2020年01月17日
日本近代史 日米戦争とは何だったか 久保有政著 −2
日本近代史 −2
大東亜戦争の意味 久保有政著
アメリカは真の敵が誰かを見誤った「本当に勝ったのは日本だ」と云うドラッカーの言葉は何故生まれたか
日本への最後通牒ハル・ノートを書いたハリー・ホワイト、彼はソ連のスパイだった。前項「日米戦争はなぜ起きたか」では、真珠湾以前からアメリカが行なって来た日本に対する執拗な嫌がらせに付いて観ました。その嫌がらせの総まとめとも言えるものが、開戦直前にアメリカが日本に提出して来た最後通牒「ハル・ノート」です。
最初の一発を日本に打たせる為のハル・ノート
アメリカが提出して来た「ハル・ノート」は、日本に取っては寝耳に水、予想もし無いものでした。そして日本政府には、目が眩む程の絶望感が走ったのです。その対日要求は、中国大陸や仏領インドシナから日本の軍隊を引き上げる等が要求の主なものでした。この様な要求は予想出来ないでもありませんでした。
では、何故これが寝耳に水だったかと云うと、アメリカの言い分は、日本がこれ等の要求を全て呑めばABCD包囲網を解く、と云うものでは無かったのです。日本がこれ等の要求を呑んだら、ABCD包囲網をどうするかと云う話し合いに応じると云うものに過ぎませんでした。
しかしビジネスの世界でもそうですが、人と交渉して相手に妥協を求める際には、自分の方でもそれ為りの妥協を用意し無ければ為らないものです。国際政治の舞台でも同様の筈です。処がアメリカの要求は、自らは一点の妥協もせず聊かの犠牲も払わず、只日本が要求を呑んで丸裸に為れと居う無茶苦茶なものでした。こんな高飛車で理不尽な要求は、到底呑めるものではありません。
呑めば、こちらは丸裸に為って、交渉する際の取引カードが無く為ってしまいます。詰まり、要求を呑んで丸裸に為った後に「矢張りABCD包囲網は解きません」と言われても、もうどうする事も出来ないのです。
ハル・ノートを受け取る以前の日本政府は、アメリカとの関係を何とか修復したいと、必死の努力を続けて居ました。しかしこの要求を受け取った時、今や全ての努力が挫折したと知ったのです。この時日本国内に「事態此処に至る。座して死を待つより戦って死すべし」と云う気運が生まれました。そして開戦を決意、真珠湾攻撃へと向かって行ったのです。
戦後、東京裁判で只一人、日本の無罪を主張したインドのパール判事は「ハル・ノートの様なものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルクの様な小国でも、矛を取ってアメリカに立ち向かうだろう」と述べたことは有名です。
インドのパール判事
何故アメリカは、ハル・ノートと云う様な無茶苦茶な要求をして来たのでしょうか。アメリカは「オレンジ計画」に観られる様に、何れ日本を叩き潰そう屈服させ様と思って居ました。真珠湾以前から、アメリカが日本との戦争を決意して居たことは、今日では良く知られて居ます。
けれども当時、アメリカ国民の大半は参戦に反対でした。アメリカ人の多くは、過つての大恐慌の悪夢から要約立ち直り安定した生活を手に入れる様に為ったばかりでした。出来ることなら、他国との戦争等に関わりたくありません。
そうした中、ルーズベルト大統領は、何とか日本と戦争をし、日本を屈服させたいと願って居ました。又当時ヨーロッパでは、既にドイツ軍の勢力がイギリスにも迫って居ました。それでルーズベルトは、盟友チャーチル首相のイギリスを救う為にも、アメリカの参戦を何とか果たしたいと思って居たのです。
もしアメリカが日本と開戦すれば、日本とドイツの同盟関係により(日独伊三国同盟)アメリカは自動的にドイツとも開戦する事に為ります。そうすればアメリカがドイツを打ち負かす機会が生まる訳です。その為ルーズベルトは、何とか参戦を果たしたいと願っていました。
けれども、アメリカ政府が勝手に戦争を始めても、アメリカ世論が付いて来る訳がありません。どうしたら、世論は日本との戦争を好しとするだろうか。そうです。もし日本が最初の一発を打てば、アメリカ国民は怒り、戦争止む無しと思うに違いありません。
アメリカは、西部劇にも見られる様に決闘の国であり、先に相手に銃を抜かせてコソ、大義名分が立つと云うものなのです。その為にアメリカが用意したのが「ハル・ノート」と云う日本への要求書でした。これを突き付けるなら、日本は牙を剥いて刃向かって来るに違い無い・・・そう踏んだ訳です。
勿論、こうした国運を賭けた重要な外交文書が出されるには、当然、アメリカ議会の承認が必要の筈です。処がハル・ノートは、アメリカ議会もアメリカ国民も全く知ら無い処で、密かに日本に突き付けられました。れが日本に出された事は、ルーズベルト大統領と、幾人かの側近だけが知って居たことだったのです。
真珠湾が攻撃された時、殆どのアメリカ国民は、ハル・ノートの存在すら知りませんでした。アメリカ国民は、アメリカに対する日本の横暴な侵略が突如始まったとしか思わ無かったのです。
英国チャーチル首相
戦争責任は双方にある
当時、ハワイの真珠湾にはアメリカ軍の一大基地があって、アメリカによるアジア侵出の拠点と為っていました。1941年12月8日、日本軍はこの真珠湾の基地を攻撃・破壊しました。真珠湾攻撃のニュースが飛び込んだ時、喜んだのはルーズベルト大統領でした。これでアメリカ世論は一気に傾き、日本との戦争を始められるからです。
当時の大統領側近の話によれば、真珠湾のニュースを聞いた時、大統領は「安堵した」と言います。それは彼の念願が適った瞬間でした。
ルーズベルト大統領は、戦争には参加しないと公言して当選したが、心ではアメリカの参戦を強く願っていた。彼は日本を挑発して日本に「最初の一発」を打たせることに成功し、米国民を一気に戦争へ向かわせて行った
その後、大統領は米国民の前に出ると、急に顔を強張らせて怒りを露わにし、これを日本の「卑怯な騙し討ち」と非難して、国民の怒りを駆り立てました。皿に「リメンバー・パールハーバー・真珠湾を忘れるな」の合い言葉を繰り返し、一気に日本との戦争に向かわせて行ったのです。
後に、イギリス・チャーチル内閣のオリバー・リットルトン生産相は、1944年の演説の中で、日本の真珠湾攻撃に付いて触れています。当時の『ザ・タイムズ』誌は、記事の中で次の様に記しました。
「リットルトン氏は日本人が真珠湾でアメリカ人を攻撃せざるを得無い』程、アメリカは日本を挑発した、と言明し『アメリカが戦争に巻き込まれたと云うのは、歴史を戯画化したものである』と付言した」
アメリカは、戦争に巻き込まれたのでは無く戦争を自ら引き起こしたのだ、と云うことです。イギリスの海軍軍人ラッセル・グレンフェル大佐も、その著『主力艦隊シンガポール』の中でこう述べました。
「今日、卑しくも合理的な知性のある人で、日本が合衆国に対して悪辣な不意討ちを行なったと信ずる者は居ない。攻撃は充分予期されて居たのみ為らず、実際に希望されて居たのである。ルーズベルト大統領が、自国を戦争に巻き込みたいと考えて居たことは疑問の余地は無い。しかし政治的理由から、最初の敵対行動が相手側から始められる様にする事を、熱望して居たのである。
その様な理由から彼は・・・武力に訴え無ければ耐える事が出来ない点まで、日本人に圧力を加えたのである。日本は、アメリカ大統領によって合衆国を攻撃する様に仕組まれたのである」
この様に、日米戦争は、決して日本が一方的に始めたものではありませんでした。寧ろ、アメリカは日本を、戦争以外に選択肢の無い処に追い遣ったのです。もし戦争責任と云う事を言うなら、それはアメリカにも日本にも有ったことです。
戦争は有っては為らないものです。しかし日米は戦争をしました。その責任は双方に有ります。日本は中国大陸に戦線を拡大する過ちを犯しました。アメリカは、日本を戦争へと挑発しました。双方がそう云う過ちを犯したと云うことを、認識し無ければなりません。
しかし、人間は結果から物事を見てしまい勝ちです。戦争に負けた方の日本が全て悪く、勝った方のアメリカは全て正しかったと考え勝ちです。特に日本にはその傾向が強く存在します。けれども、それではいけ無いのです。戦争の教訓を生かすことに為りません。
これは、戦争を讃えて居るのでも肯定して居るのでもありません。今の日本は、自虐的な歴史観に陥って居ます。日本が全て悪かったのだと。又、アノ当時の政治家や軍人達は皆狂って居たのだと。しかしそうではありません。当時の日本人は、熟慮に熟慮を重ねた末、やむを得ず戦争に突入して行ったのです。そこには、真剣に国の未来を考えた人々の姿がありました。
勿論、失政や失策もありました。後から「アアすれば好かった」「コウすれば好かった」と云うこともありました。しかし問題は、アノ状況まで追い込まれた時、それ以外には選択肢はあったかと云うことです。
特攻隊員等、彼等を初め全ての日本兵は、日本とアジアの未来を思い、命を捧げた。その犠牲の上に今日の日本とアジアがあることを、私達は忘れては為ら無い。
もし貴方が、アノ残酷極まりない弱肉強食の時代に生きて居たとしたら、貴方は戦争を止められたでしょうか。1941年9月6日の御前会議では「帝国は、自存自衛を全うする為、対米・英・蘭戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目処とし戦争準備を完遂す」との決定が下されています。日本は戦わずして屈服するより、戦う事を選びました。それは日本の存亡を賭けた戦いだったのです。
昭和天皇は戦後「この前の戦いは、結局は人種問題と石油問題であった」と言われています。日米戦争の原因は、大局的に観れば、アメリカの人種差別政策が遠因と為り、石油全面禁輸が近因と為って起きました。昭和天皇は、その大局を好く見通して居られたのです。
ソ連 スターリン
コミンテルンの謀略
サテ、今まで私達は日米戦争の原因として、主に日本側とアメリカ側の要因だけを観てきました。しかし、単に両者の要因だけで日米戦争が起きた訳ではありません。実は当時、日米間に戦争が起こって欲しいと熱望していた、第三者の存在があったのです。そして結局それが日米戦争に火を点けました。
その第三者とは、ソ連のモスクワに本部を置く「コミンテルン・国際共産主義組織」です。コミンテルンは「世界中を共産主義化する」と云う野望を抱いて行動して居た人々です。
共産主義は、目的の為には手段を問いません。彼等は世界の列強同士を戦わせ、それ等の国々が戦争で弱体化した処を狙って、その国に共産主義革命を起こし共産主義化する戦略を立てて居ました。詰まり「夷(い・ 外国)を以て夷を制す」の考えです。20世紀に起きた多くの騒乱や局地戦争、又大東亜戦争を含む第二次世界大戦等、世界中の大半の戦争に共産主義者の謀略が関与して居ます。コミンテルンは、世界中に戦争の種をバラ撒いたのです。
私達は、人間は平和主義者ばかりでは無いことを知る必要があります。コミンテルンは、日米間に戦争を起こしたいと欲しました。それによって両者を弱体化させ、ソコに共産革命を起こし、両者とも共産主義化しようとした謀略です。
この目的の為には、アメリカ人の日本に対する怒りを積もらせる必要があります。その目的の下に共産主義者が作ったのが、先程も述べた偽書「田中上奏文」です。それは日本を悪者に仕立て上げたものでした。更に、日本にアメリカとの戦争を決意させたものは「ハル・ノート」であるとも述べました。このハル・ノートですが、実は元々ハル国務長官自身が最初に用意した原案は、もっと穏やかなものでした。
それは日本側が呑める内容でした。それがもし実際に出されていたら日本側は呑んだでしょう。そして日米戦争は起こら無かったに違いありません。
しかし、その後実際に日本に突き付けられたハル・ノートは、強硬で無茶苦茶な要求と為っていました。その原稿を書いたのはハル長官自身ではありません。財務省補佐官のハリー・ホワイトなる人物でした。それをルーズベルト大統領が気に入り、これで行けと云うことに為って、ハル長官から野村大使に手渡されたので、以後「ハル・ノート」と呼ばれる様に為りました。
ハル・ノートを書いたこのハリー・ホワイトは、共産党員でありソ連のスパイであった事が、戦後明らかに為りました。
と云うのは、別にエリザベス・ベントレイと云うソ連のスパイが逮捕されたのですが、彼女は、ハリー・ホワイトは共産党エリートだと喋ったのです。又、ウイタカー・チェンバースと云う元共産党員の男も、ホワイトはソ連のスパイだと告発しました。
こうしたスパイ疑惑の中、ホワイトは審問期間中に突然、不審な死を遂げます。その死に方は事故死か自殺の様にも見せ掛けられて居ましたが、コミンテルンに消されたと云うのが大方の見方です。この様に、ハル・ノートが対日強硬要求と為った背景には、日米間に戦争を起こそうとするコミンテルンの謀略があったのです。
根底にあった人種差別
この様に日米戦争は、元々ブロック経済に始まった世界経済の窮迫を背景に、欧・米・日の東アジアへの進出、ソ連の脅威、石油問題等を原因とし、そこにコミンテルンの謀略も加わって起きました。
しかし根本的には、アメリカがブロック経済と排日主義によりアメリカへの門戸を日本に対して閉ざした一方、中国の門戸開放を執拗に求め、日本を締め出しに掛かったと云うアンフェアーな行動が大きな原因としてあったのです。
更に、もっと根底に、アメリカ人の人種偏見が存在しました。開戦後、アメリカのトマス・ブレーミー将軍はこう演説しています。「諸君等が戦って居るのは、奇妙な人種である。人間と猿の中間にあると言って好い」
又4943年の米軍の調査では、アメリカ兵の半数が日本民族を根絶すべきと考えて居ました。その狂気はそのママ戦場に持ち込まれ、日本兵捕虜は容赦無く撃ち殺され、未だ息の有る者も他の死体と共に穴に投げ入れられたと、従軍記者エドガー・L・ジョーンズは記して居ます。
アメリカは、自らの打算的な目的の為に、日本人を殊更に敵視したのです。何故アメリカはナチス・ドイツでは無く、日本に原爆を落としたのか。それはドイツ人は白人であり、日本人は黄色人種だったからでしょう。著名な飛行家リンドバーグは「ドイツ人はユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱いで同じ様な事を仕出かしたのである」と書いています。
ドイツ人がユダヤ人に対し、酷い人種偏見を抱いて居たのと全く同じ様に、アメリカ人は日本人に対し、酷い人種偏見を抱いて居ました。もしこの人種偏見が無かったら、歴史は全く違った方向へ進んだことでしょう。しかし、当時は人種偏見の時代だったのです。
大航海時代以降の四世紀に渉る白人支配・白人全能の歴史に、日本は只一国で立ち向かいました。白人は、この生意気な有色人種をどうしても許せませんでした。そして彼等は「オレンジ計画」を作成し、日本の都市を悉く空襲で焼き払い、原爆を二発落とす迄収まりませんでした。
一方、日本は、当初から日本対白人の戦争をしようと思って居た訳ではありません。日本は最後の最後まで、欧米を相手とする国際協調に賭けていました。それは忍耐に忍耐を重ねたものです。しかしそれが破綻した時、日本は自存自衛の為に、白人相手に戦う事を辞さ無かったのです。
東京裁判の偽善
日米戦争は四年間続きました。前半は、日本の方が優勢でした。破竹の快進撃を続けたのです。しかし後半は、物量にものを云わせたアメリカが反撃の期を掴み、アメリカの優勢に転じました。やがて日本軍の各地での玉砕、特攻隊、広島・長崎への原爆投下等悲惨な事が続き、遂に日本が降伏。マッカーサー元帥と占領軍が日本の厚木基地に降り立ちました。
マッカーサーは、日本の戦犯を裁く為に東京で軍事法廷を開きました。所謂「東京裁判」極東軍事裁判です。それは裁判とは云っても、実際は勝者が敗者を一方的に裁いた一種のリンチに過ぎませんでした。
東京裁判は一種のリンチであり、負けた日本が一方的な悪である事を世界に印象付ける為のショーだった
それは、勝ったアメリカが一方的な正義であり、負けた日本が一方的な悪である事を世界に印象付ける為の演出だったのです。一種のショーと言っても好いでしょう。このショーを通して、日本の戦時指導者は「戦犯」とされて処刑されました。
この東京裁判、又それによって形成された「東京裁判史観」は、今も日本人に暗い影を落として居ます。この裁判は一体何だったのか、少しみてみましょう。
過つてヨーロッパでは多くの戦争がありました。昔はヨーロッパでも、勝者が敗者に無茶苦茶な要求をしたり、敗者を容赦無く裁いて処刑したりする事が多くありました。しかし、ヤガテ啓蒙思想の時代に為ると、ヨーロッパの人々はそれを反省し、そう云うことは良く無いと云って余りしなく為ったのです。
詰まりウェストファリア条約以降「勝敗はあっても、敵を悪いものとは決めつけ無い」と云う伝統が生まれました。その為第一次世界大戦が終わった時も、負けたドイツ皇帝ヴィルヘルム一世をどう裁くかと云う案は、ヨーロッパからは出ませんでした。
当時アメリカは厳しく裁く事を求めましたが、ヨーロッパの人達は、勝者が敗者を裁く事は好くないと云って、結局その意見を通しました。事実、ヴィルヘルム一世は裁かれ無いまま、自分の親類の居るオランダで平和に余生を過ごす事が出来たのです。
処が第二次世界大戦後に為ると、状況が一変しました。何しろアメリカが圧倒的に強かったので、全てにアメリカの意見が通る事と為ったのです。東京裁判に観られる様に、勝者が敗者を裁くと云うことが当然の様に行なわれました。
アメリカは新しい国で、言わばヨーロッパの伝統を飛び越して出来た国です。ヨーロッパでは既に「勝者が敗者を裁くのは好くない」と云う観念に為っていたのに、アメリカはそのプロセスを経て居ないので、敵を悪魔同然に扱いました。
東京裁判においても、その様な認識の下に日本人を裁いたのです。そして東京裁判が行なわれて居る間中、占領軍が作った「真相はこうだ」「真相箱」と云うラジオ番組が毎日、引切り無しに日本国民に向かって流され続けました。
それはアメリカのして来たことは一方的な正義であり、日本のして来たことは一方的な悪だったとする内容です。アメリカ人の歴史観を日本人に吹き込み、巧みに日本人を洗脳する番組でした。日本の国民が悪いのでは無い。軍部が悪かったのだ。アメリカは日本を救って呉れた、アメリカが自由と民主主義を呉れた、といったぷロパガンダ(政治宣伝)です。
この番組は、NHKが作った様に偽装されて居ましたが、作ったのは占領軍でした。それが三年間も、毎日ゴールデンタイムに流され続けたのです。当時の日本人は敗戦で何もかも失い呆然とした状況でしたし、厳しい情報統制下にありましたから多くの者が「そうだったのか」と思みました。
これは占領軍の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム・戦争犯罪意識を植えつける洗脳計画」に基づいて作られたものなのです。又このプログラムにより占領軍は、日本人に与える情報や、出版物、教育等を厳しく制限し統制しました。こうして、今日の日本に観られる様な「明治以降の日本の歴史は侵略の歴史だった」と云う、日本を悪者とする歴史観が形成されて行きました。これが、今日の日本人の自虐史観の源なのです。
私達は洗脳されて居た
この様に、それは押し着けられた歴史観でした。私達は洗脳されて居たのです。しかし戦後50年、或は60年経って、要約日本の真実の歴史が語られる様に為りました。私達は今コソ東京裁判史観の呪縛から解き放たれ、父母や祖父母の時代の歴史を、もう一度学び直す必要があります。
日米戦争に付いて観るなら、アメリカが一方的に正義だったと云うのは全く有り得無いことです。何故なら、国際法に乗っ取って裁くなら、民間人を殺した罪が一番重いからです。アメリカは日本の各都市への無差別爆撃で、民間人計約60万人を殺しました。
その遣り方は、先ず直径5〜6キロの周辺を焼夷弾で焼き払い、人々の逃げ道を断って、それから内側に無数の爆弾を雨霰と落とすものでした。それは始めから民間人の虐殺を目的としたものだったのです。史上空前のホロコーストでした。
又アメリカは、原爆で、民間人計約30万人を殺しました。原爆は一発はウラン型爆弾、一発はプルトニウム型爆弾でした。アメリカは持った以上、使ってみたかった。それで日本人を相手に人体実験を行なったのです。
アメリカは既に日本が降伏する意志を持って居ることを知りながら「戦争を終わらせる為」と称して原爆を落とし、民間人の大量虐殺を行なった
実は当時既に、日本は降伏する事を決めて居ました。和平の仲介を既にソ連に願い出ていたりです。アメリカ側も、その情報を掴んでいました。処がアメリカは「これ以上アメリカ人兵士の死者を出さ無い為」と言い訳を付けて、日本で原爆による殺戮を行なったのです。
詰まり、原爆を落とさ無くても日本はもう降伏すると知っていながら「それを落とさ無いと戦争は終割らない」と米国民に説明して、原爆を落としたのです。
又、原爆を使った背景には、戦後の体制を見据えて「アメリカにはこんな凄い武器があるぞ」と云うことを、ソ連に見せ着けて置く狙いもあったのです。近代戦において、これ程多くの民間人を組織的に、且つ、躊躇いも無く殺した国があったでしょうか。国際法から云えば、アメリカは最も裁かれるべき存在である筈です。しかし、裁かれて居ません。
勝者が敗者を裁いた東京裁判がいかに茶番であるか、それを考えただけでも判ると云うものです。アメリカは中国への野望を抱き、その為に、黄色人種の大国に成長して居た日本を何時かは叩か無ければ為らないと思って居ました。
ヤガテ排日移民法による日本人移民の締め出し、中国での排日運動の扇動、蒋介石へのアカラサマナ軍事援助、ABCD包囲網、石油輸出禁止等を行ない、最後にはハル・ノートで挑発して、日本を戦争へと向かわせました。アノ戦争でアメリカの何処に「正義」があったのでしょうか。
一方、日本が戦ったのは自衛の為でした。そして欧米列強によるアジアの全植民地化を防ぎ、アジア諸国を独立させると云う「正義」がありました。単に日本を悪者とするだけの歴史観は、歴史への冒涜と云うものです。そして日本人を骨抜きにしてしまうものです。私達は、日本人としてのアイデンティティ(自分は何者か)を回復する必要があります。それには公平で真実な歴史観に立つ必要があるのです。
朝鮮戦争を通してマッカーサーが知ったこと
サテ、戦争直後の7年間、日本はアメリカ占領軍の支配下に置かれ独立を奪われました。7年間、日本に主権は無かったのです。主権が無かったと云うことは、日本と云う独立国家が無かったことでもあります。
占領軍は当初、日本を二度と戦争に向かわせ無いようにする為、日本の産業を農業と軽工業位に限る政策を執りました。重工業を遣らせず農業国家にする積りだったのです。戦車や戦艦、武器を作られたら困るからです。
処が、ヤガテ1950年、朝鮮戦争が勃発しました。北朝鮮軍が韓国を侵略したのです。その北朝鮮軍を援助して居たのがソ連と中国でした。
朝鮮戦争でマッカーサーは、日本から見た共産軍の脅威と云うものを初めて肌で感じた
この時、マッカーサー元帥は初めて、日本から観た共産軍の脅威と云うものがどんなものかを肌で感じる様に為ります。朝鮮半島が共産化してしまったら次は日本です。朝鮮半島は、丁度日本列島の脇腹にナイフを突き刺す様な形で存在して居ます。そこにソ連や中共が居座ってしまったら、日本も共産化されてしまうのは、最早時間の問題です。
マッカーサーは、アメリカ軍を組織し直し、直ぐ朝鮮半島に飛んで、韓国から共産軍を追い出しに掛かります。彼はソコで必死に戦いますが、結局、日米戦争時以上のアメリカ人死傷者を出してしまいます。戦闘は一進一退を繰り返し、要約三年後に共産軍を北緯三八度線迄追い返した処で休戦と為りました。
この戦争が始まった時、アメリカは日本に対する政策を改めたのです。アメリカは急いでサンフランシスコ講和条約を結び日本を独立させました。そして日本の重工業をも許し、朝鮮戦争に必要な様々な物資の供給基地として、日本の産業を援助・育成しました。これが朝鮮戦争特需と云われるものです。これによって日本の産業と経済は、復興の契機を掴みました。
何故マッカーサーは、朝鮮戦争で、あれ程の苦労をし無ければ為らなかったのでしょうか。それは敵の北朝鮮軍と共にソ連軍や中共軍が居たからです。
マッカーサーは、この朝鮮戦争を戦った時、過つて日本が何故あれ程朝鮮半島や満州に拘ったか、と云う理由をハッキリ理解しました。朝鮮と満州は、日本に取って共産軍から身を守る為の最後の防波堤だったのです。マッカーサーは日本を統治し、その後朝鮮戦争を戦って共産軍の脅威に直面して初めて、日本の立場というものをハッキリ理解しました。
それで、マッカーサーは朝鮮戦争中の1951年、演説の中で日本の自衛権を強調して居ます。彼は日本を独立させ、その独立した日本が再武装する必要性を説きました。又、共産軍の圧倒的な力に直面した彼は、共産軍を叩く為に満州に原爆攻撃を加える許可をアメリカ大統領に求めて居ます。
しかし、再び世界戦争に拡大する事を恐れたアメリカ大統領トルーマンは、この要求を拒否しマッカーサーを解任しました。帰国したマッカーサーは、アメリカ上院議会で、日本に付いての証言を求められました。過つての日本の戦争に付いてどう思うかと聞かれた彼は、日本が中国大陸に進出したのは侵略戦争では無かった、自衛の為の戦争だったと言いました。
これは、朝鮮戦争を通して北からの脅威が骨身に沁みたマッカーサーの、実感から出た言葉だったのです。マッカーサーは過つて、日本を侵略戦争を行なった悪者と決め着け、東京裁判を開き「平和に対する罪」で日本を断罪した人物です。しかし、ヤガテ日本統治を通して日本の立場に立ち、又朝鮮戦争を経験した時、過つての日本の戦争は自衛戦争だった事をハッキリと理解したのです。
アメリカの見込み違い
アメリカは中国に市場を求め、中国を自分側に着けたいと思って、日本と戦争をしました。アメリカは当時、中国は「第二の西部」だと云う強い思い入れを持って居たのです。中国は西欧諸国や日本の進出により滅茶苦茶に為っているけれども、本来は成熟した国であり、良いパートナーに為れると思って居たのがアメリカでした。
この思い込に従い、アメリカは国民党の蒋介石をズッと助けて来ました。蒋介石はキリスト教徒を演じていましたし、アメリカ世論への訴え方の上手い人でした。しかし結局、アメリカは蒋介石を助けた事により、大きく国益を損じたのです。
客観的に観るなら、日本の方が歴史的にもキチンと選挙をして議会も運営して居ました。処がアメリカは、権力欲の塊に過ぎない蒋介石を、民主的な指導者と思い込んでしまったのです。これがアメリカの大きな見込み違いでした。
アメリカは蒋介石に、金でも武器でも食糧でも大量に注ぎ込んで助けました。しかしそれ等は、全て蒋介石の軍隊に食い物にされて居たことは有名です。その挙句、日本が退却した後、蒋介石は毛沢東と戦って直ぐに負け台湾に逃げてしまいました。
以後、共産党に支配された中国は、皮肉な事にソ連と組んでアメリカに敵対する様に為ったのです。更に、その後アメリカは、朝鮮戦争の時に中国と戦う事に為ってしまいました。これはアメリカに取ってみれば、非常なショックだったでしょう。中国が敵と為って立ちハダカッタのですから。
アメリカは、過つて日本さえ遣っ付ければ中国を好きな様に出来ると思って、莫大な金と軍隊を注ぎ込み、日米戦争迄遣ったのです。処が、騙された当てが外れた、と云う気持ちだったでしょう。アメリカは日米戦争を戦って、何の得もして居ないのです。
その後、要約これに気付いたアメリカは、日本を大切な同盟国と考える様に為りました。アジアで責任と信頼をもって付き合えるのは誰かと、ふと考えたら、それは日本ではないか、と云うことに為ったのです。迷惑な話です。もう少し早く気付いて呉れれば良かったのにと思います。明治以来、日本側にはその用意はあったのですから。アメリカが蒋介石を助けたりし無ければ、日本側も、アメリカを敵視する事は無かったのです。
又アメリカに取って、ソ連を友としたことも、大きな見込み違いでした。アメリカは日本を敵視し、日本を潰す為の戦いにソ連を仲間として引き入れました。アメリカは当初、共産主義に対して極めて寛容で、その為に後でそのツケを払う嵌めになったのです。
アメリカは、真の敵が誰かを見誤ったのです。本当はアメリカにとって、日本よりもソ連のほうが脅威だったはずです。大東亜戦争後の朝鮮戦争にも、ベトナム戦争にも、背後にはソ連がいました。そしてアメリカは、そのソ連の存在に長く苦しめられることになったのです。
「本当に勝ったのは日本」
日本は過つて大東亜戦争で、アメリカを初めとする連合国と戦い、負け、結局、何もかも失いました。戦争なんてバカなことをしたからだと思う人も居るでしょう。しかし、アノ弱肉強食の植民地時代、残酷極まりない西欧列強が犇めく時代にあって、果たして本当に戦争が回避出来たでしょうか。
幾つか歴史の大きな分かれ目はありました。けれども結局、歴史は戦争へと向かって行きました。それが「歴史の必然」だったと云うべきでしょう。但し、日本の戦争は悪いことばかりだったのではありません。
P・F・ドラッカーと云う思想家が、日本は物理的には負けたが、本当に勝ったのは日本であると云った意味のことを言って居ます。
P・F・ドラッカー
本当に勝ったのは日本である・・・どう云うことでしょうか。それは、この戦争で日本が戦ったことによって、それ迄西欧諸国が築き挙げて来た人種差別世界が打ち砕かれたからです。
アノ戦争以前、アジアで近代的な独立国家として歩んで居たのは日本だけでした。後は観な、西欧諸国の植民地と化して居たのです。それは戦争前の地図をみたら一目瞭然です。アジアは何処も彼処も西欧の植民地で、白人が黄色人種を支配し搾取していました。
その為、アジアは益々貧しく為り、西欧諸国は益々富んで行きました。アジア人は白人にペコペコして、召使いの様に為って仕えて居ました。アジア人は自分の国に居ながら、権利を制限され苛酷な人種差別の下で暮らしていました。
しかしその時日本が、それ等の植民地に居る西欧諸国の軍隊を次々に追い出して行ったのです。そして、日本がアジア諸国に育んだ独立への意志は、その後日本が敗戦を迎えた後も、確実に育って行きました。日本の敗戦後、西欧諸国は再びアジアに来て、植民地化しようとしました。処がアジア人はもう、彼等の言い為りには為りませんでした。彼等は戦後、次々に独立して行ったのです。
結局、大東亜戦争によって、西欧諸国は植民地を全て失なっただけで終わったのです。一方、日本は戦闘には負けましたが、アジア諸国を西欧から独立させると云う目的を果たしました。
戦争に勝ったか負けたかは、戦争目的を達成したかどうかで決まる、とはクラウゼヴィッツの戦争論です。日本の戦争は、人種差別世界を叩き潰すと云う目的、又自存自衛の目的を果たしました。その意味で、日本こそ勝ったのです。
これは私達が誇りにして好い事です。タイの元・首相ククリッド・プラモードは、新聞にこんな一文を載せています。
「日本のお陰で、アジアの諸国は全て独立した。日本と云うお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はスクスクと育って居る。今日、東南アジアの諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話が出来るのは、一体誰のお陰であるか。それは身を殺して仁を為した日本と云うお母さんがあった為である」
日本の捨て身の一撃が、人種差別世界を叩き潰したのです。大東亜戦争は、大航海時代以来の欧米諸国によるアジア・アフリカ収奪の歴史に終止符を打ちました。これは、幾ら評価しても評価し切れないほど、大きな事柄です。人類史上、画期的な出来事といって好いのです。歴史学者H・G・ウェルズも述べて居ます。
「この戦争は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石を置いた」
その主役を果たしたのが日本でした。アノ空前のスケールの戦争だった大東亜戦争の意義が、此処にあります。戦争は、無いに越したことはありません。しかし、もしアノ戦争が無かったなら、今もってアジア諸国は西欧の植民地であり続けたでしょう。黄色人種は白人の召使いの様に、ペコペコして居なければ為らなかったでしょう。
西欧はアジアからの搾取によって益々富み、アジアは益々貧しく放置されて居たに違いありません。しかし日本の戦争が、その歴史の流れを変えたのです。これは神の配剤でしょう。
久保有政著 以上
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