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2019年12月16日

オッサンのブラリ一人旅(丹波もみじめぐり 石金山 小新屋観音)




 慧日寺を後にして、やって来たのが小新屋観音です。
 こちらの紅葉は、終わりとは言いながら、まだまだ見頃です。
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 石段を上がると本堂が有ります。
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 小新屋観音は、1510年岩尾城の城主和田日向守斉頼が、千手観音が石船に乗り石金山から麓に下り立つ夢から、本堂を建立し、厚く崇拝したとの事です。
 本堂には御本尊の十一面千手観音と両脇に不動明王と毘沙門天が安置され、33年に一度開帳されるそうです。
 本堂です。
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 十一面千手観音が石金山を降りた時に乗っていたとされる石船が祀られています。
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 こちらは、いぼの神です。
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 耳の神です。
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 境内ではお茶がふるまわれていました。地域のボランティアの方がやっておられる様でした。
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 御朱印はどこで頂けるのか?訪ねると、本堂の脇にすでに書かれた御朱印が有るとの事でした。
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 帰路途中、参道には小さな祠が至る処に有りました。
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 帰りは参道の紅葉を楽しみながら車に戻りました。
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 小さなお寺です、文も短い記事になりました。


2019年12月15日

オッサンのブラリ一人旅(丹波もみじめぐり 萬松山慧日寺)




 円通寺、岩瀧寺の翌日、は慧日寺と小新屋観音と回りました。土曜日と言う事もあり人込みを避けてのことです。



 先ずは、慧日寺にやって来ました。中の横から参道が通っています。参道は針葉樹の並木道になっています。
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 山門にやって来ました。
 桁行14尺、梁間11尺の四脚門の山門は東向きに立ち、円柱の親柱、控柱は木製礎盤の上に建ちます。骨格は16世紀の物が残っていますが、後世大きな改修を受けていると伝えられています。上部には萬松山とあります。
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 山門をくぐると正面に仏殿が有ります。
 この仏殿はほぼ完全な禅宗様式の建物で、県内ではまれだそうで、江戸元禄時代に再建上棟されました。
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 仏殿に入ると中央に釈迦三尊像が安置されています。室町時代のものらしいのですが、どうやらこれが本尊の様です。
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 天井の龍は、内陣が鏡天井になっており、竜の絵は古礀の作と云われています。
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 山門と仏殿の間に千体地蔵堂があります。中は当然お地蔵様が千体?
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 仏門の横には終わりかけの紅葉が咲いていました。
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 経蔵と鐘楼です。
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 境内にも紅葉が植わっていました。
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 慧日寺は1375年細川頼之が創建し、特峯禅師開山された臨済宗の寺院です。本尊は釈迦牟尼と言う事です。
 一時は、丹波禅寺の中心として栄えましたが、明智光秀の丹波攻めや火災が度重なり創建当時の面影はなくなったとの事です。
 本堂(万丈)です。江戸時代後期の建物で、茅葺入母屋造になっています。
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 本堂に入ります。御本尊が有ると思ったのですが、そこには仏様はいませんでした。
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 本堂から渡り廊下を通って仏殿に行き来できます。
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 渡り廊下からの景色です。
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 仏殿の反対側には、お寺の美術品が展示されていました。
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 本堂裏庭のもみじです。
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 この後、寺務所で御朱印を頂きます。紅葉の事を聞くと来るのが1週間遅いと言われました。1週間前なら見頃だったそうです。この辺りは丹波市でも南部の方なので紅葉も遅いのか?と思っていましたが、慧日寺の紅葉は終わりに向かっていました。
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 この後小新屋観音へ向かう途中の山です、山は良い具合の色になっています。
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2019年12月13日

オッサンのブラリ一人旅(丹波もみじめぐり 無動山((不動山))岩瀧寺)




 円通寺に続いてやって来たのは、岩瀧寺です。
 入山料を払って駐車場へ向かいます。駐車場までの道でもう紅葉が迎えてくれます。
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 岩瀧寺は渓谷を挟んだ対岸にあります。岩瀧寺渓谷と云います。
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 橋を渡って参道を登っていきます。
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 参道からの紅葉です。
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 山門にやって来ました。丹波古刹八番霊場となっています、大正天皇即位の時に記念して建てられたもので大正門とも云います。上部は鐘楼になっています。
 この山門は映画「源氏物語 千年の謎」の撮影に使われたそうです。
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 境内から下の道を望みます。
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 岩瀧寺は弘仁年間(809〜823)開創された真言宗大覚寺派の寺院です。嵯峨天皇が弘法大師に命じ七堂伽藍を建てたということです。本尊は不動明王で弘法大師の作らしいです。
 明智光秀の丹波攻めで全山焼失し詳しい資料は殆ど残っていないとの事です。寺は慶長年間に再興されたとの事です。



 茅葺の本堂に本尊が有る訳でなく、本堂には、観音菩薩像と愛染明王が祀られています。残念ながら本堂の画像を撮影していませんでした。
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 庚申堂と観音堂(大師堂)です。庚申堂には青面金剛が、観音堂には四国八十八個所の本尊が祀られています。
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 観音堂の裏に周ると、四国八十八ヶ寺の本尊仏が並んでいました。
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 もう一度対岸に出ると、奥に続く道が有ります。5年前の災害復旧工事が未だ続いています。その為フェンスが設置されていますが、基に戻せば通行できます、どうやら害獣対策のフェンスの様です。
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 奥へ進んでいくと、滝があります。独鈷の滝と言って、夏から秋にかけての観光名所になっています。現在は災害の影響から復旧工事中で水も濁ったままです。
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 滝から先は険しい遊歩道が続きます。やっとの思いで登りきると、行者堂と不動尊拝殿が有ります。
 行者堂には役行者(神変大菩薩)が祀られています。役行者(神変大菩薩)は飛鳥時代の呪術者で山岳信仰の開祖とされています。実在の人物ですが、人物像は後世の伝説によるところが大きいと云われています。
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 不動尊拝殿には、岩瀧寺のご本尊不動明王が祀られています。拝殿の奥の洞窟に不動尊は鎮座しています。巧く不動尊を撮影することが出来ませんでした。
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 災害前は更に奥へ行けた様です。奥には不二の滝と言う滝も有るそうです。そして、白毫寺の五台山にも通じているようです。
 しかし現在は不動尊で行き止まり状態です。
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 山を下りて、境内に戻ります。御朱印を頂きます。
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 帰り道も紅葉が見送ってくれます。
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2019年12月10日

オッサのブラリ一人(丹波紅葉三山 丹波もみじめぐり 永谷山円通寺)




 達身寺の翌日、訪ねたのは丹波紅葉三山の一つ円通寺です。
 参道には紅葉のトンネルが迎えてくれました。
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 山門と紅葉です。
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 山門まで来ました。
 一応仁王門となっていますが、こちらはよく知る金剛力士像ではありません。ここに鎮座するのは仏国土、仏法を守る守護神四天王の持国天と増長天です。
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 山門をくぐると、池があり石橋が架かっています。放生池と言うそうです。
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 石橋から振り返ると、ご神木がそそり立っています。 過って円通寺内に祀られていた「賀茂大明神」のご神木で、丹波市の天然記念物に指定されています。樹齢は700年と言う事です。
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 境内の紅葉です。
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 円通寺は、南北朝時代の1382年足利三代将軍義満が後円融天皇の勅命で創建した曹洞宗のお寺です。年号の首字から「永谷山」天皇の宝号から「円通寺」と名付けられ勅願寺と定められました。正式名称は円通興国禅寺、本尊は如意輪観世音菩薩です。
 室町時代から江戸時代には200有余の末寺が有り、丹波を始め周辺の国々にも君臨したと言う事です。
 戦国時代、明智光秀の丹波攻めで多くの寺院が焼失する中、土地の豪氏が光秀の本陣に出向き必死の説得の結果兵火を免れたと言う寺伝が有るそうです。
 現在の本堂等は、1840年焼失したのを、天保年間再建されたものです。施無畏殿と呼ばれる本殿ですが幅40m奥行きが20m有り木造建築としては丹波地方最大規模の建物です。施無畏と言うのは本尊の異名らしいです。
 本堂は全体像を撮影出来ませんでした。
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 本堂の傍らに水琴窟が有りました。耳を当てて診ると水の音が聞こえます。
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 本堂の左側にお堂が在ります。三如来禅音?
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 このお堂の横で御朱印を頂くことが出来ました。
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 帰路、高台へ上がる道が有りました。登ってみるとお社があります。
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 高台から見た円通寺です。
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 帰路の紅葉です、これでも終わりに近い状態で散っている処が結構有りました。
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 駐車場を通り過ぎて、お寺から少し離れると田圃沿いの道に見事な紅葉が有りました。隠れたスポットです。
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 この頃は紅葉も終わりと言っても、まだまだ見頃でした。この後石龕寺へ向かいます。


2019年12月07日

オッサンのブラリ一人旅(丹波もみじめぐり 十九山達身寺)




 白毫寺、高源寺、高山寺を回った翌週先ずやって来たのは達身寺です。
 いきなり道路沿いに駐車場を挟んでお寺が在ります。達身寺を過ぎて進むとレストランが有るそうです。
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 短い参道の脇には達身寺の石碑と、お寺の裏山(たるみ山)から湧き出る泉が有ります。
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 短い参道を進んで茅葺の本堂です。しかし、仏様は居ません。
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 達身寺は奈良時代の僧行基が開基したと伝えられる曹洞宗の寺院です。達身寺の中世以前の沿革は古文書が存在しないため定かではありません。戦国時代には僧兵を抱える大寺院でしたが、その為か明智光秀の丹波攻めに合い焼かれました。



 本堂に入り寺務所で御朱印長を預けると住職に宝物殿へ案内されました。
 江戸元禄時代、この辺りに疫病が流行り占いによると、光秀に攻められた際仏像を山に隠したまま放置した罪が原因との事でした。その仏像を回収し山中のお堂を麓に移転させたのが、達身寺の前身とされます。現在、回収された仏像が納められているのが宝物殿です。
 宝物殿には、80余躯の仏像が納められています。その中には国の重要文化財が12躯、県指定文化財が34躯有りそれが「丹波の正倉院」と言われる由縁との事です。 
 御本尊の阿弥陀如来も宝物殿に安置されています。撮影が禁止でしたのでパンフレットの画像です。ピンボケ状態になってしまいました。
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 宝物殿には他に薬師如来、十一面観音、兜跋毘沙門天、吉祥天などが納められています。更に、同じ仏像が複数存在しています。本来寺院には1種類の仏像が複数存在することは無いそうです。恐らく達身寺は仏像を造る工房だったのではないか?と言う説もあるようです。
 奈良東大寺の金剛力士像を彫った快慶もここで仏を彫っていたのではないか?と云われています。東大寺の古文書には「丹波仏師快慶」と記されており、快慶自身も「自分は丹波仏師だ」と言っていたそうです。しかし達身寺には古文書が無く、真相は不明です。
 こちらもパンフレットから吉祥天女立像です。
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 達身寺の仏像は大半が一木造ですが、寄木造も有り破片化したものも宝物殿に収められています。
 宝物殿を出て御朱印を頂く際、本堂の脇に有る祠について訪ねたのですが、祠でなく大師堂と言われました。
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 どう見ても祠に見えるのですが・・・
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 こちらが大師堂かと思ったのですが、毘沙門堂です。後ろの紅葉がいい感じです。
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 裏山の紅葉です。
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 紅葉は少し大人しい感じがしました。

2019年12月04日

オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 丹波もみじめぐり 高山寺)




 三か所目は高山寺。
 高山寺の記事は、2015年11月に他サイトで公開していますので、今回の目的は御朱印のみとなりました。
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 しかし境内に入り、ビックリ!全く色付いていませんでした。話を聞くと「今年は2週間ぐらい遅い」と、この言葉に騙されました。翌週の後半から紅葉見物を再開すると見頃が過ぎてしまっていました。
 この記事は、2015年11月他サイトで公開したものです。



 高山寺の場所は、北近畿豊岡自動車道氷上インターから県道を豊岡方面に走り、氷上北交差点を左折2・3分走り、常楽交差点を右折すると、すぐに案内看板が見えます。案内看板通りにゆくと高山寺が有ります。
 高山寺は、天平宝寺元年(757)に法道仙人により開基され、昭和33年現在の場所に移築されました。ご本尊は十一面観音菩薩で、仁王門、三手先の組物や、通し貫などに東大寺様式が伺えます。また、鎌倉時代の阿弥陀如来像、三千仏掛軸、俵藤太秀郷一代記絵巻物、高山寺縁起、両界曼陀羅図などの文化財があります。
 丹波市には丹波三山と言う紅葉の名所が有ります。高源寺、円通寺、石龕寺がそうです。他にも紅葉の名所が有りますが、ここは拝観料が無料でしたので、見ることにしました。ただし私が行ったのは平日だったので、休日はどうなのか?分かりません。
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 山門です。言われてみれば、東大寺の南大門をモチーフにしているような気がします。
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 仁王像ですが、金網が邪魔になって上手く映りませんが、仁王も東大寺様式のひとつか?
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 参道です、紅葉の並木道が美しいです。
平日ですが観光客もちらほら、中には中国人観光客らしき一団を発見しました。こんな処にも外国からのお客様が来るのか?
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 参道の脇道にも、こんな景色が・・・
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 駐車場に戻ってきて、ふと、あの中国人らしき一行の移動手段は?駐車場にはバスもワンボックスも有りません国際免許でレンタカー?ウーン謎です。


2019年12月03日

オッサンのブラリ一人旅(丹波もみじめぐり 丹波紅葉三山 瑞厳山高源寺)




 白毫寺の次にやって来たのは、高源寺です。
 高源寺の辺りは、丹波市でも北の端に当たり気候もどちらかと言うと日本海気候に近いところです。
 丹波もみじめぐりの寺院の中でも、代表的なお寺で円通寺、石龕寺と共に丹波紅葉三山と呼ばれています。



 高源寺にやって来ました。駐車場から見事な紅葉です。
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 駐車場から参道へ向かいます。色付いた紅葉が迎えてくれます。
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 惣門まで来ました。
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 惣門をくぐると、紅葉のトンネルが迎えてくれるのですが、何と紅葉が真っ青!一番肝心なところが色付いていません。
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 参道の横はきれいに色付いています。
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 山門まで来ました。
 江戸時代後期、高源寺を再興した弘巌玄猊禅師によって建立されたと云われます。二階には釈迦坐像と十六羅漢像が安置されているそうです。
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 山門から参道を望みます。
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 山門をくぐり境内にも紅葉が色付いています。
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 高源寺は、臨済宗妙心寺派のお寺です。
 1325年遠谿祖雄の開山によって創建されたと云われています。翌年後醍醐天皇から高源寺の贈られ1518年勅願所となりました。
 こちらも、戦国時代、明智の丹波攻めにより焼失しましたが、江戸時代後期に復興されました。
 仏殿です。これが本堂となり法王殿とも云われるそうで、本尊の釈迦如来坐像が安置されています。
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 高源寺にも白毫寺と同じように心字池が有ります。
 こちらの池は高源寺の中心をなします。天正年間に智傳禅師により造園されたようですが戦火で荒廃し、その後弘巌禅師によって完成したと言う事です。
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 仏殿と心字池の奥に急な石段が有ります。
 石段を登りきると、方丈が有ります。
 方丈は、住持の居所の事を言い本堂客殿を兼ねています。
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 方丈から西へ進むと、雪舟が造築したと云われる築山や鐘楼が有ります。
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 更に西へ向かうと、三笑橋が有ります。三笑橋の架かる渓谷は虎溪泉と言い溪中の巨岩を虎石と云います。由来は遠谿祖雄ら三人の法師が虎の鳴く声を聞いて大笑いしたと云う故事から来ています。虎石がどれなのか?確認は出来ませんでした。
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 三笑橋を渡ると、三重塔が現れます。江戸時代後期に建立された物で輪蔵と言う建て方だそうです。
 中には五千四十八巻の経文と本尊の毘沙門天が納められています。
 高台からの三重塔です。
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 参道とは別ルートで下山します。
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 途中、三重塔を下から見上げます。
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 下山したルートは紅葉公園として整備されています。
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 高源寺は花の寺としても知られており、関西花の寺二十五ヵ所の四番目に挙げられています。
 秋の紅葉だけでなく、春にはツツジ、夏には紫陽花、冬は椿が咲き誇ります。



 御朱印は方丈で頂きました。
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2019年12月01日

オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 丹波もみじめぐり 五大山白毫寺)




 今年の紅葉見物は、丹波三山を回ろうと考えていたのですが、調べてみると丹波市と観光協会が丹波もみじめぐりを企画していました。
 もみじめぐりは十のお寺、高源寺・円通寺・岩瀧寺・達身寺・高山寺・白毫寺・石龕寺・小新屋観音・慧日寺・三寶寺・の紅葉見て回る企画です。
 これは全て廻らねばなるまい!と思い立ちました。



 何処から廻ろうか?まずはコースから一番外れている白毫寺から。
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 未だ早いだろうと思いつつもそれなりに色付いていました。20191112_115037_HDR.jpg
 参道には、七福神が鎮座しています。丹波七福神を丹波地方では企画しているようです。白毫寺は布袋尊を祀っているようです。
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 白毫寺は藤の名所でも有るそうで、九尺藤と呼ばれています。その事から参道には孔雀が飼われています。
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 山門まで来ました。
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 白毫寺は、705年法道仙人の開基により創建された天台宗のお寺です。
 山号の五大山は、周囲の山並みが唐の五台山に似ていることから命名されました。
 ご本尊の薬師瑠璃光如来は眉間の白毫から瑠光を放っていたため白毫寺と言われたという説があるようです。
 回向本堂です。此処には、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が祀られています。
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 回向本堂の両脇には、ぼけ除け地蔵尊と楽寿観音が鎮座しています。
 楽寿観音です。
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 本堂の奥から、山の方には、「十三仏」が建立されています。
 十三仏は人が亡くなった後、13回の審理が行われ、その審理を助け浄土に導くのが十三仏と云われています。
 十三仏の1体です。
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 十三仏の反対側には、藤棚が有ります。春には九尺藤が咲き誇ります。
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 参道迄戻って来ました。参道沿いに池が有り心字池と言います。
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 心字池には太鼓橋が架かっています。この世と仏の世界をつなぐ橋とされています。
 構築時期は、江戸時代元禄年間とされています。
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 太鼓橋を渡り奥へ進むと、薬師堂が有ります。総本堂と呼ばれ、ここが本当の本堂です。此処に薬師瑠璃光如来が納められています。
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 薬師堂の裏には石段が有り、上がっていくと熊野神社が有ります。
 天正年間、白毫寺背山で和歌山熊野の橋爪一族が銅鉱採掘に当たっており、作業の安全の為熊野三山の祭神を祀ったそうです。
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 心字池の紅葉です。
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 回向本堂にお参りした後、寺務所で御朱印を頂きました。その時、お寺、あるある敷地内にお社が有る事を訪ねてみました。明治維新の神仏分離令でお寺に神様を祀る事は一部の例外を除いては許されていないのですが、言われる事には、そんなに大きなお社でもないし、極端に言えばバレなければ良いと言う物でした。大体そんな事だろうと思いますが、本当のところはどうなのでしょうか?
 白毫寺の御朱印です。
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 白毫寺を含め丹波地方の古寺は、戦国時代に明智光秀の丹波攻めでその多くが焼失しましたが、白毫寺は天正年間中興されました。


2019年11月25日

オッサンのブラリ一人旅(閑谷学校 X)



 
 この記事は2017年11月に他サイトで公開したものです。



 受付を出ると備前焼を販売していました。備前焼の窯元も訪ねたかったのですが・・・今回は断念しました。今度は、いつの事になるのやら。
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 少し行くと、閑谷川が有ります。小さな渓流です。川沿いに山の方に歩いていきます。色付くにはまだ早い紅葉が・・・今頃は絶景なのでしょう。
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 奥へ進むと広場が有ります。津田永忠の邸宅跡です。
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 近くには、黄葉亭が見えます。山道に入ったのはここを見るためです。
 黄葉亭は武元君立・有吉行蔵によって建てられた旧制中学です。主に来訪者をもてなす目的だったと推測します。
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 黄葉亭を過ぎると。この時期にしては見事な紅葉が・・・
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 山を見てみると、残念ながらまだ青い状態です。
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 因みに、赤とんぼの三木露風も閑谷学校の出資です。旧制中学3年生の時に兵庫県の竜野中学から編入したそうです。



 帰りは国道2号をひた走り途中、姫路バイパスの別所PAでカツ飯を・・・確か、カツ飯は加古川名物なのですが・・・ここは姫路と高砂の境ですが・・・軟らかく食べやすい大きさにカットされており、ソースもご飯に合い美味しく頂きました。
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 紅葉には未だ早いとは思いつつやって来たのですが、それでも素晴らしい紅葉を見る事も出来、来てよかったと感じました。


2019年11月24日

オッサンのブラリ一人旅(閑谷学校 W 閑谷学校資料館)




 これは、2017年11月に他サイトで公開したものです。



 火除山と石垣の間を進んでいくと、良い感じの紅葉が見えます。校厨門と呼ばれています。
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 校厨門は旧私立閑谷黌校門に位置します。その旧私立閑谷黌が資料館になっています。
 閑谷学校資料館は、私立閑谷黌の本館として明治時代に建てられました。大正時代、旧制中学となり、大正10年県立になり岡山県閑谷中学校となりました。戦後、県立岡山県閑谷高等学校となりましたが、1949年県立和気高等学校と統合され、現在岡山県立和気閑谷高等学校となりました。現在の資料館は、1964年まで、閑谷校舎として使われていました。1991年から資料館として使われています。
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 建物は、明治時代の大型木造建築の特徴が残されています。本館の他には、講堂(国宝の講堂ではありません。)や特別教室棟などが併設されていましたが現在は有りません。
 資料館の裏に周るとまだ早いけど、それなりに色付いた紅葉が・・・、このブログを更新する頃には、素晴らしい紅葉が見ることが出来るでしょう。
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 いよいよ、資料館に入って行きます。
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 中に入ってみると、正に昔の学校の中と言った感じです。
 内部には7つの展示室が有りますが、展示品は撮影が禁止されています。
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 資料室では、閑谷学校の概要や歴史。池田光政・池田治政・津田永忠らの功績、教育方針などが学べます。
 2階の廊下から外を見ると、紅葉が良い感じになっています。
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 この後、少し学校の外を歩いてみようと思います。


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