2019年04月07日
泣かない迷子、冷静な3歳児。
僕の就学前の様子については、
「父との関係(1) -小学校-」で少しだけ触れた。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0
僕は幼少時からおしゃべりや感情表現が少なかったが、
例え迷子になっても泣き叫んだり表情を変えたりせず
自分ですべて何とかしようと黙って行動する子どもだった。
自閉傾向の所以も大きいだろうが、
僕が記憶している3歳時の迷子エピソードが2つある。
僕が3歳、妹1歳時、家族で科学館へ遊びに行った。
当時から僕は家族の前では何もしゃべらない、
しかし興味のあるものへは一人で近づいていき
ひたすら眺めるような子どもだった。
ある時、同じフロアにいたが
両親の姿が陰に隠れて見えなかったのか
はぐれて迷子になってしまった。
この場面は今でもはっきり覚えているが
僕は親が見当たらなくなったと泣き叫ぶでもなく、
誰かに助けを求めて走り回るでもなく、
「あ、誰もいない、家に帰ろう」と
笑えるくらい冷静に考え、科学館を出て、
黙ったまま外へ出て行った。
僕がいなくなったことを知った両親が
館内にいないとわかると車で外を探し回り、
ほどなくして
夜の街中を一人ですたすた歩いていた僕を見つける。
しかし見つけた時の僕の様子は泣きも叫びもせず、
無表情でただ家に向かって歩いていたという。
保護した後も動揺する素振りがなかったらしい。
この科学館迷子の半年後、
今度は雪祭り会場で同じく迷子になった。
当時は大きな滑り台型の雪像が人気で
僕は気に入って何回も並んで滑っていたが、
やはりここでも視界から両親が消えるや否や
「あ、いない、帰ろう」と一人で会場を後にした。
この時は雪祭り会場を出る寸前で保護されたが、
表情は変わらず、泣きもせず、ぽかんとしていたという。
3歳児にとって迷子は生命の危機のはずなのに
即刻「あ、いない、帰ろ」と冷静に考えたことから、
僕はとにかく周りに助けを求めない、
黙って自分で何とかしようという傾向があった。
自閉症の特性が当時から強く出ていたのと、
もう一つの理由は恐らく
”自分で何とかする”のが当たり前だったから。
僕は保育園に行っていないし、
年長の年の5月から幼稚園に行ったのみで
それ以前の記憶はほとんどない。
だから下手な憶測はできたものではないけど、
0〜2歳くらいで既に「親や誰かに助けを求めること」を
諦めていたんじゃないかと思う。
確実にネグレクトではない(と信じている)が
例えば泣いても構われなかったり、
何かアクションを起こしても周りの反応がないことが
0歳当初から続いたことで、
周りにいる人は自分に関心がないのかも知れない
だから泣いたりシグナルを送っても無駄なのかな
だったら自分で何とかしよう
と、早々に学習してしまった可能性はある。
繰り返しとなるが、0歳時点の記憶はないので
本当に放置されたり構われなかったのかは知る由もないし、
それに対して恨みつらみをここで吐き出す気もない。
僕が自閉傾向が強かったことは一因として考えられるが、
ここまで書いてきた理由は全く的外れの可能性だってある。
だけど、僕が幼少から
感情表現やおしゃべりが極端に乏しかったこと、
そして何かあっても周りにアピールせず
自分で何とかしようと行動していたことから
記憶がないながらも乳幼児の僕の決意は推し量れる。
人に助けを求めないというのは
裏を返せば人を信用していないことにも繋がる。
僕は今でこそ、人に助けを求めることが
少しはできるようになった。
迷子になったら勇気を出して
人に道を聞く実績を何回か記録できた。
一人で帰る発想は一体どこから出て来たのか、
しかも迷子になるたびに。
今でも不思議でならない。
「父との関係(1) -小学校-」で少しだけ触れた。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0
僕は幼少時からおしゃべりや感情表現が少なかったが、
例え迷子になっても泣き叫んだり表情を変えたりせず
自分ですべて何とかしようと黙って行動する子どもだった。
自閉傾向の所以も大きいだろうが、
僕が記憶している3歳時の迷子エピソードが2つある。
僕が3歳、妹1歳時、家族で科学館へ遊びに行った。
当時から僕は家族の前では何もしゃべらない、
しかし興味のあるものへは一人で近づいていき
ひたすら眺めるような子どもだった。
ある時、同じフロアにいたが
両親の姿が陰に隠れて見えなかったのか
はぐれて迷子になってしまった。
この場面は今でもはっきり覚えているが
僕は親が見当たらなくなったと泣き叫ぶでもなく、
誰かに助けを求めて走り回るでもなく、
「あ、誰もいない、家に帰ろう」と
笑えるくらい冷静に考え、科学館を出て、
黙ったまま外へ出て行った。
僕がいなくなったことを知った両親が
館内にいないとわかると車で外を探し回り、
ほどなくして
夜の街中を一人ですたすた歩いていた僕を見つける。
しかし見つけた時の僕の様子は泣きも叫びもせず、
無表情でただ家に向かって歩いていたという。
保護した後も動揺する素振りがなかったらしい。
この科学館迷子の半年後、
今度は雪祭り会場で同じく迷子になった。
当時は大きな滑り台型の雪像が人気で
僕は気に入って何回も並んで滑っていたが、
やはりここでも視界から両親が消えるや否や
「あ、いない、帰ろう」と一人で会場を後にした。
この時は雪祭り会場を出る寸前で保護されたが、
表情は変わらず、泣きもせず、ぽかんとしていたという。
3歳児にとって迷子は生命の危機のはずなのに
即刻「あ、いない、帰ろ」と冷静に考えたことから、
僕はとにかく周りに助けを求めない、
黙って自分で何とかしようという傾向があった。
自閉症の特性が当時から強く出ていたのと、
もう一つの理由は恐らく
”自分で何とかする”のが当たり前だったから。
僕は保育園に行っていないし、
年長の年の5月から幼稚園に行ったのみで
それ以前の記憶はほとんどない。
だから下手な憶測はできたものではないけど、
0〜2歳くらいで既に「親や誰かに助けを求めること」を
諦めていたんじゃないかと思う。
確実にネグレクトではない(と信じている)が
例えば泣いても構われなかったり、
何かアクションを起こしても周りの反応がないことが
0歳当初から続いたことで、
周りにいる人は自分に関心がないのかも知れない
だから泣いたりシグナルを送っても無駄なのかな
だったら自分で何とかしよう
と、早々に学習してしまった可能性はある。
人間の性格は、誕生直後からすでに築かれはじめる。
赤ん坊のときの母親の対応が、子供にとっては
大きな影響力をもつのだ。
母親が豊かな愛情をもってこまやかな世話をすれば、
子供は自信が芽生え、安心感が生まれる。
反対に母親があまり愛情がもてず、
泣いても放置して世話をしなければ、
子供は自信を失い、心も不安定になってゆく。
『アダルト・チルドレン 癒しと再生』 より
繰り返しとなるが、0歳時点の記憶はないので
本当に放置されたり構われなかったのかは知る由もないし、
それに対して恨みつらみをここで吐き出す気もない。
僕が自閉傾向が強かったことは一因として考えられるが、
ここまで書いてきた理由は全く的外れの可能性だってある。
だけど、僕が幼少から
感情表現やおしゃべりが極端に乏しかったこと、
そして何かあっても周りにアピールせず
自分で何とかしようと行動していたことから
記憶がないながらも乳幼児の僕の決意は推し量れる。
人に助けを求めないというのは
裏を返せば人を信用していないことにも繋がる。
僕は今でこそ、人に助けを求めることが
少しはできるようになった。
迷子になったら勇気を出して
人に道を聞く実績を何回か記録できた。
一人で帰る発想は一体どこから出て来たのか、
しかも迷子になるたびに。
今でも不思議でならない。
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