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2018年02月15日

シルビオ・ロドリゲス 90回目のバリオ・ツアー・コンサート プラヤ市で開催

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シルビオ・ロドリゲス

Cubadebate、2018年2月15日

シルビオ・ロドリゲスの90回目のバリオ・ツアー・コンサートが2月23日(金)、午後6時からプラヤ市の23番通り、バルドーサ地域でおこなわれる。

シルビオのバックには、ニウルカ・ゴンサレス(フルート、クラリネット)、ホルヘ・レジェス(ベース)、オリベル・バルデス(ドラムス、パーカッション)、トロバローコ(ラチド・ロペス、マイケル・エリサンデ)がつく。ゲストにロブレホーズ・トリオ。

Viernes 23 de febrero, concierto 90 de Silvio por los barrios
http://www.cubadebate.cu/noticias/2018/02/15/viernes-23-de-febrero-concierto-90-de-silvio-por-los-barrios/#.Wo2YYLxl_IU
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2018年02月14日

ビジャ・クララ国道で交通事故 女児含む6人死亡

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CMHW、2018年2月14日、Abel Falcón Curí記者

国道から268kmの地点で2月13日の夜、交通事故が発生し、6人が亡くなった。

ビジャ・クララ県交通部隊長ヘリベルト・ロペス中佐は本紙に対し、今回の事故は、カマグエイの自家用車(シトロエン製)が、46フィートコンテナを運んでいたトラックと衝突して起きた、と話した。

ビジャ・クララ交通部隊長の発表音声

亡くなった方々:
ユニエル・ナバロ・モリーナ、31歳、カマグエイ
リカルド・ロイ・マルティネス、54歳、カマグエイ
ペドロ・ビジャスソ・エルナンデス、25歳、ハバナ
ディアネティ・ロケ・ロメロ、20歳、ハバナ
ジェネイ・エスピノ・エルナンデス、32歳、カマグエイ

本稿締め切り時点では、ひとりの女の子の遺体の身元が判明していなかったが、その後当局が、グレンディ・デ・ラ・カリダ・ナバロ・エスピノ、9歳であることを確認した。
続報:交通事故死者の女の子の身元判明(2018年2月14日8時50分)

国道(ビジャ・クララのマニカラグアへの公道から3kmの地点)で起きたこの事故の原因は現在調査中である。

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Fallecen 6 personas en accidente de tránsito en kilómetro 268 de la Autopista Nacional
http://www.cmhw.cu/en-villa-clara/11794-seis-fallecidos-en-lamentable-accidente-del-transito-en-la-autopista-nacional
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2018年02月13日

ラウル・パス エキスポクーバでコンサート開催 2月18日

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ラウル・パス

Trabajadores、2018年2月13日

ラウル・パスとそのグループが2月18日(日)の午後3時、エキスポクーバの中央パビリオンで、「愛のとき」と題したコンサートを開く。

このイベントはエキスポクーバ30周年を記念して企画された文化レクリエーション活動の一環である。

通常通り、朝9時から展示、レストラン、カフェやその他のアトラクションなども営業される。

コンサートには、センターへの通常入場料金で観覧できる。大人は3人民ペソ、子どもは1人民ペソである。

また通常通り、送迎バスも用意される。





Tiempo de amor: Raúl Paz y su grupo en Expocuba
http://www.trabajadores.cu/20180213/tiempo-amor-raul-paz-grupo-expocuba/
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2018年02月12日

グランマ号遠征隊員のひとり、マヌエル・エチェバリア・マルティネス死去 84歳

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マヌエル・エチェバリア・マルティネス

Radio Rebelde、2018年2月12日、ACN

地下闘争および解放戦争の戦闘員マヌエル・エチェバリア・マルティネスが2月12日(月)未明、敗血症性ショックのため死去した。84歳だった。

マルティネスは1933年12月4日、マンサニージョ市に生まれた。父親はタバコ農家、母親は農民だった。公立学校で学んだ。マンサニージョ中等教育機関に入学した。1952年3月10日に起きたフルヘンシオ・バティスタによる軍事クーデターに抵抗し戦った。

モンカダ及びカルロス・マヌエル・デ・セスペデス兵営襲撃のあと、地下闘争に入る。フランク・パイスと連携し、マンサニージョ、カンペチュエラ、ニケロ、メディア・ルナ、ピロン、ヤラなどの地域に「歴史は私に無罪を宣告するだろう」(フィデル・カストロの法廷陳述をまとめた書)を配布。革命運動組織に貢献した。1955年にフィデルと知り合う。1956年、メキシコで闘争準備をしている同志に合流するという使命を与えられる。グランマ号遠征隊員のひとりとなる栄誉を担った。

アレグリア・デル・ピオでの敗退のあと逮捕され、裁判にかけられ、懲役6年の判決を言い渡された。

革命勝利後には複数の軍事改善課程を通過。革命軍省の部隊でさまざまな責任を担い、中央軍タンク輸送部隊の指揮官および部隊長にまで昇進した。

その後は、工業省、運輸省、建設省、国内流通省で働いた。アンゴラでは2年間、国際主義ミッションの任務を遂行した。

祖国への貢献によって、さまざまな褒章を受けた。そのなかには、地下闘争および解放戦争戦闘員勲章、革命軍記念勲章(10周年、20周年、30周年、40周年、50周年、60周年)、国際主義労働者勲章、9月28日勲章、国家安全保障機関50周年勲章、などがある。キューバ共産党の党員だった。

月曜日(2月12日)の午後、コロン墓地の革命軍パンテオンに埋葬され、栄誉の葬儀が執り行われた。

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Falleció el expedicionario del Granma, Manuel Echevarría
http://www.radiorebelde.cu/noticia/fallecio-expedicionario-granma-manuel-echevarria-martinez-fotos-20180212/
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カルロス・フェルナンデス・デ・コシオ元駐日大使 キューバ外務省米国総局長に就任 ホセフィーナ・ビダルの後任

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駐カナダのキューバ大使や外務省国際副局長の経歴を持つコシオは、アジアやラテンアメリカでの経験もある

Radio Habana Cuba、2018年2月12日、Jessica Arroyo Malvarez記者

キューバのベテラン外交官カルロス・フェルナンデス・デ・コシオが、キューバ外務省(MINREX)の米国総局長に就任した。キューバと米国の国交正常化交渉の顔であったホセフィーナ・ビダルの後任となる。外務省筋が発表した。

フェルナンデス・デ・コシオは1990年代にキューバ外務省で米国との関連案件を担当していた。当時キューバは経済危機に見舞われ、米国政権との複雑な関係の渦中にあった。

南アフリカでキューバ大使を務めていたコシオは、米国ドナルド・トランプ政権の対キューバ政策転換により両国間にふたたび緊張が走っている現在、古巣に戻る形になる。

フェルナンデス・デ・コシオは「もっとも完成されたキューバ外交官のひとり」である、とキューバ外務省米国局副局長のジョアナ・タブラダはツイッターとフェイスブックで断言し、金曜日に外務省本部での式典のあと撮影した2枚の集合写真を公開した。

2018年2月9日、この日、キューバ外務省の米国総局は1日にふたりの局長を持った。ふたりともすぐれた同志であり、並外れた外交官である。ホセフィーナ・ビダルからカルロス・フェルナデス・デ・コシオへ。ふたりに新たな成功を!

− ジョアナ・タブラダ (@JohanaTablada) 2018年2月10日

タブラダは、米国総局を約12年間率いたホセフィーナ・ビダルの高度な働きを、献身、有効性、厳しさ、繊細さ、才能、自己犠牲をもってなされた複雑な仕事であった、と称えた。

ビダルは、半世紀以上もの対立のあと2014年に始まった米国との国交正常化交渉におけるキューバ側の顔であった。

両国間の雪解けは、ハバナとワシントンでの双方の大使館の再設置や、米国大統領バラク・オバマによる2016年の歴史的なハバナ訪問、といった画期的な出来事を生んだ。

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コシオとビダル(中央のふたり)

Carlos Fernández de Cossío nuevo director general para Estados Unidos en el MINREX
http://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/154921-carlos-fernandez-de-cossio-nuevo-director-general-para-estados-unidos-en-el-minrex
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2018年02月10日

ギジェルモ・ガルシア・フリアス革命司令官 90歳に キューバ革命の生き証人

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ギジェルモ・ガルシア・フリアス「革命はとても複雑であり、われわれの革命は唯一、国民から生まれた」

Radio Rebelde、2018年2月10日、Angélica Paredes López記者

ギジェルモ・ガルシア・フリアスは、グランマ号遠征隊の上陸がおこなわれたとき、すでに28歳の若者だった。

あの叙事詩の主人公たちは次のように語る。革命家たちにとってもっとも困難であったそのとき、彼はそこにいた。農民たちのネットワークを利用して、遠征隊員たちを助け、シエラ・マエストラに案内するという不変で危険なミッションを、セリア・サンチェスと合意していたのだ。

フィデル・カストロ最高司令官をはじめとする遠征隊員たちを直接シンコ・パルマスまで連れていったあと、ギジェルモはフィデルの指示により、彼らが隠していた武器を取り戻すために上陸地域まで戻った。

バティスタ政権の恒常的な嫌がらせの最中に、叛乱の種を守ったことは、この謙虚な農民、叛乱軍に加入した最初の農民であるギジェルモの、見識であり聡明さであると多くのひとが認めるところである。

 以下のリンクからラジオ音声が聞けます。
 http://www.ivoox.com/audio_rf_23671143_1.html


ギジェルモ・ガルシア・フリアスはゲリラ活動におけるすぐれた戦闘員であり、フアン・アルメイダ・ボスケ司令官の指揮のもと、オリエンテ第三連隊の副司令官にまで上り詰めた。

ギジェルモ・ガルシア・フリアスは、オリエンテ県(当時)ピロン市の、シエラ・マエストラの入り組んだ地点にあるエル・プラタノで、つましい家庭に生まれた。

ギジェルモはゲリラ闘争に加わった一人目の農民というだけにとどまらず、叛乱軍の司令官になった。革命勝利後は政治、行政、軍事の重要な責務を担った。

ギジェルモは、その努力と献身によって、わが国の歴史の卓越した主役になるという革命的軌跡を歩んだ。

彼の胸には、その輝かしい功績に授与された最高勲章、キューバ共和国英雄勲章が輝いている。

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ギジェルモ・ガルシア・フリアス「われわれには世界のどれとも違う若者たちがいる。日和見主義者はつねに存在し、出現してくるが、賢い若者たちがつねに出てきており、彼らはわれわれの代理になりうる。私は彼らに全信頼を寄せている。なぜなら彼らはこの革命の将来において永遠にわれわれを尊ぶであろうからだ。」

革命司令官ギジェルモ・ガルシア・フリアスはきょう(2月10日)、90歳の誕生日を迎える。1928年2月10日に生まれた彼は、そのときからその個性を形成しはじめ、その謙虚さと聡明さによって英雄として認められるまでに至った。

この90歳の誕生日を記念して、キューバは彼のフィデル・カストロ司令官に対する永遠なる全的忠誠にとりわけ感謝する。

革命指導者フィデル・カストロの死去後にギジェルモ・ガルシア・フリアス革命司令官が語ったインタビュー動画をご紹介する。


フィデルの思想はキューバ国民と結びついている(2016年11月)

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シエラ・マエストラにて、左からギジェルモ・ガルシア・フリアス、エルネスト・チェ・ゲバラ、ウニベルソ・サンチェス、ラウル・カストロ、フィデル・カストロ、クレセンシオ・ペレス、シロ・レドンド、フアン・アルメイダ

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ギジェルモ・ガルシア・フリアス、さとうきび刈りの奉仕作業

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ギジェルモ・ガルシア・フリアス

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ギジェルモ・ガルシア・フリアス、1977年7月26日、モンカダ記念式典にて、フィデルとともに

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ギジェルモ・ガルシア・フリアス、ラ・プラタでの農業改革20周年記念式典にて

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ギジェルモ・ガルシア・フリアス、シエラ・マエストラ新聞社視察

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ギジェルモ・ガルシア・フリアス、シエラ・マエストラ新聞社視察

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ギジェルモ・ガルシア・フリアス、フィデルとともに

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ギジェルモ・ガルシア・フリアス、2009年5月1日のメーデー行進、革命広場にて、ラウル・カストロやフアン・アルメイダ・ボスケとともに


テレビ番組「メサ・レドンド」出演(2016年1月)


最新インタビュー(2018年2月10日)

Guillermo García Frías: un protagonista de la historia de Cuba
http://www.radiorebelde.cu/noticia/guillermo-garcia-frias-protagonista-historia-cuba-20180210/
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2018年02月05日

チェ・ゲバラのボリビア日記 最新増補版 ボリビアからキューバに贈呈

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Radio Rebelde、2018年2月5日、PL

ボリビアの図書館二百周年プロジェクト(PBB)によるチェのボリビア日記のより完全な版がきょう(2月5日)、ハバナ市内のマルティアーノス研究センター(CEM)でキューバ側に贈呈された。

この書物は、ボリビア政府の事業である同プロジェクトによる最新版のひとつであり、その容量は過去に前例がなく、同国の過去と現在への理解を基本的な目的としている。

この書物には、日記のページのより鮮明な画像、チェが作成した通信文5点(過去に発表されたのは1967年5月1日にコチャバンバの日刊紙プレンサ・リブレ紙上の1点のみ)、地図、いくつかのノートのカバー、ゲリラ構成員たちの伝記概要、などが含まれている。

駐キューバのボリビア大使フアン・ラモン・キンタナは、今回の贈呈について、キューバ国民とボリビア国民にとって、チェが表現したすべてのことに深い意味があった、と述べた。

われわれのなかには、チェのような人道主義者かつ国際主義者の精神が宿っており、それは国民の利益となる社会的プログラムにおける経済開放プロセスや、健康・教育分野における達成と、密接に関連している、と大使は強調した。

また大使は、エボ・モラレス政権によるここまでの12年間の歴史が、他国による支配や先住民の疎外、ホワイトハウスの書斎で書かれたマニフェストが示す運命を克服した国家的勝利といえるならば、その勝利は、他の成果とあわせて、エルネスト・ゲバラ司令官に負っている、と語った。

大使はまた、日記のさまざまなファクシミリや、チェが記したいくつかのノートも、キューバ側に贈呈した。

キューバ人歴史家で研究者のフロイラン・ゴンサレスは、国家英雄ホセ・マルティの生誕165周年を祝うさなかにおけるこの贈呈に感謝を示した。

エンリケ・ホセ・バローナ教育科学大学および教育科学中央学院の倫理学博士でもあるゴンサレスは、キューバでの1968年のチェのボリビア日記の出版は、米国中央情報局(CIA)にとって激しい打撃となった、と回想した。

CIAは筆跡学者のグループを事前に用意していた。というのはチェの筆跡を真似て、事実と異なる情報をその文章に混ぜようと企んでいたからだ。

「日記」は単に読むための本ではなく、そのゲリラ活動に対するボリビア国民の本当の支持を知り、研究し、解釈するためのものである、とゴンサレスは話した。CEMセンター長のアナ・サンチェス・コジャソと、チェの人生と業績に関するキューバ人専門家のひとり歴史家のアディス・クプールが、キンタナ大使とゴンサレスに同伴した。

ハバナ国際ブックフェア2018で15点以上の書籍を発表するボリビアの図書館二百周年プロジェクト(副大統領直属)は、ボリビアについて又はボリビアの思想の収集と、ボリビアの現在と将来にわたる世代の読書促進を目指している。

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En Cuba, edición más completa del Diario del Che en Bolivia
http://www.radiorebelde.cu/noticia/en-cuba-edicion-mas-completa-diario-che-bolivia-20180205/
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2018年02月03日

都市歴史家エウセビオ・レアルの業績を顕彰 キューバの国際ブックフェア

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エウセビオ・レアル

Radio Rebelde、2018年2月3日、Mirtha E. Guerra Moré記者

ハバナでの第27回国際ブックフェアでおこなわれたシンポジウムにおいて、著名なキューバ史家たちは、エウセビオ・レアルの業績の価値を強調した。

サン・カルロス・デ・ラ・カバーニャ要塞でのシンポジウムは、エウセビオ・レアルの独自の学問構築を賞賛した。アナ・カイロ女史は発言のなかで、ハバナ市史家レアルはヒューマニズムのお手本である、と表現した。

エミリオ・ロイグ・デ・レウチセンリングの教えへの忠実さ、弁舌の能力、そしてハバナ旧市街の豊かさの復旧への情熱。これらはハバナ史家レアルの業績に際立った側面の一部である。研究者アラセリ・ガルシア・カランサにとって、エウセビオ・レアルの美徳のひとつは、地域社会との密接さである。

50年間にわたるハバナ歴史事務所を率いての献身、ハバナ大学の遺産保護、ラジオ・ハバナ放送局の開設、ルータスやアンダーレスといったコミュニティ・プロジェクトの促進。これらはキューバ人知識人でもあるレアルの仕事のなかに認められる業績の一部である。エウセビオ・レアルは発言のなかで、キューバ革命はつねに追うべき自身のお手本だった、と述べた。

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シンポジウムの様子。レアルは右から二人目。

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エウセビオ・レアル(右)

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エウセビオ・レアル


シンポジウム動画

Eusebio Leal es un ejemplo de humanismo
http://www.radiorebelde.cu/noticia/el-historiador-ciudad-es-ejemplo-humanismo-fotos-20180203/
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ボリビアへのキューバ医療派遣団創設から12年

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Radio Habana Cuba、2018年2月3日、Nuria Barbosa León記者

あらゆる人間の固有の権利としての生命と健康の保障を使命とするボリビアでのキューバ医療派遣団が組織されてから12年を迎えた。

団長のヨアンドラ・ムーロは、「2006年2月2日にボリビアへ第一陣の協力隊員が到着した。彼らはヘンリー・リーブ災害救助隊の一員だった」、と述べた。

この12年のあいだに、キューバ医療チームはボリビア国内で6700万人以上に診察をおこない、22万件を超える外科手術を実施した。

「オペレーション・ミラグロ」(奇跡作戦=視力回復手術のキャンペーン)については、60万件以上の眼科手術をおこない、そのうち5万9千件は白内障の治療だった。

一方、パンアメリカン保健機構(OPS)のカリーサ・エティエネ理事長は、「私の健康」プログラムに関わるボリビア人医師たちの仕事を評価した。彼らは国内各地域で一次医療をおこなっている。

エティエネ理事長は、全国各セクターの責任者たちとの会合において、各共同体地域、とくに先住民地域や僻地におけるボリビアの医師たちの仕事を賞賛した。

理事長は自身の体験として、ボリビアのアマゾン地域を訪れ、住民たちの生活レベルを改善するための「私の健康」の活動の努力を目撃したことを語った。

これらの医師たちは、各家庭全体の人生を変えうるサービスを提供するための医薬品や医療器具を抱えて長距離を歩く、と理事長は話した。

「私の健康」プログラムは2013年6月にはじまり、これまで2714人の医師が診療のために各家庭を訪問している。ボリビアの保健省のプレス・リリースが伝えている。

プレス・リリースによると、現在、このプロジェクトの担当医師は、ティプニス(先住民居住区)の密林やポトシー北部の乾燥地帯といった僻地を含む全国308都市にいる。

Cumple doce años de creada brigada médica cubana en Bolivia
http://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/154259-cumple-doce-anos-de-creada-brigada-medica-cubana-en-bolivia
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ボリビアのエボ・モラレス大統領、56年間におよぶ米国のキューバ経済封鎖を非難

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Radio Habana Cuba、2018年2月3日、Pedro Manuel Otero記者

ボリビアのエボ・モラレス大統領はきょう(2月3日)、56年間におよぶ米国によるキューバに対する経済金融商業封鎖について批判した。

1962年のきょう、米国のJ・F・ケネディ大統領はキューバに対する犯罪的経済封鎖を宣言した、とモラレス大統領はツイッターに書き込んだ。

別の書き込みでは、キューバ国民に対するその政策を「犯罪」と形容した。

「この政策により米国はキューバ革命をつぶそうとした。しかし50年以上が過ぎ、それはまったく達成しなかった。今後も決して達成することはない。」、と大統領はツイッターに記した。

キューバ政府はこれまでくりかえし「封鎖はキューバ国民の人権に対する大量で凶暴かつ体系的な侵害である」と非難している。

また、およそ60年間に及ぶ被害の総額は、国際市場における金の価値に対するドルの下落を考慮すると、8222億8000万ドルと見積もっている。

現行価値でいうと、封鎖は1兆3017億8600万ドル相当の被害を生じている。

キューバは国際連合総会において1991年以来、この政策を非難する議題を提案しており、国際社会の大多数の賛成投票を得ている。

Presidente Evo Morales 56 años de bloqueo económico contra Cuba
http://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/154250-presidente-evo-morales-56-anos-de-bloqueo-economico-contra-cuba
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