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福井ケンシロウ
1978年生まれ、岐阜県在住です。コミュニケーションや同時並行作業をすることが苦手な性格です。これまで苦節に満ちた人生でした。浪人、留年、借金苦、詐欺・通り魔被害、ブラック企業就職、早期離職、ニート、転職先でパワハラ被害、うつ病で休職・・人生に失望し続けました。しかし、2018年40歳の年に大企業への転職を果たし、ようやく自分の居場所を見つけることができました。
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2022年12月18日

日本代表にとって歴史的な日が訪れた

2002年6月9日。

この日は日曜日でした。

中間試験を控えた科目があり、大学の図書館に勉強をしに行きました。

この日の関東地方はよく晴れ上がり、快晴でした。

今夜は日本vsロシア戦が控えています。


グループリーグ突破のためには、今日何とか勝たねばなりません!

ロシアはカルピンなど強力な選手がいる難敵です。


そして運命の決戦。

夕食を早めに済ませ、フジテレビの中継を食い入るように観ました。

稲本がゴールを決め、ロシアの反撃を凌ぎきり初勝利を上げました!


この感激と興奮は今でも忘れられません。

2022年12月17日

韓国の敗戦を期待したが・・

2002年6月4日。

日本戦と同日だったと思います。

別の組で韓国も試合がありました。

その相手はポーランドでした。

私は韓国の反日感情に幼少期から怒りを覚えており、

当然ながら韓国の敗戦を願っておりました。


韓国と同組は、ポルトガル、ポーランド、米国でした。

欧州勢2か国と戦わねばならず、韓国の苦戦が予想されていました。

しかも1954年の初出場以来、韓国はW杯でまだ1回も勝ったことがありません。

開催国でありながら今回も1回も勝てずに敗退・・を期待していました。


しかし、ファンソンホンのゴールで韓国はポーランドに勝ったのです!

日本が韓国より先にW杯初勝利することを願っていただけに、

衝撃と悔しさでいっぱいでした。

2022年12月15日

いよいよサッカー日本代表の初戦!

2002年6月4日。

この日はサッカーW杯日本vsベルギー戦でした。

この日もあいにくバイトが入っており、休憩室でもテレビで試合を観るチャンスはありませんでした。

バイト中も試合経過が気になって仕方ありません。

荷卸し場に到着したトラックの運転手さんはラジオ中継を聴いていたようで、

ベルギーが先制しただの、日本が追い付いただの教えてくれました。

当時テレビ以外で試合経過を知る手段は、私にはiモードしかありませんでした。

スマホなどない時代でしたから・・


試合結果を知ったのは試合終了から数時間経った夜11時のスポーツニュースでした。

日本は先制されたものの稲本のゴールで一時逆転したが、

後半ベルギーに追いつかれ試合終了・・。

勝ち切れなかったのが悔やまれるが、日本代表史上初めての勝ち点1を獲得したのです。


前回のフランス大会では3戦全敗でしたので、これでも大きな進歩でした。

2022年12月13日

2002年ワールドカップ!

バイト先には休憩室がありました。

夜勤のスタートが19時。

19時半から21時までの間、バイトは順番で食事休憩を取ることができました。

休憩時間は20分くらいだったかと思います。


休憩室にはテレビが置いてありました。

ワールドカップ日韓大会の開幕戦を中継していました。

会場は韓国ソウルのスタジアムで、フランス対セネガルの試合でした。

フランスは前回大会の王者。

連覇を狙う強豪ですが、セネガルにまさかの敗戦という番狂わせが起きました。

エースのジダンがケガの影響で欠場し、連係にほころびが出たのかもしれません。


フランスのまさかの敗戦は衝撃的でした。

その夜のバイトはあまり集中できなかったことを覚えています。

2002年5月31日のことでした。

2022年09月08日

トラックの荷卸しは楽しかった

作業中に着用するトレーナーを支給され

佐川急便東京店の荷卸し場に行きました。

大型トラックが何十台も荷卸し場に駐車してました。

トラックのドライバーは荷台に満載された荷物を一つずつ、

荷台中央にあるローラーの上に降ろし、トラック後方に向かって押し出します。

私は、ローラーの上を滑り動いてくる荷物を、ベルトコンベヤーに合流させる作業をしました。

荷物は何百個もの段ボールに入っており、トラックが空になるのに早くても30分はかかります。

その大量の荷物を降ろすドライバーさんは本当に大変そうでした。

長距離運転の疲労もあるのに、過酷な肉体労働もこなすわけですから。

皆さん腕っぷしは逞しい人ばかりですが、

腰を痛めてコルセットをしている人もいました。

それに比べれば、私のようなバイトの仕事は楽なもんです。

トラックの中から流れてきた荷物をベルトコンベヤーに合流させるだけですから。

ベルトコンベヤーを流れている他の荷物とぶつからないように気をつけたり、

割れ物が入った箱は、途中の高低差がない隣の別のベルトコンベヤーに合流させたりする

必要はありますが、ドライバーさんに比べれば楽な仕事でした。

これで夜勤12時間労働で、12,000円の日給でした。

2022年08月26日

日給1.2万のバイトのために往復3千円の交通費

再びバイト求人誌フロム・エーを読みあさりました。

今度はトラックの荷卸しの仕事を見つけました。

夜勤となりますが、日給1.2万円(時給1,000円)でした。

勤務先は、東京都江東区の佐川急便。

自宅から電車で往復3時間、往復3,000円近くかかります。

それでも日銭が欲しい私は、池袋まで面接に行きました。

そして採用が決まり、バイト開始日を指定されました。

2002年3月1日夕方6時とのことでした。

2022年08月25日

渋谷のビル屋上で交通誘導員の研修を受ける

子どもたちとの向き合い方の難しさを痛感し、

塾講師のバイトを辞めました。


それに代わるアルバイトを探すことにしました。

2002年2月、大学3年(1回目)の春休みです。

コンビニでバイト求人誌フロム・エーを開き、

交通誘導員のアルバイトがあることを知りました。

日給は1万円ほどです。


早速、面接を受け、誘導員になるための研修を受けることになりました。

確か10時間ほどだったでしょうか。

2日にわたって受けたと記憶しています。

座学と実技研修です。


受けているうちに、冷静に交通整理などできるのか、

悪天候や猛暑の中でも屋外に立ち続ける過酷さに耐えられるのか、

ヘルメットをかぶり、誘導棒を持ち、警備員の制服を着て、笛を首からぶら下げた格好で

渋谷駅近くのビル屋上で実技研修を受けながら不安になってきました。


講師の指導も非常に厳しいものがありました。

誘導の手順が教わった通りにできないと、遠慮なく罵声を浴びました。

研修生は中年の方々が多かったのですが、

叱責に耐え切れず途中で泣き出すおばさんもいました。


交通の秩序を守るためにはこんなにも厳しい訓練を受けなければいけないのかと、

軽い気持ちで応募した自分には勤まらないことを自覚しました。


そのバイトはしないことに決め、他のバイトを探すことにしました。

2022年08月24日

ペンケースは返ってきたが塾講師は続かず

後日、教壇の上に私のペンケースが置いてありました。

親御さんに電話で依頼した甲斐あって、

3人の生徒のうち誰かが返してくれたのです。


結局、名乗り出る子はおらず、犯人は分かりませんでした。

それ以上責める気もありませんでした。

しかし、この件でわだかまりができてしまいました。

子どもたちに疑いの気持ちを抱きながら、

授業に専念することが難しくなったからです。

講師のバイトは始めてわずか4ヶ月となる

2002年2月いっぱいで辞めることにしました。


しかし、今思えば、彼らはまだ小学生。

それなのに中学受験の重圧に晒され、

気を紛らわすために私の授業で騒いでしまったのかも知れませんね。

果たしてあそこまで怒る必要があったのか。

当時の私はまだ未熟で、そんなことすら想像できなかったのです。

2022年08月23日

小学生の生徒から嫌がらせを受ける

ヘッドロック事件の後、しばらく小学6年クラスの子たちは静かになりました。

あの件で、さすがに懲りたのかなと胸をなで下ろしました。

しかし、ある日のことです。

授業が終わった後、講師控室に戻ろうとしたときに

私のペンケースがなくなっていることに気づきました。

教室中を見渡しましたが見つかりません。


おかしい・・授業中にはあったのに・・

あの子たちの誰かが隠したに違いない・・


塾長に事情を話し、生徒たちの名簿を貸りて連絡先を調べました。

そして既に帰宅している子たちの自宅に電話をかけました。


まず親御さんが出ました。

電話を掛けた事情を話すと、「うちの子を疑っているんですか?!」と

憤慨する父親もいました。

なんで怒られなきゃならんのだろう・・悲しいのはこちらなのに・・

やるせない気持ちになりました。


でも恐らくはヘッドロックをかけた子の仕返しによるものだと思いました。

その子は電話に出ず、親御さんにはもし隠していたら返すよう伝達をお願いしました。

2022年08月21日

小学生の生徒に手を上げてしまう

塾講師のバイトを始めて2ヶ月が経ちました。

2001年12月頃のことです。

担当していた小学6年のクラスの生徒は3人でした。

全員男子です。

少人数クラスのため、講師である私とも打ち解けるのが早いのは良かったのですが、

だんだん授業中のおしゃべりが酷くなってきました。

特に1人の子がやんちゃで静止しても言うことを聞いてくれません。

何度も何度も注意しましたが、静かにならず、授業が進みません。


ついに講師である私はキレました。

その子にヘッドロックをお見舞いしたのです。

軽く力を入れた程度でしたが、「キマッて」しまったらしく

その子は身動きが取れない状態でした。

そして私が力を抜くと、その子は大泣きしてしまいました。

他の子が、塾長のところに行ってこの件をチクると言ってきました。

大事になるのを恐れた私は、それはやめてくれと懇願したのでした・・