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2019年10月20日

リビア指導者カダフィ大佐の殺害から8年

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リビアの暫定政府はカダフィを殺害したことを否定し、銃撃戦で死亡したと主張したが、カダフィは捕らえられたときまだ生きていたことを示す映像が流出した

Telesur、2019年10月20日

リビアのムアマール・カダフィ大統領の暗殺から8年がたち、その死を取り巻く事実は、欧米によって操作され続けている。

2011年3月、いわゆる「アラブの春」の時期、米国政府が推し進めたリビアへの軍事侵攻が起きた。その目的はムアマール・カダフィの政府を打倒することであった。7か月後、反政府勢力はカダフィを殺害するという目的を達成した。

首都トリポリが反政府勢力の手に陥落したあと、カダフィは自身の生まれ故郷シルトに移動し、そこで数か月のあいだ、包囲網に対して抵抗した。

10月20日、リビア国家移行評議会(NTC)が、カダフィに忠実な軍の最後の要塞の一つであったシルト市を掌握した。二か月に及んだ抵抗にもかかわらず、同市はついに陥落した。

その日の朝、カダフィは75台の車列からなる軍の護衛でシルトから脱出をはかるが、北大西洋条約機構(NATO)の戦闘機から空爆を受けた。

カダフィは護衛数人とともに、近くの森を通って逃げ、二つの排水溝の間に避難した。

カダフィは正午ごろ捕らえられたが、そのときすでに護衛車列への攻撃の結果として足に銃弾を浴び負傷していたかどうか、あるいは、それらの負傷を生じさせたのは反政府勢力だったかどうか、についてはいくつかの情報が食い違っている。

反政府勢力がコンクリートの大きな配管のなかにカダフィを見つけたとき、カダフィは武器を持って立ち向かい、16歳の若者がカダフィからリボルバーを奪い取り、カダフィの頭を撃った、と伝えられている。

リビアの暫定政府はカダフィを殺害したことを否定し、銃撃戦で頭に銃弾を受けたと主張したが、カダフィは捕らえられたときまだ生きていたことを示す複数の映像が流出した。

テレビ局アルジャジーラによって放送された映像は、ピックアップトラックの後ろで、身振り手振りをしながら、血まみれで立っているカダフィ大佐をとらえている。

その後のいくつかの動画では、カダフィを車のボンネットの上に乗せて運んでいる反政府勢力の衝撃的映像が確認される。カダフィは血まみれで、立っているのもやっとの状態だが、まだ生きており、意識がある。このあと大佐は囲まれて、殴られ、トラックに連れ込まれた。

NTCの関係者は、カダフィが頭と腹に銃弾を受け、捕獲者たちに殴られ、拘束中に死亡した、と認めるに至った。

カダフィの遺体を調べた検視官は、「カダフィは拘束された時点では生きていたが、そのあと殺されており」、その死は腸への銃撃の直接的結果として生じた、と語った。

2011年2月の北大西洋条約機構(NATO)による侵略と同年10月のムアマール・カダフィの殺害後、リビアはカダフィが権力を握る以前よりも、さらに悪い状況にある。

現在、リビアには3つの「政府」がある。首都トリポリに国の西部地方での主導権を争っている二派があり、トブロクには国の東部地方を支配し主な石油資源を管理している一派がある。


アルジャジーラ カダフィの死 (2018年)


テレスールTV ムアマール・カダフィとは何者だったか (2016年)


テレスールTV アンヘル・ゲラ(メキシコ日刊紙ラ・ホルナダ記者)へのインタビュー
「カダフィの死は処刑だった」(2011年10月21日)



カダフィ国連演説 スペイン語字幕(2009年9月23日)


カダフィ国連演説その1 日本語字幕(2009年9月23日)

Cómo fue el asesinato del líder libio Muamar Gadafi?
https://www.telesurtv.net/news/cronologia-muerte-gadafi-20191019-0026.html




posted by vivacuba at 00:19| Comment(1) | TrackBack(0) | mundo
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