2020年01月14日
NHKドキュメンタリー「欲望の資本主義」で再注目の宇沢弘文氏の思想・・・「経済は人間の為にある」
NHKドキュメンタリー「欲望の資本主義」で再注目の宇沢弘文氏の思想・・・「経済は人間の為にある」
〜デイリー新潮 1/14(火) 18:30配信〜
6年前に亡く為った経済学の巨人・宇沢弘文氏に再び注目が集まって居る(NHKアーカイブスHPより)
・・・1月3日放送のNHK-BS1スペシャル「欲望の資本主義2020 日本・不確実性への挑戦」で紹介された事で、6年前に亡く為った経済学の巨人・宇沢弘文氏に再び注目が集まって居る。番組を締め括る終章のパートで、経済学者のジョセフ・スティグリッツ氏が「30〜40年後にドンな経済や社会を実現したいか・・・日本には非常に偉大な知性が居ましたよね。私の先生の宇沢弘文氏です」と名前を挙げて語ったのだ。宇沢氏は一早くアメリカ式の資本主義の限界を予見して居たとも。
スティグリッツ氏と云えば、2001年のノーベル経済学賞受賞者。その彼に「非常に偉大な知性」と迄に言わしめた宇沢氏の思想とはいかなるものか。核と為るのは、番組でも紹介されて居た「社会的共通資本」と云う考え方である。
最晩年の宇沢氏へのインタビューや講演を元にした『人間の経済』の序章には、その考え方が優しい言葉で書かれて居る。加えて昭和天皇やローマ法王との貴重なエピソードも語られた「序 社会的共通資本と人間の心」を同書から全文引用しよう・・・
昭和天皇のお言葉
人間は心が有って初めて存在するし、心が有るからコソ社会が動いて行きます。処が経済学においては、人間の心と云うものは考えてはいけ無いとされて来ました。マルクス経済学にしても人間は労働者と資本家と云う具合に階級的に捉えるだけで、一人ひとりに心が有るとは考えません。
又、新古典派経済学においても、人間は計算だけをする存在であって、同じ様に心を持た無いものとして捉えて居る。経済現象の間に有る経済の鉄則、その運動法則を考える時、ソコに人間の心の問題を持ちこむ事は、云わばタブーだった訳です。
次の様な事を記憶して居ます。1983年、私が文化功労者に選ばれた時の事でした。顕彰式が終わった後、宮中で昭和天皇がお茶を下さる事に為り、実はそれ迄私は天皇制に批判的な考えを持って居たので、違和感を抱えたママ席に臨みました。
昭和天皇を囲んで一人ひとりが、夫々自分が何をして来たかを話し、時折天皇がそれにお答えに為ります。昭和天皇は思いの他親しみのある気さくな話し振りでしたが、私は自分の順番が来た時にはスッカリ上がってしまい、ケインズの此処が可笑しいだの、新古典派の理論がどうだとか、社会的共通資本とは何か、等と懸命に喋り立てました。しかし、我ながら支離滅裂なのが判って混乱して居た処、昭和天皇が話を遮って、こう仰ったのです。
「君! 君は経済、経済と云うが、詰まり人間の心が大事だと、そう言いたいのだね」
心の中をピタリと言い当てられた様で、私自身、ハッとしたものでした。それから四半世紀に渉って社会的共通資本の考え方、人間の心を大事にする経済学の研究を進めて来られたのは、あの時の昭和天皇のお言葉に勇気付けられたからでもありました。
「レールム・ノヴァルム」
もう一つ、私の人生の中で最も感動的な思い出を振り返ります。今から20年程前、私はローマ法王ヨハネ・パウロ2世にヴァチカンへ呼ばれて、或る歴史的な文書の作成を手伝いました。文書と云うのはEncyclicalsです。
Encyclicalsは、歴代のローマ法王が在任中に一度は出される重要な公式文書の事で、その時々の世界の状況に関してローマ教会の公的な考え方をマトメたものです。世界中のビショップに配布されるこの分厚いドキュメントは、日本では「回勅」「同文通達」等と訳されます。
その中で歴史的に最も有名な回勅が、1891年5月にレオ13世によって出された「レールム・ノヴァルム」で、経済学の考え方に大きな影響を与えました。レールム・ノヴァルムとはラテン語で「新しいこと」カトリックの方では「革命」と訳される事もありますが、それにはこう云う印象的な副題が付いて居ました。Abuses of Capitalism and Illusions of Socialism資本主義の弊害と社会主義の幻想です。
この背景には、産業革命以降のイギリスの工業都市で、資本家が徹底的に労働者階級を搾取し、一般大衆が非常に悲惨な状況に追い遣られて居た事がありました。レオ13世は、新しい工業都市で、子供達の生活が余りにも悲惨な事を深く心配されて居た。
しかし、多くの人が社会主義に為れば救われると主張して居るのは単なる幻想に過ぎず、社会主義に為ればモッと悲惨な現実が待って居て、人間の存在・魂の自立すら維持出来ないと云う事を主張されたのです。詰まり、階級的対立や競争によってでは無く、人類が互いに協力し助け合う事で困難な時代を乗り越えて行くべきであると云うのが回勅の主旨でした。
その後を受けて、ヨーロッパでは協調と友愛を基調とする新しいタイプの労働組合運動が起こり、それと同時に協同組合運動が大きく発展しました。しかし20世紀に入ると、1917年のロシア革命によって、15の共和国と世界の陸地面積の6分の1・・・3億人の人口から成るソビエト連邦が成立しました。
その支配は、ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニア等の東欧諸国に及び、一時期は世界の人口の3分の1迄が社会主義体制に組み込まれます。
ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世は、ローマ法王としてヴァチカンに行く迄、過酷な社会主義体制下にある人々の魂を守る事に心を尽くして来られた方です。そしてレオ13世の回勅から丁度100年目、新しい「レールム・ノヴァルム」を作成する事に為り、私はヨハネ・パウロ2世から、そのアドバイザーに為って欲しいと云うお手紙を頂いたのです。
私は躊躇する事無く「社会主義の弊害と資本主義の幻想」コソ、新しい「レールム・ノヴァルム」の主題に相応しいと返事を差し上げました。私の様な部外者が回勅の作成に関わる事自体前例が無かった様ですが、ヨハネ・パウロ2世によって1991年5月に出された新しい「レールム・ノヴァルム」のタイトルは、Abuses of Socialism and Illusions of Capitalism社会主義の弊害と資本主義の幻想と云うものでした。
当時は東西ドイツを隔てたベルリンの壁は崩壊したものの、未だソ連共産主義が生きて居て、東欧諸国に破滅的な影響を与えて居ました。「社会主義の弊害」とは、スターリンが何百万と云うソ連の人々を殺し、ソ連全体を収容所列島の様にしながら、同時に東欧の国々に対しても非常に過酷な支配をする、その事を指して居ました。
その一方で「資本主義の幻想」とは、その頃、西側諸国で勢いを増して居た市場原理主義を中心とした運動が、ヤガテは或る意味で社会主義の弊害に匹敵する様な大きなダメージを人々に与えるに違い無いと云う危惧だったのです。
「新しいレールム・ノヴァルム」が経済学者に提起したのは、夫々の国が置かれて居る歴史的、社会的、文化的、自然的、経済的諸条件を充分考慮して、全ての国民が人間的尊厳と市民的自由を守る事が出来る様な制度をどう遣って作れば好いのかと云う問題でした。
そしてこの年に八月革命が起こり、12月に掛けてソ連帝国の解体と云う世界史的な事件に発展します。2005年にヨハネ・パウロ2世が亡く為られた時、ゴルバチョフ元ソ連書記長は葬儀に異例の弔文を送り、その中でヨハネ・パウロ2世の「新しいレールム・ノヴァルム」が、新しいヨーロッパを作る為に非常に大きな役割を果たしたと云う事を述べその業績を称えました。
医療や教育、自然環境が大事な社会的共通資本である事は勿論ですが、もう一つ、つけ加えるなら、平和コソが大事な社会的共通資本なのです。
ヨハネ・パウロ2世は、生涯、アメリカが広島と長崎に原子爆弾を落とした事は人類が犯した最大の罪であるとして厳しく批判されました。その為にヨハネ・パウロ2世はアメリカでは評判が悪かったのですが、ローマ法王に為られたばかりの1981年に来日されて広島と長崎を訪れた際、小石川の後楽園で盛大な野外ミサを執り行い、流暢な日本語でこう云う話をされて居ます。
「平和は人類に取って、一番大事な共通の財産である。特に日本の平和憲法は、平和を守る非常に重要な役割を果たす社会的な資産である」
社会的共通資本と云う言葉コソ使われませんでしたが、平和を守る事の意味を非常に大切な事と強調されたのです。ヨハネ・パウロ2世は全世界のこれ迄全く対立して居た宗教の責任者の方々を回って歩き、そして歴史的な和解を実現されました。
聖なる存在を神として敬う、そう云う気持ちが宗教の原点に有るのだから、対象とする神は違ったとしても、神を以て自分達が平和を守って行くと云う気持ちで結び付きたいと考えて居られたのです。
話は一寸脱線しますが、私には一つ欠点があって、それは酒を飲み過ぎる事です。或る時、ヨハネ・パウロ2世のお部屋でご馳走に預かりました。ローマ法王庁のラベルが貼られたワインを美しい修道女が注いで呉れ、ご馳走を前にした私はスッカリ好い気分に為ってしまいました。
その際、ヨハネ・パウロ2世が「教育や医療はどの様なルールで維持したら好いのか」とお聞きに為りました。私は「教育も医療も、夫々の職業的専門家が職業的なdiscipline規範に基づいて、そして社会の全ての人達が幸福に為れる事を願って、職業的な営為に従事する事だ」と申し上げ、更に「今、世界は人々の魂が荒れ、心が殺伐として居る。貴方は人間の魂、心を守ると云う聖なる職業をされて居るのに黙って居る。貴方はモッとハッキリ主張しないといけ無い」と一席ブッてしまったのです。
するとヨハネ・パウロ2世はニコニコしながら「この部屋(ローマ法王の部屋)で私に説教したのは、貴方が初めてだ」と云われました。その後ヨハネ・パウロ2世から、新しく作られた「レールム・ノヴァルム」のゴスペルを、自分の代理人として全世界に広めて欲しいと云う旨の手紙を頂きました。
Gospelと云うのは普通、ローマ教会の正式な考え方を集約したものですから、キリスト教徒でも無い私に取っては荷が重過ぎる、と申し上げてお断りしたのですが、後に為って手紙の「gospel」の頭文字が小文字だった事に気が付きました。
大文字のゴスペルはローマ教会の公的な考え方を強調したもので、小文字のゴスペルは単なる信条みたいなものですから、可成り意味合いが違うのです。しかし、それから間も無くヨハネ・パウロ2世は他界されてしまい、失礼な返事をしてしまった事が悔やまれます。
そして残念ながらその後、必ずしもヨハネ・パウロ2世が期待された様な形での、新しい世界秩序は生まれて居ません。それでも、資本主義と社会主義と云う二つの体制概念が、歴史的な役割を終えて変質或は崩壊する過程で、ローマ法王の重要な仕事を手伝う事が出来たのは、経済学者として大変名誉な事でした。
デイリー新潮編集部 2020年1月15日 掲載 新潮社 以上
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