2020年04月24日
オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 金谷宿〜島田宿)
金谷宿から大井川を越えて島田宿へ入ります。1里(約4.5Km)の道のりです。
島田宿、西の入り口ですが、川越遺跡町並が始まる川会所辺りかと思われます。
金谷宿と島田宿の間には、大井橋、朝顔の松公園、川会所、が有ります。
金谷宿を出て、大井川沿いを少し進むと、大井橋を渡ることになります。「箱根八里は馬でも越すが越すにこされぬ大井川」と歌われた川で東海道最大の難所です。江戸時代防衛上の理由で橋を架けるのを許さなかったそうです。
大井川を越えると、駿河国に入ります。橋を渡り街道に戻るため、県道342に入ります。
街道に戻ると、朝顔の松公園が有ります。浄瑠璃や歌舞伎伝説の松が生えているとの事で、公園に整備されている様です。朝顔の松の由来などは、いろんなサイトで紹介されています。向かいには、島田市博物館もあり、大井川屋島田宿の様子が展示されているそうです。
その先に川会所が復元されています。この建物は安政年間に建てられたもので、明治以降に一時移転されましたが、その後元の位置に復元されたとの事です。川越業務の管理運営を行っていた処で、国の指定史跡だそうです。
いよいよ島田宿です。江戸から23番目の宿場で、大井川の左岸に有るため、右岸に有る金谷宿同様、大井川の増水で川越が禁止されると大そうな賑わいを見せたという事です。
その島田宿には、川越遺跡町並み、関川庵、大井神社、問屋場跡、刀匠顕彰碑、島田一里塚、
川会から川越遺跡町並に入ります。遺跡は1970年に復元されたものです。普通の民家と混同している様ですが昔の雰囲気が現れているそうです。
途中、関川庵の標柱が有り街道を逸れると、浄瑠璃や歌舞伎で有名な「八百屋お七」の、お七の恋人の墓が有るそうです。
関川庵から暫く行くと、大井神社鳥居が有り、その奥は大井神社です。創建不詳ですが貞観年間には存在していた様です。祭神は彌都波能売神、波邇夜須比売神、天照大神という事で、安産や女性、子供の神様として信仰されているそうで、神社の帯祭りは日本三大奇祭の一つとの事です。
大井神社の先には問屋場跡と刀匠顕彰碑が有ります。共に碑だけですがこの辺りは室町時代から多くの刀工が軒を連ね今川、武田、徳川氏から評価されていたとの事です。
問屋場跡を過ぎると、島田一里塚です碑のみですが、先には島田宿の道標が有りこの辺りが江戸からの入り口になる様です。
島田宿の美味しい物ですが、和菓子になります。小饅頭というお饅頭で皮に特徴があるそうです。米麴を使った皮でお酒に似た香りでふっくらしているそうです。臭いはお酒でも、アルコールは無くなっているそうです。
この後、藤枝宿2里八丁(約10.6Km)を目指します。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9799369
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック