2019年06月12日
残された祖母の気持ち。
祖父の葬儀で親戚一同が集まる中、
祖母と、祖母の妹が談笑しているのが聞こえた。
妹「これからあの広い家に1人やね〜。私と一緒(笑)」
祖母「ほんとねぇ、淋しくなるねぇ。」
祖父を囲み、ささやかな宴のような席で
そんな世間話みたいに明るく話していても、
僕は残された祖母の気持ちを思うと
冗談半分のようなやり取りに胸が引き裂かれるようだった。
叔父と叔母の家族は同じ村に住んでいて
定期的に訪れてはくれる。
だけど、耳が遠くなったり目が悪くなったり、
できることがどんどん限られていく中で
当たり前のように家にいた人がいなくなったら。
祖母が抱える淋しさ、喪失感は
どれほどのものだろう。
昨年11月に1人で逢いに行った時、
祖父は健在、祖母も健在だが認知症の兆しが見えていた。
僕のことはちゃんと憶えていてくれるし、
自宅ではとても生活できない、というレベルでもない。
だけど、同じ話題を繰り返す頻度は
確実に増えていった。
淋しそうに笑ってごまかす祖母の姿を
僕も淋しい気持ちで見ていた。作り笑顔で。
母方の祖父母のことは
親戚がみんな「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼んでいて、
初孫である僕もその流れでずっと呼んでいる。
一時期、祖母のことを「お母ちゃん」と呼ぶのが
照れくさくなったことがあった。
だけど、
なかなか逢いに来れなくなってからはいつも、
これが最後かも知れないという覚悟からか
つまらないプライドは捨てて、
呼べるだけ呼んであげようと努めている。
喜んでくれるなら、少しでも淋しくなくなるなら。
今回、祖父母の家を出発して少し離れた後、
僕は気付いたら涙に塗れ、こう言っていた。
「お母ちゃん、また来るから、それまで僕のこと憶えててね」
この家に遊びに来るのが大好きで、
小さい頃から帰る日には涙を必死でこらえた。
曲がり角で見えなくなるまで手を振ってくれる祖母を
最後まで目で追いかけてきた。
帰り際に泣くのは、
大人になった今でも変わってなかった。
四十九日で来たらまた、
「お母ちゃん」って呼んで、帰り道で泣こう。
祖母と、祖母の妹が談笑しているのが聞こえた。
妹「これからあの広い家に1人やね〜。私と一緒(笑)」
祖母「ほんとねぇ、淋しくなるねぇ。」
祖父を囲み、ささやかな宴のような席で
そんな世間話みたいに明るく話していても、
僕は残された祖母の気持ちを思うと
冗談半分のようなやり取りに胸が引き裂かれるようだった。
叔父と叔母の家族は同じ村に住んでいて
定期的に訪れてはくれる。
だけど、耳が遠くなったり目が悪くなったり、
できることがどんどん限られていく中で
当たり前のように家にいた人がいなくなったら。
祖母が抱える淋しさ、喪失感は
どれほどのものだろう。
昨年11月に1人で逢いに行った時、
祖父は健在、祖母も健在だが認知症の兆しが見えていた。
僕のことはちゃんと憶えていてくれるし、
自宅ではとても生活できない、というレベルでもない。
だけど、同じ話題を繰り返す頻度は
確実に増えていった。
淋しそうに笑ってごまかす祖母の姿を
僕も淋しい気持ちで見ていた。作り笑顔で。
母方の祖父母のことは
親戚がみんな「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼んでいて、
初孫である僕もその流れでずっと呼んでいる。
一時期、祖母のことを「お母ちゃん」と呼ぶのが
照れくさくなったことがあった。
だけど、
なかなか逢いに来れなくなってからはいつも、
これが最後かも知れないという覚悟からか
つまらないプライドは捨てて、
呼べるだけ呼んであげようと努めている。
喜んでくれるなら、少しでも淋しくなくなるなら。
今回、祖父母の家を出発して少し離れた後、
僕は気付いたら涙に塗れ、こう言っていた。
「お母ちゃん、また来るから、それまで僕のこと憶えててね」
この家に遊びに来るのが大好きで、
小さい頃から帰る日には涙を必死でこらえた。
曲がり角で見えなくなるまで手を振ってくれる祖母を
最後まで目で追いかけてきた。
帰り際に泣くのは、
大人になった今でも変わってなかった。
四十九日で来たらまた、
「お母ちゃん」って呼んで、帰り道で泣こう。
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