2020年04月30日
オッサンのブラリ一人旅(姫路城)
これは、2019年6月に他サイトで公開したものです。
平成最後の日、Twitterで後日姫路城をブログに公開すると呟いて1ヶ月以上が経ってしまいました。
かなり時間が建ってしまい、記憶が色あせてしまっています。
車を、お城から少し離れた駐車場に停めお城に向かいます。
姫路城に行こうと思ったのは、どうもオッサンの行くところは、あまり知られていないマイナーな神社や仏閣が多く偶にはメジャー処に行かねばと思い連休を利用して、行くことにしました。
大手前通りを通り、お城前にやって来ると、人力車が待機しています。お城の周りを案内するのでしょう。
道路を渡ると、大手門です。
大手門前の内堀に桜門橋が架かっています。発掘調査で出土した遺構を基に2007年復元されました。堀には船も浮かんでいます。
現在の大手門と呼ばれている門は、高麗門です。1938年に完成したものですが、位置や大きさは江戸時代のものとは全く異なっています。
大手門をくぐると、三の丸広場が広がります。そして、姫路城の姿が飛び込んできます。
三の丸広場を右手に、進んでいくと、入城口です。
入城口を通り、菱の門を抜けいの門に行くと、天守閣への順路です。
いの門からの天守です。
いの門に入ってみると、ご覧の行列です。待ち時間も1時間以上掛かると言う事でした。
此処は一旦諦めて、本丸を目指すことにします。
ぬの門を抜けたすぐ横には、明治、昭和、平成の鯱が展示されていました。
少し行くと、お菊井戸があります。播州皿屋敷のお菊さんが投げ込まれたとされる井戸です。
一般的には、番町皿屋敷と云われますが、関西、中でも兵庫県、特に姫路の人にとっては、播州皿屋敷が本家だと信じています。お菊さんの事は、3年前に紹介していますのでもう一度、ご覧下さい。
お菊井戸です。
りの門を過ぎると、こんな階段が有りました。此処から帯郭櫓に続くようですが、行き止まりになっていました。帯郭櫓は別名腹切り丸とも呼ばれていますが、建物の形状や薄暗い雰囲気から切腹を連想し、腹切り丸と呼ばれているという説があり、通常では城外に処刑場が有り、城内で処刑が行われることは考えにくいとされます。
いよいよ、備前丸(本丸)へやって来ました。
備前丸は元々池田輝政の御殿が有った所ですが、本田忠政が城主に就いた時に移されました。
備前丸からでも姫路市内を一望することが出来ます。
外国人観光客の親子が、着物姿で・・・
姫路城の石垣は扇の勾配と呼ばれ、石垣の上へ行くほど反り上がり、扇を広げた曲線に似ていることから扇の勾配と言われています。
この後、引き返し、西の丸を散策します。
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