2020年07月29日
【アダルトチルドレン】親の自己犠牲が子どもに伝えるのは、愛情ではなく”存在への罪悪感”。
「私のすべてを犠牲にして、あなたを育て上げたんだよ」
『そうだったんだ…。お父さん、お母さん、ありがとう』
一見、親子の美しい感動エピソードに思える。
だけど、美しいだけじゃない。
親の自己犠牲は、純粋で尊いもの、
だから子どもには感謝と愛情が伝わる?
いいえ。
いちばん子どもに伝わってしまうのは、
自分の存在に対する罪悪感。
ー目次ー
私はこれだけ我慢して
あなたを育てたんだよ。
これだけ我慢して
あなたのためにお金を貯めていたんだよ。
言葉にしても、しなくても。
それを知った子どもが最初に思うことは、
たぶん親への感謝。
そうだったんだ、
そこまでして私を育ててくれたんだ。
ありがとう。
そんな、
美しい親への感謝の気持ちだけで
ずっと生きていけるなら。
これ以上の幸せはないかも知れない。
だけど、時間が経つと。
「親が自分の身も、お金も犠牲にして自分を育ててくれた」
そんな親子の感動エピソードが、
感謝の次に運んでくるものがある。
それは
自分の存在への罪悪感。
親は自分を犠牲にしてまで私のために尽くしてくれた。
毎日毎日、あんなに辛そうな顔して。
寝る時間も削って仕事して。
あんなに我慢して。
…ちょっと待って?
親が自分を犠牲にしなければならなかったのは、
私が生まれたからじゃないの?
私が生まれなければ、
親はあんなにも苦しそうに生きなくてよかったんじゃないの?
私は、存在していてもいいの?
親が辛そうな姿を見せ続け、
自己犠牲の上に生かされた子どもは。
自分が存在すること自体が
人に迷惑をかけるんだと思い込む。
自分がいなければ、親をこんなに苦しませなくていいんだ。
自分がいることで、親を苦しめるんだ。と
この上もなく尊いはずの、親の献身を、
一身に浴び続けたにもかかわらず。
それは、親が意図しても、しなくても、
子どもにこんなプレッシャーを与えることになるから。
私はこんなに我慢してあなたを育てたんだから、
あなたはそれ相応の期待に応えなさいよ。
わかってるよね?
皮肉なことに、
たとえどれだけ純粋な気持ちで、
子どものことを想っていたとしても。
自らを犠牲にして、誰かを助ける。
辛い姿を見せてでも、献身的に尽くす。
それはしばしば、美談で語られる。
美しい親子の絆として、神聖視される。
そうじゃない。
子どもは決して、親に
「我慢して犠牲になってまで育てて」
なんて思ってない。
一緒に楽しんでほしい。
自分のために苦しむんじゃなく、
自分といるから人生が楽しいと知らせてほしい。
あなたが生まれてよかったんだよと、知らせてほしい。
元・子どもとして、僕は今も
自分の存在への許可を求め、さまよっている。
自己犠牲から生まれるのは、
最初に感謝。
そして、行き着く先は、
自分の存在への罪悪感。
ーーその罪悪感、消せなくてもいい。罪悪感と共に生きてみるのはどうだろうーー
『そうだったんだ…。お父さん、お母さん、ありがとう』
一見、親子の美しい感動エピソードに思える。
だけど、美しいだけじゃない。
親の自己犠牲は、純粋で尊いもの、
だから子どもには感謝と愛情が伝わる?
いいえ。
いちばん子どもに伝わってしまうのは、
自分の存在に対する罪悪感。
ー目次ー
- 自己犠牲は、最初に”親への感謝”を運んでくる
- 自己犠牲は、最後に”存在への罪悪感”を運んでくる
- ”私がいるから、親はあんなに苦しそうなんだ”
- ”あなたが生まれてよかった”と知らせてほしい
1.自己犠牲は、最初に”親への感謝”を運んでくる
私はこれだけ我慢して
あなたを育てたんだよ。
これだけ我慢して
あなたのためにお金を貯めていたんだよ。
言葉にしても、しなくても。
それを知った子どもが最初に思うことは、
たぶん親への感謝。
そうだったんだ、
そこまでして私を育ててくれたんだ。
ありがとう。
そんな、
美しい親への感謝の気持ちだけで
ずっと生きていけるなら。
これ以上の幸せはないかも知れない。
2.自己犠牲は、最後に”存在への罪悪感”を運んでくる
だけど、時間が経つと。
「親が自分の身も、お金も犠牲にして自分を育ててくれた」
そんな親子の感動エピソードが、
感謝の次に運んでくるものがある。
それは
自分の存在への罪悪感。
親は自分を犠牲にしてまで私のために尽くしてくれた。
毎日毎日、あんなに辛そうな顔して。
寝る時間も削って仕事して。
あんなに我慢して。
…ちょっと待って?
親が自分を犠牲にしなければならなかったのは、
私が生まれたからじゃないの?
私が生まれなければ、
親はあんなにも苦しそうに生きなくてよかったんじゃないの?
私は、存在していてもいいの?
3.”私がいるから、親はあんなに苦しそうなんだ”
親が辛そうな姿を見せ続け、
自己犠牲の上に生かされた子どもは。
自分が存在すること自体が
人に迷惑をかけるんだと思い込む。
自分がいなければ、親をこんなに苦しませなくていいんだ。
自分がいることで、親を苦しめるんだ。と
この上もなく尊いはずの、親の献身を、
一身に浴び続けたにもかかわらず。
それは、親が意図しても、しなくても、
子どもにこんなプレッシャーを与えることになるから。
私はこんなに我慢してあなたを育てたんだから、
あなたはそれ相応の期待に応えなさいよ。
わかってるよね?
皮肉なことに、
たとえどれだけ純粋な気持ちで、
子どものことを想っていたとしても。
4.”あなたが生まれてよかった”と知らせてほしい
自らを犠牲にして、誰かを助ける。
辛い姿を見せてでも、献身的に尽くす。
それはしばしば、美談で語られる。
美しい親子の絆として、神聖視される。
そうじゃない。
子どもは決して、親に
「我慢して犠牲になってまで育てて」
なんて思ってない。
一緒に楽しんでほしい。
自分のために苦しむんじゃなく、
自分といるから人生が楽しいと知らせてほしい。
あなたが生まれてよかったんだよと、知らせてほしい。
元・子どもとして、僕は今も
自分の存在への許可を求め、さまよっている。
自己犠牲から生まれるのは、
最初に感謝。
そして、行き着く先は、
自分の存在への罪悪感。
ーーその罪悪感、消せなくてもいい。罪悪感と共に生きてみるのはどうだろうーー
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