2018年08月23日
明治維新の見直し 「近代日本の光と影」 明治維新150年記念特集
素敵な「自転車と家庭水族館」管理人より
明治維新を見直すことは、今後の日本の未来を考える上には避けては通れぬ道である。何故、250年以上もの安泰の時代を投げ捨て、古(いにしえ)の天皇を持ち出し「大日本帝国」を作り上げたのか。何故、富国強兵や欧米の文明国の軍国的侵略主義へと傾いたのか。何故、一足飛びに国民主体の共和制へと辿り着けなかったのか・・・色々な矛盾と失敗を重ねた日本・・・それをもう一度考えるのには、明治維新150年が切っ掛けと為って欲しい。そこで、2018年8月22日(水)の朝日新聞の特集記事を参照したい。
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朝日新聞 2018年8月22日 12版 特集 明治維新150年 近代日本の光と影 記事より
日本が近代国家への道に踏み出した明治維新から今年で150年に為る。身分制を廃止し西洋文明を積極的に取り入れた日本は、憲法と議会を設けアジアで一早く近代化を成し遂げた。だが、その富国強兵路線は、やがて植民地獲得競争と侵略戦争へと突き進んだ。明治維新が生んだ近代日本の光と影を、隣国からの視線も踏まえて振り返る。日本にあれ以外の道はなかったのだろうか。
福沢諭吉
朝鮮からの視線 「福沢に学び 期待は失望に」
ペリー来航で日本が鎖国に幕を下ろしてから2年、朝鮮に一人の人物が生まれた。後に政治家、啓蒙思想家となるユギル・チュン(1856〜914) 。その生涯は、両国の近代化の歩みを映し出している。伝統的支配階級の出身のユギルは、20歳を迎えるまでに祖国の激変を目の当たりにした。厳格な鎖国体制を貫いていた朝鮮は、1875年に日本に仕掛けられた武力衝突(江華島事件)が切っ掛けで開国する。
朝鮮は、近代制度を学ばせようと日本へ視察団を送る。ユギルは文明開化の思想的指導者であった福沢諭吉の慶應義塾に学び、福沢宅に身を寄せた。ユギルの視線の先にあったのは富国強兵であった。朝鮮近代史が専門の月脚達彦(つきあし・たつひこ)東大教授は「清から干渉されず、欧米とも対等に為る方法を考えて居た」と話す。ユギルは米国にも留学。その後著(あらわ)した「西游見聞」で、「自由と通義(普遍の道理)の権利は、天下の全ての人民が同じく有し、享受(きょうじゅ)する」と記した。福沢の「西洋事情」や「学問のすすめ」の影響がある。
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だがその頃、朝鮮は大きく揺れ動いていた。清との関係を維持するのか日本との関係を強化するか、で政権内が対立。福沢友親交のあった開化派の金玉均(キム・オッキュン)らは、1984年にクーデターを起こすが失敗する。金等の動きに期待していた福沢は深く失望。今度は「亜細亜東方の悪友を謝絶する」と朝鮮に批判的な「脱亜論」を発表した。
両国関係は暗転する。日清戦争に勝利した日本は、朝鮮における清の影響力を排除し自らの影響力を強めて行く。この頃、陸奥宗光外相に会ったユギルは「日本の力を借りて改革することに恥ずかしさを覚える」と述べた。
更に日本は日露戦争に勝利すると、朝鮮から国名を改めた大韓帝国の外交権を奪い保護国とした。更に1910年には朝鮮を植民地にした。併合の年、ユギルは日本政府から爵位を授与されるが受け取っていない。4年後にソウルで死去した。
モデルとして期待を寄せた明治日本に植民地にされる、と云う運命を朝鮮は辿った。日韓関係を研究するソウル大の李秦鎮(イ・テジン・74歳)名誉教授は問う。
「戦後の日本は昭和への反省は口にする。しかし、その眼差しを明治に向けたことがどれだけあったでしょうか」
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孫文
中国からの視線 「西洋の犬か 東洋を守る武人か」
明治維新は中国の人々にも大きな衝撃を与えた。当時の中国は清朝の専制体制だった。しかし、英国とのアヘン戦争に敗れるなど、中国は列強の侵略により疲弊の極みにあった。日本は維新を経て日清戦争に勝ち、富国強兵の道を歩んでいた。清では日本に倣って立憲君主制度を樹立しようとする制度改革の動きが起きた。だが、保守派に潰される。その短さから「百日維新」とも云う。
その後に登場したのが、清朝打破を目指す革命諸団体をまとめた孫文(1866〜1925)だった。「民族・民権・民主」の三民主義を掲げた孫文も、明治維新をモデルと考えた。当時の日本には、孫文と交流し、彼の運動に共鳴する人が少なくなかった。その一人、犬養毅(後の首相)宛ての書簡で、孫文は次のように書いた。
「日本の維新は中国革命の原因であり、両者はつながって東亜の復興を達成する」
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しかし現実の日本は、その期待から離れて行く。第一次大戦で欧州列強が東アジアから退いたのに乗じ、大隈重信内閣は1915年、満州や山東省などでの権益確保を求めた21ヶ条の要求を中国に突き付けこれを認めさせた。第一次大戦後のパリ講和会議では、日本がドイツから奪った山東省の権益が承認された。北京の学生数千人が1919年5月4日、天安門広場から抗日デモ行進を行い、この動きは全国に波及する愛国運動となった。5・4運動である。
1924年11月、孫文は神戸に立ち寄った。日本での最後の講演で、思いのたけを込めた。
「日本民族は既に欧米の覇道の文化を取り入れると共に、アジアの王道文化の本質をも持っている。日本が西洋覇道の鷹犬(狩りに用いられる犬)となるか、東洋王道の干城(かんじょう・守護する武人)となるか、それは日本国民の考慮と先手国かかるねのである」
その後日本は、孫文の言う覇道を進んだ。北京大学法学院の賀衛方教授(58)は「明治維新は日本のそれまでの国の姿を崩し、新たに、天皇中心の特別な国であるとする皇国意識が強調された。覇権拡張は、その国家観の結果だったのではないか」とみる。
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江戸城無血開城の話し合い
「脱亜」の野蛮性を批判する人も居た
アジアを脱して欧米列強と肩を並べることを目指した明治日本。その時流に逆らった反骨の人物が居た。江戸城を無血開城に導いた旧幕臣の勝海舟がその人だ。
「・・・日本はアジアの東辺にあるが、国の精神はアジアを脱して西洋の文明に移っている。不幸な国が近隣にある。一つを支那(しな)と言い一つを朝鮮と言う」福沢諭吉の「脱亜論」にこう云う趣旨の一節がある。福沢だけでは無い。当時の知識人や政治家の殆どは日本を「文明」の側に置き、隣国の朝鮮や清を遅れた「野蛮国」とさげすんだ。
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勝海舟
しかし、勝は違った。新政府でも参議兼海軍卿(海軍大臣)などの要職に就いた勝だが、独自の姿勢を貫いた。1887年(明治20年)、首相の伊藤博文に意見書を送って勝はこう述べる(要旨)。
「・・・日本の制度、文物はことごとく支那から伝来した。仇敵のようにみるのではなく、審議をもって交際されたい」
1994年7月、日本軍が朝鮮の王宮を攻撃して日清戦争が始まった。朝鮮から宗旨国・清の勢力を排除するのが日本の狙いだった。開戦直前、勝は語る。
「朝鮮を馬鹿にするのも、ただ近来の事だヨ。昔は日本文明の種子は、みな朝鮮から輸入したのだからのー。・・・数百年も前には、朝鮮人も日本人のお師匠様だったのサ」
勝は古くからの隣国との信義を重んじ、欧米のアジア進出にも連携して対処しようと考えて居た。日清戦争で日本軍は抗日の朝鮮農民(東学農民軍)に銃口を向け3万人以上が犠牲に為ったとされる。この戦争を福沢は「文野(文明と野蛮)明暗の戦・・・世界の文明の為に戦う」と正当化した。朝鮮を清から独立させ文明化する為の「義戦」だと。
一方勝は「大義なき戦」と断じ「自分ばかり正しいと、強いと言うのは日本のみだ。世界はそうは言わぬ」と批判した。「明治の海舟とアジア」の等を著した歴史学者の松浦玲さん(86)は言う。「福沢は文明と野蛮を対立的に捉えたのに対して、勝は文明自体が持つ野蛮性、暴力性に目を向けた。そこが大きく違っていた」
田中正造
1890年代、栃木県の足利銅山から出た鉱毒が農地を汚染し社会問題化した。この問題について勝は1997年にこう述べる。「旧幕は野蛮で今日は文明だそうだ・・・山を削ることは旧幕時代からやって居た事だが、旧幕時代は手のさきでチャョイチイ遣って居たんだ・・・毒は流れやしまい・・・今日は文明だそうだ。文明の大仕掛けで山を掘りながら、その他の(鉱毒を防ぐ)仕掛けはこれに伴わぬ・・・元が間違ってるんだ」
1998年鉱毒問題と闘う田中正造が勝の元を訪れる。勝75歳田中56歳、この時勝は「百年後あなたが極楽か地獄にお越しになった節は、必ずや総理大臣を申し付けましょう」との趣旨の「証文」を戯れに書き田中に与える。勝と田中は、アジアの隣国や鉱毒被害者の側「野蛮」の側に身を置いて明治の「文明」を批判した。日本がアジアへの勢力拡大と近代化を急ぐ中、二人は「もう一つの近代」を見据えていた。
勝は田中と会った半年後に没し、田中は晩年の1912年(大正元年)、次の言葉を日記に書き付ける。「真の文明はヤマを荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
「文明国日本」はその後も対外戦争を繰り返し、1945年(昭和20年)8月、焦土と為って敗戦の日を迎える。
▼解説▼
福沢諭吉
「一身にして二生を経る」とは、この特集に幾度も出て来た明治の思想家・福沢諭吉の言葉である。幕末、下層武士に生まれた福沢は、新しい明治の世に慶應義塾を率いて、多くの人材を世に出し、言論人としても活躍した。将に二つの人生を生きた。
近代日本も敗戦を機に「二生を経る」コースを歩んだ様に見える。無謀な戦争に突入した帝国日本は崩壊し、国民主権の民主主義国家として再出発した。実は、この二つの近代日本が存在することが、明治維新150年の評価を難しくしている。
明治維新によりアジア初の近代国家を造ったことは、国民の大きな誇りになって好い経験だろう。しかし、単純にそれを称(たた)えるには、その後の植民地支配や侵略戦争の過去が重い。何処で日本は針路を誤ったのだろうか。それとも明治の出発点から問題をはらんでいたのか。
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吉野作造
軍事的拡張路線に反対したのは、ここで紹介した勝海舟や田中正造だけでは無い。大正デモクラシーの思想家吉野作造は、朝鮮の独立運動や中国の民族主義に強い共感を示した。経済ジャーナリストで戦後は首相と為った石橋湛山は、植民地は不要だとする小日本主義を唱えていた。彼等の声は結局、高まるナショナリズムにかき消されたが、時代の巨大な渦の中で、そう云う声があったことが重要だ。
歴史とは、様々な可能性の束(たば)である。起きた事だけが必然の道だったのでは無い。過去に立ち返って、人々の判断と具体的な行動を吟味する。近代日本の歩みを振り返る為にはその作業が欠かせ無い。
この特集は清水大輔、上丸洋一、藤原秀人、三浦俊章が担当しました。/span> 以上
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素敵な「自転車と家庭水族館」オナーのつぶやき
このブログで何度も取り上げた「明治維新150年」企画ですが、上記記事にある下記の言葉で締めくくりたい・・・
「歴史とは、様々な可能性の束(たば)である。起きた事だけが必然の道だったのでは無い。過去に立ち返って、人々の判断と具体的な行動を吟味する。近代日本の歩みを振り返る為にはその作業が欠かせ無い」
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