2019年08月04日
「勉強しないなら働けよ。」
僕の父は旧帝大卒、
そして現役(?)で教員採用試験に合格、
高校時代は朝3時に起きて勉強する人だった。
それを自慢したいのではなく、
まるで強迫観念に支配されたような勉強好きが
僕や妹、弟の教育方針に大きな影響を与えていたことを
詳しく思い出したので書いてみる。
第一子で長男の僕は、寂しさや居場所の無さから
勉強にグレていて、動機はともかく自発的に勉強していた。
成績も悪くはなかったので、父は特に何も言わなかった。
※会話や顔を合わせること自体がほぼゼロだったので、
単にお互い口を聞かなかっただけかも知れない。
→「父との関係。(2) -中学校-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/13/0
一方で2歳下の妹は学校の勉強よりも
小さい頃からアニメの声優になりたいと言って
そのための訓練や演技の研究をしていた。
そして、教科書の知識というよりは
勉強の仕方がわからなかったためか、
父が及第点を出す成績ではなかったようだった。
※決して悪かったわけではなく、
むしろ真ん中より上だったらしい。
そんな妹に対し、父が繰り返し言っていた言葉がある。
「勉強しないなら働けよ。」
「私立高校には行かせないからな。」
家に居ると、
部屋にこもっていても話し声は聞こえてくる。
毎日泣きながら机に向かっている妹に対し、
父はこのようなニュアンスの言葉をずっと浴びせていた。
高校受験の半年くらい前になると、
父の教え子の大学生に来てもらい
週のけっこうな頻度で家庭教師が付いていた。
学費の問題や、感情をまったく抜きにした
客観的な進路選択としては間違ってはいない。
・高校や大学で学びたくない→働く
・学問をしたい→進学する
というように、
「こうしたいならこう」と割り切ることはできる。
ただそれを、勉強が苦手で悩んでいる中学生を
追い詰めるように毎日言い続けるのはどうだろう。
直接言われ続けた妹を不憫に思いながらも、
僕は自分にも言われている気がしていた。
働くということにまったく実感がない小中学生、
一番多く目にする”働いている大人”といえば
毎日30分睡眠で学校へ出勤する父の姿。
こうなりたくなかったら勉強するしかないのかなぁ、と
進路の選択肢の狭さから、未成年ながらに追い詰められていた。
高校受験の時点では、僕はさほど苦労しなかったが、
妹は結局、試験直前まで泣きながら机に向かっていた。
半年間の追い込みが実ったのか成績は向上、
無事に公立高校に合格できたが、
内容がもっと難しくなる高校では引き続き苦労し、
勉強に付いていけなくなったようだった。
卒業直前まで、ほぼ3年間ずっと、毎日毎晩
アニメや声優の専門学校へ行きたいと父に懇願しては
「そんな所は勉強する場所ではない」と却下され続け、
泣きながらバトルを繰り返していた。
これも、専門学校の学費が高いという
客観的な視点だけなら間違ってはいない。
だけど、金銭的な理由ならまだしも、
まるで進学先をランク付けして見ているような理由に、
受験生だった僕は戸惑いを隠せなかった。
それが意識されたものなのか、教師という仕事柄なのか
僕にはわからないが、
たぶん父の中には
「トップの私立大学か国公立大学以外は勉強する場ではない」
というような見方があったのかも知れない。
客観的に見れば何とも失礼だが、そういう学歴や成績、
それらを自分が必死に勉強して勝ち取ってきた自負から
形成された価値観の可能性は高い。
その価値観を自分の子どもにも押しつけ、
逆に勉強嫌いになったり、高校卒業ぎりぎりまで
専門学校への進学を許さなかったり、
狭く凝り固まった進路選択しか認めなくなったんだろう。
”勉強”という言葉の定義は父にとって、おそらく相当狭い。
「勉強≒学校で履修する学問」に限られていたんだろう。
僕が何とか国立大学に合格できた時は
周りには「ここしか受からなかった」と言っていたが
喜んではいたんだと思う。
そして妹に関しては3年間の毎晩のバトルの末、
最終的に父は声優の専門学校への進学を許した。
だから、絶対に何が何でも許さない
というスタンスではなかったんだろう。
反対されても何度もぶつかってきてほしい、
却下されても「なにくそ!」という反骨精神で
認められるまで立ち向かってきてほしい、
そんな思いだったのかも知れない。
けど、それはそう伝えなければ伝わらない。
ずっと反対されて、妹は「なにくそ!」と思えたんだろうが、
僕は早々にコミュニケーションを諦めてしまった。
妹の気持ちはわからないが、僕が望んでいた言葉は
「ここしか受からなかった」なんかじゃなかった。
「よくやったね」だった。
そして現役(?)で教員採用試験に合格、
高校時代は朝3時に起きて勉強する人だった。
それを自慢したいのではなく、
まるで強迫観念に支配されたような勉強好きが
僕や妹、弟の教育方針に大きな影響を与えていたことを
詳しく思い出したので書いてみる。
第一子で長男の僕は、寂しさや居場所の無さから
勉強にグレていて、動機はともかく自発的に勉強していた。
成績も悪くはなかったので、父は特に何も言わなかった。
※会話や顔を合わせること自体がほぼゼロだったので、
単にお互い口を聞かなかっただけかも知れない。
→「父との関係。(2) -中学校-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/13/0
一方で2歳下の妹は学校の勉強よりも
小さい頃からアニメの声優になりたいと言って
そのための訓練や演技の研究をしていた。
そして、教科書の知識というよりは
勉強の仕方がわからなかったためか、
父が及第点を出す成績ではなかったようだった。
※決して悪かったわけではなく、
むしろ真ん中より上だったらしい。
そんな妹に対し、父が繰り返し言っていた言葉がある。
「勉強しないなら働けよ。」
「私立高校には行かせないからな。」
家に居ると、
部屋にこもっていても話し声は聞こえてくる。
毎日泣きながら机に向かっている妹に対し、
父はこのようなニュアンスの言葉をずっと浴びせていた。
高校受験の半年くらい前になると、
父の教え子の大学生に来てもらい
週のけっこうな頻度で家庭教師が付いていた。
学費の問題や、感情をまったく抜きにした
客観的な進路選択としては間違ってはいない。
・高校や大学で学びたくない→働く
・学問をしたい→進学する
というように、
「こうしたいならこう」と割り切ることはできる。
ただそれを、勉強が苦手で悩んでいる中学生を
追い詰めるように毎日言い続けるのはどうだろう。
直接言われ続けた妹を不憫に思いながらも、
僕は自分にも言われている気がしていた。
働くということにまったく実感がない小中学生、
一番多く目にする”働いている大人”といえば
毎日30分睡眠で学校へ出勤する父の姿。
こうなりたくなかったら勉強するしかないのかなぁ、と
進路の選択肢の狭さから、未成年ながらに追い詰められていた。
”子供にかかるプレッシャー”
「完全主義者の親」は、何事も完璧に成し遂げるよう
子供に要求しますが、特にスポーツ、学校の成績や
文化活動、入試、就職などで、子供が心のサポートを
最も必要としている時に大きなプレッシャーをかけます。
親が期待とプレッシャーをかけすぎるため、
子供はかえって力が出せなかったり、
失敗するケースがよく見られます。
『不幸にする親』第二章 より
高校受験の時点では、僕はさほど苦労しなかったが、
妹は結局、試験直前まで泣きながら机に向かっていた。
半年間の追い込みが実ったのか成績は向上、
無事に公立高校に合格できたが、
内容がもっと難しくなる高校では引き続き苦労し、
勉強に付いていけなくなったようだった。
卒業直前まで、ほぼ3年間ずっと、毎日毎晩
アニメや声優の専門学校へ行きたいと父に懇願しては
「そんな所は勉強する場所ではない」と却下され続け、
泣きながらバトルを繰り返していた。
これも、専門学校の学費が高いという
客観的な視点だけなら間違ってはいない。
だけど、金銭的な理由ならまだしも、
まるで進学先をランク付けして見ているような理由に、
受験生だった僕は戸惑いを隠せなかった。
それが意識されたものなのか、教師という仕事柄なのか
僕にはわからないが、
たぶん父の中には
「トップの私立大学か国公立大学以外は勉強する場ではない」
というような見方があったのかも知れない。
客観的に見れば何とも失礼だが、そういう学歴や成績、
それらを自分が必死に勉強して勝ち取ってきた自負から
形成された価値観の可能性は高い。
その価値観を自分の子どもにも押しつけ、
逆に勉強嫌いになったり、高校卒業ぎりぎりまで
専門学校への進学を許さなかったり、
狭く凝り固まった進路選択しか認めなくなったんだろう。
”勉強”という言葉の定義は父にとって、おそらく相当狭い。
「勉強≒学校で履修する学問」に限られていたんだろう。
「完全主義者の親」を持つすべての子供が待ち望んでいるのは、
「ベストを尽くせばいいんだよ。結果がどうであろうと、
私はきみを誇りに思っているよ」という親の言葉です。
けれども、彼らがその言葉を聞くことは永久にありません。
『不幸にする親』第二章 より
僕が何とか国立大学に合格できた時は
周りには「ここしか受からなかった」と言っていたが
喜んではいたんだと思う。
そして妹に関しては3年間の毎晩のバトルの末、
最終的に父は声優の専門学校への進学を許した。
だから、絶対に何が何でも許さない
というスタンスではなかったんだろう。
反対されても何度もぶつかってきてほしい、
却下されても「なにくそ!」という反骨精神で
認められるまで立ち向かってきてほしい、
そんな思いだったのかも知れない。
けど、それはそう伝えなければ伝わらない。
ずっと反対されて、妹は「なにくそ!」と思えたんだろうが、
僕は早々にコミュニケーションを諦めてしまった。
妹の気持ちはわからないが、僕が望んでいた言葉は
「ここしか受からなかった」なんかじゃなかった。
「よくやったね」だった。
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