2020年03月26日
オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 吉田宿〜二川宿)
吉田宿から二川宿へと向かいます。道のりは一里二十町(約7.8Km)です。
吉田宿と二川宿の間には、秋葉山常夜燈、壽泉禅寺、飯村一里塚、岩屋観音、火打坂、などが有ります。二川宿の京都側入り口は二川駅当たりの様です。
吉田宿を出ると、直ぐに秋葉山常夜燈が有ります。そのまま進むと、壽泉禅寺に差し掛かります延命地蔵尊が祀られているようで、境内には三重塔が建立されているそうです。
壽泉禅寺から少し行くと、飯村一里塚を通ります江戸から73里目の一里塚です。飯村と書いて「いむれ」と読むそうです。
飯村一里塚を過ぎると、火打坂に差し掛かります。火打坂には北縁の上道と南縁の下道が有るとの事です。下道を通ると、岩屋観音が有ります。山の上に観音像が祀られており、聖観音像で、青銅で作られているそうです。この観音像は昭和25年に再興されたもので、前の観音像は戦争で供出されたとの事です。
火打坂の下道を行くと、東海道本線と並行して進むことになります。すぐに、JR二川駅に到着しますが、この辺りが西の入り口になるようです。
江戸から33番目の宿場である二川宿は、東海道設定時から二川村と大岩村の2村で宿場として構成されていましたが、両村の間隔が離れていた為、大岩村は町となり旅籠は設置されなかったという事です。
宿場内位には、立場茶屋、大岩明神社、西問屋場、高札場跡、二川宿本陣、二川一里塚、などの史跡が有ります。
二川駅から直ぐの所に、立場茶屋跡があり、その先に大岩明神社が有ります。文武天皇の時代に岩屋山の南に建てられたのが、宿場が出来た時にこの地に移って来たという言い伝えです。
更に街道を進むと西問屋場、高札場の碑が設置されています。そこを過ぎると二川宿本陣です。旧東海道で草津宿と共に現存する本陣の一つで、現在は修復され資料館として一般公開されているそうです。
少し進み、東海道本線と新幹線が分岐する辺りに二川一里塚が有りこの辺りが東の入り口となるようです。
二川宿での旨いモンはないのか?調べてみると、街道沿いに旧町家を模した建物の和菓子屋さんが有るらしく麩饅頭が美味しいとの口コミです。
さて、二川宿を後にするといよいよ静岡県に入ります。白須賀宿二里十六町(約8.1Km)を目指します。
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