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2019年12月12日

「ニトリ・イケアは競合では無い」と言い続ける匠大塚会長の勝算




 「ニトリ・イケアは競合では無い」と言い続ける匠大塚会長の勝算

        今月の主筆 匠大塚会長 大塚勝久【3】


       経営・戦略 今月の主筆 匠大塚会長 大塚勝久  2018.1.22 5:00


 「家賃はタダ」の発想で商品価格を下げる

 私が信じる商売の鉄則は「良い物を、十分な説明で、ご納得頂いて、値引き無しで売る」である。それは桐箪笥職人である父の仕事を手伝い、中学生に為ると経理を任される迄に為った頃から常に考えて居たもので、実際、それを具現化する努力が大塚家具の成長の歴史そのものだった。

 大塚家具は、春日部で開業後は埼玉県内で出店を進めて居たが、1978年、35歳の時に東京に出る決意をした。マーケットの大きい東京で一勝負したかったからだ。東京への本社移転と1号店は、板橋区のボウリング場だった建物だ。
 3階建てで、1フロアが1200坪もある巨大なもので、ボウリング場時代は1フロアに50レーンもあった。1階はショールームと配送センター、2〜3階は倉庫にした。その倉庫に全国のメーカーから直で仕入れた商品を集めた。問屋を介さ無いから価格を抑えられる。更にメーカーと相談してお客様のライフスタイルに合わせたオリジナルの家具を造って売った。メーカーと一緒に努力して造った家具は好く売れた。

 この東京出店で価格を安く出来るモデルを構築出来たと思って居る。特に重要だったのは、店舗に付いては「家賃はタダ」と云うものだ。
 1970年頃に「中山律子・須田開代子」が起こしたボウリングブームは、1973年頃には下火に為り、経営不振に喘ぐボウリング場が続出した。そうした駅前に近くフロア面積が大きく、それで居て業態転換等に苦しんで家賃が下がって居る施設を狙う。
 メーカーとの直取引は粗利が高いので、売値を1割下げても売上高が増えれば家賃はアッと云う間に元が取れる。これが「家賃はタダ」の発想だ。東京に出て、売上高はそれ迄の20億円から、2年間で100億円に増えた。

 以後、大塚家具の出店地は、この業態転換に苦労して居る建物を確保すると云う方針を貫いて居る。1970年代はボウリング場、その後は駅前の量販店、バブル崩壊後はウォーターフロント、そして1990年代後半からは百貨店跡への出店だった。そうした方針の最大の成果が、現在、大塚家具の本社兼旗艦店と為って居る「有明本社ショールーム」だろう。
 1996年に東京臨海副都心で開催される予定だった世界都市博覧会は、バブル崩壊の直撃を受けて中止された。都が見込んで居た臨海部のオフィス需要も萎み、空いて居たのが東京ファッションタウンビル、詰まり現在の有明本社ショールームだ。

 当時、大塚家具は東京・日比谷の朝日生命日比谷ビル(現・日比谷マリンビル)に本社を移し、そこに1170坪の「日比谷ショールーム」を開いて居た。対して有明は広さが7020坪と日比谷の6倍あり、しかも家賃は日比谷と同等だった。
 「品質の良い商品を世界中から集め、大塚家具に来れば他の店に行か無くても自分の好みの家具を揃えられ、しかも値引き無しの実売価格」と云う事業の夢は、全て有明を基盤に展開出来る様に為った。実際、有明ショールームの開店日には長蛇の列が出来た。







 家具業界の慣習を破り「値引きで無く値下げ」を断行

 東京に出て来てもう一つ、どうしても実現したかったのが「値引き販売の廃止による実売価格での販売」だった。しかしそれは、家具業界の長年の慣行に反するものであり、格好好く書けば「家具の販売革命」への挑戦でもあった。

 家具業界では、メーカーは高級イメージを維持する為に価格を高めに設定して、実際は販売店で2〜3割の値引きをするのが慣行に為って居た。大塚家具も1993年に日比谷ショールームを開店する迄は、値引き後の販売価格は予め決まって居た。
 しかし、この慣行にはどうしても不満があった。ソモソモ一物二価の慣行は、お客様では無く自分達が中心のものの考え方だ。品質が良く適正な利益を得られる為らば、その基準でお客様に公明正大に価格を提示すれば好いだけである。「値下げはしても値引きはし無い」これコソがお客さま本位の販売ではないのかと考えて居た。この慣行への挑戦は「会員制」と云う新手の販売方法を開始した事で実現する。

 1993年、大塚家具は「日比谷ショールーム」を開店した。この時出店したのはオフィスビルで、小売店舗を許可して居無かった。その為、お客さまに来て頂く為には入口で名前と住所を書いて頂く必要があり、これが「会員制」と云う形に為ったのだ。
 過つての大塚家具の代名詞とも為って居た会員制は実は止むを得無い事情から生まれたものだった。処がこれが怪我の功名と為った。「会員登録をしたお客さまだけを対象に値下げ販売する」と云う言い方で、お客様に、適正価格での販売を開始する切っ掛けが出来たのだ。

 しかし、これで業界は騒然と為った。あらゆるメーカーが「商品を引き揚げる」と怒り、実際、ショールームから商品を引き揚げるメーカーが続出した。私の試みに異論がある社員も居て「こんな業界慣行を無視した商売をして居たら、この会社は潰れる」と辞めて行った社員も居た。
 だが、私は此処で後戻りすることはせず、日比谷ショールームの開店から半年もせずに大塚家具の全店舗を会員制ショールームに転換した。すると、メーカーの不満は抑え切れ無い程に強まり、他の店舗でも商品を引き揚げられる動きが頻発した。

 そんな状態だったが、私は会社の危機は全く感じて居無かった。何故なら、会員制の導入以後、お客様の満足度や信頼の高まりを日に日に強く実感出来て居たからである。
 会員制では、お客様に会員登録をして貰い、来店時にはお客さま一人ひとりに担当が付いてご案内し、家具や寝装品等をメーカー希望小売価格の2〜5割引で販売した。彼等は「お客様」とは呼ばず、お客さまの名前で接した。それは行き届いた接客サービスでは当然の事だ。
 会員登録は、営業活動を緻密にする効果もあった。ご購入後には、お礼状や季節のご挨拶を出したり、インテリアでお困りの事等をお伺いした。するとご友人を紹介して下さることもあった。

 結局、会員制による実売価格の断行は、お客様の「品質の良い家具を安く手に入れたい」と云う心理に訴えるものに為ったのだ。
 日比谷ショールームのお客様単価は40万円を超えた。売れ筋のダイニングセットが、同業他社では10万円以下が多かったが、大塚家具では品質の高い商品が15万円と云った具合だった。それだけ、良い物を買って頂けたと云う事である。







 もう一つの個性 輸入家具販売が生まれた理由

 「会員制による、値引き無しの実売価格」により、大塚家具に商品を納入して呉れ無いメーカーが続出した。しかし、これも怪我の功名で、この事を切っ掛けとして大塚家具は更にもう一つの個性を手にする事が出来た。輸入家具の販売だ。

 大塚家具が最初に輸入家具の取り扱いを始めたのは、1983年に平塚店を出店した時だった。駅前の百貨店跡の店舗を借りて出店したのだが、国内家具だけを扱うと地元商店街の家具屋さんと競合してしまう。その為出店の際に「輸入家具を扱う事」と云う条件を付けられたのである。その頃の輸入家具は価格が高く、大塚家具の売り上げを牽制出来ると見たのだろう。
 「それ為らば海外で買い付けて遣る」と意地を見せて欧州に飛んだら、品質の良い家具が実に安い。日本の数分の1だった。詰まり日本では現地価格の数倍で売られて居たのだ。

 私が、現地のメーカーにブツケタのはロット買いだ。「日本でこの価格で売るには、これだけの数を造って貰う必要があるが、遣って呉れますか」と迫る。最初の頃は相手にされず、発注書だけ置いて帰ったこともあった。
 その内商談を早く纏める為の攻略法が分かって来た。現地ではメーカーでは無く、先ず小売店舗に行き価格を調べて置くのだ。その上でメーカーを訪ね、価格と買い付け量を示す。首を横に振れば「貴方の所の家具は、此処を改善すれば原価をこれだけ下げられる。品質に変化は無い」等と、こちらが提案するのである。

 「此奴は只のバイヤーでは無いな」と思われたらコチラのものだ。規格と価格、数量を詳細に詰めて、ドンと買う。
 もう一つ、輸入家具の買い付けでメーカーに要望したのは、現地サイズとは別に日本向けのサイズ、詰まり小さ目のサイズの家具も造って貰った事だ。日本人の体型も大きく為ったが、とは言え欧米サイズでは大きいと感じられるお客様も多い。

 そして日本で従来の半値で売る。お客様が「こう云うヨーロッパの家具を一度は欲しかった。でもサイズが・・・」と戸惑われる事があれば「少し小型のサイズもございます」と答える。喜んで下さるお客様が本当に沢山いた。
 しかも大量に買い付けて在庫を持って居るので、お客様が「欲しい!」と思われた時に直ぐに届けられる。これでお客様の満足度は一段上がる。

 日比谷ショールームを開店した1993年の暮れは、少し切羽詰まった状況に為った。実売価格表示に反発した国内メーカーが商品を引き揚げたので、店頭の商品に欠配が出る危険性があったのだ。そこで私はアメリカ各地を飛び回り、数社と販売総代理店の契約を結ぶ事が出来た。
 そうした経験を何度か積み重ねて、輸入家具の販売を本格化させたのが有明ショールームが開店した1996年だ。当時は円高が進み、ものによっては内外価格差がゼロと云う事もあった。メーカーとの直取引だから、同じ家具でも同業他社の半額で売れた。それでも利益が出たのである。

 只忘れて為ら無いのは、ココでも社員の「価値を納得して頂くにはキチンと説明する」と云う前回述べた販売精神が、素晴らしい力を発揮して呉れて居た事だ。海外の家具だから社員も一から勉強し無ければ為ら無い。日本の家具との違い、その家具メーカーの特徴、家具そのものの良さ、そして価格とのバランスの良さ等を、一つの文化としてお客様に伝えられ無ければ、お客さまも安心して買え無いのだ。
 輸入家具の扱いを本格化させる事で大塚家具は「海外も含めた品質の良い家具があり、実売価格。だから大塚家具に行けば全てが揃う」と云う評判と信頼を得られる様に為ったのである。







 ニトリ・イケアと競合する必要は無い

 読者の皆三もご承知の通り、現在の日本の家具業界は、イケアさんやニトリさんが成長を続け、若い人達は所謂断捨離でモノを所有し無い風潮がある。「家具って必要でしょうか」と言う人も珍しく無い。
 確かにニトリさんとイケアさんの快進撃によって街の家具屋さんはドンドン無く為って居る。ここで問題なのは、家具業界では数百万円もする高級家具と、数万円の普及品しか無い状況に為り、中間価格帯製品を売る店がドンドン減って居る事だ。

 これは家具産業とすれば由々しき事態で、消費者の皆さんが、家具のある生活を知ら無い状態を作ってしまう。詰まり自ら潜在的な顧客を創り出せ無い構造を生み出してしまって居るのだ。昔は、家具の販売では百貨店が大きなシェアを持って居て、家電製品も実はそうであったが、現在では売り場が縮小されてしまって居る。

 大塚家具は、1999年に新宿三越の南館を丸毎借り受けて首都圏最大級の「新宿ショールーム」を開店した。新宿で売る事、増してや三越さんの店舗をお借りして売れる事には大きな達成感があったが、それは、消費者を育て需要を創造する能力がズバ抜けて居る百貨店での家具販売を、何とか維持したいと云う思いでもあった。
 消費者の商品を見る目は非常にシビアだ。だが、価格だけで商品価値を判断されて居るかと云えば、決してそうでは無い。良い品質で、何とか頑張れば手に入りそうな価格であれば、そこに需要はある。それが私の言う、中間価格帯製品であり、私がトップで居た頃の大塚家具はそれを目指して来たし、今の匠大塚でもその考え方に変わりは無い。

 ニトリさんは「お、ねだん以上」をキャッチフレーズにコストパフォーマンスを前面に打ち出して居る。対して匠大塚は「確かな価値との出会い」だ。但し、同じ製品であれば、匠大塚は最低価格を保証して居る。同一商品であれば匠大塚の方が絶対に安い。それに社員の説明や配送、アフターフォローがあり、お客様対応では私達は絶対的な自信を持って居る。
 それは買ったお客様しか分から無い事かも知れない。只、分かって頂ければ静かに支持の輪は広がるし、その為には辛抱強く遣って行けなければ為ら無い。

 それでもなお匠大塚は、良い品質のものを納得の価格で出し続ける仕組みを持って居る。2017年12月に約1万7000アイテムの一斉値下げに踏み切ったのも、中間価格帯製品を価格訴求出来るだけの体制が整ったからだ。
 何を申し上げたいかと言えば、匠大塚はニトリさんやイケアさんと競合する必要等無いし、競合する余地も無いマーケットに生きて居ると云うことだ。ニトリさん等が普及品中心のマーケットで頑張って居る事と、私達が扱う「もう少し手を伸ばせば手に入れられる品質の良い家具」は別物であり、私達は、そのマーケットこそが新しい日本の家具需要を創造すると考えて居る。

 実はニトリの似鳥昭雄さんと私は、同年齢・同級生だ。そして2人とも家具業界の全盛期を知り、衰退する中でいかに存在感を維持するかに全力を注いで来た。置かれた状況は同じでも、経営者として、事業の着目点は異なって居る。
 私自身は、誰にも真似の出来無いビジネスモデルを創ってみたいと考えて来た。それが過つての大塚家具であり、今は匠大塚に凝縮されようとして居る。


       匠大塚会長 大塚勝久    つづきは次ページ

















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