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つらつら誕生日

ときどき、縁について考えたりする。

なぜ、わたしはあのひとと結ばれているか。
それはたったひとつの理由ではなく、
たまたま足下に転がっていた小さな石ころが、靴のしたをかするようなもので。
あるいは見上げていない空で雲がうごいていいくようなもので。

もしかしたら始まりは今日の朝、
私が寝坊したことかもしれないけれど、

もしかしたら昨日、
突然雨が降ってきたことかもしれない。

絶妙の奇跡的な危うさで人と人とはつながっている。

手と手をつないだり、
手紙やメールで返事を書いたり、
意図的につなげて、つながって見えるものは、欠片の欠片にすぎない。

たった今、私の背景で勝手に結びついて、
勝手に離れていくものがほとんど。

とは言え、コップが何も起こらずに勝手に割れることはない。

毎日少しずつ与えられている緊張や振動が原因なのだ。
あるいは、吹くべき、起こった風が原因かもしれない。

全てはぜーんぶつながっているということ。

そう思うと、
とても怖くなる。
何も変化を与えないことが守ることになるのではないかと思ったりする。

けれども、
変化のないことなんてあり得ない。

私たちは、必ず変化する。
壊れるし、始まるし、終わる。

その中で、できることなんて、ほんのすこし。

じゃあどうすればいいのか。

それはきっと、
今握ろうとしているものに責任を持つこと。

壊れても、離れても、始まっても、終わっても。
とんでもなくつまらなくても。

私が掴んだことにしっかりと責任持つ。

たぶん、それだけなのだろうと思う。

きっとこの瞬間にも、
何かのスイッチは押されていて、
終わりに近づいているものはある。

残念ながら、見えるスイッチと見えないスイッチがあることも事実。
それならば、責任なんて持てないじゃないかって思うかもしれない。

果たしてそうかなあ。

私がさしているのは、
自分できちんと選択しているものについて。

それはたったひとつで独立している訳などないから。
何かにつながって、絶妙の危うさで成り立っている欠片に違いないから。

自身で選択したものだけにでも責任を持てば、
それが限りなくつまらないものだとしても、
許せないことはないと思う。

どうして誕生日に、
そんな答えのないことについて考えたかというと、
ひとりについて考えたからです。

誕生日ってそういう気分になるもんだ。

なんなの誕生日(専門時代に友人の描いた絵本のタイトルより

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プロフィール

しらくまいく子
携帯アプリのシナリオライターと、    『するところ』のライター、ポエガールをしています。
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