2024年07月11日
ただ、うらやましいだけなんだろう。
子供を産んでいないから
一緒に遊べない。
友人と思っていた人からの
痛烈な一言だった。
私は結婚もしていないし
子供も産んでいない。
もう
コロナ前の出来事なのに
えぐる様に
心に突き刺さっている。
道行く人にも
子供の苦労をしならないから
人の気持ちが解らない。
非道人物のように
白い目で見られる。
子供を産んで一人前も
確かにあるだろうけれど
子供を産んだからと言って
一人前かどうかは解らない。
私の苦しみ
あなたの苦しみ
種類が違えど
背負っている重さは同じだと思う。
それが
先に出るか
後に出るか。
その差。
苦しみを
周りに見せない人ほど
辛い思いをしている。
戦いなさい
と渡された
小さな刀を
強く鋭く磨いていくのは
私たちの生き方で決まる。
人の人生の
一部分だけ切り取って
あの人は苦労していない
と
簡単に言う人
そういう人を横目で見ながら
道を歩くことに
何となく面倒を感じる。
その腹の底は
うらやましいだけなんだろうけれど。
ここでいつも
私の気持ちは落ち着く。
ただ
うらやましいだけなんだろう。
簡単に切り落とされて行く木
最近
木が切られていることに
目が行くことが多い。
近くの小学校。
公園
道行く街並みの中だったり
木を切るって
なかなかできないこと。
そういう話を
聞いたことがある。
その時は
話の中の一部として
余り心に響かなかったのだけれど
長年見てきた
景色の中の一部だった
木が無くなっていることに
気が付く
無くなってから
癒されていたんだな
そう感じる。
何となく
家族、友人、恋人。
無くなってから気づく存在感。
虚無的な空間になっていく
そんな気がする
長く傍にあった木。
無くなってから
その存在感。
そして
私もそれだけ
年を重ねたんだな。
そう思う。
身近な場所から
だんだんと木が無くなっていく
木を切るって
なかなかできないこと。
切り落とされた
切り株を見て
これから世界はどう変わるんだろう。
小さな世界の
ただ気が切り落とされているだけの出来事だけれど
その中に何か
精神のようなものを
感じずにはいられない。