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2021年04月23日
2021年04月22日
イジメを撃退する念彼観音力 @ はじめの一歩
毎日、家に引きこもり、真言を唱え、やや活性した脳で色々と考えてみました。
30年の間、司法による判決も知らぬまま、国家規模でのイジメに遭い、社会から疎外され、人格を徹底的に貶められ、熟年いじめられっ子となり、明るい未来の無い刹那、この私に何が出来るか?
それは、イジメによって、毎日苦痛の日々を誰にも相談できず、一人で悶々と苦しむ衆生の救済を祈ることです。
イジメられている子供に、「毎日学校に行け」と言うのは、「毎日地獄に行け」と言っているに等しく、
「もっと明るく生きろ」と言うのは、「頭に火を灯しても、明るくしろ」と言っているのに等しい。
イジメをした人は、さっさとそれを卒業し、何食わぬ顔して社会にを悠々と歩いていくのでしょう。しかしいじめられた人は、その時点で時間が止まり、何も乗り越えることが出来ず、ただただ、自己の劣性を洗い清めることも出来ずに人生を過ごさなくてはなりません。傷だらけの心を丸出しに、生きているのです。
或は、その過去を押し隠して生きる人もいるでしょう?
誰の名前を呼んでも助けてくれません。自分を愛する筈の両親も、学校の先生も、助けを求めても微妙にその焦点を外し、(そのつもりがなくても、皆、ことを荒立てたくないのです。)本人が死を選ぶまで何も気が付きません。そうして、イジメにより死を選ぶ子供は年間300人もいるのです。映画やドラマは、愛や熱愛を叫ぶ前に、慈悲の心こそ叫ぶべきなのです。
昔、学校でお葬式ごっこをされて自殺した子供がいました。
慈悲の心がないだけでなく、神仏も恐れぬことを学校の先生が主導でやっていたのです。
一方で正義のお葬式ごっこをして富と名声を得る者もいます。
宗教軽視、仏教軽視ここに極まれりです。
私は、今まで人にひどいこともしました。動物にひどいこともしました。そしてその因果でイジメに今回あいました。人がどれだけの悪魔になることが出来るのかよくわかりました。そして、それを救うことが出来るのは、宗教であり、仏教の大いなる慈悲心であることを悟りました。
イジメは仏教の十善戒から考えれば、
人の未来と幸せを奪う、偸盗
その人が死ねばそれが自殺であっても殺生
いじめる過程で、妄語、綺語、悪口、両舌を駆使し、
それを快楽と感じ、何度でもイジメれば、それは慳貪の罪です。
そして、そのことでどのような因果の結果が起こるかを信じぬ邪見の持ち主であるから、
自殺するまでその人をイジメてしまうのです。
もうひとつ無関心という罪もあるかもしれませんが、それは仏教では何か答えを持っているのでしょう。
悪魔になったものも、悪魔に虐げられたものも、仏様の前では平等に救済されるのです。悪魔になってその時は涼しい顔をしていても、いつかその因果が帰ってきます。
長くなりましたが、この新しい投稿では、妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈を一節ずつ、紹介し、学研の「法華経大全」を参考にしながら意味を理解し、それを現代のイジメにあてはめなおし、今日、今正にイジメを受けている人に「念彼観音力」(ねんぴーかんのんりき)を思い出してもらい、その状況から釈念得解脱してもらおうという企画です。
普門品偈は本当に不思議なお経です。どんなにひどい状況にあっても、観音様を拝むことで救われるというお経です。大乗仏教のスーパースターは観音経にも般若心経にも登場し、小乗仏教の国でも崇拝されています。
どうか次回からよろしくお願いいたします。
合掌
聖天(歓喜天)様 信仰 5ー4 勤行の手順 解穢真言 七遍
これからお祈りしようとしている私たちは、そもそも穢い。穢れている。そこでこの真言を唱えます。特に穢れを嫌う聖天様にお祈りするなら猶更のこと。「げえ しんごん」 と読みます。
インド火神由来の烏枢沙摩(ウスシマ)明王が全ての穢れと煩悩を燃やし尽くします。
トイレの神様として有名になったのでご存知の方も多いかと思います。トイレに御札を祀ることも多く、私もお札を祀り、この真言を毎日トイレで唱えています。お線香と共に。
お祈り中にトイレに行ったら、その後もこの真言を唱えるべきでしょう。
真言は
おん くろだのう うんじゃく
真言の意味は
オーン 忿怒尊よ フーン 消去したまえ!
合掌