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2019年12月14日

ロシアが北方四島を返還出来無く為った「本当の事情」




 ロシアが北方四島を返還出来無く為った「本当の事情」


             〜PHP Online 衆知 12/13(金) 11:58配信〜


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 5月9日の戦勝記念パレードで、モスクワ中心部を進むRS-24ヤルス移動式ICBM 沿道には多くの観衆が詰めかける(2015年撮影 小泉悠提供)

 2018年9月にロシア極東のウラジオストクで開催された「東方経済フォーラム」で、各国の首脳が登壇する全体会合の席上、プーチン大統領が突如として「年内にいかなる前提条件も設けずに平和条約を結ぼう」との提案を安倍首相に行い大きな注目を集めた。

 ロシア研究者で軍事アナリストの小泉悠氏は、著書『「帝国」ロシアの地政学』にて、現在まで続く北方領土問題を巡る日ソ・日露間交渉の歴史を紐解きつつ、プーチン大統領の発言から、日本と云う国をロシアが安全保障上どの様に捉えて居るかを詳細に解説して居る。本稿では、その一節を紹介する。


       12-14-5.jpg

 ※本稿は小泉悠著『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版刊)の内容を一部抜粋・編集したものです
 ※なお、小泉氏は同作にて「第41回サントリー学芸賞〔社会・風俗部門〕」を受賞しました








 北方領土問題の始まり

 第二次世界大戦末期、日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦したソ連軍は、日本によるポツダム宣言受諾後も戦闘を続け、1945年9月1日までに国後・択捉・色丹の3島を占拠した。日本政府が米戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に調印した後もソ連軍の侵攻は続き、9月5日には歯舞群島の全てがソ連軍の占領下と為った。現在まで続く、北方領土問題の始まりである。

 戦後の1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約第2条c項では「日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対する全ての権利、権限及び請求権を放棄する」と定められた事から、一見すると日本は北方四島を放棄してソ連の占領を追認した様に見え無くも無い。
 但し、条約の文言には「誰に対して」放棄されるのかは明示され無かった。当初、ソ連側はⅭ項に「ソ連の完全な主権」と云う文言を入れる様に主張したが容れられず、結局、条約に調印し無かった為である。

 1956年に結ばれた日ソ共同宣言第9条では「日ソが平和条約を締結した後に、歯舞群島と色丹島を引き渡す」事が定められた。歯舞群島と色丹島は北海道の一部であり、放棄された千島列島には最初から入って居無いと云う日本の立場を難交渉の末にソ連に認めさせた結果であるが、残る国後島と択捉島の扱いに付いては玉虫色の決着と為った。
 共同宣言本文からは「領土問題を含む平和条約」と云う文言が削られる一方、日本の松本全権とソ連のグロムイコ首相が「領土問題を含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意する」とした書簡(所謂「松本・グロムイコ書簡」)を公表したのである。

 しかし、日ソの平和条約交渉はその後、停滞の時代に入る。1960年の日米安保条約改定を受けてソ連は対日姿勢を硬化させ、領土問題は解決済みと云う立場を執る様に為った。

 冷戦後の日露が積み重ねて来た「前提条件」

 事態が大きく動くのは、ソ連最末期の1991年に為ってからであった。同年4月に訪日したゴルバチョフ大統領と日本の海部首相による日ソ共同声明がそれであり、この中では北方四島の名前を具体的に列挙した上で「領土確定の問題を含む日本とソ連との間の平和条約の作成と締結に関する諸問題に付いて詳細かつ徹底的な話し合いを行った」事が明記された。北方四島が帰属の定まら無い係争地である事を、ソ連が30年振りに認めた画期と言える。

 この方針はソ連崩壊後のロシア政府にも引き継がれ、エリツィン大統領と細川首相による1993年の東京宣言では、矢張り北方四島の名前を具体的に挙げて、これ等の島々が日露間の係争地である事が再確認された。エリツィン大統領と橋本首相が合意した1997年のクラスノヤルスク宣言や、2001年にプーチン大統領と森首相が発出したイルクーツク声明でも、東京宣言は平和条約交渉の基礎であると明記されて居る。
 詰まり、北方領土は未だ日露何れのものとも定まら無い係争地域であると云うのが、冷戦後の日露が積み重ねて来た「前提条件」であった。

 この様な経緯を踏まえる為らば、プーチン大統領のウラジオストク発言は日本側として到底看過出来るものでは無い。四島の帰属を確定すると云う「前提条件」を飛ばして平和条約に調印する事に為れば、日露の戦後処理はそこ迄と為ってしまい、領土問題をどの様な形態・条件・時期において処理するのかはロシア側の胸三寸と云う事に為りかね無い為である。
 実際、プーチン大統領の発言を受けた安倍首相はその場では苦笑いを浮かべるばかりで返答を避けたが、その後、一対一の場では提案を拒否する旨を明言したと伝えられて居る。







 強硬姿勢を崩さ無いロシア

 だが、その直後から、日本政府は立場を一変させ始めた。プーチン大統領のウラジオストク発言があった翌9月13日、菅官房長官は「日ロ関係の発展を加速させたいとの強い気持ちの表れではないか」と発言。安倍首相自身も、プーチン発言は「平和条約締結への意欲の表れだと捉えている」と述べ、俄かに好意的な姿勢を示し始めたのである。
 そして同年11月にシンガポールで行われた日露首脳会談後、安倍首相は「日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる事でプーチン大統領と合意した」事を明らかにした。

 敢えて東京宣言以降の諸合意には触れず、日ソ共同宣言を基礎とすると云うこの発言は「前提条件無しの平和条約締結」と云うロシア側の提案を受け入れたとも取れる。この結果、日本政府は北方四島全体の帰属を争わず、歯舞・色丹両島の引き渡しを以て領土問題の解決が図られるのではないかと云う「二島」論が大きく注目される様に為った。しかし、日本側がこの様な妥協を示してもなお、交渉の見通しは容易では無い。
 既に広く報じられて居る様に、安倍首相の発言を受けたプーチン大統領は、日ソ共同宣言では「引き渡しの根拠や、ドチラの主権に為るのかは明記されて居らず、引き渡しの用意があると述べて居るに過ぎ無い」として「真剣な検討が必要だ」と発言して居る。

 2019年1月に実施された日露外相会談でも、ロシアのラヴロフ外相は北方領土が「第二次世界大戦の結果としてロシア領に為った」と云う従来の原則的な立場を繰り返した上「北方領土と云う呼称を用いる事は受け入れられ無い」と述べる等、依然として強硬な姿勢を崩して居無い。
 中でも日本として看過出来無いのは、日ソ共同宣言では島を「引き渡す」と述べて居るだけであって、引き渡し後の北方領土が「ドチラの主権に為るかは明記されて居無い」と云うプーチン大統領の発言であろう。

 シェイクスピアの『ベニスの商人』で用いられた「肉を引き渡すとは書いてあるが、血に付いては触れて居無い」論法よろしく「引き渡すとは言ったが主権迄渡すとは言って居無い」と云う論法である。日本人としては「一休さん」を想起したく為る。日ソ共同宣言の文言解釈を巡ってロシア側が最大限の条件闘争を行う姿勢である事は明らかであろう。

 ロシアに取っての安全保障上の脅威

 日本側が妥協を示しているにも関わらず、ロシアが姿勢を軟化させ無い理由としては、安全保障の理由が指摘される事が多い。ロシアは返還後の北方領土に米軍基地が設置される可能性等を懸念して居り、それ故に北方領土を主権込みで日本に引き渡す事は出来無いと云うものである。
 だが、ロシア側が提起する安全保障上の懸念とはソモソモ何なのだろうか。そこで先ずは近年におけるプーチン大統領の発言を確認してみよう。

 ●日本テレビとの会見(2016年12月)
 ・日本には同盟上の義務がある
 ・日本は何処まで自由で、どの位まで踏み出す用意があるのかを見極め無ければ為ら無い
 ●東京における記者会見での発言(2016年12月)
 ・ウラジオストクとその北には大規模な海軍基地があり太平洋への出口である
 ・日米の特別な関係と日米安保条約の枠内における条約上の義務を考慮すれば、この点に付いて何が起こるか判ら無い
 ●サンクトペテルブルクにおけるマスコミ代表者との会見(2017年6月)
 ・アラスカや韓国など、アジア太平洋地域で米国のミサイル防衛(MD)システムが強化されており、ロシアにとっての安全保障上の脅威である
 ・我々は脅威を除去せねばならず、島(北方領土)はそのために好適な位置にある
 ・返還後の北方領土には米軍基地が設置される可能性が排除できない
 ・これは日米間の合意の帰結であり、公開されていないが、我々はその内容をすべて知っている

 ●モスクワにおけるマスコミ代表者との会見(2018年12月)
 ・沖縄では米軍基地移設に対する反対運動が広がっているが、その声が日本の政策に反映されて居無い
 ・この問題に付いて、日本に何処まで主権があるのか判ら無い
 ・日露が平和条約を締結した後に何が起こるか判ら無い。これに対する答え無くして具体的な解決策を取る事は出来無い
 ・米国のMDシステムは戦略核戦力の一部であり、防衛的な性格であると理解する事は出来無い
 ●モスクワにおける企業団体代表者との会見(2019年3月)
 ・日本との交渉の勢いは失われた
 ・日米安保条約の下では米国は通告さえすれば日本の領域内に軍事基地を設置出来るのであって、日本が平和条約交渉を始めたい為らば日米安保条約を脱退せねば為ら無い







 「半主権国家」としての日本

 2016年から2019年までに行われた一連の発言から明らかな様に、プーチン大統領は返還後の北方領土に米軍基地が設置される可能性に対して度々懸念を表明して居る。ロシアのパトルシェフ国家安全保障会議書記も、2016年11月に訪露した日本の谷内国家安全保障局長に対して、米軍基地設置の可能性に関する質問を行ったと云う報道がある。
 これに米国のMD計画に対する不信感や海軍の太平洋に対するアクセスが制約される可能性への危惧が加わったのが、ロシア側の提起する主要な懸念と云う事に為ろう。

 加えて興味深いのは、ロシアの唱える「安全保障上の懸念」と一体の問題として、日本の主権に関する疑念が度々表明されて居る事である。プーチン大統領は、北方領土における米軍基地設置を日本が拒否出来るのかを繰り返し疑問視し、2018年12月のマスコミ代表者との記者会見では「日本に何処まで主権があるのか判ら無い」と迄述べて居る。
 ロシアの秩序観からすれば、安全保障を日米同盟に依存する日本は完全な主権を有さ無い「半主権国家」であると云う結論が導かれるが、これを敷衍する為らば、日本が日米同盟の下にある限りロシアの不信は払拭され無い事に為る。

 「半主権国家」である日本がロシアと何を約束しようと、米国に強く言われれば北方領土に米軍基地や戦闘部隊が展開する可能性は排除出来無いと云うのがロシアの日本観であるからだ。


         小泉悠 ロシア研究者・軍事アナリスト    以上







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