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2022年01月01日

コロナ騒動が暴いた人間の本性〜人間は利己的で弱い生き物ではないか〜。

コロナ騒動が始まって、もうすぐ2年が経ちます。

クリスマスの街中は多くの人でにぎわい、
活気があったように思います。



一方、僕がこの1年半で気になったのは
「コロナ怖い派」と「コロナ騒ぎすぎ派」の対立です。

いろいろな意見が出るのは当然です。

が、ときにはお互いを「悪の権化」とばかりに叩いたり、
「異教徒には何をしてもよい」とばかりに
人格攻撃をする光景も目にしました。



そんな対立を見て、僕はつくづく
「人間とは弱い生き物」だと感じました。

どんなに美しい言葉を並べても、
わずかな「死の恐怖」を与えるだけで、
僕ら人間の本性があぶり出されます。

「利己的で弱い」という本性が。



ー目次ー
  1. コロナ騒ぎすぎ派の立ち位置、”真の目的は何か”という深読み
  2. コロナ騒ぎすぎ派も怖い派も、根底にあるのは”死の恐怖”
  3. コロナ宗教戦争、人は生き延びたいために”いじめ”を繰り返す
  4. 地球の支配者たるホモサピエンスは、利己的で弱い生き物

1.コロナ騒ぎすぎ派の立ち位置、”真の目的は何か”という深読み

僕はこの騒動が始まったころからずっと
「コロナ騒ぎすぎ派」です。

この1年半で、コロナの正体が研究されてきました。
少なくとも日本人にとっては致死率も重症化リスクも低い相手です。

にもかかわらず、なぜ未だに「怖い」と煽るんでしょうか。

毎日毎日、
「早くワクチンを打ちましょう」
「カンセンシャスウは何人です」

大々的に宣伝するのはおかしいと思います。




それと、僕は何に対しても
深読みや背景の想像をしてしまいます。

どうしても

「誰が儲けるための騒動なのか」
「これは人災ではないか」
「真の目的は何なのか」


など、裏の裏まで考えてしまいます。

コロナ脳
自粛警察
マスク警察

などと揶揄される人たちや、
恐怖のあまり他者に不寛容になる人たちを、
冷ややかに見つめていたことは事実です。

自分自身も「コロナ怖い派」に対して不寛容になっていたんです。

2.コロナ騒ぎすぎ派も怖い派も、根底にあるのは”死の恐怖”

ですが、僕は

  • 「コロナ騒ぎすぎ派」「陰謀論者」の人たちは強い
  • 「コロナ騒ぎすぎ派」の人たちは弱い

とは思いません。

「コロナ騒ぎすぎ派」と「コロナ怖い派」のちがいは怖がり方で、
根底にあるのは同じ「死の恐怖」だと思います。




僕も含め、「コロナ騒ぎすぎ派」の人たちは、
死の恐怖の原因を「黒幕の誰か」にすり替えることで、
自分を保っていると考えられます。


相手は目に見えず、
近づいてきても払いのけることが困難です。

それは、自分が死ぬかも知れない恐怖を、
自分ではコントロールできないというストレスになります。

だから、
ストレスの原因を「自分でコントロールできそうな誰か」に
求めているのではないでしょうか。


少なくとも人間やモノなら接近がわかるので、
逃げたり攻撃したりできます。
人間は誰でも、原因や解決法のわからない
モヤモヤとしてストレスにされされ続けるのを好まない。

「あそこに原因があるのだ」と認識する、
というのはストレスマネジメントの第一歩である。(中略)

失業率が高まってきたときに、全く原因がわからないというよりは、
「外国からの移民が増えすぎたので自分たちの職がなくなった」
と言われるほうが精神的に楽なのである。


『国会議員を精神分析する』 より


第二次大戦時、ヒトラーは
「ドイツの窮状はユダヤ人と大資本のせいだ」とし、
ドイツ国民から熱烈な支持を得ました。

アメリカ前大統領のトランプ氏は、
「移民がアメリカ人の職を奪っている」とし、
ヒラリー氏との大統領選挙に勝利しました。

両者の共通点は、真偽はともかく
「きみたちのストレスの原因はあいつらだ」
訴えたことではないでしょうか。




3.コロナ宗教戦争、人は生き延びたいために”いじめ”を繰り返す

「コロナ騒ぎすぎ派」の人たちと、
「コロナ怖い派」の人たちは、

「メディアに洗脳されすぎだ」
「収束しないのは自粛しないやつらのせいだ」
などと、お互いを攻撃しています。

その対立へ拍車をかけているのは、
自粛疲れ、同調圧力などのストレスからくる
他者への不寛容でしょう。

もはや、
コロナが重症化して死ぬ恐怖そっちのけで、
「コロナ怖い教」VS「コロナ騒ぎすぎ教」の宗教戦争と化しています。




では、もしどちらかの宗派が相手を完全論破し、
全員を改宗させたら、この争いはなくなるでしょうか。

残念ながら、今度は宗派の内部で
「穏健派VS過激派」の争いが起きると思います。


中野信子氏の著書『ヒトは「いじめ」をやめられない』では、
「いじめは種を残すため、脳に組み込まれた機能」
と考えられています。

  • 生物として脆弱な人間は集団を作ることで生き延びる
  • その集団を壊す危険性のある者を排除したくなる→いじめ

という図式だそうです。



集団を壊す危険因子は、はじめは外部に見つけられます。

たとえば「コロナ騒ぎすぎ派」にとって、
危険因子は異教徒である「コロナ怖い派」です。

もし異教徒の改宗に成功しても、
教団内部には考え方のちがう人たちがいます。
そして今度は、そういう人たちが「異端」として攻撃されます。

どちらの宗派に近い考えを持っていても、
生き物として究極の願望は「生き延びたい」だと思います。

皮肉なことに、
僕らは生き延びたいために他宗派を攻撃し、
集団内にいる「考えが似ていない誰か」を攻撃しているんです。





4.地球の支配者たるホモサピエンスは、利己的で弱い生き物

中世ヨーロッパでは、
政治が不安定になった国で魔女狩りが横行しました。

「魔法を使った」「キリスト教徒ではない」などのデマが流れ、
魔女が人びとの不安のはけ口にされました。

今回のコロナ騒動では、
魔女狩りに至らずともさまざまなデマが拡散しました。

ドラッグストアには、マスクやトイレットペーパーを
求める人たちの長蛇の列ができました。

たとえ、わずかな「死の恐怖」でも、
人間はこんなにも利己的で、他者に不寛容になります。


そして、人間をそうさせているのは皮肉にも、
「生き延びたい」という願望です。




『風の谷のナウシカ』原作で、ナウシカは
「清浄と汚濁こそ生命」と言っています。

人間には汚い部分だけでなく、優しさや思いやりがあります。
人間は善い存在だと信じたい自分もいます。

ですが、
人間にとっての「清浄」はあくまで
「自分の安全と安心が保証されて初めて発揮できる」
のではないでしょうか。


「自分が生き延びる」という至上命題の前では、
優しさも思いやりも二次的な性質ではないでしょうか。



「地球の支配者たるホモ・サピエンス、その本性は利己的で弱い生き物」

今回のコロナ騒動や、宗教戦争のような分断は、
僕らにそう伝えているのではないでしょうか。








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posted by 理琉(ワタル) at 23:04 | TrackBack(0) | 生き方

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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