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2020年12月22日
檍原の古傳説地 その8
檍原は宮崎附近の地
之を宮崎地方の海岸にありとする説に就いても、亦本居翁が巳に指摘せるが如く、古書に其の徴證あるを見ず。
然れども、由來日向の地西陲(すい)に僻在して、中央との交渉甚だ少かりしが故に、ただに檍原の事のみならず、他の事件に就いても、其の古書に見ゆる極めて少なく、奈良朝の古風土記、亦僅に一二節を存するに過ぎざる程なれば、古書に見る所なきの故を以て、直に之を排斥すべきにあらず。
少なくも往時に於て宮崎郡の海岸地方に、小戸ノ渡、住吉神社などの存せしことは明かにして、當時之を以て檍原の地なりと解したりしものなるは、推測するに難からず。
之を近き代の文献に求むるに、伊東義祐が永禄五年の飫肥紀行と云ふものに、
閑話休題
之を宮崎地方の海岸にありとする説に就いても、亦本居翁が巳に指摘せるが如く、古書に其の徴證あるを見ず。
然れども、由來日向の地西陲(すい)に僻在して、中央との交渉甚だ少かりしが故に、ただに檍原の事のみならず、他の事件に就いても、其の古書に見ゆる極めて少なく、奈良朝の古風土記、亦僅に一二節を存するに過ぎざる程なれば、古書に見る所なきの故を以て、直に之を排斥すべきにあらず。
少なくも往時に於て宮崎郡の海岸地方に、小戸ノ渡、住吉神社などの存せしことは明かにして、當時之を以て檍原の地なりと解したりしものなるは、推測するに難からず。
之を近き代の文献に求むるに、伊東義祐が永禄五年の飫肥紀行と云ふものに、
閑話休題
タグ:伊東義祐
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