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2019年11月19日
地下鉄が嵐ファンで満車な1日。
日中、いつもの地下鉄に乗ろうとすると、
ものすごい混みようで驚いた。
それも女性ばかり。
帰宅ラッシュの時間でもないのに、
何があったと思いきや、
ほとんどの人が手にしていた
嵐のライブグッズを見て納得。
あぁそうか、
今日は嵐の活動休止前の
最後の地方公演か。
昔の知り合いが親子三代の嵐ファンで、
チケットが当たったと大喜びしては
3人でドームへ足を運んでいた。
混雑を避けるために
アンコールを待たずに会場を出ようとすると、
外に出られるまで最低2時間、
終演してから退場しようとすると、
一番近くのエントランスに辿り着くまでに
最低2時間という、
とにかくすさまじい人の波だと聞いた。
5万人が一斉に、
数十か所しかないドーム出入口に
殺到すると考えると、それもうなずける…。
それほど多くの人の注目を浴びている嵐は、
勝手なイメージかも知れないが
酷使されているように思える。
TV番組を何本も抱え、
忙しい合間にこうやってライブの練習、
休日どころか、
寝る時間はあるのだろうかと
彼らの健康がかなり心配になる。
人に夢を見せるアイドルという仕事は
本当に過酷そのもの。
彼ら5人の双肩に
ものすごい巨額のお金と、
世界中のファンの気持ちがのしかかっている。
そう考えると、1つの理由ではないにせよ、
芸能人を辞めて一般人に戻る選択をした人は、
どれだけのプレッシャーから解放されたんだろうと、
想像しただけで胸が痛くなる。
アイドルに夢中な人たちが
地下鉄にたくさん乗ってくるのを見ながら、
僕はアイドルが背負う重圧と責任を
最初に想像してしまった。
どうも僕は、「楽しかっただろうな」よりも、
それを提供する側の苦労や努力に先に目が行く。
僕は嵐のファンではないので、
ファンにとって彼らの活動休止が
どれだけ残念なことかはわからない。
けど、嵐の5人はもう
充分すぎるほどの夢を与えたから、
今まで休みなく働いてきた分も
ゆっくり休んでほしい、と思った。
ものすごい混みようで驚いた。
それも女性ばかり。
帰宅ラッシュの時間でもないのに、
何があったと思いきや、
ほとんどの人が手にしていた
嵐のライブグッズを見て納得。
あぁそうか、
今日は嵐の活動休止前の
最後の地方公演か。
昔の知り合いが親子三代の嵐ファンで、
チケットが当たったと大喜びしては
3人でドームへ足を運んでいた。
混雑を避けるために
アンコールを待たずに会場を出ようとすると、
外に出られるまで最低2時間、
終演してから退場しようとすると、
一番近くのエントランスに辿り着くまでに
最低2時間という、
とにかくすさまじい人の波だと聞いた。
5万人が一斉に、
数十か所しかないドーム出入口に
殺到すると考えると、それもうなずける…。
それほど多くの人の注目を浴びている嵐は、
勝手なイメージかも知れないが
酷使されているように思える。
TV番組を何本も抱え、
忙しい合間にこうやってライブの練習、
休日どころか、
寝る時間はあるのだろうかと
彼らの健康がかなり心配になる。
人に夢を見せるアイドルという仕事は
本当に過酷そのもの。
彼ら5人の双肩に
ものすごい巨額のお金と、
世界中のファンの気持ちがのしかかっている。
そう考えると、1つの理由ではないにせよ、
芸能人を辞めて一般人に戻る選択をした人は、
どれだけのプレッシャーから解放されたんだろうと、
想像しただけで胸が痛くなる。
アイドルに夢中な人たちが
地下鉄にたくさん乗ってくるのを見ながら、
僕はアイドルが背負う重圧と責任を
最初に想像してしまった。
どうも僕は、「楽しかっただろうな」よりも、
それを提供する側の苦労や努力に先に目が行く。
僕は嵐のファンではないので、
ファンにとって彼らの活動休止が
どれだけ残念なことかはわからない。
けど、嵐の5人はもう
充分すぎるほどの夢を与えたから、
今まで休みなく働いてきた分も
ゆっくり休んでほしい、と思った。
タグ:生きる
2019年11月13日
「まだいける」は「もう止めな」。
日中でも6度。寒い。
昼間は霧雨。
夕方、日が落ちてからは、
何やら大粒の固体のような、
シャーベット状でもないような物体が降下。
ついに雪かな…。
ちょうど今朝から昼間にかけて
わかり易く風邪を引いたところ。
本当は休日だったけど、
就労移行支援で納期が今日の作業があったのと、
それによって
自分の役割である今週分の庶務が
進んでいなかったので、午前中だけ行ってきた。
こういう休日出勤のようなことは
本来避けた方がいい。
実際、それで風邪をひいてしまったわけで。
自分の役割があることが嬉しくても、
こういうところで無理をする自分がまだいる。
暗くなり、1度まで下がり、となれば
明日はもしかすると外が白いかも知れない。
今日みたいに無理をするようでは
寒い季節を健康に過ごすのは難しいので、
こういう休日出勤は控える。
明日、休んでしまっては本末転倒。
あとは、こういう例外を作ると、
「休みでも来てくれる」と思われる。
一般企業の中には、
「忙しい時は、呼べば来る」と味を占めて
使おうとするところがあるかも知れない。
そういう例外を作ってしまったことは
お互いにとってよくないと反省している。
「まだいける」は
「もう止めな」というサイン。
「休日」なら例外なく休む。
これが健康に生きるための基本。
昼間は霧雨。
夕方、日が落ちてからは、
何やら大粒の固体のような、
シャーベット状でもないような物体が降下。
ついに雪かな…。
ちょうど今朝から昼間にかけて
わかり易く風邪を引いたところ。
本当は休日だったけど、
就労移行支援で納期が今日の作業があったのと、
それによって
自分の役割である今週分の庶務が
進んでいなかったので、午前中だけ行ってきた。
こういう休日出勤のようなことは
本来避けた方がいい。
実際、それで風邪をひいてしまったわけで。
自分の役割があることが嬉しくても、
こういうところで無理をする自分がまだいる。
暗くなり、1度まで下がり、となれば
明日はもしかすると外が白いかも知れない。
今日みたいに無理をするようでは
寒い季節を健康に過ごすのは難しいので、
こういう休日出勤は控える。
明日、休んでしまっては本末転倒。
あとは、こういう例外を作ると、
「休みでも来てくれる」と思われる。
一般企業の中には、
「忙しい時は、呼べば来る」と味を占めて
使おうとするところがあるかも知れない。
そういう例外を作ってしまったことは
お互いにとってよくないと反省している。
「まだいける」は
「もう止めな」というサイン。
「休日」なら例外なく休む。
これが健康に生きるための基本。
2019年09月21日
【労働審判】年齢確認したら解雇された話 〜1年分の未払い深夜手当てを取り戻せ〜。
僕は居酒屋ホールのアルバイトをしていた頃、
年齢確認をしたことで即日解雇されたことがある。
そして店を追い出された後、
を巡って労働審判を起こし、勝利した。
今回は、僕がアルバイトのクビから労働審判までの
すったもんだを書いてみる。
ー目次ー
(学生20名の予約客を迎える際)
店長
『理琉、アンタなに年齢確認してるの?!』
理琉
「え…?未成年の方もいらっしゃると思いまして」
店長
『何してくれるのさ!
年齢確認してたら売上にならないでしょ!』
理琉
「お酒を提供する店なら年齢確認しないとまずいです」
店長
『アンタ、今後も年齢確認するって言うなら出てって、解雇。』
こうして、頑固に譲らなかった僕は即日解雇、店を追い出された。
運営会社は、その店を含め
札幌市内に5〜6店舗チェーン展開する中小企業。
夫が社長、副社長の妻が僕の勤務する店の店長だった。
勤務時間は16時〜22時30分。勤怠管理の状況は、
普段は気さくな店長と、フレンドリーなスタッフで
仕事そのものは楽しかった。
ただ、勤怠管理については入社当初から違和感があり、
自前のメモ帳に勤務時間をこっそり記録していた。
1年後の、ある給料日。
封筒に入った現金の額と、
メモ帳の記録から出した額が合っていないことに気づいた。
22時以降の深夜割増分が含まれていなかった。
1日あたり、たった30分。
とはいえ、1年分の未払い深夜時給は10万円を超えていた。
そんな未払い疑惑が深まる中で起きた、解雇事件。
僕は不当すぎると憤慨し、次の日に労働基準監督署を訪れた。
の2つを理由に、少額訴訟を起こそうと考えていた。
労基署からの提案。
ということで、こちらの金銭的な負担がない
「労働審判」を勧められた。
<労働審判の大まかな流れ>
会社側には労基署が連絡し、そのまま労働審判の日取りが決まった。
労働審判の当日。
僕はこれまでの経緯を話し、
勤務時間を記した手書きのメモ帳と、
会社からもらった明細を証拠として提出した。
話が終わり、別室で待機していると、職員さんが困惑していた。
約束の時間が過ぎても社長が現れず、連絡もつかない。
なんと、労基署からの呼び出しをボイコット。
衝撃的な対応に、その日はひとまず帰宅。
数日後、ようやく社長と連絡が取れ、
聴取の日取りが決まったと連絡があった。
この時は僕が行く必要はなく、社長の話の聴取のみだった。
後日、従業員側の全面的な勝利が通知された。
復職の希望はしなかった。
労働審判の勝利から1年後。
店のあった場所を通りがかると、店名と看板が変わっていた。
系列店も見に行くと、やはり店名と内装が変わっていて、
顔見知りのスタッフは見あたらなかった。
当時のアルバイト仲間と再会した折、
その企業が倒産したことを知らされた。
アルバイトの解雇から労基署へ駆け込み、
すったもんだの末に学んだこと。
それは、証拠は身を守ってくれる。
メモ帳への手書きでも、
おかしいと思ったら記録しておくこと、
それが土壇場で自分の身を守ってくれる。
僕はいきなり労基署に駆け込んだけど、
心強いサポートを得たい場合は、
事前に無料の法律相談をしておくのがおすすめ。
労働問題や残業代の請求に関して、
専門知識のある人のバックアップは心強い。
アルバイトでも、泣き寝入りせず行動すれば、取り戻せる。
年齢確認をしたことで即日解雇されたことがある。
そして店を追い出された後、
- 不当な理由での解雇
- 22時以降の深夜割増分の賃金未払い
を巡って労働審判を起こし、勝利した。
今回は、僕がアルバイトのクビから労働審判までの
すったもんだを書いてみる。
ー目次ー
- 年齢確認してたら売上にならないでしょ!
- 手書きのタイムカードと明細、手渡しの給料
- 1年後、10万円の未払い深夜時給が判明
- 労基署からの提案”労働審判”
- 労働審判ボイコット騒動
- 労働審判の勝利と、その後に倒産した企業
- メモ帳への手書きでも、証拠は自分の身を守る
1.年齢確認してたら売上にならないでしょ!
(学生20名の予約客を迎える際)
店長
『理琉、アンタなに年齢確認してるの?!』
理琉
「え…?未成年の方もいらっしゃると思いまして」
店長
『何してくれるのさ!
年齢確認してたら売上にならないでしょ!』
理琉
「お酒を提供する店なら年齢確認しないとまずいです」
店長
『アンタ、今後も年齢確認するって言うなら出てって、解雇。』
こうして、頑固に譲らなかった僕は即日解雇、店を追い出された。
2.手書きのタイムカードと明細、手渡しの給料
運営会社は、その店を含め
札幌市内に5〜6店舗チェーン展開する中小企業。
夫が社長、副社長の妻が僕の勤務する店の店長だった。
勤務時間は16時〜22時30分。勤怠管理の状況は、
- タイムカードは手書き
- 給料は封筒での現金手渡し
- 給与明細は手書き
普段は気さくな店長と、フレンドリーなスタッフで
仕事そのものは楽しかった。
ただ、勤怠管理については入社当初から違和感があり、
自前のメモ帳に勤務時間をこっそり記録していた。
3.1年後、10万円の未払い深夜時給が判明
1年後の、ある給料日。
封筒に入った現金の額と、
メモ帳の記録から出した額が合っていないことに気づいた。
22時以降の深夜割増分が含まれていなかった。
1日あたり、たった30分。
とはいえ、1年分の未払い深夜時給は10万円を超えていた。
そんな未払い疑惑が深まる中で起きた、解雇事件。
僕は不当すぎると憤慨し、次の日に労働基準監督署を訪れた。
- 「年齢確認をした」という不当解雇
- 深夜割増分の賃金未払い
の2つを理由に、少額訴訟を起こそうと考えていた。
4.労基署からの提案”労働審判”
労基署からの提案。
- 少額訴訟を起こせば内容的には勝てる
- が、弁護士費用など金銭的な負担とリターンが釣り合わない
ということで、こちらの金銭的な負担がない
「労働審判」を勧められた。
<労働審判の大まかな流れ>
- 事情を聴取する日取りを決める
- 従業員と会社側、同じ日に別々の部屋で話を聞く
- 双方の話を聞いた上で決着がつけられる
会社側には労基署が連絡し、そのまま労働審判の日取りが決まった。
5.労働審判ボイコット騒動
労働審判の当日。
僕はこれまでの経緯を話し、
勤務時間を記した手書きのメモ帳と、
会社からもらった明細を証拠として提出した。
話が終わり、別室で待機していると、職員さんが困惑していた。
約束の時間が過ぎても社長が現れず、連絡もつかない。
なんと、労基署からの呼び出しをボイコット。
衝撃的な対応に、その日はひとまず帰宅。
数日後、ようやく社長と連絡が取れ、
聴取の日取りが決まったと連絡があった。
この時は僕が行く必要はなく、社長の話の聴取のみだった。
6.労働審判の勝利と、その後に倒産した企業
後日、従業員側の全面的な勝利が通知された。
- 不当な理由で解雇したことが認められ、謝罪文をもらう
- 損害賠償金と、1年分の未払い賃金が支払われ和解
- 希望があれば復職に応じる
復職の希望はしなかった。
労働審判の勝利から1年後。
店のあった場所を通りがかると、店名と看板が変わっていた。
系列店も見に行くと、やはり店名と内装が変わっていて、
顔見知りのスタッフは見あたらなかった。
当時のアルバイト仲間と再会した折、
その企業が倒産したことを知らされた。
7.メモ帳への手書きでも、証拠は自分の身を守る
アルバイトの解雇から労基署へ駆け込み、
すったもんだの末に学んだこと。
それは、証拠は身を守ってくれる。
メモ帳への手書きでも、
おかしいと思ったら記録しておくこと、
それが土壇場で自分の身を守ってくれる。
僕はいきなり労基署に駆け込んだけど、
心強いサポートを得たい場合は、
事前に無料の法律相談をしておくのがおすすめ。
労働問題や残業代の請求に関して、
専門知識のある人のバックアップは心強い。
アルバイトでも、泣き寝入りせず行動すれば、取り戻せる。
2019年09月19日
企業見学に行ってきた。
気力の落ち込みが最大だった8月下旬から
わずかばかり上向きだった8月末。
就労移行支援事業所のスタッフさんの紹介で
急遽、就職の可能性が浮上したことがあった。
→「急遽、就職の可能性。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/285/0
この時紹介してもらった企業へ
今日、見学と業務体験に行ってきた。
そこは企業に直接雇用されるのではなく、
合同会社が仕事と職場を用意する。
雇用契約を結ぶのは職場を提供する企業ではなく、
仕事を持ってくる親(?)企業とのことだった。
一人一人のPC席が仕切りで区切られ、
耳栓をしても大丈夫と、非情に魅力的な環境で、
不安の方が大きいものの、
ここならやれそうかもと思えた。
実習の受け入れをしているので、
今回は来月を目途にした業務実習に通うことが決まった。
なんだかとんとん拍子に事が進んでしまった。
もし採用、雇用となっても
障害者雇用枠でアルバイト契約なので、
どのみち生活保護に頼る可能性はある。
その点は正直、まだ怖い。
流れに身を任せることと、
自分の人生は自分で道を作っていくこと、
どちらがいいのか今はわからない。
業務内容や環境はとても魅力的だったので、
まずは実習に行ってみて、経験してみること、
今は流れに身を任せてもいいのかなと思ってる。
逆らっても任せても、どのみち後悔はする。
選べることは、やらない後悔か、
やった結果の後悔かのどちらかということ。
わずかばかり上向きだった8月末。
就労移行支援事業所のスタッフさんの紹介で
急遽、就職の可能性が浮上したことがあった。
→「急遽、就職の可能性。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/285/0
この時紹介してもらった企業へ
今日、見学と業務体験に行ってきた。
そこは企業に直接雇用されるのではなく、
合同会社が仕事と職場を用意する。
雇用契約を結ぶのは職場を提供する企業ではなく、
仕事を持ってくる親(?)企業とのことだった。
一人一人のPC席が仕切りで区切られ、
耳栓をしても大丈夫と、非情に魅力的な環境で、
不安の方が大きいものの、
ここならやれそうかもと思えた。
実習の受け入れをしているので、
今回は来月を目途にした業務実習に通うことが決まった。
なんだかとんとん拍子に事が進んでしまった。
もし採用、雇用となっても
障害者雇用枠でアルバイト契約なので、
どのみち生活保護に頼る可能性はある。
その点は正直、まだ怖い。
流れに身を任せることと、
自分の人生は自分で道を作っていくこと、
どちらがいいのか今はわからない。
業務内容や環境はとても魅力的だったので、
まずは実習に行ってみて、経験してみること、
今は流れに身を任せてもいいのかなと思ってる。
逆らっても任せても、どのみち後悔はする。
選べることは、やらない後悔か、
やった結果の後悔かのどちらかということ。
2019年09月16日
固有の役割がある安心感。
僕が通っている就労移行支援事業所は
特に希望する業務や当番、実習がない限り
全員が軽作業を一日行う。
僕はその中で、希望者のみが従事する
「庶務」という業務を一人で担当している。
庶務の主な業務は
・PCを使っての備品発注や業務日報の更新、
・契約書など必要書類の製本や補充など
裏方のような役割。
周りが動きやすいように
裏で一人で動いてサポートする業務が
意外にも僕の中で非常に楽しくなってきている。
皆が従事する軽作業では、比べようと思わなくても
同じ作業をしているからスピードの差はどうしても目につく。
怠けていないのに軽作業のスピードが
周りより遅いことを当初から悩んでいた僕は、
一人で裏方のような雑務をこなせる庶務に
今は居場所を見い出している。
午後いっぱい時間を使っても
一人で一週間分を終わらせるのは難しい量だけど、
作業スピードを周りと比べて落ち込まなくてよく、
自分の裁量と工夫次第で改善できる自由度が,
居心地の良さや、やりがいに繋がっている。
決して「自分でなければこなせない仕事」ではないけど、
来週から二人体制になるとはいえ、
僕にとって「自分に固有の役割がある」ことは
心理的にとても大きな救いになっている。
庶務を担当している人が所内で僕と、もう一人という、
自分の役割や存在意義がある安心感は大きい。
企業にしても、どこでもそうかも知れないが、
組織で働く場合、「自分でなければこなせない仕事」は、
その人間が抜けたら回らなくなるので、ある方がまずい。
だから企業で働く場合、そこに
「自分だけができる仕事」を求めるのは
止めようという結論に至った。
この組織の、この役割に当てはまる自分、
という風に捉えていた方が楽だと気づいた。
それに、「自分にしかできないこと」は
既にこのブログを書くことで実践している。
「ブログを書くこと」自体は僕じゃなくてもできる、
けど「僕が体験してきたことを書いた記事」は
僕にしか作れない完全オリジナル。
だから今回、庶務業務に居場所を見つけたのも
「就労移行支援事業所の庶務業務に当てはまる自分」
に対してであって、
「自分にしかできないオリジナル庶務」に、ではない。
正直、来週から二人体制になることは少し寂しい。
庶務という役割に当てはまる自分と頭でわかっていても、
やっぱりどこかで「自分だけの役割」であり続けてほしい、
自分と誰かでシェアすることへの嫉妬心というか、
ある種の独占欲が消えずに灯り続けている。
自分の固有の役割がない週に、
どうやって自分の心理的な居場所を作るか。
生々しい感情だけど、そんな葛藤と向き合う毎日も、
生きているから味わえるんだ。
特に希望する業務や当番、実習がない限り
全員が軽作業を一日行う。
僕はその中で、希望者のみが従事する
「庶務」という業務を一人で担当している。
庶務の主な業務は
・PCを使っての備品発注や業務日報の更新、
・契約書など必要書類の製本や補充など
裏方のような役割。
周りが動きやすいように
裏で一人で動いてサポートする業務が
意外にも僕の中で非常に楽しくなってきている。
皆が従事する軽作業では、比べようと思わなくても
同じ作業をしているからスピードの差はどうしても目につく。
怠けていないのに軽作業のスピードが
周りより遅いことを当初から悩んでいた僕は、
一人で裏方のような雑務をこなせる庶務に
今は居場所を見い出している。
午後いっぱい時間を使っても
一人で一週間分を終わらせるのは難しい量だけど、
作業スピードを周りと比べて落ち込まなくてよく、
自分の裁量と工夫次第で改善できる自由度が,
居心地の良さや、やりがいに繋がっている。
決して「自分でなければこなせない仕事」ではないけど、
来週から二人体制になるとはいえ、
僕にとって「自分に固有の役割がある」ことは
心理的にとても大きな救いになっている。
庶務を担当している人が所内で僕と、もう一人という、
自分の役割や存在意義がある安心感は大きい。
企業にしても、どこでもそうかも知れないが、
組織で働く場合、「自分でなければこなせない仕事」は、
その人間が抜けたら回らなくなるので、ある方がまずい。
だから企業で働く場合、そこに
「自分だけができる仕事」を求めるのは
止めようという結論に至った。
この組織の、この役割に当てはまる自分、
という風に捉えていた方が楽だと気づいた。
それに、「自分にしかできないこと」は
既にこのブログを書くことで実践している。
「ブログを書くこと」自体は僕じゃなくてもできる、
けど「僕が体験してきたことを書いた記事」は
僕にしか作れない完全オリジナル。
だから今回、庶務業務に居場所を見つけたのも
「就労移行支援事業所の庶務業務に当てはまる自分」
に対してであって、
「自分にしかできないオリジナル庶務」に、ではない。
正直、来週から二人体制になることは少し寂しい。
庶務という役割に当てはまる自分と頭でわかっていても、
やっぱりどこかで「自分だけの役割」であり続けてほしい、
自分と誰かでシェアすることへの嫉妬心というか、
ある種の独占欲が消えずに灯り続けている。
自分の固有の役割がない週に、
どうやって自分の心理的な居場所を作るか。
生々しい感情だけど、そんな葛藤と向き合う毎日も、
生きているから味わえるんだ。
2019年09月11日
両替逃亡劇〜後編〜。
深夜の居酒屋ホール時代、
店長の横着作戦の片棒を担ぐ形で
ゲーセンでの業務両替に行かされた僕は、
ノルマである100円玉40枚入手に成功した直後、
ゲーセンの出口で店員に呼び止められ、
業務両替がバレてしまった。
→「両替逃亡劇〜前編〜。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/295/0
絶体絶命の中、僕が取った行動は
後に誰に話しても笑いを取る逃亡劇となる。
ーーーーーーーーーー
僕の肩を掴み、
「話は店内で聞かせてもらう、来なさい!」
と怒鳴る男性店員。
頭が真っ白になり、時間の感覚も削除され、
もはや連行されるしかないかと思われた。
しかし、頭が真っ白で
何も考えられていないのは事実にしろ、
僕の中で目だけは”あること”を考えていた。
そう、「ここからどうやって逃げよう」だ。
直感だけと言っても大げさではない。
僕を店内に引き入れるため、
ドアを閉めようと一瞬、男性店員は
僕の肩から手を離した。
その瞬間を僕は見逃さなかった。
開きかけたドアと、店員の手をくぐり、
ゲーセンの外へ一気にダッシュ。
自分の店のある幹線道路側の交差点へ
一気に駆け出した。
「おい!待て!」
怒号を発しながら
男性店員が走って追いかけてくる。
店へ続く交差点の信号は赤のまま。
ここで僕はもう一つ、とっさのひらめきを見せる。
このまま店に帰れても、後を付けられたら
足がついてしまう。
よし、捲こう。
直後、信号が青になっている歓楽街の中心方面へ
一気に横断歩道を渡り、疾風の如く駆けた。
その男性店員は割と細身で、
年齢はおそらく40歳前後。
人を見た目で判断するべきではないが、
スポーツをやっていたり足が速そうには見えなかった。
だから呼び止められた時から
「この人からなら逃げきれる」という
根拠の無い自信を目にたぎらせていた。
まがりなりにも現役でバスケを続けている
この身体が、土壇場でモノを言った。
深夜3時半を過ぎた歓楽街の中心部を
400メートルトラック1周分ほど駆け抜けた後、
見知らぬ雑居ビルの裏口にある
少し錆びた階段をカンカンと駆け上がった。
4階くらいの、
「深夜3時閉店」と書かれた店先の陰に隠れる。
どうやら追手は捲いたようだ。
夢中で駆け抜けてきて
乱れた息を静かに整えながら、
持っていたガラケーで店と通信を取った。
今思えば、この電波を盗聴されていたら
発信源の場所が特定されてしまうとヒヤリとしたが、
業務両替にゲーセンがそこまでするかは疑問なので
これ以上は敢えて触れないことにする。
妄想の内は危機感が美しいままとなる。
「店長、理琉です。
両替には成功しましたが、バレて追われています。
追手はどうやら捲いたようです。
今は雑居ビルの陰に隠れています。
住所はおよそ●●の…」
電話口から爆笑の声が聞こえる。
こちらはようやく整った呼吸を筆頭に
逃げ切った安堵感と、
まだ追われるかも知れない恐怖感で
爆笑どころではない。
店長から指示が出た。
繰り返すが時刻は深夜3時半を過ぎている。
「OK、よくやった。
とりあえず今はノーゲストだから、
大回りしてゆっくり帰ってきていいよ、お疲れ。」
店長…、業務両替させといて
「お疲れ」て。
逃げ込んだ雑居ビルから息を殺して出てみる。
追手の気配はない、どうやら本当に捲いたようだ。
バスケをやっていてよかったと思えた瞬間だった。
この潜伏先から店までは
2区画しか離れていない位置取りだったが、
もしかすると追手の仲間が
うろついているかも知れないので、
わざと4区画分くらい遠回りし、店に帰り着いた。
行きは5分、帰りは40分以上かかった。
店から見える場所へ往復するのに
これだけ時間がかかったのは初めてだ。
「お帰りー、お疲れー」
爆笑とともに、
ささやかな労いの言葉で出迎えられた。
戦利品の100円玉40枚を渡して任務完了。
渡す時に思ったが、けっこう重い。
こんなに重いものを持ちながら、
よくあれだけのダッシュができたと自分でも驚きだ。
火事場で発揮される
人間の真の力の恐ろしさを目の当たりにした。
事件から1年くらい経ったある日、
この刑事ドラマのような逃亡劇を
退勤した後よく飲みに来ていた
系列店の料理長に話したところ、やはり爆笑された。
「お前そんな面白いネタ…くくく…!!
よく今まで隠してたな…!!!w」
だそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
禁止されている業務両替、
もしあの時捕まっていたら
冗談抜きで本当に
マズイことになっていたかも知れない。
それこそ企業対企業の問題、
そして僕個人としても処分はあっただろう。
何より、プライベートでもそのゲーセンには
気まずくて数年間入れなかった(苦笑)
ゲーセンを利用する習慣はないけど、
付近を通りがかって突如トイレを催した時に
使えなくなってしまったのは痛かった。
この話は逃げ切れたからこうやって書けるけど、
自分を守るためにも”片棒を担ぐ”ことは
きっぱり断るべきと、身をもって学んだ。
店長の横着作戦の片棒を担ぐ形で
ゲーセンでの業務両替に行かされた僕は、
ノルマである100円玉40枚入手に成功した直後、
ゲーセンの出口で店員に呼び止められ、
業務両替がバレてしまった。
→「両替逃亡劇〜前編〜。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/295/0
絶体絶命の中、僕が取った行動は
後に誰に話しても笑いを取る逃亡劇となる。
ーーーーーーーーーー
僕の肩を掴み、
「話は店内で聞かせてもらう、来なさい!」
と怒鳴る男性店員。
頭が真っ白になり、時間の感覚も削除され、
もはや連行されるしかないかと思われた。
しかし、頭が真っ白で
何も考えられていないのは事実にしろ、
僕の中で目だけは”あること”を考えていた。
そう、「ここからどうやって逃げよう」だ。
直感だけと言っても大げさではない。
僕を店内に引き入れるため、
ドアを閉めようと一瞬、男性店員は
僕の肩から手を離した。
その瞬間を僕は見逃さなかった。
開きかけたドアと、店員の手をくぐり、
ゲーセンの外へ一気にダッシュ。
自分の店のある幹線道路側の交差点へ
一気に駆け出した。
「おい!待て!」
怒号を発しながら
男性店員が走って追いかけてくる。
店へ続く交差点の信号は赤のまま。
ここで僕はもう一つ、とっさのひらめきを見せる。
このまま店に帰れても、後を付けられたら
足がついてしまう。
よし、捲こう。
直後、信号が青になっている歓楽街の中心方面へ
一気に横断歩道を渡り、疾風の如く駆けた。
その男性店員は割と細身で、
年齢はおそらく40歳前後。
人を見た目で判断するべきではないが、
スポーツをやっていたり足が速そうには見えなかった。
だから呼び止められた時から
「この人からなら逃げきれる」という
根拠の無い自信を目にたぎらせていた。
まがりなりにも現役でバスケを続けている
この身体が、土壇場でモノを言った。
深夜3時半を過ぎた歓楽街の中心部を
400メートルトラック1周分ほど駆け抜けた後、
見知らぬ雑居ビルの裏口にある
少し錆びた階段をカンカンと駆け上がった。
4階くらいの、
「深夜3時閉店」と書かれた店先の陰に隠れる。
どうやら追手は捲いたようだ。
夢中で駆け抜けてきて
乱れた息を静かに整えながら、
持っていたガラケーで店と通信を取った。
今思えば、この電波を盗聴されていたら
発信源の場所が特定されてしまうとヒヤリとしたが、
業務両替にゲーセンがそこまでするかは疑問なので
これ以上は敢えて触れないことにする。
妄想の内は危機感が美しいままとなる。
「店長、理琉です。
両替には成功しましたが、バレて追われています。
追手はどうやら捲いたようです。
今は雑居ビルの陰に隠れています。
住所はおよそ●●の…」
電話口から爆笑の声が聞こえる。
こちらはようやく整った呼吸を筆頭に
逃げ切った安堵感と、
まだ追われるかも知れない恐怖感で
爆笑どころではない。
店長から指示が出た。
繰り返すが時刻は深夜3時半を過ぎている。
「OK、よくやった。
とりあえず今はノーゲストだから、
大回りしてゆっくり帰ってきていいよ、お疲れ。」
店長…、業務両替させといて
「お疲れ」て。
逃げ込んだ雑居ビルから息を殺して出てみる。
追手の気配はない、どうやら本当に捲いたようだ。
バスケをやっていてよかったと思えた瞬間だった。
この潜伏先から店までは
2区画しか離れていない位置取りだったが、
もしかすると追手の仲間が
うろついているかも知れないので、
わざと4区画分くらい遠回りし、店に帰り着いた。
行きは5分、帰りは40分以上かかった。
店から見える場所へ往復するのに
これだけ時間がかかったのは初めてだ。
「お帰りー、お疲れー」
爆笑とともに、
ささやかな労いの言葉で出迎えられた。
戦利品の100円玉40枚を渡して任務完了。
渡す時に思ったが、けっこう重い。
こんなに重いものを持ちながら、
よくあれだけのダッシュができたと自分でも驚きだ。
火事場で発揮される
人間の真の力の恐ろしさを目の当たりにした。
事件から1年くらい経ったある日、
この刑事ドラマのような逃亡劇を
退勤した後よく飲みに来ていた
系列店の料理長に話したところ、やはり爆笑された。
「お前そんな面白いネタ…くくく…!!
よく今まで隠してたな…!!!w」
だそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
禁止されている業務両替、
もしあの時捕まっていたら
冗談抜きで本当に
マズイことになっていたかも知れない。
それこそ企業対企業の問題、
そして僕個人としても処分はあっただろう。
何より、プライベートでもそのゲーセンには
気まずくて数年間入れなかった(苦笑)
ゲーセンを利用する習慣はないけど、
付近を通りがかって突如トイレを催した時に
使えなくなってしまったのは痛かった。
この話は逃げ切れたからこうやって書けるけど、
自分を守るためにも”片棒を担ぐ”ことは
きっぱり断るべきと、身をもって学んだ。
2019年09月10日
両替逃亡劇〜前編〜。
深夜の居酒屋ホール時代、
僕は繁華街の雑居ビルで逃亡劇を繰り広げ、
刑事に追われる犯人のような経験をした。
まるで刑事ドラマのような追跡と逃走、
内容が濃過ぎて1記事にまとめられないので
今日は前編をお送りする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
平日、深夜3時前、雪はまだ降らないが
夜はすっかり冷える10月半ば。
キッチンは店長一人、ホールは僕一人で、
ちょうどノーゲストになったタイミング。
店長の独り言から推測するに、
釣銭、特に100円玉が不足したようだ。
営業時間内に釣銭が不足した時、
まだ営業している近隣の系列店に誰かが行って
両替可能か交渉することになっている。
向こうの店でも不足している可能性はあり、
その場合は「ダメでした」と帰るだけ。
朝5時の閉店までに、今日の客入りなら
充分足りるだろう。
しかし、店長はここで開店前の両替を
横着する計画を立てていたようだ。
夕方の開店までに店長は銀行へ行って
所定の小銭を用意する必要がある。
その手間を少しでも減らすか、
明日はやらなくていいようにしたかったのか。
閉店までの締め作業に取り掛かっていた僕に
声をかけた。
「理琉、ちょっと近くのゲーセン行って
100円玉40枚作ってきてくれない?
で、両替する時はなるべく客のフリして
ゲームしに来た体でさりげなくやってね」
一般の客以外の業務両替は
ゲーセン側で厳しく取り締まっている。
それは人が少なくなる深夜も同じで、
店員は常に目を光らせてるし、
見つかれば当然、店が割れる。
さすがに禁止されてることはできないと
僕は店長に言葉を返した。
「店長、さすがにバレたらマズイですよ」
「大丈夫、理琉ならやれるって!」
一体何が「やれる」のかわからないまま
勢いに押し切られ、僕は寒空の中、
目の前の幹線道路を渡ったすぐ側にある
ゲーセンへ足を運ぶことになった。
禁止されてる業務両替のため、
黒いダウンジャケットのポケットに
4000円を忍ばせて。
見つかれば企業単位で問題になりかねない、
思い返してもとんでもない横着作戦を
アルバイトにやらせる店長は若かった。
さて、足取りも重く、ゲーセンのドアをくぐる。
繰り返すが時刻は深夜3時、しかも平日とくれば、
いくら歓楽街とはいえゲーム目当ての一般客は少ない。
こんな中で4000円分も両替なんかしたら
明らかに怪しいだろうと思いつつも、
必死でゲーム台を物色する演技をしながら、
数か所に分けて1000円ずつ両替を済ませていく。
どれくらいゲーセンに滞在しただろう、
もはや時間の感覚が緊張によって削除されている。
ともあれ、よし、
怪し過ぎる黒いダウンジャケットの180センチの男は
ノルマの100円玉40枚入手に成功した。
あとはこのままゲーセン客を装いながら
さりげなく出口の扉を開くだけ。
そうやって扉を開けた次の瞬間、
当然というかやはりというか、背中越しに
「おい、ちょっと待ちなさい」
というドスの効いた声がした。
ゆっくり振り返ると、
そのゲーセン店員の制服である
ピンクのポロシャツを着た男性が
僕を睨みつけるように立っていた。
業務両替がバレた。
バレること必至だったにも関わらず、
鬼の形相でこちらを見る店員を前に
僕の頭は真っ白になった。
店員の質問と、言葉はどんどん荒くなっていく。
「さっき業務両替しただろう、見せなさい」
「おい、なぜ黙っている、何か言え!」
恐怖にすくみ上がる
黒いダウンジャケットの180センチの男。
泳いでいるだけのような視線は
まるで何かを探し続けているようにも見えるが、
怒り狂う店員にそんなことは関係ない。
業を煮やした男性店員はついに僕の肩を掴み、
「話は店内で聞かせてもらう、来なさい!」と怒鳴る。
絶体絶命のピンチ、
もはや観念して店の名前を吐くしかないのか、
連行されるがままになるしかないのか。
呼び止められてからずっと、
何かを探し続けるその視線の先に
一体何を見つけたというのか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後編に続く。
僕は繁華街の雑居ビルで逃亡劇を繰り広げ、
刑事に追われる犯人のような経験をした。
まるで刑事ドラマのような追跡と逃走、
内容が濃過ぎて1記事にまとめられないので
今日は前編をお送りする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
平日、深夜3時前、雪はまだ降らないが
夜はすっかり冷える10月半ば。
キッチンは店長一人、ホールは僕一人で、
ちょうどノーゲストになったタイミング。
店長の独り言から推測するに、
釣銭、特に100円玉が不足したようだ。
営業時間内に釣銭が不足した時、
まだ営業している近隣の系列店に誰かが行って
両替可能か交渉することになっている。
向こうの店でも不足している可能性はあり、
その場合は「ダメでした」と帰るだけ。
朝5時の閉店までに、今日の客入りなら
充分足りるだろう。
しかし、店長はここで開店前の両替を
横着する計画を立てていたようだ。
夕方の開店までに店長は銀行へ行って
所定の小銭を用意する必要がある。
その手間を少しでも減らすか、
明日はやらなくていいようにしたかったのか。
閉店までの締め作業に取り掛かっていた僕に
声をかけた。
「理琉、ちょっと近くのゲーセン行って
100円玉40枚作ってきてくれない?
で、両替する時はなるべく客のフリして
ゲームしに来た体でさりげなくやってね」
一般の客以外の業務両替は
ゲーセン側で厳しく取り締まっている。
それは人が少なくなる深夜も同じで、
店員は常に目を光らせてるし、
見つかれば当然、店が割れる。
さすがに禁止されてることはできないと
僕は店長に言葉を返した。
「店長、さすがにバレたらマズイですよ」
「大丈夫、理琉ならやれるって!」
一体何が「やれる」のかわからないまま
勢いに押し切られ、僕は寒空の中、
目の前の幹線道路を渡ったすぐ側にある
ゲーセンへ足を運ぶことになった。
禁止されてる業務両替のため、
黒いダウンジャケットのポケットに
4000円を忍ばせて。
見つかれば企業単位で問題になりかねない、
思い返してもとんでもない横着作戦を
アルバイトにやらせる店長は若かった。
さて、足取りも重く、ゲーセンのドアをくぐる。
繰り返すが時刻は深夜3時、しかも平日とくれば、
いくら歓楽街とはいえゲーム目当ての一般客は少ない。
こんな中で4000円分も両替なんかしたら
明らかに怪しいだろうと思いつつも、
必死でゲーム台を物色する演技をしながら、
数か所に分けて1000円ずつ両替を済ませていく。
どれくらいゲーセンに滞在しただろう、
もはや時間の感覚が緊張によって削除されている。
ともあれ、よし、
怪し過ぎる黒いダウンジャケットの180センチの男は
ノルマの100円玉40枚入手に成功した。
あとはこのままゲーセン客を装いながら
さりげなく出口の扉を開くだけ。
そうやって扉を開けた次の瞬間、
当然というかやはりというか、背中越しに
「おい、ちょっと待ちなさい」
というドスの効いた声がした。
ゆっくり振り返ると、
そのゲーセン店員の制服である
ピンクのポロシャツを着た男性が
僕を睨みつけるように立っていた。
業務両替がバレた。
バレること必至だったにも関わらず、
鬼の形相でこちらを見る店員を前に
僕の頭は真っ白になった。
店員の質問と、言葉はどんどん荒くなっていく。
「さっき業務両替しただろう、見せなさい」
「おい、なぜ黙っている、何か言え!」
恐怖にすくみ上がる
黒いダウンジャケットの180センチの男。
泳いでいるだけのような視線は
まるで何かを探し続けているようにも見えるが、
怒り狂う店員にそんなことは関係ない。
業を煮やした男性店員はついに僕の肩を掴み、
「話は店内で聞かせてもらう、来なさい!」と怒鳴る。
絶体絶命のピンチ、
もはや観念して店の名前を吐くしかないのか、
連行されるがままになるしかないのか。
呼び止められてからずっと、
何かを探し続けるその視線の先に
一体何を見つけたというのか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後編に続く。
2019年09月09日
働いていた店が潰れたときに感じる寂しさ。
僕は数年前、
すすきのの某大手外食チェーンの居酒屋で
深夜のホールアルバイトをしていた。
先日、その店の前を通ったら、
見慣れない看板に変わっていた。
どうやら、潰れてしまったようだ。
1年前に通りがかったとき、
営業時間の表記が変わっていた。
「朝5時まで」→「朝3時まで」
近くの系列店も閉店時間が早まったり、
すでに潰れていたりした。
さらに別の店舗では、
店長による学生アルバイトへのパワハラが
全国ニュースになり、店長が逮捕された。
潰れるのは時間の問題だっただろう。
それでも、働いていた店が潰れると、
なんだかんだで寂しい気持ちになる。
在籍中、楽しいこともあったが、
つらい思い出の方が多かった。
深夜はホール1人、キッチン1人の実質ワンオペで、
二重に呼び出されると仕事が回らなくなった。
年齢確認をしたことでキレたお客さんに、
胸ぐらをつかまれたこともあった。
朝6時閉店、朝9時閉店の店に
ヘルプ&ワンオペに行ったこともあった。
恐怖体験も、心細い思いもたくさんしたはずなのに、
「寂しい」だなんて不思議だ。
思い出は、過酷な体験すらも
「懐かしさ」に変えてしまうから厄介だ。
知っての通り、飲食業界は長時間労働の宝庫。
社員、とくに店長の1日の睡眠時間は、
おそらく5時間あればマシ。
たとえ明日、失業したとしても、
もう飲食店で働こうとは思わない。
それなのに。
「働いていた店が潰れたときの寂しさ」はどうして、
戻りたくない場所にまで抱いてしまうんだろうか。
つらいことが多かった場所でも、
人生の1ページになった。
いろんな葛藤を抱え、悩みながらも、
自分は確かにそこにいた。
どんな形であれ、
自分が存在した場所を失ってしまった。
「働いていた店が潰れたときの寂しさ」は、
そうして欠けてしまった過去の自分なのかも知れない。
すすきのの某大手外食チェーンの居酒屋で
深夜のホールアルバイトをしていた。
先日、その店の前を通ったら、
見慣れない看板に変わっていた。
どうやら、潰れてしまったようだ。
1年前に通りがかったとき、
営業時間の表記が変わっていた。
「朝5時まで」→「朝3時まで」
近くの系列店も閉店時間が早まったり、
すでに潰れていたりした。
さらに別の店舗では、
店長による学生アルバイトへのパワハラが
全国ニュースになり、店長が逮捕された。
潰れるのは時間の問題だっただろう。
それでも、働いていた店が潰れると、
なんだかんだで寂しい気持ちになる。
在籍中、楽しいこともあったが、
つらい思い出の方が多かった。
深夜はホール1人、キッチン1人の実質ワンオペで、
二重に呼び出されると仕事が回らなくなった。
年齢確認をしたことでキレたお客さんに、
胸ぐらをつかまれたこともあった。
朝6時閉店、朝9時閉店の店に
ヘルプ&ワンオペに行ったこともあった。
恐怖体験も、心細い思いもたくさんしたはずなのに、
「寂しい」だなんて不思議だ。
思い出は、過酷な体験すらも
「懐かしさ」に変えてしまうから厄介だ。
知っての通り、飲食業界は長時間労働の宝庫。
社員、とくに店長の1日の睡眠時間は、
おそらく5時間あればマシ。
たとえ明日、失業したとしても、
もう飲食店で働こうとは思わない。
それなのに。
「働いていた店が潰れたときの寂しさ」はどうして、
戻りたくない場所にまで抱いてしまうんだろうか。
つらいことが多かった場所でも、
人生の1ページになった。
いろんな葛藤を抱え、悩みながらも、
自分は確かにそこにいた。
どんな形であれ、
自分が存在した場所を失ってしまった。
「働いていた店が潰れたときの寂しさ」は、
そうして欠けてしまった過去の自分なのかも知れない。
2019年08月31日
急遽、就職の可能性。
就労移行支援事業所に通い始めて
ちょうど2ヵ月。
求人を探したり、企業見学に行ったり
履歴書を具体的に用意したりという活動は
これまでのところまったくせず、
とにかく”通うこと”に慣れる、
そして色々な仕事にチャレンジする日々。
そんな中、急展開で就職する可能性が浮上。
就労移行支援事業所で
抜け殻のように無気力な僕を見たスタッフさんが
急遽時間を作ってくれて面談となった。
生活保護を使う、落ちる恐怖が
僕にとって最大のストレスになっていると
スタッフさんは見抜いており、
今は就職を勧めるよりも
気力を取り戻すことが先決とわかった上で、
僕に合うかも知れない職場を紹介してくれた。
詳しい業務内容や職場見学は
後日改めてということになったが、
主な内容は画像や情報のトリミングで、
ブラインドタッチができる場合は
PCを使った他の業務もあるらしい。
生活保護を使わなくて済む可能性を
提案してくれたことに感謝している。
最近、「もう楽になりたい」思いに浸食され、
働くことはおろか、食べることに対しても
「食べて延命して何になるの?」と思い始めてしまってる。
病院の先生は
生き続ける意味への問いはとても大切、
だけどすぐに答えが出るものじゃないから
ひとまず置いておくことも手だよと仰っていた。
働くとなったら、僕は今の投げやりな思いを
ひとまず置いておくことができるのだろうか。
せっかくスタッフさんが提案してくれたのに、
深く考える癖のある僕は、そんな余計な懸念まで
自然に引き出してしまう。
深く考えず、もっと素直に
「生活保護を使わなくてもいいかも知れないんだ」と
喜べる性格だったらいいのに。
ちょうど2ヵ月。
求人を探したり、企業見学に行ったり
履歴書を具体的に用意したりという活動は
これまでのところまったくせず、
とにかく”通うこと”に慣れる、
そして色々な仕事にチャレンジする日々。
そんな中、急展開で就職する可能性が浮上。
就労移行支援事業所で
抜け殻のように無気力な僕を見たスタッフさんが
急遽時間を作ってくれて面談となった。
生活保護を使う、落ちる恐怖が
僕にとって最大のストレスになっていると
スタッフさんは見抜いており、
今は就職を勧めるよりも
気力を取り戻すことが先決とわかった上で、
僕に合うかも知れない職場を紹介してくれた。
詳しい業務内容や職場見学は
後日改めてということになったが、
主な内容は画像や情報のトリミングで、
ブラインドタッチができる場合は
PCを使った他の業務もあるらしい。
生活保護を使わなくて済む可能性を
提案してくれたことに感謝している。
最近、「もう楽になりたい」思いに浸食され、
働くことはおろか、食べることに対しても
「食べて延命して何になるの?」と思い始めてしまってる。
病院の先生は
生き続ける意味への問いはとても大切、
だけどすぐに答えが出るものじゃないから
ひとまず置いておくことも手だよと仰っていた。
働くとなったら、僕は今の投げやりな思いを
ひとまず置いておくことができるのだろうか。
せっかくスタッフさんが提案してくれたのに、
深く考える癖のある僕は、そんな余計な懸念まで
自然に引き出してしまう。
深く考えず、もっと素直に
「生活保護を使わなくてもいいかも知れないんだ」と
喜べる性格だったらいいのに。
2019年08月07日
クラウドワークス、在宅ワーク駆け出し時代。
昨年、最後に勤めていた会社を退職し、
「企業に就職する」以外の働き方を模索し始めた。
・働く時間や場所に縛られず、自由に生きてみたい。
・「在宅ワーク」「ノマドワーク」をしてみたい。
・個人で稼ぐ力を身に着けたい。
そんな思いの中で、クラウドソーシングサービス
『CrowdWorks(クラウドワークス)』に出逢った。
考えを文章にする楽しさを知ったことで
今こうしてブログを書くことにつながった経験を書いてみる。
"自由な働き方"と言っても、
具体的に何から始めればいいかわからなかった。
なので、ひとまず何か行動することにした僕は、
・「在宅ワーク」「フリーランス」で検索
・周りの自営業の方に話を聞く
ようなことをする中で
クラウドワークスというサイトを知った。
WEB上で仕事を依頼したり、受注したりできることが
当時の僕には新鮮な驚きだった。
ビジネスを始める上での初期費用も心配だったが、
サイトへの登録や仕事の受注が無料なので
とりあえずすぐに登録だけは済ませた。
僕は自分の考えたことを言葉にするのは苦手だけど
文章にするのは苦にならない。
短くても拙くても、文章を書いて何かできないか、
自分の経験を語ることで何かを売れないかと考えていた。
WEBライターや、文章を書く仕事は未経験で、
「まとめ記事の執筆」などはハードルの高さを感じた。
ただ、クラウドワークスで募集されている仕事を見てみると、
「自分の体験談を書いてください」という案件も多かった。
「これなら書けるかも。ひとまず挑戦してみよう。」
単価はほとんどが50〜300円と安価なのは気にせず、
とりあえず経験を積もうと思い、書けるものにどんどん挑戦した。
最初は文字数の少ない、ハードルの低い案件からスタートし、
慣れるに従って以下のように文字数を多くしていった。
・100〜300字
二言三言でまとめられる範囲の短い文章
とにかく"書くこと"に慣れる
・500〜800字
3〜4つの見出しにまとめられる範囲
"構成"を意識し始める
・1000〜1500字
話を深掘りする練習
"読みやすさ""内容の濃さ"を意識し始める
100文字でも、最初はなかなか字数が足りず、
文章構成も拙いの一言。
それでも
「できなくて当たり前、練習してできるようになればいいや」
と切り替え、とにかく数をこなしていった。
数百円でもお金が入るという成功体験も
書き続ける力になり、自然にまとめ方が身についていった。
僕は主に表現者として、
世間的に見れば珍しい仕事を多く経験してきた。
・ヒーローショーのアクター
・音楽、ダンスライブへの出演
・モデル、CMエキストラ
なので、これらの経験を語る
「珍しいアルバイトをした体験談」
「アルバイトでのハプニング体験談」
などが一番書きやすかった。
僕はいろいろな土地に住んだ経験もあるので、
「最寄り駅の周辺情報」
「その土地のお祭り、イベント情報」
なども、実生活の景色から掘り起こせて筆が進んだ。
クラウドワークスで体験談の案件を探しては書きまくり、
文章を書くことに少し慣れてきたら、
まとめ記事にもいくつか挑戦してみた。
・「日本の名山●選」
・「人気旅行地●選」
僕が書いたのは最大で4000字の記事。
時数だけならこれまでの2倍だが、
体験したり行ったりしたことのないことを
調べながら書く『リサーチライティング』は
思った以上に難しかった。
指定された文章の構成に合わせながら書くことも
僕にとっては楽しさよりしんどさが勝ってしまった。
・見出しの数
・挿入キーワードの数
など。
筆の進まなさは想像をはるかに超え、
4000字の記事を1つ仕上げるのに10時間以上かかった。
僕はリサーチライティング記事をいくつか受注し、
自分の経験に基づかない話を書くことにしんどさを覚えた。
なので今後も続けるのは難しいと感じ、結果的に挫折した。
だけど、この挫折から大きな学びを得た。
『僕は有益な情報をまとめるよりも、
自分の経験と、その時に感じた気持ちを
自由に表現している時が一番楽しいんだ。
よし、ブログを開設して、自分の思うままに
自由に書いていこう』
自分は何を書いている時が、一番楽しいのか。
そこに気づけたことは、WEBライターの経験が
とても大きなステップアップになった。
クラウドワークスで、主に体験談を書く
WEBライター業に力を入れた期間は3か月ほど。
多い時は1日で8〜10時間くらい、
5〜6件の体験談を探しては書き、
1ヵ月に稼いだ金額は最大で1万円ほどだった。
お金という面ではごくわずか。
「それだけ書いて月1万円か…」と思うかもしれない。
だけど、
この時にたくさん文章を書いた経験が
一生もののスキルとして僕の財産になった。
・ライティング経験
・リサーチ力
・マーケティング力
などなど、
初期投資0円で、お金を稼ぎながら
実務経験を積めてスキルアップできる。
多くの仕事に応用できるだろうし、
何より書くこと、表現する楽しさに気づくことができた。
今、こうやってブログを開設できて、
毎日1000字以上の記事を更新できるのは、
この時に書きまくった経験が土台になったから。
「企業に就職する」以外の働き方を模索し始めた。
・働く時間や場所に縛られず、自由に生きてみたい。
・「在宅ワーク」「ノマドワーク」をしてみたい。
・個人で稼ぐ力を身に着けたい。
そんな思いの中で、クラウドソーシングサービス
『CrowdWorks(クラウドワークス)』に出逢った。
考えを文章にする楽しさを知ったことで
今こうしてブログを書くことにつながった経験を書いてみる。
クラウドワークスとの出逢い、ひとまず無料登録
"自由な働き方"と言っても、
具体的に何から始めればいいかわからなかった。
なので、ひとまず何か行動することにした僕は、
・「在宅ワーク」「フリーランス」で検索
・周りの自営業の方に話を聞く
ようなことをする中で
クラウドワークスというサイトを知った。
WEB上で仕事を依頼したり、受注したりできることが
当時の僕には新鮮な驚きだった。
ビジネスを始める上での初期費用も心配だったが、
サイトへの登録や仕事の受注が無料なので
とりあえずすぐに登録だけは済ませた。
「これなら書けるかも」体験談の執筆から始める
僕は自分の考えたことを言葉にするのは苦手だけど
文章にするのは苦にならない。
短くても拙くても、文章を書いて何かできないか、
自分の経験を語ることで何かを売れないかと考えていた。
WEBライターや、文章を書く仕事は未経験で、
「まとめ記事の執筆」などはハードルの高さを感じた。
ただ、クラウドワークスで募集されている仕事を見てみると、
「自分の体験談を書いてください」という案件も多かった。
「これなら書けるかも。ひとまず挑戦してみよう。」
単価はほとんどが50〜300円と安価なのは気にせず、
とりあえず経験を積もうと思い、書けるものにどんどん挑戦した。
少ない文字数から、徐々に増やしていく
最初は文字数の少ない、ハードルの低い案件からスタートし、
慣れるに従って以下のように文字数を多くしていった。
・100〜300字
二言三言でまとめられる範囲の短い文章
とにかく"書くこと"に慣れる
・500〜800字
3〜4つの見出しにまとめられる範囲
"構成"を意識し始める
・1000〜1500字
話を深掘りする練習
"読みやすさ""内容の濃さ"を意識し始める
100文字でも、最初はなかなか字数が足りず、
文章構成も拙いの一言。
それでも
「できなくて当たり前、練習してできるようになればいいや」
と切り替え、とにかく数をこなしていった。
数百円でもお金が入るという成功体験も
書き続ける力になり、自然にまとめ方が身についていった。
珍しい仕事の経験が、ここで生きる
僕は主に表現者として、
世間的に見れば珍しい仕事を多く経験してきた。
・ヒーローショーのアクター
・音楽、ダンスライブへの出演
・モデル、CMエキストラ
なので、これらの経験を語る
「珍しいアルバイトをした体験談」
「アルバイトでのハプニング体験談」
などが一番書きやすかった。
僕はいろいろな土地に住んだ経験もあるので、
「最寄り駅の周辺情報」
「その土地のお祭り、イベント情報」
なども、実生活の景色から掘り起こせて筆が進んだ。
体験談に慣れた後、まとめ記事に挑戦
クラウドワークスで体験談の案件を探しては書きまくり、
文章を書くことに少し慣れてきたら、
まとめ記事にもいくつか挑戦してみた。
・「日本の名山●選」
・「人気旅行地●選」
僕が書いたのは最大で4000字の記事。
時数だけならこれまでの2倍だが、
体験したり行ったりしたことのないことを
調べながら書く『リサーチライティング』は
思った以上に難しかった。
指定された文章の構成に合わせながら書くことも
僕にとっては楽しさよりしんどさが勝ってしまった。
・見出しの数
・挿入キーワードの数
など。
筆の進まなさは想像をはるかに超え、
4000字の記事を1つ仕上げるのに10時間以上かかった。
体験談とリサーチライティングから学んだこと
僕はリサーチライティング記事をいくつか受注し、
自分の経験に基づかない話を書くことにしんどさを覚えた。
なので今後も続けるのは難しいと感じ、結果的に挫折した。
だけど、この挫折から大きな学びを得た。
『僕は有益な情報をまとめるよりも、
自分の経験と、その時に感じた気持ちを
自由に表現している時が一番楽しいんだ。
よし、ブログを開設して、自分の思うままに
自由に書いていこう』
自分は何を書いている時が、一番楽しいのか。
そこに気づけたことは、WEBライターの経験が
とても大きなステップアップになった。
初期投資0円で、一生もののスキルを得られる
クラウドワークスで、主に体験談を書く
WEBライター業に力を入れた期間は3か月ほど。
多い時は1日で8〜10時間くらい、
5〜6件の体験談を探しては書き、
1ヵ月に稼いだ金額は最大で1万円ほどだった。
お金という面ではごくわずか。
「それだけ書いて月1万円か…」と思うかもしれない。
だけど、
この時にたくさん文章を書いた経験が
一生もののスキルとして僕の財産になった。
・ライティング経験
・リサーチ力
・マーケティング力
などなど、
初期投資0円で、お金を稼ぎながら
実務経験を積めてスキルアップできる。
多くの仕事に応用できるだろうし、
何より書くこと、表現する楽しさに気づくことができた。
今、こうやってブログを開設できて、
毎日1000字以上の記事を更新できるのは、
この時に書きまくった経験が土台になったから。