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2022年01月08日

日本の部活や会社にある謎の信仰「継続は美徳、辞めることは逃げ」。

ー目次ー
  1. 日本にある謎の信仰”継続は美徳、辞めることは逃げ”
  2. 部活での洗脳”補欠のままでも辞めない、移籍しない”
  3. 社会人バスケで洗脳が解ける”試合に出られるチームでプレーすればいい”
  4. 日本に蔓延する”継続信仰”は、いつから始まったのか
    @島国という”逃げにくい土台”
    A明治維新で大幅に強化”学制の制定”
    B高度経済成長期で再強化”質より量”
  5. 学校側のリアル”少子化で生徒獲得に必死”
  6. 続けるも辞めるも、自分が悩んで決断したことが正解

1.日本にある謎の信仰”継続は美徳、辞めることは逃げ”

僕は『あひるの空』というマンガが好きです。

主人公の車谷空は身長149センチ。
高校で入部したバスケ部は不良たちのたまり場。

そんな弱小バスケ部が、多くの負けや葛藤を乗り越えて
インターハイ出場を目指す物語です。



ある日、元・不良組の2年生チャッキーは
まわりと実力が離れていく悔しさや、
自分の居場所がなくなる不安に悩んだ末、
バスケ部を退部します。

そんな彼に対して、同じく元・不良組でチームの司令塔、
花園千秋はこう言います。
継続することが美徳みたいに思われがちだが、
断ち切ることだって相当の勇気がいるんだ。
俺はその勇気を買うよ。


『あひるの空』28巻 202話 より

日本には部活に限らず、彼の言う通り、

『続けることは美しく、辞めることは逃げ』

という謎の信仰があるように感じます。


  • 部活を辞めた
  • 新卒入社した会社を3年以内に辞めた

こう聞いて、多少なり
「あいつは逃げた」と思うフシはないでしょうか。

その感覚こそ、僕たちが小さいころから
時間をかけて洗脳されてきた証拠ではないかと思います。

2.部活での洗脳”補欠のままでも辞めない、移籍しない”

僕は部活経験者です。
小学校、中、高、大学とバスケ部に所属してきました。

バスケ部員は20人未満、普通の学校でしたが、
ヘタだった僕は長い時間を補欠として過ごしました。



当時の僕は、補欠でいることに何の疑問も持っていませんでした。
「試合に出られるチームへ移る」なんて考えもしませんでした。


「自分に実力がないから補欠なのは当たり前」
「補欠なのに”バスケがしたい””試合に出たい”などおこがましい」

とさえ思っていました。

強豪校でもスポーツ推薦でもない、ごくありふれたバスケ部です。

にもかかわらず僕は、
「補欠のままでも部活を辞めないことが正しい」と思い込んでいたんです。

いま考えると異常に思えます。

思えば、僕はこのときから
「続けることは美しく、辞めることは逃げ」と洗脳されていました。

3.社会人バスケで洗脳が解ける”試合に出られるチームでプレーすればいい”

僕の「補欠は当たり前」という洗脳が解けたきっかけは、
社会人バスケを始めたことでした。


社会人のクラブチームでは、
レベルや方針によりますが、基本的に

  • 試合に出られるチームでプレーする
  • 試合に出られないなら、出られるチームへ移籍する
  • 他チームの練習や練習試合にゲスト参加する
  • 助っ人で試合に出る(大会規定の範囲で)

ことが自由に行われています。

もちろん、学校の部活とは決まりごとや自由度がちがいます。

それでも、
「補欠でもそのチームで頑張り続けることが当たり前」
と洗脳されていた僕にとって、

「活躍の場は自分で選んでいい」
という発想に出会ったことは衝撃でした。




子どものころから「継続信仰」にどっぷり浸かっていると、

  • バスケがしたくてバスケ部に入ったのに3年間「補欠」で過ごす
    なのに部活を辞められない

  • どんなブラック企業でも
    途中で辞めることは逃げだから辞められない

ことに陥りやすく、心身を病むこともあります。

貴重な3年間を奪われても、長時間労働で心身を壊しても、
「辞めることは逃げであり、続ける選択こそ美しい」
というすり込みが、他の選択肢を見えなくさせてきます。


これは内側にいるとなかなか気づけません。

まわりの人間も「辞めることは逃げ」と思っているからです。
これが同調圧力の恐ろしいところです。

4.日本に蔓延する”継続信仰”は、いつから始まったのか

では、日本に蔓延する
「続けることは美しく、辞めることは逃げ」
という信仰は、いつから始まったんでしょうか。

私見ですが、大まかに以下の流れではないかと思います。

  1. 島国という”逃げにくい土台”
  2. 明治維新で大幅に強化”学制の制定”
  3. 高度経済成長期で再強化”質より量”

@島国という”逃げにくい土台”

日本は島国です。

昔から船での行き来はありましたが、
航海の危険性から、その頻度は限られていました。

これは陸続きの国とちがい、
「その土地になじめなくても移住が難しい」ことを意味します。

そのコミュニティを辞めたくなっても、村八分にされても、
逃げ場は「この島のどこか」のみです。


「まったく価値観の異なる土地で再出発」は
至難の業だっと考えられます。



そういう事情から、日本に住む人たちはずっと、
「合わないと感じても辞めるわけにはいかない」
という抑圧を抱えてきたんじゃないでしょうか。

そして、強い抑圧の中でも心を壊さないために、
辞められないことを美化する必要があったんじゃないでしょうか。


「村八分にされても逃げ場が少ないから辞められない」ではなく、
「辞めずに続けることこそ美しい」と考えること。

それが、閉鎖的な島国で生き延びるための
メンタリティになっていったんじゃないでしょうか。

A明治維新で大幅に強化”学制の制定”

日本は欧米列強に対抗するため
「富国強兵」を目指し、徴兵制を敷きました。

そのときに制定された「学制」が、
現代の学校教育の元になっているようです。

教育の目的は、
「均質で、命令に忠実な兵士をつくること」

上官の命令に逆らわず、理不尽に耐え、脱走もしない、
そんな従順な人間が大量に必要でした。



他人に”やりたくないこと”をやらせるためには、
命の危機を感じさせることと、

「それが正しいと信じ込ませること」が有効です。


「上官の命令には絶対服従が正しい」
「理不尽に耐えて戦い続けることが正しい」
「天皇陛下のために犠牲になることが正しい」

外国からの圧力があったとはいえ、
国中の大人が子どもたちにこう言い聞かせたとしたら。

子どもたちは、大人の期待に添うために
「理不尽でも続けることが良くて、辞めることは逃げなのか」
と思い込んだのかもしれません。

B高度経済成長期で再強化”質より量”

戦後の高度経済成長期は、
あらゆるモノが不足していた時代です。
作れば作るだけ売れると信じられていました。

何もかもが右肩上がりで、

  • 会社勤め:とにかく長く勤めれば昇進・昇給する
  • スポーツ:とにかく選手を集めて鍛えれば勝てる

というように、質より量が優先されていたでしょう。



「やればやるだけ結果が出る」

そんな雰囲気で、雇用主や指導者がいちばん困ることは
「途中で辞められること」ではないでしょうか。


さらに当時は「欲しがりません、勝つまでは」の精神で戦い、
敗戦してまだ数十年です。

先の時代に強化された
「続けることが美徳」精神は健在だったでしょう。
続ければ成果が出るので、否定する理由もありません。

こうして、会社や部活の現場で「継続信仰」が再強化され、
いまに至るのではないでしょうか。


5.学校側のリアル”少子化で生徒獲得に必死”

少子化が進み、どの学校も生き残りに必死です。

私立学校は大会で実績を上げてブランド力を付け、
生徒を獲得しなければ潰れてしまいます。


大量の補欠部員を抱え、
「抱え込み」「飼い殺し」と批判されようと、
学校側も生活がかかっています。



ブラック企業は、ブラックゆえに常に人手不足です。
少ない人員に膨大な仕事が降ってきます。

その膨大な仕事をこなしてもらうために、
「継続信仰」は便利です。


どれだけ長時間労働をさせても、
「辞めることは逃げ」だから辞めずにいてくれます。



決して擁護はできません。

が、そこには「金儲け」「使い捨て」と切り捨てられない
リアルが横たわっています。

僕らが考えられないような額の借金を返し続け、
「ビジネスの世界で生き残る」というリアルです。

「継続信仰」は都合のよい洗脳に見えても、
それで命の糧を得ている人がいるのも事実です。


6.続けるも辞めるも、自分が悩んで決断したことが正解

それでも、日本では「継続信仰」が、
人を都合よくコントロールする道具として
利用されているのではないかと思います。


部活ではよく「補欠選手の美談」が報道されます。

「補欠選手の引退試合」
「裏方に回ってチームを支えた」
「3年間チームのためにやり通した」

選手の家族やコーチが涙する映像も交えて、
美しい自己犠牲として報道されます。

それは果たして美談でしょうか。

試合に出られない悔しさや、理不尽さへのかすかな疑問を、
自分たちに向けさせないためではないでしょうか。




最初から補欠になりたくてバスケ部に入る人が
どれだけいるでしょうか。


大半の人はバスケがしたくて、
試合で活躍したくてバスケ部に入るんじゃないでしょうか。

それは実力があってもなくても隠す必要のない、
素直な願いだと思います。


なのに「辞めることは逃げ」とされ、
理不尽でも続けることを選ばされているように感じます。

まるで、
「試合に出られるチームへ移る」
「もっと働きやすい環境を探して転職する」
という選択肢に、たどり着かせたくないかのように。



続けるも辞めるも、自分が悩んで決断したことが正解だと思います。

「補欠でも部活を辞めなくてよかった」
「補欠だったから退部して、他チームで試合経験を積めてよかった」

大切なのは自分がそう思えることで、
退部や退職を外野が裁くのは何かがちがうと思います。
継続することが美徳みたいに思われがちだが、
断ち切ることだって相当の勇気がいるんだ。
俺はその勇気を買うよ。


花園千秋


僕はそう言える人間でありたいと思います。










posted by 理琉(ワタル) at 19:51 | TrackBack(0) | 部活

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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