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2020年03月31日

オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 新居宿〜舞阪宿)




 新居宿から舞阪宿へ向かいます。江戸時代は、渡し船で一里の距離でしたが、現在は、陸路で約6.6Kmの道のりになります。



 舞阪宿の、西の入り口は北雁木常夜燈辺りかとおもわれます。
 新居宿と舞阪宿の間には、西浜名橋、中浜名橋、弁天神社、が有ります。



 西浜名橋、中浜名橋、弁天橋は浜名湖を渡る橋です。浜名湖は元々、淡水湖で、新居と舞阪も陸続きで、海面より湖面が高く海水が流れ込むことは有りませんでした。しかし、明応地震の地盤沈下で、海水が流れ込むようになり、宝永地震の津波などで、湖と海を隔てていた陸地が決壊し汽水湖となりました。決壊した場所を今切と呼ばれるようになったとの事です。江戸時代以前は渡し船で、渡っており今切の渡しと言われていました。現在は三つの橋によって陸路で行き来出来るようになっています。
 新居宿を出て、国道203号をしばらく進むと西浜名橋、を渡ることになります。西浜名橋から少し進み中浜名橋を渡ると弁天神社に差し掛かります。
 弁天島にある弁天神社ですが、昔弁天島は砂洲が続き天橋立の様な景色だったそうで、その美しさに誘われ天女が舞い降りたという天女伝説が残っている処です。橋立の丹後地方にも天女伝説が有りますが、丹後地方の話が元になっているのでしょうか?宝永地震の跡ここに弁天神社が建立されたとの事です。境内には正岡子規、茅原崋山、松島十湖の文学碑も有ります。弁天神社の先には弁天橋が有り、渡ると間もなく、舞阪宿に入ります。
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 舞阪宿は、江戸から30番目の宿場で、今切の渡しが控える宿場と言う事から新居宿同様、重要視されていました。
 舞阪宿の中には、北雁木跡、本雁木跡、南雁木跡、西町常夜燈、旧脇本陣茗荷屋、舞阪本陣跡、仲町常夜燈、舞阪一里塚、新町秋葉常夜燈、見附石垣など、沢山の史跡が有ります。



 弁天橋を渡り間もなく、北雁木跡があります。雁木(がんぎ、地元ではがんげ)とは階段状の船着き場を言うそうです。北雁木では、大名や幕府公用役人が使っていました。近くには北雁木常夜燈も有ります。復元されているのは、この北雁木だけとの事です。
 北雁木の先に、本雁木跡と本雁木常夜燈が有ります。本雁木では、一般の武家や庶民が使用していたという事です。
 街道を離れ南に行くと、南雁木です、ここは荷物用ですが庶民も利用していた様です。
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 街道に戻ると西町常夜燈に差し掛かります。この常夜燈は文化年間舞阪宿に大火事が有り、その復興を願って建てられたものだそうです。
 その先に、旧脇本陣茗荷屋がります。脇本陣茗荷屋の建物は天保年間に建てられたものを修復・復元したもので、現在一般公開されているそうです。その向かいには本陣跡の碑が立っています。
 脇本陣、本陣、を過ぎて少し行くと仲町常夜燈が、その先にも新町秋葉常夜燈が有ります。舞阪宿には結構常夜燈があります、文化年間の大火事で火防せ、や秋葉信仰が高まり常夜燈が設けられたという事です。秋葉常夜燈の側には舞阪一里塚とその碑もあります。
 秋葉常夜燈を過ぎると見付石垣に差し掛かります。どうやら、此処が東の入り口の様です。



 さて、舞阪宿で頂かなければならない物は?やはり、鰻となりますが、舞阪は漁師街でもあります。冬の牡蠣や、秋の真鯛、活きた車海老をそのまま揚げた「活き車海老天丼」などがおすすめだそうです。
 この先は、浜松宿になります。道のりは二里三十丁(約12.1Km)になります。




2020年03月29日

オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 白須賀宿〜新居宿)




 新居宿を目指す旅です。距離は一里二十四丁(約4.8Km)となっています。



 新居宿の、西の入り口は棒鼻跡の辺りの様です。白須賀宿と新居宿の間には明治天皇御野立所阯、立場跡、浜名の松並木、紅葉寺、橋本宿跡、風炉の井などの史跡が有ります。
 白須賀宿を出て暫く行く明治天皇御野立所阯が有ります。明治元年東京へ行幸した明治天皇が休憩した所だそうです。柵に囲まれて石碑が有るとの事です。その先に立場跡が有り碑だけが建っている様です。
 立場を過ぎると直ぐに、浜名の松並木が続いています。松並木の途中には、「藤原為家と阿仏尼の歌碑」も建っています。
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 松並木が終わった辺りに紅葉寺が有ります。室町六代将軍足利義教がこの寺で紅葉を観た事から紅葉寺と言うそうです。現在寺は、参道だけが残っているそうです。
 紅葉寺から少し行くと、橋本宿になります。民家の前に碑が有り、辺りは街並みが残っているとの事です。橋本宿は新居宿の加宿でした。
 橋本宿から少し行くと、風炉の井です。源頼朝が上洛の際、この井戸水を茶の湯に使ったと言われています。その先は棒鼻跡、新居宿になります。



 江戸から31番目の宿場、新居宿です。平安から中世までは橋本宿が繁栄していたとの事ですが、室町時代の明応地震とその津波で壊滅、新居地区に移転し新居宿となりました。その後も、元禄年間に高潮と津波、宝永年間には宝永地震とその津波に見舞われています。
 新居宿には、棒鼻跡、新居一里塚、寄馬跡、本陣跡、紀伊国屋、新居関、渡船場などの史跡が有ります。



 棒鼻跡の棒鼻は駕籠の棒先の事で、大名行列が宿場に入るとき棒先で先頭を整えた場所と言われていますが、実際には道の両側から土塁が出て道幅が狭く一度に大人数が通れない様にしたものらしいです。碑のみが立っているそうです。棒鼻跡の近くに新居一里塚の碑が立っています。
 少し行くと、寄馬跡と本陣跡に差し掛かります。碑があるだけなのですが本陣は三軒有り、疋田八郎兵衛本陣跡、飯田武平衛本陣跡、疋田弥五郎本陣跡とそれぞれの碑が立っているそうです。
 本陣跡を過ぎると、旅籠紀伊国屋が有ります。徳川御三家、紀州藩の御用宿を務めた事から紀伊国屋の屋号を掲げる事を許されたとの事です。現在は資料館になっています。
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 その先に、新居関と渡船場が有ります。新居関は家康が新居の元屋敷に創設したのが始まりらしいのですが度重なる災害で、移転が繰り返され、元禄年間に現在の場所に置かれたそうです。創設当初は、今切関所と呼ばれていたとの事です。現在関所は修復され資料館として公開されています。
 江戸時代、新居宿・舞阪宿間は船で行き来していたようで、その渡船場が関所の前に復元されて有るという事です。



 新居宿で美味しいものは、浜名湖畔にある新居宿ですから鰻が先ず思い浮かびますが、どうも湖西市は和菓子が有名な様です。一つが「すわま(すあま)」で、上新粉に砂糖と湯を練り合わせ軽く搗き餅状にした和菓子で、桃の節句の頃新居で売られるそうです。もう一つ、「はまぐり」と言う栗が丸ごと一つ入ったどら焼きが有名だそうです。



 新井宿の次は舞阪宿に向かいます。一里(約6.6Km)の距離ですが一里と言うのは海上での距離だそうです。



2020年03月28日

オッサンのブラリ一人旅(今田町陶の郷の桜)




 これは、2019年4月に他サイトで公開したものです。



 今年の桜は息が長いです。週半ばの雨が花散らしになるであろうと言われていましたが、週末も咲き誇っています。
 阪神競馬場では未だに満開に近い状態だそうです。
 陶の郷の桜も、1週間前にスマホで取ったのですが、どうやら今が丁度見頃の様です。
 三田方面から、今田町陶の郷に差し掛かった辺りの桜です。
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 これでも満開には程遠い状態でした。
 手前から、陶の郷に向かう坂道が有ります。小さな川があり、その川沿いの桜です。
 満開なら絶景?
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 陶の郷に到着です。
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 陶の郷は立杭焼をテーマにした総合文化施設です。正式には丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷となります。
 この時は、見頃には未だ先と言う状態でした。多分今が見頃なのでしょう。
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 窯元が立ち並ぶ地域にもいい桜が在るようです。
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 この辺りは一本桜が何本か有りました。畑の中にあった一本桜です。
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 一本桜から、陶の郷を観ると満開か?と勘違いしてしまいます。
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 この辺りには、陶器祭りによく来ますが桜を見に来たのは初めてでした。


2020年03月27日

オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 二川宿〜白須賀宿)




 二川宿から白須賀宿を目指します。距離にして二里十六町(約8.1Km)の道のりです。



 県境を越えると、間もなく白須賀宿西の入り口にあたる高札場立場跡です。二川宿と白須賀宿の間の史跡は細谷一里塚があるだけです。



 細谷一里塚は、二川宿を出て暫く行かなければなりません。豊橋には、4つの一里塚が有り細谷一里塚だけが現存する一里塚との事です。地元では一里山一里塚と言うそうです。この一里塚の手前で、冬場の天気の良い日には富士山を観ることが出来るらしいです。
 細谷一里塚から少し行くと、いよいよ静岡県遠江国に入ります。間もなく、白須賀宿です。
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 白須賀宿は江戸から32番目の宿場で、県境を越えた辺りは境宿と呼ばれたようで柏餅が有名で白須賀名物だったらしいです。
 この宿場は、1707年宝永地震とその津波で大きな被害を受け、現在の位置に移りました。
 白須賀宿には、高札場立場跡、庚申堂、火防樹、脇本陣跡、本陣跡、曲尺手、潮見坂公園、おんやど白須賀、潮見坂、蔵法寺、高札場跡などの史跡が有ります。境宿も白須賀宿の1部になります。



 高札場立場跡は碑だけが立っている様です。庚申堂は1681年建立されましたが、現在のものは1841年再建されたものだそうです。境内には庚申信仰の三猿(見ざる聞かざる言わざる)像が有ります。
 庚申堂の先に、火防樹という槇が建っています。高台に移転した白須賀宿ですが、今度は強い西風により大火が起こりやすくなりました。その延焼を食い止める為に設けられたそうです。
 火防樹を過ぎると脇本陣跡、本陣跡、に差し掛かりますがこの2つは碑のみの様です。少し行くと、曲尺手が有ります。軍事目的以外にも格の低い大名が近くの寺で休憩を装い格上の大名をやり過ごしていたとの事です。



 この先、潮見坂公園の少し手前から格子戸が有る古民家が立ち並んでいる様で、城下町の風情が味わえそうです。
 潮見坂公園は織田信長が武田勝頼を滅ぼし尾張に戻る際、ここで家康にもてなされたという事です。大正時代に公園として整備されたそうですが、現在は碑だけになっています。
 どうやら、潮見坂公園の辺りから坂道になっているようです。そうです坂の頂上に、おんやど白須賀が有ります。おんやどと言うネーミングから、ホテルか旅館と勘違いしそうですが、歴史資料館の様です。休憩所も兼ねています。
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 おんやど白須賀の辺りが潮見坂になります。江戸時代には街道一の景勝地で、西国から江戸に向かう時は、最初に太平洋が見える所だったそうです。
 潮見坂を下り少し行ったところから街道を逸れると蔵法寺です。本尊は海から引き揚げられた潮見観音との言い伝えです。遠州灘を行き交う船は帆を下げ観音様の名前を念じて通ったそうです。
 街道に戻り少し行くと、高札場跡になります。碑しか有りませんが、側には、白須賀一里塚の碑も立っています。



 白須賀宿で食さなければいけない物は…と考えると、やはり柏餅です。秀吉が小田原攻めに出兵の際、境宿で休憩し名物の柏餅を「かちわ餅」と聞き間違え縁起が良いと言う言い伝えがあるそうで、春にその、勝和餅を再現し売られているとの事です。
 次回は、白須賀宿から新居宿に向かいます。一里二十四丁(約4.8Km)の道のりです。



2020年03月26日

オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 吉田宿〜二川宿)




 吉田宿から二川宿へと向かいます。道のりは一里二十町(約7.8Km)です。



 吉田宿と二川宿の間には、秋葉山常夜燈、壽泉禅寺、飯村一里塚、岩屋観音、火打坂、などが有ります。二川宿の京都側入り口は二川駅当たりの様です。



 吉田宿を出ると、直ぐに秋葉山常夜燈が有ります。そのまま進むと、壽泉禅寺に差し掛かります延命地蔵尊が祀られているようで、境内には三重塔が建立されているそうです。
 壽泉禅寺から少し行くと、飯村一里塚を通ります江戸から73里目の一里塚です。飯村と書いて「いむれ」と読むそうです。
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 飯村一里塚を過ぎると、火打坂に差し掛かります。火打坂には北縁の上道と南縁の下道が有るとの事です。下道を通ると、岩屋観音が有ります。山の上に観音像が祀られており、聖観音像で、青銅で作られているそうです。この観音像は昭和25年に再興されたもので、前の観音像は戦争で供出されたとの事です。
 火打坂の下道を行くと、東海道本線と並行して進むことになります。すぐに、JR二川駅に到着しますが、この辺りが西の入り口になるようです。



 江戸から33番目の宿場である二川宿は、東海道設定時から二川村と大岩村の2村で宿場として構成されていましたが、両村の間隔が離れていた為、大岩村は町となり旅籠は設置されなかったという事です。
 宿場内位には、立場茶屋、大岩明神社、西問屋場、高札場跡、二川宿本陣、二川一里塚、などの史跡が有ります。
 二川駅から直ぐの所に、立場茶屋跡があり、その先に大岩明神社が有ります。文武天皇の時代に岩屋山の南に建てられたのが、宿場が出来た時にこの地に移って来たという言い伝えです。
 更に街道を進むと西問屋場、高札場の碑が設置されています。そこを過ぎると二川宿本陣です。旧東海道で草津宿と共に現存する本陣の一つで、現在は修復され資料館として一般公開されているそうです。
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 少し進み、東海道本線と新幹線が分岐する辺りに二川一里塚が有りこの辺りが東の入り口となるようです。



 二川宿での旨いモンはないのか?調べてみると、街道沿いに旧町家を模した建物の和菓子屋さんが有るらしく麩饅頭が美味しいとの口コミです。
 さて、二川宿を後にするといよいよ静岡県に入ります。白須賀宿二里十六町(約8.1Km)を目指します。



2020年03月24日

オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 御油宿〜吉田宿)




 昔の人はエライ!の再開です。



 再開最初は、御油宿から吉田宿に向かいます。二里二十二丁(12.7Km)の道のりです。
 御油宿を出発し、御油橋を渡ると御油宿とはお別れです。



 御油宿と吉田宿の西入り口、西惣門の間には本坂越え追分、御油一里塚、伊奈一理里塚、伊奈立場茶屋跡、菟足神社、子だか橋碑、瓜郷遺跡、下地一里塚、聖眼寺、の史跡が点在します。
 御油宿を出発して直ぐ、本坂越え追分が有ります。此処は東海道と姫街道の分岐点で秋葉常夜燈、秋葉三尺坊道標、砥鹿神社鳳来寺道標、姫街道道標などが設置されているそうです。姫街道は見附宿に通じる新居関の取り調べが女性に厳しかったらしく、それを嫌い、気質関を通る道を選び、姫街道と呼ばれるようになったとの事ですが、正式名称は本坂道といいます。本坂越え追分の先に御油一里塚が有ります。江戸より七十六里の地点になります。
 御油一里塚から暫く進むと、伊奈一里塚が有ります。江戸か七十五里の一里塚です。近くには、伊奈立場茶屋があり、標柱の後ろには芭蕉と門人加藤鳥巣の句碑が有るとの事です。茶屋では良香散という腹薬が売られ有名だったとの事です。
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 伊奈一里塚を過ぎると、菟足神社と近くに子だか橋が有り、子だか橋には生贄の伝説が有り菟足神社の大祭の日に生贄をささげるものだったらしいです。
 子だか橋から暫く行くと、聖眼寺に着きます。子だか橋と聖眼寺の中間に、瓜郷遺跡が有り、弥生時代のものが多く出土しています。聖眼寺の手前にも下地一里塚が有ります。聖眼寺には松葉塚という芭蕉の句碑が有ります。



 聖眼寺を過ぎ、豊川を越えると間もなく吉田宿の入り口西惣門です。
 吉田宿は、江戸から数えると34番目の宿場で東海道が設定された当初からの宿場です。街並みは二十三町三十間とかなり大きな宿場だったようです。又、吉田宿は城下町と湊町の一面も併せ持った宿場でもあります。
 その吉田宿には西惣門、本陣跡、問屋場、東惣門、などが有り、街道沿いには豊橋公園が有り、吉田城も建っています。
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 西惣門の手前、湊町神明社の境内に芭蕉の句碑が有り、御油・吉田間には、芭蕉の句が結構ありそうです。
 西惣門の近くに、本陣跡碑が有り、本陣は二軒脇本陣が一軒有ります。本陣跡を過ぎると、問屋場跡の標柱が有るとの事です。そのまま街道を進むと、東の入り口東惣門に到着します。



 吉田宿で、頂かなければいけない物は無いか?調べてみると豊橋カレーうどんと言うものが有りました。ご飯の上にとろろを掛け、その上にカレーうどんを盛り付けうずらの卵を盛り付けた物らしいのですが、かなりボリュームが有りそうです。他に、菜飯田楽というのが有る様で、菊宗という処で本陣跡の直ぐ近くにあるそうです。
 さて、次の宿場は二川宿です。一里二十町(約7.8Km)の道のりになります。



2020年03月23日

オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 長明寺)




 この記事は、2016年4月に他サイトで公開したものです。



 駅桜の途中、長明寺に立ち寄りました。此処も桜の名所と言う事で立ち寄ったのですが…国道175号線板波橋交差点を東に入ったところにあります。
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 参道を上ると、仁王門が出迎えます。いつも、仁王像の画像は暗かったり、障害物が在ったりでうまく撮れませんが、今回は結構きれいに撮れました。
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 仁王門をくぐると、桜の向こうに参道が続きます。駐車場にも鮮やかな桜が仁王門の隣から車で奥の駐車場へ行くことが出来ます。
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 参道沿いには別のお寺もあります。高野山真言宗の宝光寺です。
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 平和の塔はビルマ(ミャンマー)から送られたそうです。
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 長明寺は651年法道仙人によって開基されたとされます。本堂には十一面観音像、朱塗り撫仏が祀られています。この他の情報としては、源頼政ゆかりの寺としか分かりません。建立がいつ頃で。現在の所にはいつ頃からあるのかと言うよう様な情報がネットでも調べることが出来ませんでした。一応高野山真言宗のお寺の様です。
 長明寺に着きました。山門をくぐると、境内には桜が・・・
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 本堂です、残念ながらご本尊は観ることは出来ませんでした。
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 頼政公が歌った歌碑です。武将として有名だった頼政ですが、歌人としても有名で新古今和歌集にも歌が残っています。
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 源頼政には鵺退治の伝説もあります。この伝説は平家物語にも記されています。
 鵺退治の様子をモニュメントにされていました。
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 折角由緒あるお寺です。源頼政のゆかりの寺としての紹介だけでなく、長明寺自体の紹介をもっとするべきではないでしょうか?説明看板ももう少しあればいいのかな?と思います。但し、看板設置によって、有料にならないように願います。
 この他にも西脇市内には由緒あるお寺が在るようですが、あまり紹介されていません。お寺の名前だけであったり、紹介自体も極めて簡単だったりします。観光協会はもう少しアピールに力を入れても良いのではないでしょうか?



2020年03月22日

オッサンのブラリ一人旅(加古川線、駅桜)




 これは、2016年4月と2019年4月に他サイトで公開したものです。



 田舎の駅なら、駅舎と桜のコントラストが楽しめるのではないか?と言う事で加古川線の谷川〜西脇市間を走ってきました。



 加古川線は、JR谷川と加古川を結ぶローカル線で、1両編成で走る単線の路線です。特に谷川・西脇市間は本数も少なく上り、下りとも2時間に1本程度と言う有様です。特に登りは、3時間以上電車が無い時間帯もあります。そんな加古川線、もちろん電車に乗るのは大変ですので、車で回り駅の桜を見て回りました。
 谷川から見て回りましたが、あいにく谷川駅と次の久下村駅には桜が無くスルーしました。
 そして、やって来たのが船町口です。この駅から西脇市に入ります。本当に小さな駅でウッカリすると見落としてしまいそうです。そんな小さな駅ですが桜がありました。駅と桜です。
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 本黒田駅も桜がきれいな駅でした。桜が、ホームの反対側に植わっています。ホームのベンチに腰掛けてお弁当を広げたい気分です。
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 黒田庄駅です。残念ながら桜は1本しかありません。谷川・西脇市間でも乗降客の多い駅です。駅の中には喫茶店も有ります。
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 比延駅も本黒田に負けないくらいの桜です。電車と遭遇することが出来れば善かったのですが、本数が少ないもので、電車を待つわけにはいきません。
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 比延駅の近くにはこんな1本桜が有ります。夫婦桜と言うそうです。昔の屋敷跡にある桜で、ママ友達がお弁当を広げていました。そういえば、平日とはいえ、三田は花見客が多かったのですが西脇では花見をしている人を見たのは初めてです。
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 隣の日本へそ公園駅には桜は有りませんでした。西脇市内中心街に近付くと新西脇駅が有ります。そんなに立派な桜ではないのですが、癒されます。
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 この後、長明寺に立ち寄った後、西脇市駅にやって来ました。昔は野村駅と呼ばれていました。西脇市駅と桜です。
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 この後郷瀬一本桜を観ようと県道346号を入っていると杉原川沿いに一本桜がこれか?
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 それにしては、迫力がない…、川沿いを逆に走らすと、有りました。真っ青に生い茂った巨木が、郷瀬一本桜です。西脇では一番早い桜だそうで、すでに葉桜になっていました。
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 ローカル線の小さな駅は最近、プレハブのような個性のない駅が多いのですが、加古川線の駅は小さくてもそれぞれ個性がある駅でした。しかし、老朽化して行くとやはりプレハブの個性のない駅になっていくのでしょうね。


2020年03月20日

オッサンのブラリ一人旅(福知山線駅桜)




 これは、2019年4月に他サイトで公開したものです。



 田舎の駅には、桜が良く似合います。学校と桜と言うのも良く似合いますが、今年は福知山線の駅桜を観て回ろうと思いました。



 福知山駅には桜が無いのが分かっていますので、丹波竹田駅から観て行こうと思いました。しかし、丹波竹田駅と隣の市島駅には桜がありませんでした。駅の近くには有るのですが、駅桜とは言えません。仕方なく次の黒井駅へ・・・
 黒井(くろい)駅にやって来ました。有りました。桜が・・・
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 改札を入ると、反対側のホームの外側、両端に桜が咲いています。
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 大阪方面の桜です。
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 福知山線は1893年、大阪から福知山を経由して舞鶴を結ぶ阪鶴鉄道として開業されました。黒井駅は1899年開業しています。その後1907年国有化により阪鶴線となります。そして、1912年福知山から南の路線が福知山線となりました。
 黒井駅の駅前には、小さな川が流れています。その川沿いには桜並木が植えられています。
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 川を覆い隠すように桜が咲いています。
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 次にやっていたのは石生(いそう)駅です、地元の人は「いそ」と発音しているようです。
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 駅前では桜が確認出来ませんでしたが、入ってみると西側に桜が咲いています。
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 石生駅も、黒井駅と同じ歴史をたどっていますが、1995年西口が完成し、駅自体の機能は西口に移りました。今回入ったのは、東口から駅に入りました。
 連絡橋からの景色です。
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 西側のホームからも撮ってみました。
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 3つ目は、柏原(かいばら)駅です。
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 先ず、駅舎の横に桜が咲いています。
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 柏原駅は有人駅です。小心者のオッサンは、改札を通るのが憚られ、駅の外からの撮影になりました。
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 柏原駅は黒井駅や石生駅よりも一足先に開業しました。阪鶴鉄道が篠山から延伸した時に一旦柏原駅が終点として開業しましたが、数か月後福知山迄延びたことで途中駅となりました。その後は黒井駅や石生駅と同じ歴史を歩むことになります。現在の駅舎は1990年の大阪花博で使われていた「山の駅」を1991年移設したものです。
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 次の谷川駅には桜が無く、その先の下滝(しもたき)駅にやって来ました。下滝駅は阪鶴鉄道が柏原迄延びた時、柏原駅と同時に開業しました。その後は、他の駅と同じ歴史をたどります。
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 駅前にも桜が咲いていたのですが、先ずは改札を入ってみます。
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 連絡橋を渡ると丁度電車が通過します。
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 ここの桜はホームに植わっていました。
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 篠山川の桜も見頃を迎えていました。
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2020年03月19日

オッサンのブラリ一人旅(川代公園)




 現在、関東、東京、神奈川、埼玉と四国愛媛、高知で桜が開花しています。オッサンの住んでいる地域でも桜が咲く前に、過去に他サイトで公開した桜スポットを紹介しようと思います。近くの方はお花見の参考になればと思います。



 これは2016年4月に他サイトで公開したものです。



 家の近所も桜が咲き始め、週末辺りは見頃を迎えるのではないか?と思っています。
 先週は、週明けから桜が咲きだし、週の半ばには満開じゃないの?と思うくらいの咲き方です。満開は、今週の中頃との報道ですが、散ってしまわないうちにと思い、週末、出かけてきました。
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 川代公園です。丹波市と、篠山市の境に在る川代渓谷を整備した公園です。篠山川は篠山盆地から加古川へ流れ込む1級河川です。渓谷の上流と下流で、丹波竜の化石が発見されたそうです。
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 対岸に渡る吊り橋です。
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 対岸ではバーベキューをしている家族連れも。対岸の桜です。
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 桜をバックにした吊り橋と、桜の向こうに福知山線が…
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 川代渓谷の流れです。渓谷を観るのは結構好きです。
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 駐車場へ戻ろうとしたら、こんな物が…何かの神社かと思うのですが、祠も何もありません。
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 車で走っていても、こんな景色が、小さな桜のトンネルのようです。
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 車で走っていても、こんな景色が、小さな桜のトンネルのようです。



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笑遊亭丹昌
 他サイトでもブログを投稿していますが、ファンブログにやって来ました。  ここでは、旅に関することを投稿して行きたいと思います。
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