2020年08月27日
【子どもに口出しする親】子どものプレーに口出しするのは、親自身が子どもの頃に認めてもらえなかったから。
子どもと一緒にスポーツをする親の中には、
子どものプレーにうるさく口出しする親もいる。
そんな場面に遭遇するたび、
心を痛めると同時に、こんな疑問が浮かぶ。
なぜ口出しを止められないの?
できないとわかっているにもかかわらず、
なぜ親の基準を子どもに押しつけるの?
それはきっと、
子どものプレーに口出しする親自身も、
子どもの頃に口出しされてきたから。
悲しみの世代間連鎖を断ち切ることは、
できるんだろうか。
ー目次ー
先日、僕は行きつけの公園へ
敷き物と本を持って行った。
広場では多くの家族連れが、
スポーツを楽しんでいた。
小学生くらいの男の子2人がトスバッティングをし、
お父さんがその先で守備をしながらこう叫んでいた。
「ちがう!バットの芯で打て!」
「下手くそ!どこに打ってんだよ!」
「振り方がちがう!あーしろこーしろ!」
僕は胸が締めつけられるような悲しみに耐えられず、
広場から立ち去った。
「バットの芯で打て!」
そう言われた次のスイングから
「芯で打てるようになりました」
とはならない。
練習して、少しずつできるようになる。
そんなことは、お父さんだってわかってる。
経験者ならなおさら。
にもかかわらず、口うるさく言うのはなぜか。
お父さんにとって、
できないことが「許せない」から。
彼の中にある「できるべきレベル」に
達しないことが許せないから。
では、
子どもが「バットの芯で打てなかった」ら、
生命が脅かされるほどの大問題になるだろうか。
深刻な実害が出るだろうか。
なんにも出ない。
唯一、なにか出るとすれば、それは
「お父さんの”べきルール”が破られて気分を害する」だけ。
でも、その唯一のなにかによって、
子どものプレーは委縮し、楽しさが奪われる。
「お父さんに否定された」という、
無力感と自己否定を抱えたまま成長する。
そして、
「お父さんに認めてもらいたい」という、
永遠に叶わない願いを求めて苦しむ。
ということは、これって誰の問題?
子どものバッティングフォーム?
もう1人のトスのあげ方?
上達の速さ?
ちがうでしょう?
これは
自分の心と向き合えない、お父さんの問題
なにと向き合えばいい?
それは
なぜ自分は、押しつけと口出しを止められないのか
誰の中にだって、理想はある。
プレーのレベルの基準もある。
それでも、口に出す言葉は選べる。
ポジティブな励ましの言葉か、
「あーしろこーしろ」か。
なのに、なぜ自分は選べない?
なぜ口から出るのは「あーしろこーしろ」ばかり?
それはきっと、
お父さん自身が親や周りから
”勝手な基準”を押しつけられてきたから。
お父さん自身も、
その”勝手な基準”を満たさないと𠮟られてきたから。
あーしろ
こーしろ
そうじゃない
なにやってんだ
下手くそ
お父さん自身もきっと、そう言われ続けてきたんだ。
それでも
”勝手な基準”を押しつけてきた親やコーチに
認められたくて認められなかったんだ。
満たされない悲しみの世代間連鎖。
それがまさに目の前で伝えられていくさまに
心を痛めながらも、僕は思う。
お父さん、本当は
子どもたちに向けて言ってるんじゃないんでしょう?
って。
あーしろ
こーしろ
そうじゃない
なにやってんだ
下手くそ
これ、
本当は自分に言ってるんでしょう?
認めてほしくて認めてもらえなかった、
子どもの頃の自分に向けて。
少年時代に満たされなかった、
悲しみと寂しさの連鎖。
その渦に飲み込まれ口出しが止められない親、
口出しされる子ども。
誰が苦しい?誰が嬉しい?
どちらも苦しいままなんじゃない?
もうやめようよ、
親やコーチの呪いを伝え続けるのは。
この連鎖にどちらかが気づき、
断ち切られることを願いながら、
僕は公園をあとにした。
ーー子どもをコントロールする親の心理を学ぶ本ーー
子どものプレーにうるさく口出しする親もいる。
そんな場面に遭遇するたび、
心を痛めると同時に、こんな疑問が浮かぶ。
なぜ口出しを止められないの?
できないとわかっているにもかかわらず、
なぜ親の基準を子どもに押しつけるの?
それはきっと、
子どものプレーに口出しする親自身も、
子どもの頃に口出しされてきたから。
悲しみの世代間連鎖を断ち切ることは、
できるんだろうか。
ー目次ー
- お父さんの叫び”下手くそ!どこに打ってんだよ!”
- 永遠に叶わない願い”親に認めてもらいたい”
- お父さん自身も、”勝手な基準”を押しつけられた被害者
- 悲しみの世代間連鎖に気づき、断ち切られることを願う
1.お父さんの叫び”下手くそ!どこに打ってんだよ!”
先日、僕は行きつけの公園へ
敷き物と本を持って行った。
広場では多くの家族連れが、
スポーツを楽しんでいた。
小学生くらいの男の子2人がトスバッティングをし、
お父さんがその先で守備をしながらこう叫んでいた。
「ちがう!バットの芯で打て!」
「下手くそ!どこに打ってんだよ!」
「振り方がちがう!あーしろこーしろ!」
僕は胸が締めつけられるような悲しみに耐えられず、
広場から立ち去った。
2.永遠に叶わない願い”親に認めてもらいたい”
「バットの芯で打て!」
そう言われた次のスイングから
「芯で打てるようになりました」
とはならない。
練習して、少しずつできるようになる。
そんなことは、お父さんだってわかってる。
経験者ならなおさら。
にもかかわらず、口うるさく言うのはなぜか。
お父さんにとって、
できないことが「許せない」から。
彼の中にある「できるべきレベル」に
達しないことが許せないから。
では、
子どもが「バットの芯で打てなかった」ら、
生命が脅かされるほどの大問題になるだろうか。
深刻な実害が出るだろうか。
なんにも出ない。
唯一、なにか出るとすれば、それは
「お父さんの”べきルール”が破られて気分を害する」だけ。
でも、その唯一のなにかによって、
子どものプレーは委縮し、楽しさが奪われる。
「お父さんに否定された」という、
無力感と自己否定を抱えたまま成長する。
そして、
「お父さんに認めてもらいたい」という、
永遠に叶わない願いを求めて苦しむ。
3.お父さん自身も、”勝手な基準”を押しつけられた被害者
ということは、これって誰の問題?
子どものバッティングフォーム?
もう1人のトスのあげ方?
上達の速さ?
ちがうでしょう?
これは
自分の心と向き合えない、お父さんの問題
なにと向き合えばいい?
それは
なぜ自分は、押しつけと口出しを止められないのか
誰の中にだって、理想はある。
プレーのレベルの基準もある。
それでも、口に出す言葉は選べる。
ポジティブな励ましの言葉か、
「あーしろこーしろ」か。
なのに、なぜ自分は選べない?
なぜ口から出るのは「あーしろこーしろ」ばかり?
それはきっと、
お父さん自身が親や周りから
”勝手な基準”を押しつけられてきたから。
お父さん自身も、
その”勝手な基準”を満たさないと𠮟られてきたから。
あーしろ
こーしろ
そうじゃない
なにやってんだ
下手くそ
お父さん自身もきっと、そう言われ続けてきたんだ。
それでも
”勝手な基準”を押しつけてきた親やコーチに
認められたくて認められなかったんだ。
4.悲しみの世代間連鎖に気づき、断ち切られることを願う
満たされない悲しみの世代間連鎖。
それがまさに目の前で伝えられていくさまに
心を痛めながらも、僕は思う。
お父さん、本当は
子どもたちに向けて言ってるんじゃないんでしょう?
って。
あーしろ
こーしろ
そうじゃない
なにやってんだ
下手くそ
これ、
本当は自分に言ってるんでしょう?
認めてほしくて認めてもらえなかった、
子どもの頃の自分に向けて。
少年時代に満たされなかった、
悲しみと寂しさの連鎖。
その渦に飲み込まれ口出しが止められない親、
口出しされる子ども。
誰が苦しい?誰が嬉しい?
どちらも苦しいままなんじゃない?
もうやめようよ、
親やコーチの呪いを伝え続けるのは。
この連鎖にどちらかが気づき、
断ち切られることを願いながら、
僕は公園をあとにした。
ーー子どもをコントロールする親の心理を学ぶ本ーー
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