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2016年08月23日

接点写真の接点とは その8

SCAN0023.JPG

さて、話は戻って私の写真であるが、
週末の写真行為、たまに写真屋が開くコンテストや撮影会に
参加したりもしたが
自分の撮る写真の方向性が同じである人はいなかった。
皆せっせと花を撮ったりモデルを撮ったり好きな車とか、
なんか教科書通りの撮り方をせっせと撮っている。
正直合わなかった。だから、
自分の作品をみせても反応はいまいち。
皆、何これっていう感じ。
多分、どう反応していいか分からないっていう感じですか。
少し寂しい感じでしたね。
むしろ、写真を趣味としない人みせた方が反応はいい。
妙に驚く人もいて反応を見るだけでも面白かった。
意外にも、って言う感じでしたが、まあそんなもんでしょう。
その頃だと思う。週末市内を歩き回る。
いろいろなところを歩く。ひたすら歩く。
時々コンビニで休みながら午前午後日が沈むまでひたすら歩く。
ただ漠然と歩くわけじゃないよ。
何か気になる風景を探しながら歩いているんだよ。
だから歩いても面白い。
普段知っている街でもおやっと感じる時がある。
カメラを持って歩くと何か違う視点で見ているよう感じがする。
常に興味を持った意識で見ているためかなぁ。
面白いことにそういった感覚を一度でも味わうと
もう以前のような意識には戻れないように思う。
一線を越えてしまったわけである。

つづく










2016年08月16日

接点写真の接点とは その7

SCAN0024.JPG

私の撮る写真を接点写真と名付ける以前にも
名称こそなかったが同様の考えで写真を撮っていた。
自分の写真を撮ろうと思って始めたのが25歳ぐらいの時かな。
現像用品、引き伸ばし機など機材を購入し、
書籍などで技術的なことを調べながら
自分のスタイルに合うように
いろいろアレンジしながら進めていった。
一通り習得すると、撮影、現像、プリントを
各週末交互に行っていった。
全てを土日で行うのは大変だったからだ。
最初の週末は市内を歩き回り撮影をし、
翌週末に現像する、
そして次の週末までにどれをプリントするかを選び
週末にプリントする。その繰り返しを数年間行った。
いろんな書籍で知識を得たり美術館へ行ったりして
いろいろな作品を見た。
そのなかでもロバート・フランクの写真には多くの影響を受けた。
フランクの存在は写真を始めて間もない頃に知った。
もちろん日本にもいいなと思える写真家はいたが
その多くはフランクやクラインの影響を受けていると
後で知って、なるほどと思った。
世代間を伝わり国境を越え広がる。
フランクにしてもクラインにしても
おそらく誰かの影響を受けてきたに違いない。
彼らも大きな分岐点の1つだ。それに過ぎないがその役割は大きい。
単に、伝えるだけであってもその存在は大きいと思う。
後に続く人で分岐点の役割が出てくるかもしれないからだ。

つづく


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2016年08月09日

接点写真の接点とは その6

SCAN0041.JPG


2001年7月28日(土)に
私は接点について
私の言っている「接点」について説明している。

《接点 身近にあるもの / 遠くにあるもの》

日常見慣れているものというのは、
つまり、見飽きているものであって、
これといって特に注意を傾けないし
ほとんどの場合、それを意識していない。
例えば、道を歩けばそこには電柱があり、
電線があり、電灯がある。
それに様々な建物。
空を見上げれば、そこには青いお空に白い雲。
私たちは、それが何だか分かっている。
しかし、何だか分かっていると言っても、
私たちの認識では限られたことであって、
それ以上は何も知らない。それでもなお、
いや、それだからこそ、
私はあえてそれらに注意を傾ける。
するとそこには、そこにあるものが
自分にとって調和のとれたものとして
自然にそこに構成されているものとして見えてくる。
これが私にとっての風景である。
例えそれが目的のないそれ自体意味の無い対象であっても、
風景はそこに存在し私はそれを捉える。
そして現在そこにあるものを
自分が風景として捉えている風景が現風景で、
その現風景の捉え方は私にとって意識的である。
現風景を見つめる目はまずそこにある現風景を見詰める。
目に映る現風景は、私の心(心の目)に作用し、
記憶の中の風景と照らし合わされる。
そして、私の心の目が照らし合わされた風景を再構成し、
それを再び現風景と共有させようとする際、
その2つの風景が接触する点がある。
それが接点である。
そして、この接点が私の写真を定義するものである。
接点写真とはこの接点を撮った写真のことである。

つづく










2016年07月28日

接点写真の接点とは その5

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接点は、
相対するものが接する点を意味しています。
ということは、
その点に何かしらの共通するものが存在していることになるわけです。
その点は、相互がかかえている問題の最も純粋な部分
というか根本的なもの、本質的なもの、核となるもの
といってもよいかもしれません。
右でも左でも抱えている要因はいくらでもある。
考え方にしてもものの捉え方にしても同じ現実
というか事実に直面しても解釈は異なります。
しかし、事実は一つで
そこに存在するという点では同意せざるを得ません。
つまり、突き詰め考えてどの様に受けても解釈しても
同意せざるを得ないある点が存在するはずです。
まず、それを前提としてこの私の話しはスタートしています。
つまり、右でも左でも接している接点が存在している限り
そこには何かの共通として見なくてはならない事
同意せざるを得ない何かが存在しているわけです。
それは私達の力の及ばないところで仕掛けられているかもしれないし、
誰かが意図的に仕掛けているかもしれない。
はたまた自分自身の中で作り上げられているだけかもしれない。
それはわからない。
どちらにしても、私が話しを進めていきたいのは
この接点だということにかわりはない。
相反するもの、例えば、善と悪、成功と失敗、右と左とか。
しかし、同じものでも程度の差で2つに分けてしまうものもあるね。
どちらがより悪いとかで片方をよしとされてしまうケース。
1つ1つをみるとどちらも良くないむしろ罪深いことなのに
一方があまりにもヒドいためもう一方が軽く見られてしまうことがあったりする。
しかし、そういったことの接点はやはり1つの罪の事実である。

つづく













2016年07月27日

接点写真の接点とは その4

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田舎の田んぼでカエルの鳴き声をよく聞くが、
都会で育った人が田舎で宿に泊まると
そのカエルの鳴き声で寝られないと
クレームを出す人がいるそうです。
そう言う人は街中の騒音の中でも平気で寝られるようです。
その音で育ってきているわけですね。
この様に背景の異なるひとが一つの現象を見たとしても
聞いたとしても
それに対する反応が全く異なることになる可能性があることです。
しかし、そうした異なる人にも接点はあるのでしょうか?
私が話している「接点」はこれとは違います。
異なる相手の解釈を一旦私自身が自分の思考の中に投入して
そのことについて一体どうしてこんな解釈をするのだろうと考えてみます。
一つ一つ分解し自分で理解出来る要素や項目からみていきます。
そうして解釈の全体像がわかると
相手の視点がどこにあるか探しやすくなるでしょう。
意見が異なるが方向が近いかもしれない。
しかし、それがわかるまでには相互の話し合いや
意見交換でかなりの時間が費やされるはずです。
コミュニケーションをとる中で相手を信じる気持ちも出てくると
共通する要因が増えていく。
それは自分の内側のイメージを豊かにしていく。

つづく













2016年07月26日

接点写真の接点とは その3

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道を歩いても個人個人
自分の周りに自分世界の細胞膜をつくり、
なるべく接触を避けながら歩いている様にみえる。
他人が無理にその膜を破って中に入ってこない様にしているようにみえる。
自分の世界だから
それが皆がいる社会の中で許容されている場合は問題無いのだが、
そうで無い場合、例えば、
マナーとかで相手が自分に何か言葉を発した場合、
それが単に気付きを与える善良なものであっても、
自分に侵入してくるもの全てを敵として見て、
どんな言葉も自分を攻撃するものとして受け止めてしまう人もいる。
ちょっとしたことでも、
その人に話しかけただけで攻撃的な表情でこちらをにらむ人もいます。
相手にとって何か理解し難い、
受け入れ難い異物の様なものとして捉えられているのだろうか。しかし、
大なり小なりどんな人でもそうした世界を自分の中で作り上げている。
それも無意識のうちに。

つづく








2016年07月19日

接点写真の接点とは その2

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個人個人はそれぞれ世界を持っている。
そして常に新たな世界をつくっている。また、
不要になった世界を取り除いている。
時には自分の都合の良いように世界を作り上げている。
他人と世界を共有している時もあれば、
全く共有しない時もある。
世界が他人の世界と接触する時、
融合する場合は、同じような世界観を持った人だと思う。

つづく






2016年07月12日

接点写真の接点とは その1

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「接点」とは、内と外の接点です。
公私の接点というより
見えているものと
自分の中で解釈されたイメージ
との接点とでもいったらよいだろうか。
写真はシャッターを押せば誰でも撮れる。
しかし、問題は何を撮るかである。

つづく