2013年02月17日
87. 西田敏行 上野動物園・2番手が好き 「あさイチ」
年のせいか、年々朝起きるのが早くなっているとか。
「5時に起きます」「(あさイチ)毎日見てますよ…いのっち!」笑いを誘います。
「今トレーニングしてるんです。西島(秀俊)くん、すごいですからね」「八重の桜」で共演している西島秀俊さんのようなマッチョボディを目指しているそうです。「バレンタインボディですよ」
一番泣いたのは…
有働さんいわく「名優中の名優」ですが「日本一涙もろい男」とも呼ばれています。
「本当によく泣く、毎日泣く」「動物と子どもが出てきたらそれだけで泣く」「一生懸命頑張っていると泣く」「お笑い芸人さんが一生懸命やっていると、笑うところなのに、その裏を読んで泣く」
「一番泣いたのはいつですか?」
「1985年に阪神タイガースが21年ぶりに優勝したときです」
優勝を決めたスワローズ戦は球場で見ていたそうです。優勝が決まったときスワローズの私設応援団長が1塁側から3塁側に走ってきて「21年ぶりの優勝おめでとうございます」と言って、ばっと花吹雪を投げてくれたのです。
西田さん、この話をしながらまた涙。
「皆でハグして、男同士チュッチュッ、キスして」「その後ビアホールで飲んで…あのときだれが支払ったんだろう?」
子どものころは
西田さんは福島県郡山市の生まれで、周りにタイガースファンはいません。
「『巨人・大鵬・玉子焼き』の時代に、ぼくは『阪神・柏戸・目玉焼き』だったんです」
「2番手が好きなんです…近藤勇より土方歳三」「1番手は立派だなあとは思うけど、2番手に魅かれるんです」
西田さんは養父母に育てられます。「優しい両親でした」お母さんは実の母の妹なので血のつながりはあります。
血のつながりのないお父さんが「役者 西田敏行」を育てたと言っても過言ではありません。
土曜日、昼過ぎに仕事から帰ると西田少年を自転車の後ろに乗せ、映画を見に行くのです。
「3流館で6本立てを見るんです」入れ替え制のない時代でした。
「ずっと見ていました…弁当を持っていって」「そのうちに映る側になろうと思って」
辛かった高校時代
東京に出てきたのは高校からです。
「映画に出ている人で福島弁で話している人はいない」「頭が柔らかいうちに東京さ行きたい」「バイリンガルになるんだ!」
意気込んで東京に出てきましたが
「東京の高校で、東京の高校生が(福島弁を)笑うんです…『だべボーイ』って言って」
西田少年、人生初めての挫折です。学校に行くのが嫌になった西田少年が制服のまま行っていたのが上野動物園。
「空を見上げているゴリラがいて…」それがゴリラのブルブルです。
ほかのゴリラは動物園生まれだったのですが、ブルブルはアフリカから連れてこられたゴリラでした。
「空を遠望している感じがあった」「ずっと動かないんです」「哲学的な深いものを感じて…」
後に俳優として世に出た西田さんは、上野動物園の園長と対談する機会を持ちました。
「印象に残るお客さんは?」とたずねたところ、「一日中、ゴリラの檻の前で座っている高校生がいました」「それ、ぼくです!」
青年座、そして快進撃
高校卒業後、一日だけ大学に通いましたが、すぐにやめて青年座に入ります。初舞台の酔っ払い役で認められ、次は主演。そして快進撃が続きます。
最新作「遺体…明日への十日間」では東北大震災の時の遺体安置所でボランティア活動をする男性の役をします。当事者になりきっての熱演です。
2番手が好きな西田さん、ドラマの世界では「超」1番手です。
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