2022年01月14日
【アダルトチルドレン】親の教育方針は子どもに伝わらない。
我が子にこんな人間になってほしい
幸せになってほしい
親がそう願うのは、とてもすばらしいことだと思います。
そのために、たとえば
という教育方針を取ることもあるでしょう。
ですが、
親にどんなすばらしい教育方針があったとしても、
それは子どもには伝わらないと思います。
親が子どもの気持ちに興味がない限り、
子どもに伝わるのは教育方針ではありません。
「親は私より教育方針の方が大切なの?」
という悲しみです。
ー目次ー
一見、子ども想いなこれらの願いに、
1つだけ抜けている視点があります。
それは「その子がどうしたいか」です。
親が願う人間像は、
確かに実現すれば人生が好転する確率が上がります。
人生経験を積んできた親だからこそわかることです。
しかしそれらは、どこまでいっても親の願望です。
子ども本人がそう願っているかどうかも、
子どもの希望と一致しているかどうかもわかりません。
親が描く”シアワセナジンセイ”が
だとしても、
子どもにとっての”幸せな人生”は真逆かもしれないんです。
たとえば親が、こんな教育方針を掲げていたとします。
子どもが成長すると、どこかで
「なぜ親はあんなことをしたんだろう?」と疑問に思います。
そのときに、親が「実はそういう教育方針だった」と説明すれば、
理屈として理解はするでしょう。
ですが、子どもはいつかどこかで気づきます。
親がずっと「私がどうしたいか」を無視し続けてきたことに。
それに気づいたとき、
今まで無意識に抑えてきた思いが一気に顔を出します。
「もっと親に甘えたかった」
「私の気持ちを知ろうとしてほしかった」
「私が何に興味があるのかを尋ねてほしかった」
そして最終的に、
親へのこんな疑問にたどり着いてしまいます。
「親やどうして私の気持ちに無関心だったの?」
「親は私より教育方針の方が大切なの?」
では、親が「こういう教育方針でいくよ」と、
子どもに了解を取ればよいのでしょうか。
おそらく子どもは了解するでしょう。
断ったら育ててもらえなくなるかもしれませんから。
子どもは多かれ少なかれ、親の期待に沿おうとし、
親の関心を引こうと必死になります。
多少、自分の気持ちを犠牲にしてでも、
親の意向におもねるように振る舞います。
それは養育者から見捨てられないための生存戦略です。
だから表面的には、子どもからの了解を取れるでしょう。
それでも子どもは、親からの質問を待ち続けます。
「あなたはどんな気持ちなの?」
「あなたはどんなことに興味があるの?」
という質問を。
親からこの質問をされない期間が長くなればなるほど、
子どもの心には欠乏感が大きくなります。
これが「心にぽっかり空いた穴」となり、
大人になってもずっとその子を苦しめます。
親がどんなにすばらしい教育方針を掲げても、
そこに子どもの気持ちへの興味がない限り、
伝わるのは悲しみと欠乏感です。
教育方針は説明されれば、理屈としては理解します。
子どもは「親なりに私のことを考えてくれた」と、
親をかばうかもしれません。
だとしても、
気持ちを大切にされない限り、欠乏感は消えないんです。
戦時中や戦後なら
「生きていればそれでいい」が精一杯です。
たとえ我が子でも、
他人の気持ちなんて考える余裕はなかったでしょう。
ただ、戦争から遠ざかった現代では、
「生きていればそれでいい」は
親だけの都合になってしまったんです。
平和な時代は喜ばしい反面、
「気持ちをわかってくれない親」が
表面化した時代でもあるんじゃないでしょうか。
「共感?気持ち?甘ったれるな!」は、もう通用しないんです。
親がそれを言い続ける限り、子どもは親をどんどん忌避していきます。
→あわせてよみたい
【アダルトチルドレン】戦争後遺症が「わかってくれない親」を生み出した。
幸せになってほしい
親がそう願うのは、とてもすばらしいことだと思います。
そのために、たとえば
- 厳しくしつける
- 多くの習い事をさせる
- 放任する
という教育方針を取ることもあるでしょう。
ですが、
親にどんなすばらしい教育方針があったとしても、
それは子どもには伝わらないと思います。
親が子どもの気持ちに興味がない限り、
子どもに伝わるのは教育方針ではありません。
「親は私より教育方針の方が大切なの?」
という悲しみです。
ー目次ー
- ”シアワセナジンセイ”は、どこまでいっても親の願望
- 子どもは教育方針を理解しても、納得はしない
- 子どもが待ち続ける質問、”あなたはどんな気持ち?”
- 平和な時代は、”わかってくれない親”が表面化する
1.”シアワセナジンセイ”は、どこまでいっても親の願望
- スポーツや学業で成功してほしい
- お金に困らないようになってほしい
- 厳しさを乗り越えられる強い人間になってほしい
一見、子ども想いなこれらの願いに、
1つだけ抜けている視点があります。
それは「その子がどうしたいか」です。
親が願う人間像は、
確かに実現すれば人生が好転する確率が上がります。
人生経験を積んできた親だからこそわかることです。
しかしそれらは、どこまでいっても親の願望です。
子ども本人がそう願っているかどうかも、
子どもの希望と一致しているかどうかもわかりません。
親が描く”シアワセナジンセイ”が
- お金持ちになりたい
- スポーツで成功したい
- 安定した生活を送りたい
だとしても、
子どもにとっての”幸せな人生”は真逆かもしれないんです。
2.子どもは教育方針を理解しても、納得はしない
たとえば親が、こんな教育方針を掲げていたとします。
- うぬぼれや慢心をしない子になってほしいから
成功してもほめない - 社会の荒波を乗り越える強さを身につけてほしいから
厳しくしつける
子どもが成長すると、どこかで
「なぜ親はあんなことをしたんだろう?」と疑問に思います。
そのときに、親が「実はそういう教育方針だった」と説明すれば、
理屈として理解はするでしょう。
ですが、子どもはいつかどこかで気づきます。
親がずっと「私がどうしたいか」を無視し続けてきたことに。
それに気づいたとき、
今まで無意識に抑えてきた思いが一気に顔を出します。
「もっと親に甘えたかった」
「私の気持ちを知ろうとしてほしかった」
「私が何に興味があるのかを尋ねてほしかった」
そして最終的に、
親へのこんな疑問にたどり着いてしまいます。
「親やどうして私の気持ちに無関心だったの?」
「親は私より教育方針の方が大切なの?」
3.子どもが待ち続ける質問、”あなたはどんな気持ち?”
では、親が「こういう教育方針でいくよ」と、
子どもに了解を取ればよいのでしょうか。
おそらく子どもは了解するでしょう。
断ったら育ててもらえなくなるかもしれませんから。
子どもは多かれ少なかれ、親の期待に沿おうとし、
親の関心を引こうと必死になります。
多少、自分の気持ちを犠牲にしてでも、
親の意向におもねるように振る舞います。
それは養育者から見捨てられないための生存戦略です。
だから表面的には、子どもからの了解を取れるでしょう。
それでも子どもは、親からの質問を待ち続けます。
「あなたはどんな気持ちなの?」
「あなたはどんなことに興味があるの?」
という質問を。
親からこの質問をされない期間が長くなればなるほど、
子どもの心には欠乏感が大きくなります。
これが「心にぽっかり空いた穴」となり、
大人になってもずっとその子を苦しめます。
4.平和な時代は、”わかってくれない親”が表面化する
親がどんなにすばらしい教育方針を掲げても、
そこに子どもの気持ちへの興味がない限り、
伝わるのは悲しみと欠乏感です。
教育方針は説明されれば、理屈としては理解します。
子どもは「親なりに私のことを考えてくれた」と、
親をかばうかもしれません。
だとしても、
気持ちを大切にされない限り、欠乏感は消えないんです。
戦時中や戦後なら
「生きていればそれでいい」が精一杯です。
たとえ我が子でも、
他人の気持ちなんて考える余裕はなかったでしょう。
ただ、戦争から遠ざかった現代では、
「生きていればそれでいい」は
親だけの都合になってしまったんです。
平和な時代は喜ばしい反面、
「気持ちをわかってくれない親」が
表面化した時代でもあるんじゃないでしょうか。
「共感?気持ち?甘ったれるな!」は、もう通用しないんです。
親がそれを言い続ける限り、子どもは親をどんどん忌避していきます。
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