私は、誰かを気にしているのだろうか?
誰だろう。
何か明確な対象がいるわけでも無いだろうし。
多分、居ない。そんなもん。
承認欲求は大なり小なり個々に存在するはずで、そんなモノ無いと言い張る人ほどその欲求は強いと思います。せっかくこの世に生まれた以上、せめて何か自分がここにいた証が欲しいと思うでしょう。
しかし、それが全てでない、と思いました。最後は何も残さず消え去るのです。
私にとっての絵や写真は自分自身を見つめ直す素材の一つですね。
自身もいろいろ考えをブログにまとめたりする事で記憶の整理をしているんだと思うのです。なので、この行為に他人があれこれ言ったとしても何も気になりません。
この行為は私の一部なのです。
ところで
あなたは、何の為に描いているのですか?
別に知りたいわけではありませんが、自身で一度考えて下さい。
その時その時、自分が想い考えていることを残しておくことは自分にとって大切なことです。自分が変わったと思えるのは過去の自分を見返す時ですが、何も無いとそれが具体的に見えないですよね。ブログはそんな時、見つめ直すきっかけを与えてくれます。
他の人の作品が気になる事はあります。しかし、よくよく考えてみると、気になるモノは結局自分のに似ているから気になっているんだという事なんですね。だから、私の作品が気になる人は何処かで私と似たところがあるんでしょうね。考え方とか、世界の見方とか。
たまに、全く違うものに出会うことがあります。違和感が有る反面、新鮮に感じ事もあります。そこで発見があります。生きるって、正にこの連続なんですね。似ているものに共感して異なるものに新たな発見を見る。
塗り絵と思われようが自分にとっては自己探求の一つです。淡々と続けていきます。
言っておきますが、これは塗り絵ではありません。
私の一部であり、私の作品です。
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