私にとって初めての震災。
阪神淡路大震災の時、私は小学校6年生だった。
卒業を控えていて、
私立の中学にいってしまう友人ばかりで虚無感を感じていた。
教室には、1年のうち1回くらいしか使われなかったテレビがぶら下がっていた。
それがそれまでの日々。
しかし1/17は違った。
朝から授業は無くなり、いつもとは違う先生の話があり、
それが終わっても教室ではずっとテレビが点いていた。
ニュースを見るためだった。
今だから言えることだけど、
あのとき、私を含む教室中の生徒達が特撮映画でも観るような気分でその画面を観ていた。
嘘なんだ。これはテレビの中の嘘なんだ。
気持ちでは「ニュース」と理解していても、
実際はテレビの中のこと。
画面の端でどんどんカウントされていく数字が、
まさか人間の数だなんて、はっきりとわからなかった。
わかっていたのかもしれないけど、
わからなくても良い事だと勝手に脳が処理したようだった。
途中、先生がテレビを消して、
通常の授業に戻った。
そのまま、私達の日常は再開されていった。
それから、3.11まで震災を振り返ることなどあっただろうか。
きっと無かったと思う。
あの日、先生がテレビを消した瞬間から、
私は考えなくてもいいこととして、先生を理由にふたを閉じてしまったのだと思う。
そして最近、この映画
「その街のこども」をレンタル店で見つけた。
そういえば公開のときも、街のどこかで広告を観た。
震災映画と聞いて体が勝手に感じるあの拒否する感じを、
歳をとってからもまた思った。
そして、観なかった。
その後、小学生の頃よりもずっと身近で、
震災は起こった。
あれからまた時が経って、
レンタル店で同じポスターを見た。
やっぱり観る気持ちは掴みにくかった。
けれど、
いっしょにいた人の言葉に推されて
(というよりも助けられて)観ることができた。
ほんとうは観たかったのだけど、観るのは安易だと勝手に決めつけていたのだと思う。
震災と映画を重ねると、
どうしても嘘っぽくなったり、
逆に変に押し付けがましくなってしまったり、
ドラマチックになってしまったりするけれど、
この映画は、被災者の人々と、離れた場所にいた私たちを
自然な距離で描き出していて、
それがじわじわと自分の内側をつついてきた。
小学生のときに拒否した気持ちや
その後、3.11でも思ったこと。
あやふやなままで奥に奥にと押し込めていたものが
今つつかれた気がした。
震災に対して思うことは、
忘れてもいけないけど、
強く主張しすぎてもいけないということだった。
私は被災地の人ではなく、
東京という1場面でしか震災を知らないから。
何が良くて何が駄目かというのも、
かやの外の意見であることを承知している。
けれど、話を聞くことはとても重要であると信じていた。
福島の友達や神戸の友達、震災を経験したことのある友人の話。
日常がぷっつりと止まってしまうことの恐ろしさをおしえてくれた。
しかし友人ならば話を聞けるところ、
初対面の方にはそれは難しい。
私は3.11のあと、七里ケ浜などを訪れたけれど、
知り合って2日目に震災の話をほんの少しすることがやっとだった。
話を聞くのがとても怖かった。
思わず目をそらしたくなるような、こっくりと黒いまなざしに、
私の心の中までも見透かされる気がして。
「だってあなたは被災者ではない」
それが恥ずかしさであり、怖さだった。
私なんかが、話してもいい話題ではないような気もして。
向き合って、見つめる事を、
知らないうちに、どんどん避けようとしてきたのだ。
それは、私が「被災者ではない」からだと思っていた。
しかし物語の主人公達(主演の2人は実際に震災を経験している)も
全く同じことを思っていた。
「自分なんかが生きていて」と思っている。
見ないように、もしている。
何も出来ないと思っている。
このことは、はっとした。
けれど、
でも、でも、
だからって、
どうするの?
大友良英さんの「歩く」という曲が
隙間をつむぐように流れて、
とても良かった。