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2020年01月08日

オッサンのブラリ一人旅(出石 出石街歩き2)

 これは、2016年1月に他サイトで公開したものです。
 出石の街を歩いていると、お寺が多いのに気づきました。しかも浄土真宗のお寺が多く観られました。
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 おりゅう灯篭から、メインストリートへ向かう途中、こんな店を見付けました。子供の頃、近所に合った荒物屋などがこんな感じでした。まさに昭和!しかし店内を見物する勇気はありませんでした。
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 2軒目のそば店を後にメインストリートを歩いていると…マニアではない私でも思わずテンションが上がるこんなお店が有りました。中を覗いて視ると…
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 お店の、女将さんにお願いして、写真を撮ることが出来ました、レコードと黒豆が一緒に売ってある、何とも妙な光景です。ここでレコードを買ってネットオークションで儲けた輩も居たそうです。店内に流れるカントリーフォークが心地よく、話では、お店のレコードをCDにダビングして流しているそうです。此処がカフエーなら何時間でもたむろしそうです。
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 他にも、古民家を利用したショップが結構ありました。只、お店の方が店頭に居られなかったので、入店は控えました。
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 こちらは雑貨屋ですね、建物は、由緒正しい物件の様です。
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 この後3軒目の蕎麦を食べて、帰路に付きました。駐車場に戻りながら振り返って、メイン通り風景です。
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 出石を出る前に、ハム工房を駐車場の向こうに発見サラミとベーコンを購入しました。
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 サラミはビールのあてに消えました。ベーコンはベーコンステーキにして食しました(「オッサンの手抜き飯」で紹介済み)。
 半日、出石の街を堪能しました。でも、まだ見ていない所も有ります、また訪ねてみたいと思います。

2020年01月07日

オッサンのブラリ一人旅(出石 出石街歩き1)




 これは、2016年1月に他サイトで公開したものです。



 鉄砲町に車を止めメインストーリトを出石城へ向かって歩きます。
 まず目に飛び込んできたのが、辰鼓楼です。観光ガイドやその他出石を紹介する映像には必ずと言って良いほど出て来るシンボル的な建造物です。
 辰鼓楼は明治4年に建てられたもので、当時は城主登城と知らせる太鼓を叩く楼閣でしたが、明治14年現在のような時計台となりました。よく日本最古の時計台と言われることが有るそうですが、札幌の時計台が明治11年に完成しています。しかし、辰鼓楼自体はそれよりも7年前に建てられていますので解釈の仕方で日本最古と言われることが有るのかも知れません。
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 出石城を降りて、訪ねたのが家老屋敷です。
 家老屋敷は、上級武士の居住区だった内町通りにあります。外観は平屋ですが、内部は2階建てで、現在は博物館として使用されているそうです。しかし、運の悪い事に訪ねた時は休館日で中に入る事は出来ませんでした。
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 建物の中には入れませんでしたが、ここまで行くことが出来ました。
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 かつて、三十石船が入れるほど大きかった出石川の船着き場の灯籠、おりゅう灯籠です、鎌倉時代の悲恋のヒロインにちなんでおりゅう灯籠と呼ばれているそうです。側に柳が有り「おりゅう」と恋人が寄り添うように見立てています。
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 沢庵和尚の、沢庵寺?かどうかは定かでは有りませんが、これは訪ねてみなければ、と思い行ってみました。臨済宗大徳寺派のお寺で正式には宗鏡寺(すきょうじ)と言います。沢庵寺は通称だそうです。しかし、残念ながら、工事中で見ることは出来ませんでした。
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 「桂小五郎居住跡」です。長州藩が禁門の変に敗れ桂小五郎も追われる身となり、出石に身を潜めていたそうです。由緒正しいお寺の境内にでもそれがあるのかと思いきや、普通の民家の軒先にその碑がありました。
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 他にも、今回は廻ることのできなかった史跡が結構あります。まだ街歩きは続きます。



2020年01月06日

オッサンのブラリ一人旅(出石 出石蕎麦)




 これは、2016年1月に他サイトで公開したものです。



 永楽館を見学した後、小腹が空いたので2軒目の蕎麦屋を探すことにしました。
 出石蕎麦は、江戸時代中期宝永3年、国替えで出石に来た仙石好明が前任地信濃国より蕎麦職人を連れてきたことが始まりとされています。現在の様に手塩皿に盛る形態は幕末に始まりました。現在のスタイルが確立されたのが昭和30年代以降になります。
 出石を、散策する前に観光センターで「出石皿蕎麦巡り巾着セット」を購入しました。購入金額を覚えていません(..)。これで3軒のお店の蕎麦が食べることが出来、更に提携している観光施設では団体客扱いで入館料等が割引になります。巾着には3枚の永楽銭が入っており1枚で1件3皿の蕎麦を食べることが出来ます。1件利用するとスタンプを押してもらえます。この巾着は今、デジカメケースになっています。
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 まず、出石城に行く前、腹ごしらえに立ち寄ったのが、出石城跡のすぐ側に在った左京と言う御店、入り口付近はテーブル席だったのでオッサン一人でも違和感ないかな?と思ったのですが、座敷席に通されてしまいました。私は、どちらかと言うとグルメでは有りません!グルメコメントは出来ませんので悪しからず(-。-)y-゜゜゜
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 出石蕎麦は、薬味に葱・ワサビ・大根おろし、の他に鶏卵がついて来ます。他の蕎麦は鶉が多いと思うのですが。店によっては山芋がついて来ます。
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 永楽館の後、立ち寄ったのが如月、メイン通りから少し入ったところに有りました。こちらはテーブル席に座ることが出来オッサン一人でも違和感が有りません。店に入ると一角に囲炉裏席が…この席で頂くことにします。
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 ここで、教えてもらったのですが、いらない薬味は断ることが出来るようです。左京で卵まで使ったので、卵は断ることにしました。如月の薬味です。ワサビは自分ですりおろして使います。後、蕎麦湯のあてにカリントウが…そばで作られた物のようです。
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 後で、調べるとワサビは持ち帰る事が出来たそうです。
 如月を出た後も街歩きを続けます。暫く街歩きをして桂小五郎居住跡にやってきましたが。石碑の前に車が停車!それならば先に蕎麦を食べようと、丁度隣によしむらが有りました。よしむらの手皿の画像で、前の2軒も画像に収めておけばよかったのに…
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 3軒のそば処を巡って気づいたのは、本当に蕎麦を楽しみたいのなら、一軒に絞ってガッツリ食べる事だと思います。巾着セットの場合一軒で3皿しか食べる事が出来ません、味の変化を楽しむ間もなく蕎麦が終わってしまいます。普通は一人前5皿ですが、一通りの味を楽しむにはそれでも少ない位です。できれば2人前ぐらい食べたいですよね。


2020年01月05日

オッサンのDream Journey(在来線で関西から東京へ ワイドビューひだ、高山へ…)




 前回、岐阜―名古屋間は特急に乗るメリットが無いと申しました。
 そこで、岐阜駅で下車、乗り換えの他に選択肢として、このまま高山へ行くのも一つかと思います。
 高山へ行くには、ワイドビューひだは、岐阜に9:56到着し、10:11発車、高山線に入ります。岐阜駅に15分停車しますので駅弁を購入するのなら、この時間になります。岐阜駅には4種類の人気駅弁がありますが、人気の駅弁はいずれも飛騨牛を使った弁当になっています。高山に到着は12:23ですので、高山でランチというのも良いかも知れません。
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 高山まで行くと当然宿泊しての、観光は外せません。その為に、岐阜で降りずに高山まで行くわけですから…。
 高山駅では、10分程歩くと、古い町並みが有り、街歩きが楽しめます。駅弁を我慢してこちらでランチも良さそうです。その周辺には高山陣屋、櫻山八幡宮内高山祭屋台会館、日枝神社、毉王山飛騨国分寺などが有ります。
 高山に旅行をするなら、こちらから。



 駅周辺にも、温泉に入れる周辺施設があるようですが、もう少し足を延ばして、奥飛騨温泉郷というのも良いですね。
 奥飛騨温泉郷は、平湯温泉、福地温泉、新平湯温泉、栃尾温泉、新穂高温泉からなります。しかし、高山駅からバスで1時間以上かかり、便数も1時間に1本しかありません。駅周辺の観光を諦めて、目的の温泉で観光をするか?駅周辺を観光して、目的の温泉へ行くか?更に温泉郷に行く路線沿いにも観光スポットが有りますので途中下車して道草というのも如何ですか?楽しみ方は沢山あります。



 高山では、朝市が楽しむことが出来ます。奥飛騨温泉郷では福地温泉で行われています。高山駅周辺では、2ヵ所朝市が行われています。1ヶ所は高山陣屋周辺の陣屋朝市、もう1ヶ所が日本三大朝市の一つ宮川朝市です。
 高山2日目は朝市を楽しんで、名古屋に向かいたいと思います。
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 朝市を楽しむと、高山を出発するのは午後からになります。駅周辺でランチも良いですが、駅弁も豊富にあるようです、時間的にも缶ビールと駅弁楽しみながら名古屋へ向かえそうです。


2020年01月04日

オッサンのブラリ一人旅(出石、永楽館)




 これは、2016年1月に他サイトで公開したものです。



 出石城跡を散策し、次の目的は永楽館へ向かいます。
 街歩きしながら、観光マップを頼りに永楽館を探します。
 永楽館の提灯が有りました。入っていくと何もありません。不安になりながら奥へ進むと有りました。只、テレビやパンフレットのイメージと少し違います???細い路地側に表玄関が面しているので角度的にパンフやテレビのような画像は撮れません。
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 受付を覗いて視ると、見学している人が居ません。聞いてみると少し前までは団体で見学されていたそうですが帰られた後だったようです。どうしようか?一瞬怯みましたが折角です、見学することにしました。
 永楽館は、1901年出石の染物商小幡家11代当主久次郎により建てられた、現地に現存する劇場建築としては日本最古のものとされています。当時は但馬の芸能文化の中心となり、歌舞伎・落語・剣劇などが上演され、宝塚歌劇も公演されたようです。昭和初期からは映画館としても使用されるようになりましたが、戦後テレビの普及等娯楽の多様化により昭和39年閉館との事ですが、昭和39年と言うのはずいぶん早い閉館のような気がします。その後パチンコ店として使われたりしましたが1973年閉鎖されました。
 平成に入り、コンサートなどで使用が再開され、2006年から復元工事が始まり、2008年夏に完工しました。
 貸し切り状態で、入館すると職員の方がやってきて説明をしてくださいました。しかし、頭の中には殆ど残ってませんガイドしてくださった方御免なさい。
 ロビーには口上や役者看板、そして杮落し公演を行った、只今藤原紀香との結婚を噂されている、片岡愛之助の手ぬぐいなどが有ります。しかし大丈夫でしょうか?彼女に騙されているような気がして仕方がないのですが…陣内智則の二の舞にならなければ良いのですが…。
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 劇場に入ると当時の広告看板が掲げられています。映っている方はガイドをして下さったお姐さん?と言う事にしておきましょう(失礼)。職員の方はここで下がられました。
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 1階から見た舞台と客席・舞台からの客席風景です。
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 奈落です、降りて行くと、回り舞台装置が、全て人力で動かします。通路にはすっぽんが有ります、演者が花道でせり上がる装置です、これも人力で担ぎ上げるそうです(御苦労様)。
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 花道に戻ってきました。
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 カツラ場と化粧室(楽屋)です。
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 2階席の風景です。
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 花道の裏に廻ってみると。映画を上映していた頃のポスターが飾られていました。マニアなら泣いて喜びそうです。
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 見学を終えると、少しお腹がすいて来ました。2軒目のそば店を探すことにします。


2020年01月03日

オッサンのブラリ一人旅(出石・出石城跡)




 これは、2016年1月に他サイトで公開したものです。



 年末、Xmas前です、豊岡に用事が有り、その帰り道、出石に立ち寄ってきました。
 出石城は、南北朝時代の武将山名時義が出石神社の北側、此隅山に此隅山城を築いたのが始まりです。長らく山名氏の本拠でしたが、1574年山名祐豊が現在の場所に有子山城を築き、本拠を移しました。しかし、毛利方についたため1580年秀吉の但馬征伐で落城し、山名氏は滅亡しました。その後1595年小出吉政が城主となり、1604年小出吉英が有子山城の山上の丸・天守が廃され山麓の郭及び館のみを出石城としました。同時に城下も整備され出石の街並みが整備されました。その後小出氏から松平氏、仙石氏と城主は代わっていきました。
 お城に着いたら、丁度お昼、腹ごしらえを終えて散策です。
 登城橋です、お城の前は河川公園として整備されています。
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 門をくぐり、最初の階段を登ると、右に西の丸、左に下の丸跡が有ります。下の丸は墓地のような感じがします。
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 さらに階段を上ると二の丸跡広場が、その上には二つの櫓がそびえたっています。
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 本丸の上には稲荷神社が有りました。参道は伏見稲荷の千本鳥居のような感じです、百本鳥居?数えてみると37本鳥居でしたwww
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 川沿いを歩いて、公園に戻ってきました。昔はここに役場が有ったようですその名残です。公園に面したショップですが定休日の様です、景観を守るため建物に規制がかけられています、このショップは、古い建物のまま外観だけをリニュアルしていました。
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 まだまだ、ウンザリするほど画像が有ります。この後、街歩きをしながら永楽館を訪ねました。



2020年01月02日

オッサンのDream Journey(在来線で関西から東京へ ワイドビューひだ)




 明けましておめでとうございます。



 新しいページを創りました。
 オッサンのブラリ一人旅では、実際に行ったところを紹介してきました。しかし、現在病気療養中で、近場でもなかなか出掛けることが出来ません。と言う事は、ネタも無くなります。
 という訳で、このページでは、国内を中心に、これから行ってみたい処や、挑戦したい旅を妄想しながら綴っていきたいと思います。そして、何とか病気を治してこの旅を実現したいと思います。
 当然、画像は少なくなり、広告の量は増えます。何とか役に立つ広告を掲載出来ればと思います。
 


 最初に思い浮かんだのが、東海道線の在来線(主に特急で)で東京へ行くことです。関西から東京に行くなら当然新幹線か飛行機となりますが、ゆっくりと駅弁を食べながらビールを飲みながら旅をしたいものです。とは言え中々思い通りにはいきそうにありません。
 東海道線と表現すると新幹線と混同してしまいますが、東海道本線の事をここでは言います。
 東海道線は、東京駅と神戸駅を結ぶ日本の動脈的路線です。神戸―米原間がJR西日本、米原―熱海間がJR東海、熱海―東京間がJR東日本の管轄となっています。
 新幹線開業までは、優等列車と呼ばれる特急・急行列車が数多く運行されていましたが、新幹線開業以降次第にその数は減っています。現在は、地域輸送中心の体制になっているようです。



 そんな、旅を計画してみましょう。
 東海道線の始発は、JR神戸駅です。時刻表を調べてみましたが、本数が少ない。神戸駅発の特急は9:36発のはまかぜが大阪止まりで1本のみとなっています。
 大阪駅発は、金沢行のサンダーバードは1時間に2本程度有るのですが、それ以外は東海道線の特急が有りません。唯一有ったのが、8:02大阪駅発、高山行のワイドビューひだ、だけでした。
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 と・言う事で、必然的に、ワイドビューひだに乗車することになります。朝が早いので朝食が駅弁と言う事になるかも知れません。駅弁を購入する場合は、大阪駅より新大阪駅から乗車する方が、駅弁の種類も多く良いのかも知れません。
 ワイドビューひだは、JR東海とJR西日本が東海道線・高山本線経由で運行する特急です。東海のワイドビュー車両キハ85系を使用しているためワイドビューひだ、と案内されています。
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 大阪駅発のワイドビューひだで岐阜駅まで行くことが出来ます。到着時刻が9:56ですので、10:12発名古屋行ワイドビューひだか10:26発名古屋行しらさぎ、で名古屋向かうか?岐阜で1度下車するのか?思案のしどころです。岐阜駅発名古屋行在来線特急はこの後も1時間に1・2本ありますが、岐阜―名古屋間の所要時間が特急で21分、快速でも22分ですので、特急に乗るメリットはありません。
 岐阜駅で下車した場合、その周辺を徘徊することになります。
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 岐阜駅周辺の観光となれば、思い浮かぶのがやはり、金華山と岐阜城その周辺施設となりますが、他にも観光スポットはあるようです。
 駅の隣には、「岐阜シティタワー43」があります。勿論43階建てです。中には飲食店や物販店が入っているそうです。更に、最上階の展望台は利用料が無料だそうです。他にも黄金の信長像、岐阜県美術館、金(こがね)神社、伊奈波神社、川原町の散策、などが有ります。
泊まるのなら長良川温泉も忘れずに・・・



2019年12月31日

オッサンのブラリ一人旅(播州一宮 庭田神社) 




 これは、2018年10月に他サイトで公開したものです。



 伊和神社から、帰路に付き走っていると、「日本酒発祥の地、庭田神社」という看板が目に飛び込んできました。早速立ち寄る事にします。
 庭田神社は、田んぼの真ん中に鎮座しています。童謡の村祭りの歌詞「メロディ村の鎮守の神様の〜♪」がぴったりと来るような神社です。
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 神社の前は駐車場になっており、数台の営業車両が休んでいました。
 早速、参拝へと向かいます。庭田神社は伊和神社の摂末社の一つです。造もよく似ています。
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 神門をくぐると境内が広がります。
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 庭田神社は、社伝では成務天皇の時代145年創建されたようです。のちに神功皇后のときに本殿など差殿が創られたそうです。御祭神は事代主命です。
 神社は、幕末に一度焼失し、明治4年再建され、明治7年村社になりました。そして明寺9年伊和神社の末社となりました。
 拝殿です。
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 社殿の創りは伊和神社にそっくりです。1968年の改築の時にこういった作りになったのでしょう(憶測ですが・・・。)
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 社殿の横を通って神社の裏に出ます。
 「播磨国風土記」によると、大国主命と天乃日槍が国土経営を争っていた頃、伊和の地で最後の交渉が行われました。交渉終了後この地で酒宴が行われたと言う事です。
 神社の裏には、「ぬくゐ川」と呼ばれる場所があり、そこから湧き出る泉で米を発酵させ酒を造ったと言う事です。それが日本酒発祥の地とされる由縁でしょうか?
 ここがぬくゐの泉(川)
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 風土記では、庭田神社のある地域は、庭音(にわと)村と言われていた様です。元は庭酒(にわき)と言います。
 伊和大神の食糧の米が濡れてカビが生えてしまい、それを醸造し庭酒(お神酒)として献上したと言う事です。そこで使われていた水がぬくゐの泉だったと言う事です。この記載により麹を使った酒を始めて作ったといわれています。



2019年12月30日

オッサンのブラリ一人旅(播州一宮 伊和神社U)




 これは、2018年9月に他サイトで公開したものです。



 改めて、正門から入っていきます。
 参道には多くの杉などが植えられています。以前紹介した蒼玉神社に参道の雰囲気が似ています。そういえば蒼玉神社も道を挟んだ向かいに道の駅が有りました。
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 神門を抜けつき当たりに手水舎が有ります。
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 左側に境内が広がります。
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 伊和神社は、言うまでもなく、播磨国の一宮とされる神社で、海神社・粒坐天照神社と共に播磨三大社の一つとされています。
 神社のある宍粟市一宮町は伊和神社が播州一宮で在る事から来ているそうです。
 本殿です。
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 伊和神社の主祭神は大己貴神(大国主)とされていますが、播磨国の神、伊和大神と同神と見られています。配神は少彦名神と下照姫神。
 創祀は546年とされています。成務天皇14年あるいは欽明天皇25年とされています。正暦2年(991年)播磨国一宮とされました。
 境内の左奥には、摂末社が並んでいます。
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 御霊殿は、伊和恒郷命を祭神とし旧神戸村や万国の戦死者を祀っています。
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 五柱社は、天照皇大神・宇賀魂神・国底立神・須佐之男神・猿田彦神を祀っています。
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 播磨十六郡神社は播磨の式内社です。反対側にも播磨国十六郡社は有ります。
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 本殿の裏に周ると、鶴石が有ります。伝承によると土地の豪族・伊和恒郷に大己貴神(大国主)が自分を祀るように告げました。西の野では一夜で木々が群生し、石(鶴石)の上で白鶴が二羽、北向きに眠っているのを見た恒郷はそこに伊和神社を北向きに建てたとされます。
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 前回紹介した、市杵嶋姫神社も伊和神社の摂末社の一つです。


2019年12月29日

オッサンのブラリ一人旅(播州一宮 伊和神社)




 これは、2018年9月に他サイトで公開したものです。



 今回は、播州地方に行ってみようと言う事で、3連休の初日に出掛けたのが、宍粟市一宮の伊和神社です。
 一宮と言うのは、前にも述べた通り明治以前、日本の中の各国(丹波国、播磨国、大和国等)で最も格式の高い神社を一宮と呼ばれていました。地域によっては一宮だけでなく二宮、三宮・・・と続く事も在るようです。
 という訳で、スマホのナビシステムを頼りに、やって来たのが伊和神社です。国道を挟んで神社の向側は道の駅一宮と神社の駐車場になっています。
 さて、参拝という処で門が2つ並んでいます。どちらから入れば良いのか?
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 スマホのナビシステムでは、未だ到着していないので、ナビに従って右側の鳥居の無い方から入っていきます。
 ナビに従って歩いていきます。どうやら車が入る事も可能だったようです。
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 ようやく、ナビのゴール地点に着きましたすぐ先には裏門が有ります。まずは裏門へ・・・。
 裏門です。
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 ナビのゴール地点に戻ります。
 右側に有ったのが、市杵嶋姫神社です。
 入っていくと堀に囲まれて祠が有ります。
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 祭神の市杵嶋姫命(いちきしまひめ)は、日本神話の宗像三女神の一柱で、弁財天とも同一視されることがあるそうです。神仏分離以前は弁財天だったそうです。
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 堀には、蛙の像や、鯉がいます。
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 市杵嶋姫神社の右隣には参道が続きます。どうやら裏門の様です。
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 参道を登りきると下に向かって、べんてんさま参道と記した碑が有りました。
 どうやら市杵嶋姫命は伊和神社にとって重要な神様の様です。
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 この後、改めて正門の方から参拝をします。


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