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2023年05月13日
日本人の愛を語る立場 (愛を語る第三歩) 不定期投稿
日本人の愛を語る立場
(愛を語る第三歩)
不定期投稿
恋をする。
あの実際に無い熱に魘され、
食事も喉を通らず、
溜息ばかり出て、
自分の全てが恥ずかしい、
自分の全てが不潔な、
悔しいほど五体満足のその症状。
これを「恋をする」と言うのだろうか?
症状は皆似ているのだろうか?
コロナの様に、
人によりヴァージョンが違うと言う事は無いのか?
これを、
「恋をする」と言うのは正しいのか?
何故大人はある症状について、
勝手に先廻りして、
「恋する」と決めつけるのか?
何かの精神疾患かもしれないじゃあないか?
何かの認知症かもしれないじゃあないか?
「恋する」は昔、「愛し(かなし)」と言った。
まず、この漢字同士の結びつきはこうだった。
@相手をいとおしい。(愛おしい)
Aかわいい
@Aを「愛(かな)し」と言う。
B守りたい思いを抱くさまには「情」を当てた。
C恋愛に関しては「色」や「恋」という語を当てた。
これが日本の愛に関する言葉だった!
何のこっちゃ?
あの常に明快な、利益に左右されないウィキペディアでさえこれである。
「恋する」
「愛し(かなし)」
「情」
「色」
「恋」
何一つ明確ではない。
これは困った。論者お互いが、同じ物の事、事象を語り合い論じているのかも不明だ。でも確かにある似た症状と、それを取り囲む行動。かつて、幾多の優秀な日本人の作家が取り組み、答えを出した筈の真実。
「近代に入り、西洋での語義、すなわち英語の「love」やフランス語の「amour」などの語義が導入された。その際に、「1. キリスト教の愛の概念、2.ギリシア的な愛の概念、3. ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、現在の多様な用法が作られてきた[5]。」Wiki
仏教が恐ろしい程明確で、
そうでないことを、
心の奥底で願ってしまう。
合掌