2019年06月19日
煙草に近づかなくて済んだ理由。
僕は人生で一度も煙草を吸ったことがない。
パチンコ、スロット、競馬などの
ギャンブルもしたことがない。
お酒はお付き合いの場で
甘いカクテルに限り飲める。
一歩間違えれば身を持ち崩す原因になる
お酒、煙草、ギャンブルのどれにも興味を持たずに
生きて来れたことはラッキーだと思ってる。
お酒はともかく、ギャンブルと煙草、
特に煙草が嫌いになった理由を掘り下げていくと、
やはり幼少期に辿り着く。
父はヘビースモーカーだった。
健康に良くないことや中毒性は知識として知っていたが、
それ以上に、服にまとわりつく煙の匂いを嫌悪した。
分煙の意識が今ほど浸透してなかったから
リビングルームやテーブルに灰皿が普通に置いてあり、
ベランダや換気扇の下に移動するでもなく
リビングで堂々と吸っていた。
小学生の時は21時までに寝室の布団に入るルールで、
父が煙草を何本も吸い出すのは大抵その時間以降。
寝室の戸を1枚隔てていても、網戸が空いていても
自分の布団まで微かに流れてくる煙の匂いに
むせかえって眠れないこともあった。
※我が家の「21時ルール」。
「懲罰教育、ルールが支配する家。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/155/0
中学、高校と過ごす中で、僕の周りに
表立って煙草を吸う人間がいなかったことも大きい。
当時から何となく「煙草は非行」
みたいなイメージはあったが、
同年代が吸っている姿を見なくて済んだのは
教育上という意味でとてもツイていた。
大人が吸っている姿を見ても
「かっこいい」ではなく「無くなればいいのに」
という目で見ていたのを憶えている。
こんなに嫌なものをどうしてあれだけ吸うのか、
父に限らず世の愛煙家の気持ちを知るのは
もう少し大きくなってからだった。
あの頃はとにかく煙草が大嫌いで、
煙草の値段が上がるたびに密かに喜んでいた。
今度こそ、家からあの煙が消えてくれると
口には出さなかったが小さな期待をしていた。
400円台になっても現状は変わらなかった。
何年か前、僕が出演したライブで
愛煙家の共演者さんが歌っていたオリジナル曲の
とある歌詞が強く印象に残っている。
「1万円でも俺は買う」
少し自虐的な、でもコミカルで面白い曲に
その場は笑いの渦となり、大いに盛り上がった。
だけど、僕は笑いながらも
一服する人のバックグラウンドを想像してしまった。
健康を、命を削ってまで
煙草を吸わないとやってられないような
追い詰められた人生なんだろうか。
だとしたら、自分の辛さ、怒り、悲しみ、疲れを
煙草の中毒性で紛らわせているんだろうか。
そんな深読みが堂々巡りとなり、
なんだかやるせない気持ちになった。
幼少期の煙草への嫌悪感や、
父の反面教師というきっかけながら、
僕が今でも強い心肺機能を持ち続け、
大きな病気をせずバスケができてるのは
煙草に手を出さなかったことが大きい。
そして、これまでも、これからも
吸いたいという気持ちがまったくないことも幸運。
本当に本音を言ってしまえば
「煙草なんかなくなれ!」ではあるけど、
気を紛らわせたり、役立ってる人もいることを
頭の片隅には置いて生きている。
パチンコ、スロット、競馬などの
ギャンブルもしたことがない。
お酒はお付き合いの場で
甘いカクテルに限り飲める。
一歩間違えれば身を持ち崩す原因になる
お酒、煙草、ギャンブルのどれにも興味を持たずに
生きて来れたことはラッキーだと思ってる。
お酒はともかく、ギャンブルと煙草、
特に煙草が嫌いになった理由を掘り下げていくと、
やはり幼少期に辿り着く。
父はヘビースモーカーだった。
健康に良くないことや中毒性は知識として知っていたが、
それ以上に、服にまとわりつく煙の匂いを嫌悪した。
分煙の意識が今ほど浸透してなかったから
リビングルームやテーブルに灰皿が普通に置いてあり、
ベランダや換気扇の下に移動するでもなく
リビングで堂々と吸っていた。
小学生の時は21時までに寝室の布団に入るルールで、
父が煙草を何本も吸い出すのは大抵その時間以降。
寝室の戸を1枚隔てていても、網戸が空いていても
自分の布団まで微かに流れてくる煙の匂いに
むせかえって眠れないこともあった。
※我が家の「21時ルール」。
「懲罰教育、ルールが支配する家。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/155/0
中学、高校と過ごす中で、僕の周りに
表立って煙草を吸う人間がいなかったことも大きい。
当時から何となく「煙草は非行」
みたいなイメージはあったが、
同年代が吸っている姿を見なくて済んだのは
教育上という意味でとてもツイていた。
大人が吸っている姿を見ても
「かっこいい」ではなく「無くなればいいのに」
という目で見ていたのを憶えている。
こんなに嫌なものをどうしてあれだけ吸うのか、
父に限らず世の愛煙家の気持ちを知るのは
もう少し大きくなってからだった。
あの頃はとにかく煙草が大嫌いで、
煙草の値段が上がるたびに密かに喜んでいた。
今度こそ、家からあの煙が消えてくれると
口には出さなかったが小さな期待をしていた。
400円台になっても現状は変わらなかった。
何年か前、僕が出演したライブで
愛煙家の共演者さんが歌っていたオリジナル曲の
とある歌詞が強く印象に残っている。
「1万円でも俺は買う」
少し自虐的な、でもコミカルで面白い曲に
その場は笑いの渦となり、大いに盛り上がった。
だけど、僕は笑いながらも
一服する人のバックグラウンドを想像してしまった。
健康を、命を削ってまで
煙草を吸わないとやってられないような
追い詰められた人生なんだろうか。
だとしたら、自分の辛さ、怒り、悲しみ、疲れを
煙草の中毒性で紛らわせているんだろうか。
そんな深読みが堂々巡りとなり、
なんだかやるせない気持ちになった。
幼少期の煙草への嫌悪感や、
父の反面教師というきっかけながら、
僕が今でも強い心肺機能を持ち続け、
大きな病気をせずバスケができてるのは
煙草に手を出さなかったことが大きい。
そして、これまでも、これからも
吸いたいという気持ちがまったくないことも幸運。
本当に本音を言ってしまえば
「煙草なんかなくなれ!」ではあるけど、
気を紛らわせたり、役立ってる人もいることを
頭の片隅には置いて生きている。
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