2018年02月10日
ギジェルモ・ガルシア・フリアス革命司令官 90歳に キューバ革命の生き証人
ギジェルモ・ガルシア・フリアス「革命はとても複雑であり、われわれの革命は唯一、国民から生まれた」
Radio Rebelde、2018年2月10日、Angélica Paredes López記者
ギジェルモ・ガルシア・フリアスは、グランマ号遠征隊の上陸がおこなわれたとき、すでに28歳の若者だった。
あの叙事詩の主人公たちは次のように語る。革命家たちにとってもっとも困難であったそのとき、彼はそこにいた。農民たちのネットワークを利用して、遠征隊員たちを助け、シエラ・マエストラに案内するという不変で危険なミッションを、セリア・サンチェスと合意していたのだ。
フィデル・カストロ最高司令官をはじめとする遠征隊員たちを直接シンコ・パルマスまで連れていったあと、ギジェルモはフィデルの指示により、彼らが隠していた武器を取り戻すために上陸地域まで戻った。
バティスタ政権の恒常的な嫌がらせの最中に、叛乱の種を守ったことは、この謙虚な農民、叛乱軍に加入した最初の農民であるギジェルモの、見識であり聡明さであると多くのひとが認めるところである。
以下のリンクからラジオ音声が聞けます。
http://www.ivoox.com/audio_rf_23671143_1.html
ギジェルモ・ガルシア・フリアスはゲリラ活動におけるすぐれた戦闘員であり、フアン・アルメイダ・ボスケ司令官の指揮のもと、オリエンテ第三連隊の副司令官にまで上り詰めた。
ギジェルモ・ガルシア・フリアスは、オリエンテ県(当時)ピロン市の、シエラ・マエストラの入り組んだ地点にあるエル・プラタノで、つましい家庭に生まれた。
ギジェルモはゲリラ闘争に加わった一人目の農民というだけにとどまらず、叛乱軍の司令官になった。革命勝利後は政治、行政、軍事の重要な責務を担った。
ギジェルモは、その努力と献身によって、わが国の歴史の卓越した主役になるという革命的軌跡を歩んだ。
彼の胸には、その輝かしい功績に授与された最高勲章、キューバ共和国英雄勲章が輝いている。
ギジェルモ・ガルシア・フリアス「われわれには世界のどれとも違う若者たちがいる。日和見主義者はつねに存在し、出現してくるが、賢い若者たちがつねに出てきており、彼らはわれわれの代理になりうる。私は彼らに全信頼を寄せている。なぜなら彼らはこの革命の将来において永遠にわれわれを尊ぶであろうからだ。」
革命司令官ギジェルモ・ガルシア・フリアスはきょう(2月10日)、90歳の誕生日を迎える。1928年2月10日に生まれた彼は、そのときからその個性を形成しはじめ、その謙虚さと聡明さによって英雄として認められるまでに至った。
この90歳の誕生日を記念して、キューバは彼のフィデル・カストロ司令官に対する永遠なる全的忠誠にとりわけ感謝する。
革命指導者フィデル・カストロの死去後にギジェルモ・ガルシア・フリアス革命司令官が語ったインタビュー動画をご紹介する。
フィデルの思想はキューバ国民と結びついている(2016年11月)
シエラ・マエストラにて、左からギジェルモ・ガルシア・フリアス、エルネスト・チェ・ゲバラ、ウニベルソ・サンチェス、ラウル・カストロ、フィデル・カストロ、クレセンシオ・ペレス、シロ・レドンド、フアン・アルメイダ
ギジェルモ・ガルシア・フリアス、さとうきび刈りの奉仕作業
ギジェルモ・ガルシア・フリアス
ギジェルモ・ガルシア・フリアス、1977年7月26日、モンカダ記念式典にて、フィデルとともに
ギジェルモ・ガルシア・フリアス、ラ・プラタでの農業改革20周年記念式典にて
ギジェルモ・ガルシア・フリアス、シエラ・マエストラ新聞社視察
ギジェルモ・ガルシア・フリアス、シエラ・マエストラ新聞社視察
ギジェルモ・ガルシア・フリアス、フィデルとともに
ギジェルモ・ガルシア・フリアス、2009年5月1日のメーデー行進、革命広場にて、ラウル・カストロやフアン・アルメイダ・ボスケとともに
テレビ番組「メサ・レドンド」出演(2016年1月)
最新インタビュー(2018年2月10日)
Guillermo García Frías: un protagonista de la historia de Cuba
http://www.radiorebelde.cu/noticia/guillermo-garcia-frias-protagonista-historia-cuba-20180210/
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