2020年05月06日
【柴田昌弘『グリーン・ブラッド』】生殖能力を失くして、毒親の世代間連鎖を確実に止めたい。
僕の大好きな漫画家、
柴田昌弘氏のSF傑作『グリーン・ブラッド』
グリーンブラッドは、見た目は人間と同じ。
ただし生殖能力を持たず、
人間の奴隷として作られた有機アンドロイド。
もし人間とグリーンブラッド、どちらになるか選べるなら、
僕はグリーンブラッドになりたい。
グリーンブラッドになれたら、
悲しみと寂しさに苦しむ次の世代を、
”生まないことができる”から。
ー目次ー
グリーンブラッドは、
作られてしばらくは自我を持たなかった。
人間のための労働力として働くだけ。
それが徐々に変わっていく。
アンドロイドでも、一代生物でも、
自由に生きていいじゃないか。
人間と争うつもりはない。
我々はただ、この一代かぎりの命を
精一杯に生きたいだけなんだ。
その意志を持ったグリーンブラッドたちは、
工場や鉱石採掘場から逃げ出す。
そして、人間に狩られる恐怖の中、
人里離れ、あるいは人間社会に紛れて暮らす。
人間から逃れ、自由を手にしても、
グリーンブラッドが決して逃れられない絶望。
それは、
これはグリーンブラッドにとっての悲しみ。
僕にとっての羨望。
生殖能力がないなんて素晴らしい。
悲しむ次世代の再生産を、確実に断ち切れるから。
どうして、親から愛されなかったんだろう?
どうして、こんなに悲しいんだろう?
なぜ人間には「苦しい」「虚しい」「辛い」
なんて感情が必要だったんだろう。
そうやって僕が悩み、僕の親が悩み、祖父母が悩んできた。
命と一緒に、親から愛されなかった悲しみも、つながってきた。
悲しみが僕まで引き継がれたってことは、
僕の先祖は代々アダルトチルドレンだ。
悲しみの世代間連鎖は、僕で断ち切ると決めた。
ただ、何をどうしようと、悲しみは消えない。
ときおり襲いかかる苦しみとは、一生つき合っていく。
もう苦しみたくない、何か方法はないか。
そうだ、生まれなければいいんだ。
僕がもし、グリーンブラッドになれたら、
悲しみを背負う次の世代を”生まない”ことができる。
生まなければ、自分の血筋を確実に断てる。
僕はもう生まれてしまってるので、
一代生物として自分を生きて終了したい。
こう考える僕は後に、「反出生主義」という言葉に出逢った。
他人に押しつけるつもりはないが、とても共感した。
⇒反出生主義は、親に愛されなかった者たちがたどり着く救済思想。
「僕は生殖能力のないグリーンブラッドになりたい」
こんなことを言うと、
子どもがほしい人に叱られるだろう。
悲しみの世代間連鎖を断ち切るなら、
自分の子どもに連鎖させなければいい。
それは理屈ではわかる。
ただ、僕は親になれない。なりたくもない。
受け継がれた悲しみを、
喜びに変えてつなぐ使命感が湧かない。
⇒子どもがいらないのは、ずっと”親の親”をやってきたから。
家庭環境に確執を抱えて育った人は、
大きく次の2つに分かれるらしい。
・自分は悲しかった
だから自分はあたたかい家庭を築いて、
子どもに優しくしてあげたい
・自分は悲しかった
だから絶対に家庭なんか持ちたくないし、
子どもなんてほしくない
後者の僕は、
・愛情は期限つきで条件つき
・家族はメンバー承認制
・子どもは親の支配欲の充足要員
それしか知らない。
あたたかい家庭を作る挑戦は遠慮しておく。
僕は子孫の新規作成から降りる。
意志を持った存在を作り出すとは何なのか。
命をつなぐことは希望か、それとも絶望か。
グリーンブラッドを作り出した人間は、
果たして幸せになったのか。
そんなことを考える、柴田昌弘氏のSF傑作
『グリーン・ブラッド』
柴田昌弘氏のSF傑作『グリーン・ブラッド』
グリーンブラッドは、見た目は人間と同じ。
ただし生殖能力を持たず、
人間の奴隷として作られた有機アンドロイド。
もし人間とグリーンブラッド、どちらになるか選べるなら、
僕はグリーンブラッドになりたい。
グリーンブラッドになれたら、
悲しみと寂しさに苦しむ次の世代を、
”生まないことができる”から。
ー目次ー
- 『グリーン・ブラッド』の世界観
- 受け継がれるアダルトチルドレンの系譜
- 名案、”生まれなければいいんだ”
- 自分を精一杯に生きて、そこで終わりたい
- グリーンブラッドになって、子孫の新規作成から降りたい
1.『グリーン・ブラッド』の世界観
グリーンブラッドは、
作られてしばらくは自我を持たなかった。
人間のための労働力として働くだけ。
それが徐々に変わっていく。
アンドロイドでも、一代生物でも、
自由に生きていいじゃないか。
人間と争うつもりはない。
我々はただ、この一代かぎりの命を
精一杯に生きたいだけなんだ。
その意志を持ったグリーンブラッドたちは、
工場や鉱石採掘場から逃げ出す。
そして、人間に狩られる恐怖の中、
人里離れ、あるいは人間社会に紛れて暮らす。
人間から逃れ、自由を手にしても、
グリーンブラッドが決して逃れられない絶望。
それは、
われわれグリーンブラッドは
生殖能力がなく、未来に何も残せない。
死んだら再生工場に送られ、また作られるだけ。
子孫に希望を託せないなんてあんまりじゃないか。
ただ生きて死んでいくだけなんて悲しすぎる。
これはグリーンブラッドにとっての悲しみ。
僕にとっての羨望。
生殖能力がないなんて素晴らしい。
悲しむ次世代の再生産を、確実に断ち切れるから。
2.受け継がれるアダルトチルドレンの系譜
どうして、親から愛されなかったんだろう?
どうして、こんなに悲しいんだろう?
なぜ人間には「苦しい」「虚しい」「辛い」
なんて感情が必要だったんだろう。
そうやって僕が悩み、僕の親が悩み、祖父母が悩んできた。
命と一緒に、親から愛されなかった悲しみも、つながってきた。
悲しみが僕まで引き継がれたってことは、
僕の先祖は代々アダルトチルドレンだ。
3.名案、”生まれなければいいんだ”
悲しみの世代間連鎖は、僕で断ち切ると決めた。
ただ、何をどうしようと、悲しみは消えない。
ときおり襲いかかる苦しみとは、一生つき合っていく。
もう苦しみたくない、何か方法はないか。
そうだ、生まれなければいいんだ。
僕がもし、グリーンブラッドになれたら、
悲しみを背負う次の世代を”生まない”ことができる。
生まなければ、自分の血筋を確実に断てる。
僕はもう生まれてしまってるので、
一代生物として自分を生きて終了したい。
こう考える僕は後に、「反出生主義」という言葉に出逢った。
他人に押しつけるつもりはないが、とても共感した。
⇒反出生主義は、親に愛されなかった者たちがたどり着く救済思想。
4.自分を精一杯に生きて、そこで終わりたい
「僕は生殖能力のないグリーンブラッドになりたい」
こんなことを言うと、
子どもがほしい人に叱られるだろう。
悲しみの世代間連鎖を断ち切るなら、
自分の子どもに連鎖させなければいい。
それは理屈ではわかる。
ただ、僕は親になれない。なりたくもない。
受け継がれた悲しみを、
喜びに変えてつなぐ使命感が湧かない。
⇒子どもがいらないのは、ずっと”親の親”をやってきたから。
5.グリーンブラッドになって、子孫の新規作成から降りたい
家庭環境に確執を抱えて育った人は、
大きく次の2つに分かれるらしい。
・自分は悲しかった
だから自分はあたたかい家庭を築いて、
子どもに優しくしてあげたい
・自分は悲しかった
だから絶対に家庭なんか持ちたくないし、
子どもなんてほしくない
後者の僕は、
・愛情は期限つきで条件つき
・家族はメンバー承認制
・子どもは親の支配欲の充足要員
それしか知らない。
あたたかい家庭を作る挑戦は遠慮しておく。
僕は子孫の新規作成から降りる。
意志を持った存在を作り出すとは何なのか。
命をつなぐことは希望か、それとも絶望か。
グリーンブラッドを作り出した人間は、
果たして幸せになったのか。
そんなことを考える、柴田昌弘氏のSF傑作
『グリーン・ブラッド』
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