2023年05月02日
結局、自身で自身を掘り下げていくしかないようです
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好きだから学ぶのか、学んだから好きになったのか。その違いは何だと思いますか。最初の段階で興味の有無が関係してますが。前者は、見様見真似で始めています。私の場合、何かを作ったり描いたりするのが楽しいことでしかもそれは1人でも出来る事なのでしたのだと思います。テレビでアーティストの作品を観たり身近にいる大人たちが褒めてくれたりすると嬉しくて学びたい衝動はそこから生じたのだと思いました。小学校では美術の授業では無く図画工作という名の授業でした。中学校では美術の授業はありましたが高校はありませんでした。その後10数年経って大学で少し学びました。考え方や技術的なことは教えて頂きました。そこで学んだ成果は結局のところ自分で何をしたいかを絞り込む事にあったと最近感じるようになりました。ブレずにすすんで行くこと。それを意識できる場であったと今は感じています。巷では様々な技能を持つ方が多様な活動をしています。目移りしそうです。しかし、アートが自分にとって何なのか何をしていくのか自身で受け入れていれば迷うことはありません。今は淡々とその行為をしているだけです。
自分で想いを巡らし自作について考えている時、それは自己との対話でもあります。それと同時にこうしてブログに書き込んでいく事も自己との対話であると思っています。
今の作風にこだわっている理由を思い返してみますが今となっては定かで無いこととなってしまいました。描いている行為、それを眺めている行為そのものに心地良さを感じていることもたしかです。無意識で曲線を描く行為は何かの啓示を受けているような感覚になりそれも心地良さになっているのでしょうね。
抽象を語る場合、点と線といった要素の話題は必ず登場します。始点、点、その点の連続である線、そして面。それぞれの項目に関しては、実は作家個々で考え方、捉え方は、異なります。最初はそれが分からず、必死で書籍を読みましたが、無理に自己視点を合わせようと試みましたがやめました。
先人のモノを参考にしようとも思いましたがやめました。考えや作風が似ていてもそれは決して同じモノでは無く結果的に何も参考にはならないと感じたからです。確かに読んだり作品を観たりする事で気付きはあります。でも、その程度です。結局、自身で自身を掘り下げていくしかないようです。
一本の線が多様な曲線を描き接点をつくります。最終的にそれを見て「何を想い感じるか」そこに大切な目的が含まれています。その目的の一つが「癒し」です。
癒しを求める要因は多様です。ですが、作品を観たからといって何か問題が解決できるわけではありません。ただ、そこで観ている間は、感覚や思考はそちらにシフトするので、そこで気持ちの整理ができるってこともあります。できない場合ももちろんあります。そこで何も感じ無い事もあるでしょう。その時に感じていなくても改めて観た時に何か感じることもあったりします。その時の心の状態でみえ方が違います。
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