多分、書いている人達は、書きたいから書いているのでしょう。
話したくてウズウズしている人が人に話すように。
書きたくて書いている人でも、ある時ふと、
何にも書きたくない時があるはずで、
そんな時は別に無理して書かなくても良いわけであるし、
何も義務で書いているわけでもないので、
やめたい時はいつでも止めることだってできる。しかし、
毎日毎日習慣化して書いていると、義務感が起こってきて、
書かないといけない、
みたいな気持ちに自分を追い込んでしまうと、そんな時は、
ふと何も書きたくない衝動にかられる。
また、何かを書きたい、伝えたいと思っていても、
ブログに書こうという気分にまで至らない時もある。
インターネットで何かを検索すると
検索システムの人工知能機能が働いて
自分の選んだ項目や事件など
何かある方向に向けて提供情報が偏っていく。
例えば、ある製品について検索すると次から、
それに関連する広告をよく目にするようになる。
そして、それを選択すると更にその傾向が強くなり
今度はそれに関する幅広い情報が現れる。
明るい話題、情報を検索すると
ドンドン明るい話題、情報、楽しい情報が現れる反面、
暗く陰鬱な情報、事件ばかり検索していると、
最悪の事件事故の情報のみしか現れてこなくなり
この世はもうダメだという気分になる。
そう言う事を知っているかいないかで
モノの見方が変わってくるのだと思っている。
私は、学者でも政治家でも無い。
有名人でも高所得者でもない。
活動家でもジャーナリストでもない。だから、
ここで発言することの説得力にかける?
しかし、果たしてそうだろうか。
専門知識を持っている人が
その専門知識を巧みに利用し
無知な私達を欺こうとしているのかもしれない。
或いは、大きな声が出る権力者が
言葉巧みに私達を躍らせているのかもしれない。
だから私は、説得力がある言葉には注意している。
専門家だからといって100%信じてるわけでは無い。
かといって全く疑っているわけでも無い。
流れに流されずに自分の頭で考えるように
そして判断できるように心掛けている。
そのために自分なりに本を読み、
いろんな人の話を聞いたりして見聞を広める事を行ない、
興味ある対象について勉強している。
自分はこれからアーティストとして生きていこうと考えているが、
生活するためにパートナーといろいろな事に挑戦していこうとしている。
常識的見方であれば肩を叩かれ退場させられる存在に見えるだろう。
しかし、それは自分次第だと思っている。
世間の尺度が自分の尺度ではない。
やりたいことがやれる状況なら躊躇なくやるべきだと私達は思っている。
例え周りから全否定されたとしても
自分が出来ると少しでも信じられるならやっていきたい。
まだ、何も行動していないではないか?
そう言われればそうである。
私は、ただ慌てずに活動している。
みえるようになっていないとみえていない。
みえるようになることを信じて。
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