2019年12月07日
オッサンのブラリ一人旅(丹波もみじめぐり 十九山達身寺)
白毫寺、高源寺、高山寺を回った翌週先ずやって来たのは達身寺です。
いきなり道路沿いに駐車場を挟んでお寺が在ります。達身寺を過ぎて進むとレストランが有るそうです。
短い参道の脇には達身寺の石碑と、お寺の裏山(たるみ山)から湧き出る泉が有ります。
短い参道を進んで茅葺の本堂です。しかし、仏様は居ません。
達身寺は奈良時代の僧行基が開基したと伝えられる曹洞宗の寺院です。達身寺の中世以前の沿革は古文書が存在しないため定かではありません。戦国時代には僧兵を抱える大寺院でしたが、その為か明智光秀の丹波攻めに合い焼かれました。
本堂に入り寺務所で御朱印長を預けると住職に宝物殿へ案内されました。
江戸元禄時代、この辺りに疫病が流行り占いによると、光秀に攻められた際仏像を山に隠したまま放置した罪が原因との事でした。その仏像を回収し山中のお堂を麓に移転させたのが、達身寺の前身とされます。現在、回収された仏像が納められているのが宝物殿です。
宝物殿には、80余躯の仏像が納められています。その中には国の重要文化財が12躯、県指定文化財が34躯有りそれが「丹波の正倉院」と言われる由縁との事です。
御本尊の阿弥陀如来も宝物殿に安置されています。撮影が禁止でしたのでパンフレットの画像です。ピンボケ状態になってしまいました。
宝物殿には他に薬師如来、十一面観音、兜跋毘沙門天、吉祥天などが納められています。更に、同じ仏像が複数存在しています。本来寺院には1種類の仏像が複数存在することは無いそうです。恐らく達身寺は仏像を造る工房だったのではないか?と言う説もあるようです。
奈良東大寺の金剛力士像を彫った快慶もここで仏を彫っていたのではないか?と云われています。東大寺の古文書には「丹波仏師快慶」と記されており、快慶自身も「自分は丹波仏師だ」と言っていたそうです。しかし達身寺には古文書が無く、真相は不明です。
こちらもパンフレットから吉祥天女立像です。
達身寺の仏像は大半が一木造ですが、寄木造も有り破片化したものも宝物殿に収められています。
宝物殿を出て御朱印を頂く際、本堂の脇に有る祠について訪ねたのですが、祠でなく大師堂と言われました。
どう見ても祠に見えるのですが・・・
こちらが大師堂かと思ったのですが、毘沙門堂です。後ろの紅葉がいい感じです。
裏山の紅葉です。
紅葉は少し大人しい感じがしました。
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