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2020年03月25日

首相会見の異常さ放置して 何がジャーナリズムか「東京新聞」記事転載と追加の議論





 首相会見の異常さ放置して 何がジャーナリズムか
 
 「東京新聞」記事転載と追加の議論


  〜武蔵大教授・米ジョージワシントン大客員研究員 ジャーナリスト 奥村信幸 3/25(水) 7:31〜


3-25-12.jpg

      武蔵大教授・米ジョージワシントン大客員研究員 ジャーナリスト 奥村信幸

 〜安倍首相の記者会見が、国民の「知る権利」に応えて居ないと議論に為って居ます。この問題に付いて東京新聞の2020年3月18日(水)夕刊文化面(5面)「ウイルス禍と文化」と云う特集でタイトルと同じ見出しの評論記事を書きました。
 この文章はウェブ版に掲載され無かった為、同紙のご厚意により転載の許可を得て以下に全文を公開し、若干の追加の議論をして置こうと思います〜


 <「東京新聞」2020年3月18日(水)夕刊文化面(5面)記事>

 記事では漢数字で表記されて居ましたが、読み易い様に算用数字に変換して掲載します。

        3-25-15.jpg

 首相会見の異常さ放置して何がジャーナリズムか

 この問題にメディアは見無い振りをして来た。2月29日の安倍晋三首相の新型コロナウイルス感染拡大に付いての緊急記者会見が、子供達の教育と親の生活を直撃した小中高校の臨時休業の根拠を問うと云う切迫したテーマだった事、それにも関わらず「回答は事前に準備され、当てる順番まで決まって居た」とフリーランスの記者達が反発し、俄かに注目を集めただけだ。
 3月14日の会見では、質問打ち切りに記者が抗議、約8分だけ延長された。記事やソーシャルメディアで「メディアは頑張った」と云う意見もあるが、ソモソモ安倍首相が就任した7年前に、嫌その前から遣って居無ければ為ら無い事だ。

 7日に首相が福島県を視察した際には、官邸記者クラブ以外を排除してブラ下がり(簡略な会見)を行おうとして居た。他紙の福島駐在記者が紛れ込み、形式的な一問一答で帰ろうとした首相に「地元、福島の記者です」と果敢に質問したとツイッター等で賞賛された。
 メディア内での足の引っ張り合いは、記者クラブだけが問題では無い。その様な体質を放置して来たメディア全体に対する不信感が広がって居るのに、危機感は共有出来て居ない様だ。ネット署名等に動いて居るのは新聞労連など組合だけだ。

 首相会見とは、国民の命や生活に最大の権限を持つ人が公正に判断して居るか、直接本人の説明を得て検証する為のものだ。私達に最も重要な問題を選び、効率的に回答を引き出せると云う前提で記者に代表して貰って居る。
 首相が正面から答えず、充分な説明時間を取ら無ければ、毅然と抗議し納得の行く答えを引き出す行動を私達は当然期待して好い。

 権力者は都合の悪い事を詳しく話したがら無い。取材と洞察力でソコを突き、真実を明らかにする事を期待して居る。質問内容を事前に知らせて好いのは、正確を期してデータを参照する場合等だけなのは小学生でも判る。
 苦しい弁明には「はぐらかし」も増える。二の矢・三の矢の質問で迫る事は「権力の監視」に不可欠な条件だ。コレが無いので「桜を見る会」では国会論戦の方が好い仕事をして居る様に見えて居る。

 常識的な時間の確保が前提だ。29日は36分の内冒頭発言が19分もあり質疑は僅か17分だった。予てから安倍氏の冒頭発言は長い割に情報に乏しいのに「ユーチューブででも遣って呉れ」と云う抗議も見た事が無い。
 14日の会見も含め官邸側から「全体で20分」との通告が在った。新型コロナウィルスに纏わる様々な不安の解消に充分とは到底思え無い。「20分」の通告自体ニュースにするべきだ。

 14日の会見は記者が食い下がって52分に伸びた。それでも首相が「悪夢」と言う民主党政権並みに近付いただけだ。2010年5月に鳩山首相が普天間の代替基地を沖縄県外に求めるのを諦めると発表した時は、冒頭発言が約19分、その後14人が質問・・・1時間7分だった。
 リーダーがメモを読まず、自分の言葉で私達に説得を試みる会見を見たい。私達の心配事なのに勉強不足で答えに詰まるとか、反対に意地悪な質問に絶妙の切り返しで知性を見せるのも重要な情報だ。そして記者も追及が甘いと批判される様な緊張感のある場だ。

 米国のジャーナリズムの教科書的名著「ジャーナリズムの原則」に記されて居る10原則の2番目は「市民に忠実」だ。記者は誰の方を向いて居るのか。私達は「当たり前」の事を求めて居る。


 以上「東京新聞」2020年3月18日夕刊の筆者の記事
 
 この記事には書き切れませんでしたが、関連して非常に重要だと思われる点を幾つか指摘して置きます。首相会見に限らず、コレは日本の政治ジャーナリズムが長年に渉って積み重ねて来た、構造的な問題だからです。

 民主主義の「共通の価値」
 
 記者会見が真面に行われると云う事は、情報公開が真っ当に行われて居る事であり、或いはリーダーが国民に対して説明を尽くして居ると云う事です。その前提に為るのは政治信条等に関係無く、民主主義と云う共通の価値です。
 この価値が共有されて居れば、首相会見で不都合が起きたら、記者達は一致団結して激しい抗議を行い、改善を求めるのが当然です。しかし、この問題に付いてメディア側が「一致団結した」公式な抗議を首相や官邸に対して行ったと云う情報は、この原稿を書いて居る2020年3月24日現在では確認出来ません。

 「アコスタ記者事件」の意味とは

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 2018年11月から12月に掛けてアメリカで起きた、CNNホワイトハウス担当アコスタ記者の取材証停止(詳しい顛末に付いては拙稿「アコスタ記者騒動から考えるトランプ政権取材の方法」を参照してください)を巡って、普段はトランプ大統領に味方してCNNを批判して居るFOXニュースも抗議に回り、ホワイトハウスに処分を撤回させたのは、メディア各社がジャーナリズムの価値を共有し一致して行動したからです。

 アコスタ記者は、中間選挙後の記者会見でトランプ大統領と激しい応酬を繰り広げ、その後ホワイトハウスのインターンの女性とマイクの取り合いと為りました。後にその模様を撮影した映像に悪意の編集が施され、恰も彼が女性に乱暴をした様に加工されたものを、サンダース報道官(当時)が記者資格停止の根拠としたのです。
 メディアは、ホワイトハウスが客観的なエビデンスに基づか無い取材資格の制限を行った事で「公平な取材の機会を確保して居ない」と判断、理不尽な仕打ちを受けた記者の立場を回復しようとしたのです。

 音無しの「公式チャンネル」

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 もし日本のメディアが、記者会見の「正常化」を首相官邸に迫るなら、単発の記事や社説では無く、各社の編集局長や報道局長等幹部が社を代表して「民主主義的な価値」の実現を要求すべきものだと思います。
 しかし、筆者の知る限りはその様な公式の見解が発表された形跡は、2020年3月24日現在、確認する事が出来ません。各社のバラバラな要求では動か無いかも知れません。何らかの一致団結した動きが必要に為る筈です。
 恐らくメディア業界全体として動ける組織は、日本新聞協会しか在りません。しかし、何等かの組織的な要望が首相官邸側に為された形跡も、この原稿を執筆して居る2020年3月24日現在で確認出来ません。

 だから東京新聞のコラムには「新聞労連等の首相会見の時間確保等を求める署名活動等の方が目立ってしまう」と書いたのです。

 首相会見だけの問題では無い

 首相の記者会見だけがクローズアップされて居ますが、ソモソモ日本の政治ジャーナリズムが抱える構造的な問題として理解する必要があると思います。悪名高き「記者クラブ」は大きな要因の一つです。
 記者クラブの制度がいけ無いのでは無く、20社足らずの報道機関だけが政治や中央官庁での取材機会を独占して来た「仕組み」に問題が在ります。

 2009年に民主党政権が誕生した頃に「記者会見のオープン化」と云う言葉が飛び交い、首相官邸や政党・省庁等の記者会見に今迄入れ無かったフリーランスや外国報道機関等の参加が進みました。
 大きな前進ではありましたが不十分でも有りました。真に実現すべきは、記者会見のオープン化では無く、記者クラブそのもののオープン化だったからです。

 記者クラブの「うまみ」

 政治取材で記者クラブの大きなメリットは、非公式な情報収集の場である「懇談」の機会が提供される事です。
 能力の有る記者は、個人的な取材力で個人的に連絡が取れる様な関係を開拓して行きますが、その様な記者は極一部に留まります。しかし、記者クラブの常駐記者に為れば、兎も角定期的に「懇談」のオファーが舞い込むシステムに為って居ます。
 政治家等も又、メインストリームのメディアの記者と或る程度の個人的な関係を築き、多くの人にリーチするニュースに取り上げて貰うと云うメリットも在るからです。

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 政治取材とは、詰る処「コレから何処に取材に行けば好いか」を知る事だと思います。明日誰と誰とが会って何を決めるか、或いは与党は国会の戦略をどう定めて、どの様に審議を進めようとして居るのか。
 次の展開の可能性をいち早くキャッチし、先回りして取材する事が必要に為る為、特にキーマンと為る人物が何を考えて居るか等、非公式な情報をキャッチする必要があるからです。

 フリーランスの記者等は、記者クラブの懇談の場には入れませんから、自力で非公式のネットワークを開拓する必要があり非常に厳しい戦いです。記者会見場に座れるかどうかが問題では無く、その記者達の一部は会見前に大体どんな発言が為されるか予想が付いて居る様な事態も有り得る状態での取材と云う事に為ります。
 そうすると記者会見は、乱暴な言い方をしてしまえば、記者クラブに所属するメディアに取っては「大体言う事は判って居るが、ニュースにそのママ使える様な形の発言を提供して貰う場」と云う消極的な意味しか無く為ってしまって居る恐れもあります。
 質問を事前に伝えて調整する事が問題に為りましたが、その事に抵抗を感じて居ないとすれば、単なる前例を踏襲して居るだけで無く、この様な構造も影響して居ると思われます。

 「記者クラブ主催」の意味とは
 
 記者会見の大部分は「記者クラブ主催」です。「記者クラブの開いて居る内輪の講演会での質疑」と云う位置付けに為ります。
 「政治家等が会見を拒否してもクラブが独自の判断で会見を開ける」と云うのが理由だと聞いた事があります。しかし、当の政治家等が拒否すれば会見は成立しませんし、問題と為った一連の報道では、官邸側から意向が伝達されて会見が行われて居ると云う経緯を見ても、主導権を握って居る様には見えません。

 記者クラブに所属して居る記者の心理としては、内輪で突出した行動を取って仲間外れに為るよりも、インナーサークルで情報を得続ける「安全策」を選択する方向に引っ張られてしまう事は容易に想像出来ます。
 又、外部のジャーナリストが取材の機会を得様と記者会見の出席等を求めると、お役所や政党等が「会見は記者クラブの主催だから、そっちに聞いて下さい」と言われ、記者クラブにリクエストを出すと「スペースが限られて居る」「記者クラブ全体の承認が必要だが、総会を開いて居る時間が無いから今回は遠慮して欲しい」等と言われ、結局取材が出来ない様な「たらい回しの構図」も生まれる事もシバシバ有ります。

 会見をする人物も記者クラブのメンバーも「空気を読ま無いヨソ者の質問」を避ける方向で利害が一致してしまいます。記者クラブの一番の弊害は、外部の人間を排除する仕組みとして機能してしまう事です。

 質問の「質」に関わる問題

 記者クラブ所属記者の全てが外部のフリーランス記者等に意識的に意地悪をしようとして居ると云う事ではありません。独自の情報源を開拓しようと動き回ったり、或いは記者クラブの同調圧力に心を痛め、幹事社として外部のジャーナリストを受け入れる為に奔走して居る記者も知って居ます。
 しかし、どんな人でも社内での自分に与えられた業務を放棄して迄は動け無いと云う物理的制約が有るのも事実です。「構造的に」記者クラブの情報独占の仕組みを守る方向に引っ張られてしまうのも事実なのです。その結果、記者会見でも波風を立て無い様な「ソフトボール・クエスチョン」を繰り出す様な形に為り兼ねません。

 2月29日の安倍首相の会見で質問した記者5人の質問は「オリンピックは予定通り行われるか」とか「トイレットペーパーや日用品不足にどの様な対策を取るか」等、その前の首相の冒頭発言を聞く限り、決意表明以上のものは期待出来無い様な漠とした質問に終始してしまいました。
 私達が聞きたかったのは、首相が全国の小中学校の一斉臨時休校を迫ると云う重大な判断をした「根拠」であり、突然学校が閉まってしまう事で深刻な影響を受ける可能性が有る、シングルマザー家庭や経済活動の自粛に依り大きなダメージを受ける個人業者等にどの様な支援をするのか・・・と云う「個別具体的な対策(の有無)」でした。

 これからどうすれば好いのか?
 
 これはメディアだけの問題ではありません。ニュースを消費して居る私達の問題でもあります。何が可笑しいのかを理解し、メディアに改善を促し続ける必要があります。印刷やテレビ・ラジオが中心の時代とは異なり、現代のインターネット・スマホの時代には、ソーシャルメディア等を含め、ニュースの消費者からメディアに働き掛け、意思表示を伝える方法が豊富にあります。

 私が好く引き合いに出す『The Elements of Journalism・ジャーナリズムの原則』 の中に示されて居る10の原則は、2001年に初版が刊行された時(最新は第3版)は9つでした。2007年に第2版発行の際に1つ増えて10に為りました。インターネットの普及に即して加えられたものです。

 '''10. Citizens, too, have rights and responsibilities when it comes to the news. ・・・市民の側も、ニュースをより良いものにして行く事に付いて、権利と責任がある。(訳は筆者)'''

 私達がもっと記者会見の内容を注視して行く事しかありません。新型コロナウィルス対策や、自殺した財務省職員の手記が公開された森友問題も新たな局面に為って居ます。
 記者達が、どの様な質問を発し私達の問題意識に応えようとして居るのか、役に立つ情報を引き出す行為には応援を、生温い質疑にはブーイングを送ると云う行為の輪を拡げて行くと云う「当たり前」の解決策しか私は思い着く事が出来ません。特効薬が無い以上、地道で遠回りの方法を執るしかジャーナリズムの回復は望め無いのです。
 

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 奥村信幸 武蔵大教授 米ジョージワシントン大客員研究員 ジャーナリスト 1964年生まれ 上智大院修了 テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクター等を務める 2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員 イラク戦争報道を取材 2005年より立命館大准教授 2008年ジョージワシントン大研究員 オバマ大統領を生んだ選挙報道を取材 2011年立命館大教授 2013年より現職 専門はジャーナリズム ゼミでは学生が自ら撮影・編集するビデオジャーナリズムを指導し作品を「ニュースの卵」newstamago.comにアップ 民放連研究員 ファクトチェック・イニシアチブ・FIJ理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に付いて考えて居る

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                  以上






















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