2020年01月07日
成功故の失敗?オバマが称賛したリベラリズム論とは パトリック・J・デニーン 『リベラリズムは何故失敗したのか』宇野 重規による解説
成功故の失敗? オバマが称賛したリベラリズム論とは
パトリック・J・デニーン『リベラリズムは何故失敗したのか』宇野 重規による解説
〜ALL REVIEWS 1/7(火) 6:00配信〜
『リベラリズムは何故失敗したのか』(原書房)
政治学者・東京大学社会科学研究所教授 宇野重規氏
〜ヨーロッパ各地の極右政党・トランプ大統領誕生・ブレグジット・・・リベラリズムとデモクラシーはもう終わりなのか?2018年7月にオバマ元米国大統領がフェイスブックで称賛、今もアメリカで話題を読んで居る政治学書が日本でも先日翻訳出版された。政治学者・宇野重規による解説を公開する〜
リベラリズムは死に体か?
昨今、リベラリズムやデモクラシーの衰退を説く本は多い。無理も無いだろう。これ迄リベラル・デモクラシーを牽引して来たと見られたイギリスやアメリカで、ブレグジットやトランプ現象が生じる一方、世界各地で独裁的・権威主義的な指導者の台頭が目立って居るからである。或いはリベラリズムやデモクラシーも普遍的な理念では無いかも知れない。その様な思いが、世界の各地で拡大して居る。
世界価値観調査等を見ても、リベラル・デモクラシーを信頼すると回答する人は急激に低下して居る。特に若者のリベラル・デモクラシーへの幻滅は著しい。それを思えば、悲観論の続出も止むを得ないのかもしれない。
或る意味で象徴的なのは、本書でも触れられて居る様に、アメリカの政治学者フランシス・フクヤマであろう。冷戦終焉に際して「歴史の終わり」を説き、リベラル・デモクラシーの最終的な勝利を高らかに宣言したフクヤマであるが、その僅か一〇年後にはバイオテクノロジーと「ポストヒューマン的未来」を論じた著作の中で、科学技術の進展による人間環境の変化、そしてそれがリベラル・デモクラシーにもたらす危機を認めて居る。
更に近年『政治の衰退』を刊行し、アメリカにおけるガバナンスの危機に警鐘を鳴らして居る。この鋭敏な知性の関心の推移だけを見ても、リベラル・デモクラシーに何らかの地殻変動が起きて居る事がわかる。
本書も又リベラリズムの失敗を説く本である。但し、著者の主張の特徴の一つは、現代の危機がリベラリズムを実現出来無かったことによって生じたのでは無く、寧ろリベラリズムが成功したからコソ起来たとしている点にある。その意味で、本書は近代リベラリズムを総体として批判する政治哲学の書である。
著者によれば、リベラリズムの論理は、個人を伝統的な社会や組織の束縛から解放する事を目指すものであった。個人は抽象的な自由と権利の担い手とされ、伝統的規範では無く、自らの理性によって全てを判断することを期待された。
しかしながら、結果として何が生じたか。伝統的な社会や組織から解放されたと思った個人は、実は国家と市場と云う、より大きな機構に自らの運命を委ねてしまっただけでは無いか。個人は自由に為ったのでは無く、より脆弱に為り、依存的に為ったのではないか。
著者は本書の中で、繰り返しリベラリズムの個人主義が、決して国家の大きな役割と矛盾するものでは無いこと、寧ろ両者が強く結び付いて居る事を強調する。過つてフランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』で指摘した様に、伝統的な社会から解放され、他者との結び付きを失った個人は、寧ろ民主的権力や集権的国家に依存する様に為る。
身近な近隣の住民と協力して、地域の諸課題を自分達の力で解決する習慣を失った個人は、最早中央権力に縋るしか生活の用を果たす方法を知ら無いからである。この民主的社会における個人主義と国家主義の結び付きに付いて、著者はトクヴィルを導き手として議論を進める。
リベラリズムは「アンチカルチャー」
本書のもう一つの特徴は、この様な分析を特に文化の領域に即して進めて居る事だ。著者はリベラリズムが「アンチカルチャー」の側面を持つとさえ主張する。
既に触れた様に、リベラリズムは個人を伝統的な社会や組織から解放する為に、寧ろ個人を抽象的な存在として扱った。社会契約論が象徴であるが、リベラリズムが想定する世界で、人間は自然と切り離され過去を持たず現在を生きる存在とされ、更に土地との結び付きを失った。これ等は正に、個人の自由な選択を阻む束縛と見做されたのである。
しかし、その事の代償も又大きかった。自然とも時間とも場所とも切り離された個人は、結果的に文化を生み出す力とも切り離されたのではないかと著者は問う。
「文化(カルチャー)」は語源から言っても、土地の耕作と深く結び付いて居る。土地を開拓し耕作し、世代を超えて継承して行く事は、文化の創出と継承と全く同型である。具体的な自然との接触を無くした個人は、果たしてその本性を開花する事が出来るのか。身近な人々と協働の経験無くして、人々はそのコモンセンスを発展させる事が出来るのか。アリストテレス以来の哲学を重視する著者は、この事に疑問を呈する。
リベラリズムとリベラル・アーツの関係を巡る考察も興味深い。リベラル・アーツは現在では「教養」を意味するが、この言葉の本来の意味は、人々を自由にする為の技術(アート)であった。
古代ギリシア以来の古典は、個人にいかに自らの欲望をコントロールし、生を統御するかを教えた。いわば、その目的は人々に自制する為の技術を授ける事にあった。その背景には、自由は人間が生まれながらに持つ能力では無く、時間を掛けて修養を積むことで要約手にするものであると云う考え方があった。
これに対し、近代のリベラリズムは、只管個人の欲望の解放を推し進める一方で、それをコントロールする為の術を教え無かった。結果として個人の欲望に歯止めが掛から無く為る一方で、決して人々は満足する事を知らず、常に欲求不満と不安を抱えて生きる事に為った。その意味で、今求められて居るのは、古典が教えて呉れる、自らの生を統御する技術を学ぶ事に他為ら無いと著者は説く。
目指すべきは「ポリスの生活」
本書が最終的なゴールとして示すのは「ポリスの生活」である。ポリスとは古代ギリシアの都市国家であり、そこへの回帰を説く本書は、酷く反時代なものに映るかも知れない。
しかしながら、著者が再び参照するのはトクヴィルであり、トクヴィルはアメリカのタウンシップと呼ばれる地域共同体に強い印象を受けて居る。人々は近隣の住民と共に地域の問題を解決し、自制と自律の習慣を身に着ける。その事は人々の政治的判断力の養成にも繋がって居る。
著者はその延長線上に、人々が身近な地域との結び付きを取り戻し、そこから世代を超えた知恵や文化の継承と創出に参加して行く姿を描き出す。それはいわば、時代を超えた人々の自由な知的・社会的営みとの交流に他為ら無い。
本書は、現代政治哲学で言えば、コミュニタリアン・共同体主義やリパブリカニズム・共和主義に近い発想の持ち主と言えるかも知れない。しかしながら、大切なのはその様なラベルでは無く、そこから何を学ぶかである。過つてアメリカの大統領だったバラク・オバマはこの書を高く評価したと云う。日本においても、この本をどの様に読んで行くべきか。大いに知的刺激を受ける一冊であろう。
[書き手]宇野重規 政治学者・東京大学社会科学研究所教授
[書籍情報]『リベラリズムはなぜ失敗したのか』 著者パトリック・J・デニーン 翻訳 角 敦子 出版社 原書房 / 発売日 2019年11月21日 ISBN 4562057106 原書房
以上
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