなことがぬけぬけと行われる。謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さ 森友事案は、すべて本省の指示、本省が処理方針を決め、国会対応、検査院対応すべて本省の指示(無責任体質の組織)と本省による対応が社会問題を引き起こし、嘘に嘘を塗り重ねるという、通常ではあり得ない対応を本省(佐川)は引き起こしたのです。
 この事案は、当初から筋の悪い事案として、本省が当初から鴻池議員などの陳情を受け止めることから端を発し、本省主導の事案で、課長クラスの幹部レベルで議員等からの要望に応じたことが問題の発端です。いずれにしても、本省がすべて責任を負うべき事案ですが、最後は逃げて近畿財務局の責任とするのでしょう。怖い無責任な組織です。

 〇刑事罰、懲戒処分を受けるべき者

 佐川理財局長、当時の理財局次長、中村総務課長、企画課長、田村国有財産審理室長ほか幹部 担当窓口の杉田補佐(悪い事をぬけぬけとやることができる役人失格の職員)この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。
 事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55歳の春を迎えることができない儚さと怖さ)家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。
 私の大好きな義母さん、謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さこんな人生って何?兄、甥っ子、そして実父、みんなに迷惑をおかけしました。さようなら


 編集部注 明らかな誤字・脱字に限り修正 その他は全て原文のまま掲載しました・・・

                        以上




























   










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